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2024年9月12日 (木)

進徳高等女学校(現進徳女子高校)の原爆慰霊碑

「高暮ダム朝鮮人犠牲者追悼碑・碑前祭」で出合ったことがきっかけで、進徳女子高校にある進徳高等女学校原爆慰霊碑を訪れました。

女子高校ですので(どの学校でもそうですが)、事前にお願いの電話を入れました。

「なぜ?」ということですので、「原爆慰霊碑をめぐっているので、ぜひそちらの学校の慰霊碑も訪れたいと思いまして」とお願いすると、対応していただいた事務局長の原田さんから「明日の午前10時半頃なら大丈夫です」との了解をいただき、10日の午前10時半に国道2号線沿いにある進徳女子高等学校を訪れました。

学校に到着すると、いつも閉められている正門の内側で原田さんが待っておられました。

「大変申し訳ないのですが、電話でお話をした後、急に用事が出来、少しの時間しか対応できなくなりました。」とのことですので、すぐに慰霊碑に案内していただきました。

正門を入るとすぐのところに、進徳女子高等学校の前身である「進徳高等女学校」の「職員生徒慰霊碑」が建っています。

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上の写真の右端にわずかですが、正門が写っています。後ろには、講堂が建っています。

事前に読んだ1980年代に発行された慰霊碑を紹介する本「原爆の碑 広島の心」(黒川万千代編)には、「車の多い国道二号線沿いとわからないくらい静かな内庭に、花しょうぶの紫が美しい池に面して建つ、自然石の碑」と紹介されています。碑のまわりには池はなく、様子はずいぶん違っていますが、きれいに整備されています。

原田さんに「いつか、場所を移されたのでしょうかね」とお聞きしたところ「私がこの学校に来たには、2年前ですので、詳しいことがわかりません」とのことでした。経緯を知ることは出来ませんでしたが、学校の整備の段階で移設されたと思われます。

慰霊碑の正面には、仏教系の学校だからでしょうか「波羅蜜多」の文字が刻まれています。

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「波羅蜜多」(はらみった)とは、広辞苑によれば「現実界(生死輪廻)の彼岸から理想界(涅槃)の彼岸に到達すると解釈」となっています。

資料のよると、進徳高等女学校の原爆による被爆死は、職員11名、生徒374名となっています。

影になって少し見え難いのですが、碑の裏面には「昭和三四年八月建立 進徳学園」の文字が刻まれています。

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進徳高等女学校は、被爆時爆心地から1.4km広島市南竹屋町にありましたが、1946年5月10日に現在地にあった旧陸軍暁部隊用地と兵舎の転用が許可され、修築移転しています。

少し余談になります。旧陸軍暁部隊用地と書きましたが、この場所には、暁部隊の内通信隊がありました。だからだと想像するのですが、進徳女子高校と国道2号線を挟んだ北側には、旧電電公社の敷地が広がっています。私の職場、中国通信局ダータ部(現NTTデータ中国支社)のビルもそこに建っています。

話を元に戻します。碑の裏面の下側に、碑に刻み込まれたように四角な金属の板を見ることができます。

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原田さんの説明によれば「この中に死没者名簿が納められている」そうです。説明を受けなければ、見逃しそうです。

碑建立後、毎年8月6日に追悼式が行なわれていたようですが、暑さのこともあり、最近は10月20日に実施されているようです。理由は聞きませんでしたが、今年は9月20日に実施されるそうです。

原田さんの予定もあり、ここで慰霊碑の見学は終わり、お礼を言って別れましたが、気になるのは進徳高等女学校の被爆の実相です。

帰宅後、「広島原爆戦災史第4巻」を開き、調べることにしました。そこでちょっとした疑問に出合いましたので、その報告は明日にします。

いのちとうとし

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