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2024年9月14日 (土)

進徳高等女学校の原爆犠牲者―その2

「廣島原爆誌」

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125ページには、「2,職員の被害状況」〔死亡者数〕として、数の一覧表が掲載されています。

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この表は、右から職員、挺身隊員、学徒の順にそれぞれ在局者、非在局者ごとに死亡者数、生存者数が集約されています。

ここでは、学徒、つまり進徳高等女学校の生徒について見ていきます。

まず気づくのは、170名の生徒の内、被爆当時当時電話局にいた生徒は、134人だったということです。残りの36名は、交代制で働いていたためだと思いますが、自宅にいたようで、全員生存となっています。

ここで不思議なのは、引率の2名の教職員については、触れられていないことです。広島原爆戦災史第3巻のP.241には、電話局の項に「家屋疎開や応召などで要員が減少し、挺身隊の24人、進徳高等女学校の生徒170人〔引率教師2人〕の派遣を得て業務を運行していた」とここでは、( )書きですが、引率教師が2人いたことが記載されています。なぜ「廣島原爆誌」には、引率教師2枚が記載されなかったのか、疑問が残ります。

「職員の被害状況」に戻ります。

これによると、電話局にいた生徒134名は、76名が死亡し、58名が生存したとなっています。

やはり、爆心地から近距離だった電話局で働いていた生徒の中に、多くの犠牲が出ていることがわかります。

この「廣島原爆誌」には、次のページから「死亡者名とその死亡状況」が、12ページにわたって、犠牲者一人一人「名前、年齢、官職、罹災場所、死亡月日、死亡場所、死亡状況」の順で掲載されています。

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進徳高等女学校の学徒動員者の死亡者も、一人一人について4ページにわたって掲載されています。電話局の職員でもない学徒もよくここまで調べたものだと思うほど詳細に記載されています。

ただ、掲載されている名前を何度も数えたのですが、76名の死亡者の内、67名しか記載されていません。調査しきれなかったのでしょうか。その67名の最初に、76名には含まれていないと思われる引率の教員2名の名前があります。野口友子先生と脇田千代子先生です。野口先生は「8月6日即死」、脇田先生は「8月31日不詳」となっています。いずれも21歳の若さです。生徒の死亡場所には、「豊田郡南生口村」や「双三郡十日市町」など遠方の地名も幾つか目につきます。「南生口村」で亡くなった中黒敏子さん(15歳)の死亡日は8月31日、「双三郡十日市町」(現三次市十日市町)で亡くなった横山幸江さん(16歳)の死亡日は9月1日となっています。二人は、なんとか自宅に帰り着いて亡くなったことが想像できます。

電話局での死亡者76名中氏名がわかっているのは67名など、調べれば調べるほど疑問が出てきますが、その疑問を解決する道は、残念ながらいまはありません。

進徳高等女学校の生徒たちが被爆した広島電話局の建物は、今は建て替えられていますが、私が、労働組合の役員をしていた時代には、現役として使われており、その一角に組合事務所があったため、何度も足を運んだ強い思い出のある場所です。

電話局の被災状況については、かなり詳しいことがわかりましたが、実は調べている内にもう一つ気になることが出てきました。

それは、「貯金局」への動員ですが、長くなりそうですので、次回16日につづきを書きたいと思います。

いのちとうとし

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