加藤友三郎像
昨年8月28日に前広島市長秋葉忠利さんが中心になって開催された「加藤友三郎没後100年記念シンポジウム」に関わりを持ったことは、このブログ「加藤友三郎没後100年記念シンポジウム」成功裏に終了: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で紹介しました。
あれから一年が過ぎた先月の24日にNPO法人加藤友三郎顕彰会が主催し、加藤友三郎の「銅像復帰報告祭」が行なわれたことをマスコミを通じて知りましたので、見に行ってきました。
「加藤友三郎像」は、2008年から中央公園の東側に建っていたのですが、2019年9月にサッカースタジアム建設のため、移転を余儀なくされていましたが、今回公園整備が全て終了し、この地に帰ってきたのです。
像は、サッカースタジアムの東側に広がる芝生広場の東側に広がる「ひろしまスタジアムパーク」の一番西側に立っています。
すぐ隣に子どもたちの遊び場があります。
近づくと「ずいぶん高いな」と感じます。銅像は青空をバックにすくっと立っていました。
銅像の高さは、台座などを含めて約4・5メートルあるそうです。
像のそばには、2枚の説明板があります。
一枚は、「加藤友三郎功績碑」と書かれており、銅像の土台に取り付けられています。横に英文もありました。
英文の説明板は分かりませんが、「功績碑」と刻まれた説明板は、文章の最後に「平成20(2008)年8月24日 加藤友三郎銅像復元委員会 会長 碓井静照」と書かれていますので、2008年の建立時に取り付けられたものだと思います。
銅像からは少し離した後ろ側にありますが、もう一枚の説明板が目につきます。
この説明板のタイトルは「加藤友三郎とサッカーの縁」と書かれています。最後の書かれた日付が「令和6(2024)年8月」となっていますので、今回新しく設置されたことが分かります。
説明文の内容を要約すると「加藤友三郎が、明治6(1873)年に海軍兵学校に入学したとき、海軍兵学校の教育を充実させるため来日していた英国軍人が、教育の一環としてフットボールなどの英国式スポーツを取り入れた。これが日本人が最初にフットボールと関わった記録と確認されている。広島県人は、加藤友三郎しかいなかったので、わが国初のフットボールを楽しんだ人になる。」と記し、最後に「このようにサッカーと縁がある加藤友三郎の銅像から指呼の間にサッカーススタジアムが建設されたことに、はかり知れないつながりを感じています。」と記されています。
サッカーを見に訪れた人が、加藤友三郎銅像を通じて、平和について考える機会になればとの思いも込められた説明板のようです。
いのちとうとし
[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
« 9月の「3の日行動」 | トップページ | 2024年9月のブルーベリー農園1 »
「ニュース」カテゴリの記事
- 加藤友三郎像(2024.09.07)
- ヒロシマとベトナム(その61) ~南シナ海をめぐる動向-5~ (2024.09.05)
- 中国新聞の二つの記事―その1(2024.09.03)
- 久しぶりの参加です。「VIGIL FOR GAZA(ビジルフォーガザ)」(2024.09.02)
- 被爆79周年原水爆禁止世界大会(2024.08.11)
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- ヒロシマとベトナム(その62) ~南シナ海をめぐる動向-6~ (2024.10.05)
- 就職差別の撤廃を!(2024.10.01)
- 2024年9月のブルーベリー農園その4(2024.09.30)
- 中国電力は、12月に島根原発2号機を再稼働するとしているが?(2024.09.25)
- 2024年9月のブルーベリー農園その3(2024.09.23)
「#平和推進」カテゴリの記事
- ベトナムの歴史(その32) ― ベトナム Now Ⅱ ― (2024.09.20)
- 中国を訪問します。(2024.09.18)
- 広島中電話局慰霊碑(2024.09.17)
- 進徳高等女学校の原爆犠牲者―その3(2024.09.16)
- 進徳高等女学校の原爆犠牲者(2024.09.13)
コメント