「広島ブログ」

2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« この橋の名前は? | トップページ | ヒロシマとベトナム(その60) ~南シナ海をめぐる動向-4~ »

2024年8月19日 (月)

この橋の名前は?―つづき

次は、二つ目の疑問「写真に写った橋は、いつ作られいつ撤去されたのか」の解明です。

最初に問い合わせたのは、国土交通省の広島国道事務所です。電話で問い合わせた結果、「平成18年(2006年)に撤去された」ことが分かりました。

国道2号線にかかる新観音橋が完成した時(昭和37年・1962)、撤去されたのかと思っていましたが、ずいぶん後まで残っていたようです。ところがこの時、いつ修復されたのを聞き忘れましたので、調べることにしました。

この疑問を調べるため、伊藤さんの写真をプリントアウトし、わが家の隣の平和ビルにある広島市公文書館を訪ねました。

「この橋、観音橋についてもう少し詳しく知りたいのですが、何か資料はないですか」とお願いすると、書棚から2冊の本を持ち出してくれました。

そのうちの1冊は、19891月に広島市企画調査局文化課が編集し広島都市生活研究会が発行した「河岸の戦後史5 天満川」が、いろいろな情報を得ることが出来ました。

戦後修復された観音橋について次のように書かれています。

「昭和26年(1951)の全面修復では、西側約50m残っていた被爆橋に継ぎ足した。その後被爆部分は埋め立てられて、2本の橋脚が消えた。埋め立て地は河岸緑地にすべきであったが、河岸には高いビルが建ち並んだ。」

この文章で、修復時期が昭和26年(1951)だったことが分かりました。これで私の疑問は、解決したのですが、新しい事実が見つかりました。

やはり、昨日のブログで少し触れましたが、昭和20年(1945)10月の洪水では、全部流失したのではなく、「西詰(昨日のブログでは間違って『東詰』としていた)に約50mの橋脚が残っていた」ことです。

改めて、伊藤さんの写真を見ると、それらしき橋脚を見ることができます。

248181141

 右端の方に立っている照明灯のようなものから右側の部分が被爆橋脚です。

「河岸の戦後史5 天満川」に掲載された写真でさらに貴重な事実を知りました。

昭和42年(1967)5月に写された写真で、「西側は橋脚2本分埋め立てられて橋が短くなっている」と説明文がついています。

248192

次の一枚には、昭和47年(1972)8月に写されたもので、「埋め立て地は河岸公園にならず、ビルが林立する」と説明文が付いています。

248193  

この写真で注目すべきは、橋脚の上に伊藤さんの写真にも写っている照明灯?と同じものが写っています。

さらによく見ると、その橋脚を挟んだ右側と左側の橋の下の構造が違っているのが分かります。左側(新設されて部分)は、路面の下にコンクリートの板上のものが付けられていることです。観音橋全体が見える伊藤さんの写真でも、照明灯から東側は同じような構造になっています。

こうして比べてみると、右側が、昭和20年(1945)10月の洪水で残った被爆橋脚の一部ということになります。

ところで、最初に「河岸の戦後史5 天満川」の「観音橋」の説明読み込んだ時には、かってに分かったつもりになっていたのですが、「残された部分が50m」という記述に納得がいでした。しかし、15年ぐらい後に埋め立て工事が行なわれたため、伊藤さんの写真のように短くなったことが分かり、ようやく納得できました。

現在の天満川のこの位置の川幅は、約85mしかありませんので、余計に50mという数字が、あり得ない数字のように思えたのです。しかしよく読むと、その後に「初めの長さ126m、巾5.5m」だったことが記述されています。当時より約40mも川幅が狭くなっていますので、残された被爆橋脚部分が、短くなっているのも理解できます。

「河岸の戦後史5 天満川」には、次のように書かれていることを紹介し、今日のブログを終わります。

「観音橋は、国道2号線となり路線バスが通り、トラックも大型化して、観音橋は大動脈渋滞のネックになる。昭和37年6月、上流に新観音橋が開通して、国道2号線も移った。残された観音橋は、歩行者・自転車用になった。洪水のたびに橋脚は沈み、路面はウェーブして、災害に痛めつけられた跡を残す橋」

この痛み付けられた跡が、原爆の被害によるものと誤解される要因になっていたのでしょう。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

« この橋の名前は? | トップページ | ヒロシマとベトナム(その60) ~南シナ海をめぐる動向-4~ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

被爆者」カテゴリの記事

自然災害」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« この橋の名前は? | トップページ | ヒロシマとベトナム(その60) ~南シナ海をめぐる動向-4~ »