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2024年8月17日 (土)

高校生が描いたヒロシマ「原爆の絵画展」

毎年、この時期に開催される「聞き、描く。共に、描く。高校生が描いたヒロシマ『原爆の絵画展』」が、10日から28日までの会期で、今年も広島国際会議場地下2階サクラで開催されています。昨日、今年も行ってきました。

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広島市立基町高校普通科創造表現コースの生徒たちが、2007年から、原爆被害の実相を後世に伝えるため被爆体験証言者と共に取り組んできた「原爆の絵」は、これまでに207点の絵が描かれています。

今回は、そのうちの57枚が展示されています。ずっと会場を回って、不思議に思ったことが一つあります。上のチラシには、「今年7月に完成した16点」と書かれているのですが、会場で「新作(今年完成)」とキャプションが付けられた作品は、19点ありました。会場には、関係者の姿がありませんでしたので、残念ながらその疑問を問うことは出来ませんでした。

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いずれにしても力作が並んでいます。私が注目したのは、3点の新作です。

うち二つは、「黒い雨」が題材となっています。並べて展示されています。

2021年の黒い雨裁判の影響でしょうか、今年初めて取上げられた素材のように思います。

額のガラスに上の照明が反射しますので、少し上から写しました。

右側は、己斐の防空壕から見えた中心部に降る黒い雨を描いています。

左側は、「突然降り始めた『黒い雨』にはしゃぐ子どもたちーそれが放射能物質を含んだ危険な雨とは知らずー」のタイトルがついた、爆心地から北西19キロ離れた安佐郡小河内村(現 広島市安佐北区小河内地区)に降った黒い雨を描いています。

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もう一枚は、「逃げるときに見た頭のない赤ちゃん」とタイトルが付けられた田邊美羽さんの作品です。

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 当時女学校1年、12歳だった証言者大橋和子さんが、学徒動員の建物疎開作業中に被爆した後、爆心地から1.5kmの平塚町を逃げる際に目撃した「瓦礫の中、前を歩いている女の人は頭の無い子どもをおんぶして他の人たちと列をつくり歩いていた」親子を描いた作品です。

この親子の姿が忘れられない大橋さんの証言もすごいと思いますが、「おんぶされた頭のない子ども」の姿を描いた田邊さんの思いはどんなことを感じながらの作品製作だったろうかと思わずには見ることができませんでした。

絵の下に付けられた説明文の生徒のコメントには、次のように書かれています。

「最初、大橋さんの話を伺った際に、原爆の爆風で子供の頭が吹き飛んでいて首から上がなくなかったという状況に驚きました。爆風で数十メートル人が飛ばされたり、ガラスが割れたりしたことは知っていたけれど、まさか骨と筋肉と皮で繋がっている首ですら切り飛ばしてしまうほどの爆風の威力を知り、恐ろしく感じました。製作にあたって、火傷や皮膚の垂れ下がり具合、そして子供の骨を描くことが難しかったです。この絵を見て、原爆の恐ろしさ、子供の命を一瞬にして奪う残酷さを感じて欲しいです。」

大橋さんのコメントです。

「逃げる途中の一番心に残っている残酷な惨状は、79年経った今でも決して忘れることはありません。田邊さんには最初に直接お会いした後、LINEのやりとりで、ここまで再現して下さり、驚きました。言葉で表せないほど、心より感謝しています。」

改めて、高校生が描いたヒロシマ原爆の絵が持つ力を実感しながら会場を後にしました。

いのちとうとし

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