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2024年7月 2日 (火)

再設置が完了した大田洋子文学碑

中央公園にあった被爆作家の大田洋子文学碑は、サッカースタジアムの建設のため撤去され広島市が保管をしていましたが、ようやく再設置されました。

市民団体「広島文学資料保全の会」などの「この場所に設置された意味を考え、スタジアム建設後も元あった場所の近くに設置して欲しい」との要望を受け、広島市は当時、「これまでの場所から約20メートル南西の広場西側に再設置する」方針を説明していました。

サッカースタジアムの周辺工事もだんだん整備が進んでいますので、大田洋子文学碑は、どこに設置されるだろうかと気になっていましたので、「広島文学資料保全の会」のメンバーに問い合わせていました。すると先日「大田洋子の文学碑が,サッカースタジアムの西側に設置されたよ。ただ、正式の完成は全ての周辺工事が完了する8月1日になっているようだけど」と連絡が入りました。

一昨日、雨模様の中現場に行ってきました。

広島市が移転前にいっていた「南西の方向」ではなく、「北西の方向」の太田川土手のすぐ下に移設が完了していました。

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「この碑は、大小15個の石を四國五郎さんが『碑文を刻んだ中心の碑石に向かって、あたかも爆心から爆風によって吹き寄せられたかのように並べた』(大田洋子文学碑建立記念誌より)ものなので、再設置するときも必ずこの配置にして欲しい」と会の人たちが要望していましたので、移設前に広島市もきちんと測量し。位置図をつくりました。ですので、同じ並びに再設置されたはずです。はずですというのも、私が正確に実測したわけではありませんので、こう書くしかありません。

私も大田洋子文学碑については関心がありましたので、このブログでも2020年9月18日フェンスの中に隠れた大田洋子文学碑: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)と9月19日フェンスの中に隠れた大田洋子文学碑-つづき: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)の2回にわたって書いたことがあります。また撤去された大田洋子文学碑の石の保管場所についても2021年2月2日大田洋子文学碑の保管場所: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で紹介しています。9月19日のブログでは、移設前の写真を掲載していますので、再掲します。

Photo_20240630153101

比べてみるとほぼ同じ配置だということが分かります。

また周辺は整備の工事中ですが、サッカースタジアム西側にある城南通から基町市営住宅に通じる車道沿いであり、すぐ南側には、太田川土手から降りる石段がつくられていますので、多くの人の目に触れる場所です。

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サッカースタジアム建設では、中央公園にあった多くの木が伐採されましたが、太田川土手沿いのサクラは切られていなかったようで大田洋子文学碑の真後ろにもそのうちの1本が残っています。(この写真の石段部分は、切られたと思われますが)

サクラの季節には、良い風景になるのではと思われます。

大田洋子文学碑の周囲も含めサッカースタジアム周辺の整備は、今月いっぱいで完了する予定ですので、「広島文学資料保全の会」のメンバーは、8月2日に行事を予定(1日は広島市の行事があるため)しているそうで,その時は私も参加したいと思っています。

いのちとうとし

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