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2024年7月17日 (水)

講演「原爆被爆者の公的謝罪と国家補償要求の意味に関する一考察」

韓国の原爆被害者を救援する市民の会が主催する「原爆被爆者の公的謝罪と国家補償要求の意味に関する一考察」と題した講演会が、14日合人社ひとまちプラザで開催されました。

講演者は、ブルガルア出身の広島大学平和センター特任助教のヴァシレヴァ・ヴラデサヤ・ビラノヴァさんです。通称サヤさんと呼ばれているとのことですので、以下サヤさんと表記します。

サヤさんは、最初に「被爆者(原爆被害者)の問題を研究していますが、核兵器禁止条約が発効し、核兵器の使用・実験による被害者への支援のあり方、そして使用国や国際社会の責任の捉え方について、国際的議論が展開されている今、この問題を研究するチャンスになっている」と指摘しました。

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その後、日本被団協運動の歴史を紹介しながら「日本政府への国家補償要求について」の意味を提起。さらに同じ日本被団協運動の中から「アメリカ政府への謝罪要求」が、どのように変化したかの解説がありました。その中で印象に残ってことを紹介します。

その一つは、1960年の広島県原爆被害者団体協議会(代表理事森瀧市郎氏)の決議文「アイゼンハワー大統領は原水爆禁止の誓いをしないかぎり来日することをやめてもらいたい。どうしてもくるなら広島原爆慰霊碑前で原爆投下の罪をわび再びあやまちをくりかえさぬ誓いをせよ」です。近年アメリカの高官の広島訪問が増えていますが、被爆後15年被団協結成4年後の被爆者の思いが、アメリカに対してどんなものであったのかを知ることの出来る決議文だと思います。

二つ目は、サヤさんの報告では、1980年代半ばから、被団協の中に「アメリカ政府への謝罪要求が追加」されたことが紹介されましたが、なぜこの時期までアメリカへの謝罪要求が弱かったのかについては言及されなかったように感じました。

この問題について、私も会場で発言したのですが、当時の被爆者運動の考え方も紹介する必要があると思います。

村山政権が誕生し、「国家補償の被爆者援護法」の実現が現実の課題となった1994年9月に広島県被団協、広島県原水禁、平和会館の3団体が協力して緊急発刊した小冊子「なぜ国家補償を求めるのかー原爆被爆者援護法実現のためにー」では、7ページ目の「原爆被害は『国の責任』」で次のように指摘しています。

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「原爆を非戦闘員である一般市民が住む都市への戦略爆撃に使ったのはアメリカであり、原爆は国際法違反の兵器です。(中略)被爆者は当初、ある意味で直感的に『原爆被害の責任はあの戦争を行なった国にある。その被害は原爆投下を招いた戦争を遂行した主体である国が償うべきだ』と考えていたように思われます。さらにその後、司法判断や法律的な見方が加わり、日本が1952年(昭和27年)の講和条約で戦争被害について米国への請求権を放棄しているため、被爆者への個別要求の責任も国が責めを負うべきだという考え方が定着してきました。」

私がこのことを紹介したからでしょうか、その後会場から「被団協は、個別要求は放棄していない」という発言があったことも紹介しておきます。

三つ目です。一番印象に残ったというか嬉しかったことは、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の追悼空間スロープにかけられている6枚のパネルの最後の1枚の全文「ここに、原子爆弾によって亡くなられた人々を心から追悼するとともに、誤った国策により犠牲となった多くの人々に思いを致しながら、その参加を二度と繰り返すことがないよう、後代に語り継ぎ、広く内外へ伝え、一日も早く核兵器のない平和の世界を築くことを誓います。」が紹介されたことです。

これまで多くの講演を聴いてきましたが、このパネルを紹介した講演者に私は一度も出合ったことがありません。

この発言を聞いただけでも、サヤさんの思いと感じることが出来、来てよかったという感想を持ちました。

いのちとうとし

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コメント

NHK放送 7月17日クローズアップ現代  ビキニ環礁 被爆船 第五福竜丸だけではないと放送     公には 第五福竜丸だけにしているのですか 私は特別治療を受けている本人から 聴きました これは言えませんが  病院長の息子にボートを送った贈ったと その本人の屋敷の池は600坪だと 単純には50m✕40mの大きさになります 超VIPですかね  白血病になっての特別の治療でしょう きちんとされた人です その人の話から 乗りたかった車 FORDからGMに変更 GMでよかったと思います 海軍出身の人です 情でなくて理路整然と話される人でした 昔は爵位のある人でした エイズが出る前のことです 第五福竜丸 放送局は知っているけど 放送の時期を考慮しているのでしょうか 

さとうさん
コメント読みました。
私もNHKの放送を見ました。あの番組は、ビキニ水爆実験では第五福竜丸以外にも多くのマグロ漁船が、被曝していながら、切り捨てられてきた歴史を告発したものだったと私は受け止めています。さとうさんのコメントの中で、いくつか私には不明な点がありますので、そのことにはコメントしませんが、被害者が被害者としてきちんと認められ、補償されるべきではないでしょうか。核兵器禁止条約では、核実験被害者を救済することが明記されました。そのためには、まず事実をきちんと調査し明らかにすることが大切だと思っています。
さとうさんのコメントを読ませていただきながら、そんかことを感じています。

疑問を感じたら 調べることがあります  ウキペディア  野球のタブチ君の奥さんのことを見ました 前職がCAとありました 奥さんの結婚前の著作で前職を知っています ウキペディアの内容が必ずしも本当とは限りませんね 前田明 格闘家 大山倍達さんが半島から密航してきたのは間違いだ、と 半島は日本国なので 渡航で密航ではない、と その論に疑問を持ちました 調べてみます 結果は前田さんが 間違えています 日本人なら フリーで行き来できる 半島生まれの人は渡航に許可申請が必要のようです だから大山さん談の密航してきたは間違っていません 大山倍達さん 私は池袋の本部道場へ通いました 大山総裁はわかりません 当時no 幾人かの師範代  その1人が第1回めの世界大会の優勝者です その師範代は 人格が素晴らしい人でした その師範代に習って 良かったです 疑問を感じたら 調べることがあります ケネディ大統領暗殺 捜査資料は2039年に公開となっています WHY?? 通常は50年後ですか 一時 50年後に公開されるだろうと言われていました 2039年に公開されても目新しいものは無いと思います 先日の週刊誌で 原爆は地上に落下後の爆発でなくて 空中爆発だったと これは皆さんご存知でしょうね 何故に空中爆発を意図したのかに触れてありました また東京大空襲時の焼夷弾の落とし方は 別本で知りました 舛添元都知事の話 チャーチルは原爆を聞いて 何?それと言ったとか 私も言いたいです 何?その話は? イギリスの公文書館にイギリスからアメリカへ資料提供したアメリカで作ってくれとのことです ルーズベルトは原子爆弾のことは何にもわからない 原子力の科学利用、原子力発電の方の知識しかなかったとか イギリスの公文書館、オランダにも同じ様な文書保管をしていると聞きます 私はその話を信じています 舛添要一さんは東大の先生でした 物事は色々な見方がありますね ワシントンハイツ 秋尾沙戸子著 日本エッセイスト・クラブ賞受賞 内容の濃い本です 

さとうさん
コメントありがとうございます。
さまざまな情報提供に感謝します。
疑問に感じたら、まず調べる。その通りだと思います。
私もその思いで、疑問や不明な点があれば、さとうさんのように可能な限り調べてきましたし、これからもそうしたいと思います。
一番は、「なぜ」と疑問を持つことではないが、大切ではないかと思います。
今後もいろいろと教えてください。

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