第43回反核平和の火リレー到着式
7月3日に平和公園原爆慰霊碑前を出発した「第43回反核平和の火リレー」が、昨日無事原爆慰霊碑前に帰ってきました。
最終区間の、広島文化交流会館(旧厚生年金会館)前から慰霊碑までの約450メートルは、新田康博広島県青年女性平和友好祭実行委員長を先頭に10人のランナーが、県内484.3キロを走り継いだトートを手に走り継ぎ、午後6時に原爆慰霊碑前に到着しました。
すぐに到着式が始まりました。
新田実行委員長のあいさつです。
「多くの皆さんに支えられて14日間無事に走り継ぐことが出来ました。心から感謝申し上げます。走り継いだランナーは、451区間、484.3キロ、828人のランナーが走り継ぎました。天気に恵まれ、今年は、全区間走ることが出来ました。昨年雨で走れなかった区間では、3人4人と多くのランナーが一緒に走ってくれました。
被爆者が高齢化する中で、被爆の実態を伝えることが難しくなっています。また、過去の歴史を学ぶ機会も少なくなっています。しかし、リレーを走ることを通じていろいろ学ぶことが出来たと思います。暑い中でリレーを走ることだけでも、当時の数千度と言われる原爆投下時そのものの熱を感ずることは出来ませんが、被爆者の皆さんの体験を追体験できたと思います。
私たちは、今後も被爆者の皆さんに寄り添い、一日でも早く核兵器廃絶を実現できるよう、これからもがんばりたいと思います。」
そのご来賓のあいさつがあり、新田実行委員長の手によって、走り継がれてきた「平和の火」が消灯されました。
最後に、全員で「原爆を許すまじ」を合唱し、今年の反核平和の火リレーが終わりました。
今年の到着式には、ちょうど会議を終えた、県内各地の多くの自治労の皆さんに参加していただきました。自治労の皆さんは、各地の反核平和の火リレーを担っていただいた人たちですので、こうした人たちと参加していただいて到着式が出来たことは、本当によかったと思います。
1982年以来続く「反核平和の火リレー」は、被爆者と若い人たちをつなぐ運動として、そして「継続は力」を体現する運動として、継承されていくと思います。
原水禁もこの成果を8月4日からはじまる被爆79周年原水禁世界大会広島大会に引きついて行きたいと思っています。
いのちとうとし
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