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2024年7月 9日 (火)

「なぜ」と思う新しい説明板が付いていました。

「伊藤孝司写真展『在朝被爆者と平壌の人びと』」の撤収作業は、設営とほぼ同じメンバーによって作業が行なわれましたので、12時前に運送会社に10箱に納められた荷物を引き渡し、すべての作業が終了しました。

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昼食のあと、伊藤さんが「広島城跡の大本営跡に行きたいのですが、どう行けばよいですかね」と尋ねられたので、私には次の予定がありませんでしたので、案内することにしました。伊藤さんは、1980年代には、朝鮮半島出身者の被爆者の写真撮影、2009年には「ヒロシマ・ピョンヤン」の映画製作のため訪れて以来の広島訪問だったようです。

せっかくですので、広島市水道局1階ロビーに展示されている最初の敷設された水道管を見学し、さらに隣の「臨時帝国議会仮議事堂跡」、そして少し東の広島YMCAにある済美国民学校職員生徒慰霊碑を案内し、広島城方面へ移動しました。

日清戦争当時、広島に帝国議会仮議事堂がつくられ、臨時帝国議会が開催されたことは、初めて聞く話だったようです。

さらに、広島城堀東側にある歩兵第11連隊跡をめぐり、護国神社の被爆大鳥居の説明も行ないながら、大本営跡に足を運びました。

私が、注目したのは、カメラマン伊藤さんの被写体への向き合い方です。

大本営跡に着くと、もちろん、石柱も写真に収めていましたが,少しだけ私たちとは違う目線でカメラを構えます。

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私は、こんな位置から、写真を撮ったことなどありませんので、参考になりました。

次は、中国軍管区司令部の防空作戦室跡です。ここは、伊藤さんが、大本営跡と共に最初に行きたいと言っておられた場所です。

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次は中御門跡の赤く焼けた石垣の説明をしました。

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その後、被爆樹木のマルバヤナギ、ユーカリの木を案内しました。

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2本の被爆樹木とも元気に育っていました。「ユーカリの木は、どこでも真っ直ぐに育っていたのですが。やはり被爆の影響ですかね」何度もオーストラリアを訪れている伊藤さんならではの感想です。

広島城跡を後にし、最後に広島中央図書館北側の歩道にある「井戸」を案内しました。

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「この井戸のことは初めて知りました」と話しながら熱心にカメラを向けていました。

私もスマホ構えたのですが、「おやっ」と思う新しい説明板が、竹垣に3枚取り付けられています。東西の2枚には、次のように書かれています。

「明治天皇の御用井戸跡  この井戸は元々広島城三の丸屋敷内にあったもので、水は代々の藩主に供されていたとする記録が残されています。明治27年(1894),日清戦争開戦に伴い大本営が広島城本丸跡に移された際、大本営に滞在されていた明治天皇の飲料水のために使われたことでも知られています。 広島市」

南側の説明板には、上記の文章の他に広島城から提供された昭和初期頃の写真も付けられています。

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写真部分の拡大です。

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初めて見る写真です。

数年前にここを通ったときには、この説明板はありませんでした。いつ頃この説明板が付けられたのか時期は不明ですが、ここ数年のうちに取り付けられたことは間違いないと思います。広島市が、なぜ今頃になってこの説明板を付けることにしたのか、その理由を知りたいと思いますので、一度問い合わせてみるつもりです。

伊藤さんのお陰で、知ることが出来た不思議な説明板です。

これで伊藤さんの案内は終わりましたが、あまりの暑さでしたので、水分補給をかねて、ひろしま美術館の喫茶店に入り、アイスコーヒーを飲み別れることにしました。

いのちとうとし

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