被爆二世裁判―広島高裁結審 12月13日判決
昨日午後3時半から広島高裁300号法廷で、被爆二世裁判の第3回公判が開催されました。
それぞれが、提出した準備書面を確認した後、今回の公判では、控訴人側が求めた控訴人の意見陳述が認められ、上野原昇さんが、「被爆二世として生きて」と題して、意見を陳述しました。
上野原さんは、最初に広島市駅前で被爆したお父さんが、子どもたちに語ったあの日の被爆体験を紹介し、続いて自らが体調に気をつけて過ごした生活を振り返り、4年前から悪性リンパ腫が判明し、特に白血球の減少に悩んでいるという自らの体験を赤裸々に紹介しました。
さらに教員として生徒に平和や原爆について教える身となり、被爆二世としての社会的立場を自覚して、物事を考え行動するようになり、被爆二世教職員の会の結成に携わったとし、国が被爆二世問題を放置し続けた結果として、私たち被爆二世や三世に遺伝的影響が生じるのではないかと不安と危惧を抱き続け、それはこれからもずっと続くと陳述しました。
最後に、「被爆二世の切実な思いに耳を傾け、公正な判決をして欲しい」と要望し上野原さんの意見陳述は、終了しました。
これで、広島高裁での審理は終了し、裁判長から「12月13日午前11時に判決を言い渡します。」と、結審と判決日が告げられました。
この後、弁護士会館でいつものように報告集会が開催されたのですが、私は裁判所内のトラブルで、大幅に参加が遅れました。
トラブルの内容は、こうです。
従来、裁判所に入るにはいろいろなところに設けられた入り口から入ることが出来たのですが、数年前から、裁判所は、保安上の問題だとして正面玄関に設けられた手荷物検査を受けなければ、入ることが出来なくなりました。全部の出入り口にカギがかけられたため、法廷が終了し裁判所の建物から出るときも、正面玄関からしか出られなくなっていました。
当然のことですが、裁判所にくる原告や傍聴者の中には、車椅子で参加する人、高齢のため杖を頼りに参加される人がいます。
裁判を傍聴されたことのある人は理解できると思いますが、法廷は、裁判所の建物の一番北側(正面玄関からは一番遠い場所)に作られています。その建物の並びに駐車場があり、また報告集会が行なわれる弁護士会館も裁判所の建物の北側にあります。ですから、車椅子などで移動しなければならない人にとっては、正面玄関から退出すると遠回りになります。
ですので、手荷物検査が始まった早い時期に、よく覚えていますが、私が裁判所の要請し、車椅子などの人たちは、法廷のある北側に設けられた出入り口から退出出来るようにしていたのです。
ところが、昨日突然、「ここからは退出できません」と通告し、北側の出入り口からの退出を拒否したのです。
詳細は省きますが、従来認められていたものを一方的に変更したのですから、長い押し問答になってしまいました。車椅子の利用者は、原告の一人であるため、報告集会に出なければならず、やむなく正面玄関から退出することにしました。
しかし、一方的に今までのルールを変更した裁判所の対応に納得できない私や数人が残り、裁判所に次のことを質し、その場での対応は終了しました。
- なぜこれまで利用できた障害者の入り口利用がダメになったのか。これまでに何か問題が起こったことがあるのか。
- 車椅子などの利用者に限って、従来通りこの出入り口から出ることを認めて欲しい。
- 以上のことについて、検討していただき、その結果を知らせて欲しい。
あまりにも高圧的で一方的な対応の変更であり、とりわけ障害者への配慮を欠いた対応ですので、裁判所からの連絡を待って、今回の主張を繰り返すようであれば、きちんと文書によって申し入れなどを行なわなければならないと思っています。
いのちとうとし
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