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« ベトナムの歴史(その30-7) ― 原爆投下と枯葉剤 ― | トップページ | 2024年6月のブルーベリー農園その3 »

2024年6月21日 (金)

ベトナムの歴史(その30-7)つづき ― 原爆投下と枯葉剤 ―

継戦能力もなく瀕死の日本になぜ?

以前も紹介しましたが、中村梧郎さんは著書「戦場の枯葉剤ベトナム・アメリカ・韓国」(岩波書店)で次のように述べられています。「そもそも枯葉剤は、第2次世界大戦の終戦間際に日本に散布する予定で準備されていたものだった。アメリカ現代史の権威、スタンフォード大 学B. J.バーンスタイン教授によれば、1945年5月に米陸軍に提出された計画は、東京や横浜、大阪、名古屋、京都、神戸周辺の稲作地帯にチオシアン酸アンモニウムをB-29から投下し、穀物を全滅させようとする内容だった。(中略)対日枯葉作戦の詳細な計画の報告書が米陸軍航空隊副司令官エイカー中将に届いたのは、長崎に原爆が落とされた翌日の8月10日のことであった。このときにはもう日本の降伏が時間の問題だったために作戦は実行されることはなかった。日本はかろうじて散布を免れたのであった。」 と。

原爆投下に続き、枯葉剤が計画通りまかれていたら・・・・と思うと背筋が凍ります。

60回もの空襲を受けた東京は105千人を超す犠牲者を出した東京をはじめ、主要な都市や軍需工場は空襲で焼き尽くされ、あらゆる物資の欠乏に喘ぎ、もはや継戦能力はなく、すでに前年の夏頃には終戦工作に入っていました。原爆投下5ヶ月前、310日の東京大空襲では下町を狙った焼夷弾で、一夜にして95千人以上もの尊い命が奪われました。

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大空襲で焼け野原となった東京

日本の敗戦は時間の問題という中で、なぜアメリカは原爆投下し、枯葉剤散布を計画し実行したのか。「戦争を早く終結させ、アメリカ兵の犠牲を少なくしたかった」、「ソ連の対日参戦を前に、原爆で戦後世界の主導権を握るため」と言われています。

その“いずれも”だと思いますが、その主要な意図は後者にあったと思います。

男、女、子供で構成される戦力を破壊、石器時代に戻す

原爆投下の前、『タイム誌』1945年6月号に掲載された次の記事は、アメリカの姿勢と戦争の本質を如実に物語っています。「日本が行っている総力戦は、さきのナチス・ドイツやいかなる近代的軍事大国のそれよりはるかに総力的である。総力戦では敵を全面的敗北に追い込まなければならない。ということは、あらゆる日本の資源、日本人の男、女、子供で構成される戦力が破壊されなければならないということである。」

非戦闘員である「男、女、子ども」までも「破壊されなければならない」というアメリカイズム、この姿勢がそのままベトナム戦争で貫かれ、日本に向けられていた枯葉剤とノウハウがベトナムで使われたのです。『タイム誌』に代表されるアメリカイズムは、米軍が北爆を開始したときの米空軍参謀長カーチス・ルメイ大将が、「ベトナムを石器時代に戻してやる」と放った言葉とも重なります。

20世紀を象徴する戦争犯罪に使用された二つの害毒、放射線物質と枯葉剤は、実は日本に向けられていたのです。そして、その害毒は21世紀に入り四半世紀経た今なお、人類の大きな脅威として存在し続けています。

記憶にとどめ、教訓としなければならない 8月の「あの日」を前に

ウクライナで、ガザで、アフガニスタンで、シリアやイエメンで、ミャンマーで・・・・、今この瞬間も戦争と紛争が続き、罪なき多くの尊い命が奪われています。その表裏にロシアやアメリカなどの姿や影があり、日本は同盟国アメリカとの軍事的密着度を深め一体化しつつあります。

8月6日、89日、810日、815日という記憶にとどめ、教訓としなければならない「日(Day)」を前に、2大害毒による攻撃対象国になるに至った日本の歴史を問い、「過ちは繰り返しませぬから」という誓いを噛み締め、「捨てた筈の武器をほんとうに捨て」、「わたしたちの汚れた手をきよめねば」と心に刻んでいます。

昨年11月から7回続けてきた枯葉剤シリーズ(ベトナム戦争と枯葉剤被害、日本の中の枯葉剤)は、今号で終えたいと思います。「ベトナムの歴史」シリーズ、次号からの構想はまだ固まっていませんが、「ベトナムNow」シリーズとして、今のベトナムを紹介したいと思います。

どんなことに触れたいか、ご意見やご希望などお寄せいただければ幸いです。

感想などもお待ちしています。

2024年6月21日(あかたつ)

【編集者】中国人民平和軍縮協会と交流するため訪中していますので、ブログを1,2日休みます。

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コメント

今日のヤフー記事 プレジデントオンの有馬哲夫某 なぜ広島・長崎に・・・・・・ 自分は斜に構えています 松原議員の主張はOK でも日本が意思表示をしても 相手国が戦闘をやめるとは限りません 近衛さんがルーズベルト大統領に会っていたら開戦を 回避出来たという説があります それは疑問に思います   負けました降参ですといってもハイそうですかにはならないと思います 調印をして初めて有効になります 樋口季一郎中将は8月15日に武装解除をしました それでも交戦、攻めてくる相手に対して 再び銃を持ち抗戦しました 樋口季一郎さんはユダヤ人ルート,ヒグルートでユダヤの避難人を救っています  杉原千畝さんよりも前です終戦は昭和天皇のご聖断ということですね 鈴木貫太郎内閣は 終戦をするための内閣でした 阿南陸軍大臣もそれは承知と聞いています 昭和天皇のご聖断 これは鈴木貫太郎総理大臣がそういうふうに持って行ったと聞きます 昭和天皇のご聖断には誰も異を唱えることができないでしょう 阿南大臣は決まったことに署名捺印をしています それをしなかったら内閣での決め事の決済ができません 反対をして署名捺印をしなかったら 終戦ができません 

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