「広島ブログ」

2024年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 広島平和記念資料館企画展「ともだちの記憶」 | トップページ | 第27代高校生平和大使結団式 »

2024年6月17日 (月)

学徒動員―さとうさんの疑問に答えて

昨日のブログ「広島平和記念資料館企画展『友達の記憶』」に、さとうさんから次のようなコメントが入りました。

「中一中二の少年少女が働き とありますが 中三はどうしていたのですか 女子は中学校ではありません 年齢でいうと小学校の高等科の子供は不参加ですか 厳密に考えたらそうなります 現在の学年の置き換えたのですか そういう断りがないのであれば 資料としての信憑性を疑います 出展中二の少年少女が働き とありますが 中三はどうしていたのですか 女子は中学校ではありません 年齢でいうと小学校の高等科の子供は不参加ですか 厳密に考えたらそうなります 現在の学年に置き換えたのですか そういう断りがないのであれば資料としての信憑性を疑います 他の事柄も疑ってしまいます」

さとうさんの疑問は、その通りですので、その疑問に今日はお答えしようと思います。といっても、私が新たな資料を提供するわけではありません。

言い訳になりますが、実は、「中一中二の少年少女」と書いたのは、関千枝子著「ヒロシマの少年少女」を参考にしたからです。関さんは、当時県立第二高等女学校の2年生で、当日建物疎開の動員に行く予定でしたが、病気だったため建物疎開作業を休み、爆心から南に3.1キロの自宅で被爆し、死を免れました。そのことにこだわり、「広島第二県女二年西組―原爆で死んだ旧友たち」を著わすと共に、学徒動員で失われた中等学校の生徒の悲劇の問題を追及してきた人です。

そんな人の著書でしたので、断り書きも無くその一部を引用してしまいました。

さとうさんのコメントを見て、改めて関さんの「ヒロシマの少年少女」を開くと、「当時建物疎開に出動していた学校(平和記念資料館2004年調べ)」の一覧表が掲載されていました。

そこで思い出したのが、この時期確か平和記念資料館が「動員学徒」の企画展を行ない発行したパンフレットがあったことです。平成16年(2004年)に発行されたものが、すぐに見つかりました。

246181

以下パンフレットの中から、必要な資料を紹介します。

まず、動員学徒原爆犠牲者を出した学校の一覧です。

246182

建物疎開作業だけでなく軍需工場への動員も含まれています。国民学校、中学校、女学校、工業師範学校御、文理科大など多様な学校名が並んでいます。

同じパンフレットに当時の学校制度でも掲載されています。国民学校を卒業すると複雑な学校制度になっています。

246185

確かにさとうさんの指摘のように、中一、中二だけではとても表現できません。

次は、動員学徒のうち最も犠牲が大きかった建物疎開作業を行なっていた学校です。

246183

建物疎開作業が行なわれていた場所の地図です。

246184

この写真には次のような説明文が付いています。

「1945年(昭和20年)7月の広島市の空撮に,8月6日当日の建物疎開作業を行なっていた場所を示しています。はっきりと防火帯が形成されてきた現在の平和大通り付近では、国民学校高等科や中等学校1・2年生を中心とする40校が出動し、作業にあたっていました。」

とここまで書いて気になりましたので、「8月6日に建物疎開作業を行なっていた学校」の一覧表で、現在の平和大通り付近と思われる作業場所ごとの学校数を数えてみました。すると何度も数え直したのですが、県庁付近(天神町、材木町、中島新町、水主町)11校、土橋付近(堺町,西新町、小網町)11校、鶴見橋付近(鶴見町、昭和町)12校で、合計34校にしかなりませんでした。

一つの学校で複数箇所(例えば、崇徳中学は県庁付近、土橋付近、八丁堀付近、楠木町の4カ所)という学校もありますが、40校というのは、建物疎開を行なっていた学校の数でした。数字はなかなか難解です。

このパンフレットによれば、1945年8月6日に動員された学徒は、約26,000人で、このうち約7,200人が原子爆弾で亡くなったと記しています。うち5カ所の建物疎開作業にでていた生徒は、悲惨を極め、約8,200人が動員され、約5,900人が亡くなったと記しています。

広島平和記念資料館が調べた数字ですので、一応正しいと思い「さとうさん」の疑問に答えたいと思い紹介しました。

しかし、関さんは、「ヒロシマの少年少女たち」の中で、この数字に対しても疑問を呈していることを紹介して,さとうさんのコメントの一応の答えとしたいと思います。

いのちとうとし

【編集者】全ての図表や写真は、クリックして拡大して見て下さい。

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

« 広島平和記念資料館企画展「ともだちの記憶」 | トップページ | 第27代高校生平和大使結団式 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

#平和推進」カテゴリの記事

核兵器廃絶」カテゴリの記事

被爆者」カテゴリの記事

コメント

詳しくありがとうございます 中一中二・・・が、いのちとうとしさんの文章とは考えていませんでした 説明書きからの引用とばかりに思っていました 私は戦前の学校制度のことを一部分 詳しくもあります 県女から師範学校へ進学 二十歳招集で二等兵 甲種幹部候補生になり 予備士官学校卒で将校になる  最後は参謀長の副官でした 尉官ですが 東京の幼年学校受験を学校が願うも 職業軍人にはならない・・・と  オジは小学校高等科卒で工員になる そして広陵中学へいく そして師範学校、広島文理科大学  尚志会ですね フルブライト奨学金制度の前にカリフォルニア大学へ  恩師に大学に戻れ 講座を引継いでくれとの話をスルーです 我が道を行くですか 私は我が道でなくて我儘道ですが  ある人の母親が師範学校へ行くためにお金を貯めた・・・・  私立ならそうですが 官立の師範学校は授業料なしで 幾ばくかの こずかいが出たと ある人の母親は進学せずでした  その ある人に対しまして 私は何も言っていません 師範学校は授業料は無料ということを  母の従弟が海軍兵学校へ この時は生徒数を大幅に増やしています 昔のように少ない合格定員数だと 難しかったでしょう 

さとうさん

再びのコメントありがとうございます。
いろいろきちんと学ばなければいけないことを今回のさとうさんのコメントで学ぶことが出来ました。
また今回も詳しくいろいろな情報をいただきありがとうございました。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 広島平和記念資料館企画展「ともだちの記憶」 | トップページ | 第27代高校生平和大使結団式 »