広島平和記念資料館企画展「ともだちの記憶」
広島平和記念資料館東館1階で3月1日から開催されている企画展「ともだちの記憶」に行ってきました。
1945年8月。広島市では全市をあげて建物疎開が行なわれており、その中心である100メートルの防火帯(現在の平和大通り)鶴見橋西詰から土橋までに約5000人が、それ以外の作業地を加えると8000人以上の中一、中二の少年少女が働き、そのうち約6000人が原爆によっていのちを奪われました。
企画展の「はじめに」には次のように書かれています。
「ヒロシマを生き残った中学生には、死んだ友達に対する後ろめたさのようなものがあります。街を歩いているとき、愛する人と手をつないでいるとき、子や孫の成長を目にしたとき、親の老いを感じたとき、ふっとあの日のことがよみがえってくるからです。
今回のきかく展では、遺品や絵・証言により、少年少女の生死を分けた状況や、生き残った生徒の苦しみや負い目、そして友を思い、鎮魂の願いを込めて残した記憶を紹介します。(以下略)」
展示は、3部の構成になっています。
第1部「ともだちとの日々」は、「少女たちの日記/8月6日の朝」で構成され、「少女たちの日記」では、広島第一県女の同じ1年4組だった石崎睦子さんと梅北トミ子さんのかけがえのない日々を綴った日記が展示されています。
友達と過ごすかけがえのない日々を綴った4月6日から8月5日までの日記が,紹介されています。
第2部は、「生死をわけて」です。
切明千枝子さんの絵が引き延ばして展示されています。
「空が二つに分かれて」とタイトルの付いたキャプションには、切明さんの言葉が次のように書かれています。
「8月6日の夜は忘れられやしません。空がくっきり分かれていて不思議でした。西の空は真っ赤で、東の空は星空でした。たくさんの流れ星を見ながら、先生やお友達のたましいもあるのではないかと思い、涙を流しました。」
この絵は、この展示会のチラシ、会場で配布されるパンフレットの表紙にも使われています。
この第2部「生死をわけて」は、「友達と一緒に亡くなる/消えた友達/友達を亡くす/友達に助けられる/友達を助ける/友達の逃げる/友達を助けることが出来なかった」で構成されています。
「友達を亡くす」には、元資料館館長だった高橋昭博さんと山本達也さんのことが記されています。
高橋昭博さんが描いた絵とともに「『泣くな!』『しっかりしろ』といって山本君を叱り、励ました」という手記が書かれています。山本達也さんは、なんとか家に帰りつきましたが、9月16日に亡くなりました。
第3部は「生き残って」は、「友達の安否/手作りの慰霊碑/広島初の追悼文集/癒えない傷/負い目の日々/消息を追って」で構成されています。キャプションに生き残った人たちの思いが書かれています。
「かろうじて生き残った中学生たちも、心と体に深い傷を負いました。学校に戻れず退学したこと、原爆病に倒れたこと、中でも一番つらかったのは、友達のお父さんお母さんに会うことでした。昨日まで、机を並べて勉強し、作業に励んだ友達との別れは、彼らの心に深い根を下ろし、何十年経っても忘れることは出来ませんでした。」
私が特に注目したのは、「広島初の追悼文集」です。
「広島初の追悼文集」は、1946年に県立広島第一中学校と県立第一高等女学校の生徒39人が、犠牲となった一中の35学級の生徒のために手記を寄せて発行されたものです。
上の写真の一番右側が「泉 第一集 みたまの前に捧ぐる」です。こんなに早く発行されたのには、ちょっと驚きました。その他に2冊並んでしますが、この2冊は、ずっと後(2集は2012年、3集は2015年)に、浜田平太郎さんが、著/編集されたものです。
浜田さんのことが気になりましたので、少し調べてみました。
浜田平太郎さんは、当時県立広島一中の3年生でしたが、肺の病気を患い、復学したばかりで,8月6日は高熱で建物疎開の作業をやすみ、爆心地から5kmの古田の自宅にいて助かったそうですが、生き残った負い目から、あの日の記憶をしまって生きてきたそうです。第一県女の1年生だった妹の孝子さんは、小網町で建物疎開作業中に被爆し、避難していた己斐小学校で探しに来た兄の平太郎さんに見つけられ自宅に帰ることが出来たのですが、翌7日の午前5時に亡くなりました。(中国新聞2013年1月28日記事より)
毎日多くの修学旅行生が、平和公園を訪れ、広島平和記念資料館に入館しています。最後の展示となるこの企画展「ともだちの記憶」もじっくりと見て欲しいと展示です。しかし残念なことですが、時間の制約があるのでしょう、通り過ぎる子どもが多く、見ている子どもたちがいても、駆け足のような気がします。
9月10日まで続きますので、ぜひ行ってみてほしい企画です。
いのちとうとし
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中一中二の少年少女が働き とありますが 中三はどうしていたのですか 女子は中学校ではありません 年齢でいうと 小学校の高等科の子供は不参加ですか 厳密に考えたらそうなります 現在の学年の置き換えたのですか そういう断りがないのであれば 資料としての信憑性を疑います 出展中二の少年少女が働き とありますが 中三はどうしていたのですか 女子は中学校ではありません 年齢でいうと 小学校の高等科の子供は不参加ですか 厳密に考えたらそうなります 現在の学年に置き換えたのですか そういう断りがないのであれば 資料としての信憑性を疑います 他のこ事柄も疑ってしまいます
投稿: さとう | 2024年6月16日 (日) 15時01分