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2024年6月27日 (木)

どうする倒木対策

雨続きで、久しぶりとなった月曜日の散歩コースは、前日に倒木した現場も見たいと思い平和大通りを鶴見橋方面に向かうことにしました。

現地は、平和大通りの鶴見橋西詰付近の南側緑地帯です。車道を挟んだ西側のブロックの被爆者の森には、今年3月に植え替えが行なわれた沖縄県のカンヒザクラ(寒緋桜)があります。

午前11時過ぎに現地に着いたときには、業者による撤去作業が行なわれており、何台かマスコミのカメラも取材に訪れていました。

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倒れた樹は、アメリカサイカチです。市の職員の姿がありましたので、いろいろと話を聞きながら、少し作業を見ました。

今回の倒木は、風によるものではなく、大木だったためだろうと思われるのですが、雨が葉にたまり、その重さに耐えきれずに倒れたようです。

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この樹は、記憶に残っている樹です。上の写真で、倒木した木の根元の左側にロープが恋され支柱に支えられたヒコバエの姿が見えると思います。

以前、植え替えが行なわれた被爆者の森の北海道のライラックの苗木が小さいため、保護用の柵を作って欲しいと要望したことがあります。その時、私が例として示したのが、このアメリカサイカチのヒコバエの保護用に設けられた柵だったのです。

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当時親木には関心がなかったのですが、まさかこの樹が倒木していたとは、ちょっと驚きでした。

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樹木の上部の撤去が終わり、根元部分の撤去に作業が移ります。よく見て欲しいのですが、親木を支える支柱の一部が残っています。市の職員の話では、この樹は,支柱が設けられていたのです。

別の角度から見ると、根元が少し腐っているのが分かりますが、昨年の点検では、支柱もあることなどから伐採対象から除かれていたのです。

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裁断された樹の上部は、処分されるようですが、この根元部分は保管して、他の樹木の倒木対策のため、樹木医に検証してもらうことになっています。

昨年の倒木により平和大通りの樹木点検が行なわれとき、やや危険な樹木が580本(と聞いたのですが、560本かも知れません)確認されたようですが、支柱などの対策がとられている樹木は、伐採を見送ったようです。

もし危険だからと全部伐採するとしたら、費用の問題、そして平和大通りの景観の問題をどうするか、難しい問題があったようです。

たまたま今回は、人的被害がなかったのですが、今後どのような対策が必要なのかは、樹木医による倒木の原因究明を待って今後の対処方針を検討することになるようです。

平和大通りの樹木は、1957年、58年の協木運動やその後国内外から寄せられた樹も多くあります。危険除去と景観保護だけでなく、そうした人たちの思いも受け止て、しっかりとした対処方針を検討して欲しいと思います。

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平和大通りの樹木の多くには、近くの竹屋小学校の子どもたちが付けた手作りの表札が付けられ、樹木の名前を教えてくれています。この樹に付けられていたカラーで描かれた表札が、そのままの姿で残っていました。この子どもたちの樹木を大切にしたいという思いも受けとめてほしいものです。

いのちとうとし

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コメント

アメリカサイカチとアルゼンチンの国花とされているアメリカデイゴ(エリスリナ)はペロン大統領夫人(エビータ)から贈られたと伝えられています。しかし、昭和28年と言うのは少し疑問が、と言うのは、エビータは1952年7月26日に亡くなっていますから、間もなく命日を迎えます。実は、昭和26 年の4月と10月の中国新聞の記事にヒントが有りました。まだ、サンフランシスコ講和条約が締結される前のアルゼンチンの日系人会だと思うのですが、エバの日本救済事業に協力した人から広島市にアルゼンチン公園を作りませんかと、言う提案がなされて国交回復に併せてアルゼンチンの植物の種子40種が中国新聞社に送られてきたと、10月に到着したので広島市に手渡したと、有りました。恐らく、エビータから直接、広島市(長)に贈られたのではなく、日本人会を通じて、大統領に協力を求めたのが、真相ではないかと思われます❗
詳細は判りませんが、賀集九平と言う花卉園芸家とその息子はアルゼンチン政府のスタッフを当時していた事も判明しました。間もなく8月6日の記念日を迎えます。地球の裏側から広島の復興を支えたひと達の思いを再認識したいと、最近考える様になりました。

わたなべ まさあきさま
コメントありがとうございます。
詳しい情報を提供していただき、ありがとうございます。
広島の届いた樹木には、一つ一つに送った人たちの思い入れがあります。
そのことを忘れてはならないと思いますし、だからこそ大切にしなければならないと思います。

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