能登地震から5か月
能登地震から5か月、反原発新聞を発行している「反原発運動全国連絡会」の総会が6月1日~2日、福井県高岡市で開催され、総会に合わせて行われた能登地震の被災地や志賀原発の視察などの企画に参加してきました。
地元で志賀原発に反対する活動をしている、志賀町町会議員の堂下健一さんや、「志賀原発を廃炉に!訴訟原告団」団長の北野進さんらに案内してもらい、改めて地震の怖さと、その中で志賀原発に反対する人たちのパワーを感じることができました。堂下さんは、現在も避難所生活をしているのです。
6月2日朝、高岡市から能登半島を北上するとブルーシートで覆われた家が多くなり、全壊した家を見かけました。道路はいたるところで亀裂や横ずれし、クラックと言われるひび割れした家もありました。
通行が可能になった道路もありますが、道の繋ぎ目に段差があるところが多く、その上を通るとバスのタイヤを通してガタン、ガタンという音と振動が身体に響いてきます。
最初に訪ねたのは、高岡駅前からバスで約1時間半の場所に在る志賀原発団結小屋でした。能登半島で計画された珠洲原発建設計画は、28年におよぶ反対運動によって2003年12月、建設を断念させました。その話しを「赤住団結小屋」の藤岡彰浩さんから説明をしてもらいました。そして団結小屋も前で、参加者みんなで紙製の風船を空に揚げ、珠洲原発計画を断念させた先人たちの信念の強さを感じ取り、志賀原発の再稼働をさせない決意を新たにしました。
次に訪れたのは志賀町の領家(りょうけ)漁港、ここでは富来川南岸断層を視察しました。富来川南岸断層は志賀原発の北約9km付近にあります。北陸電力は当初この断層を活断層と認めてこなかったものです。
原発周辺の施設は、部屋の中の気圧を外気の圧力よりも高くして、外から放射能が入るのを防ぐために、陽圧(ようあつ)装置を付けた部屋を作っています。
志賀町にある富来小学校では、柱や天井が損壊し陽圧化装置が機能しなくなり、1月30日に学校は閉鎖されました。現在、児童たちは富来中学校に通っているそうです。校舎の建物は基礎部分が浮き上がり、窓越しからみた教室は乱雑にたくさんの段ボール箱が置いてありました。
この場所からバスで約30分、輪島市門前町鹿磯(かいそ)漁港でした。港の堤防は5メートル以上隆起し、海底に埋まっていた堤防の基礎部分との色がはっきりを区分けできる状態には、この地震の強さに身震いしました。堤防の下部分には多くの貝類がついていて、堤防隆起によって、命を失った貝類に思いを馳せていました。
そしてバスは金沢市に近い内灘町へ。かつて埋め立てられたこの町の液状化被害の状態は壮絶でした。家屋の基礎部分が液状化で浮き上がり、多くの家屋は住めないために、家の玄関には「危険」、「住居不可」などの貼り紙が貼られていました。液状化した家を実際に見たのは初めてでした。
6月2日の夜、帰広しました。そしたら翌3日の早朝に珠洲市で最大震度5強の地震が発生したとのニュース、この度の視察旅行で案内して下さった方や、町で見かけた人たちのことを考えながら、重い気持ちになっていました。
木原省治
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