ベトナムの歴史(その30-7) ― 原爆投下と枯葉剤 ―
20世紀を象徴する戦争被害
原爆(核兵器)と枯葉剤(化学兵器)は無差別大量殺戮と、その後長年にわたり放射能とダイオキシンによる健康破壊、その結果による死をもたらす究極の殺人兵器です。しかも、その被害は世代を超えて続き、使用はもとより製造・保有・威嚇が禁じられる非人道兵器です。
「20世紀は戦争の世紀だった」と言われますが、原爆と枯葉剤は20世紀を象徴する戦争犯罪(戦争犯罪被害)であり、いかなる「理由」があろうとも、二度と再び使わせてはならないものです。しかし、21世紀に入り四半世紀経た今も、戦争は絶えず、むしろ拡大の懸念すらあります。核の恫喝は繰り返され、その危機は一段と高まり、枯葉剤を含む化学兵器も使われ(疑われ)ています。
間もなくヒロシマ、ベトナムが迎える「あの日」
ヒロシマとナガサキは間もなく79回目の「あの日」を迎え、ベトナムは63回目の「あの日」を迎えます。ベトナムの「あの日」とは、枯葉剤がベトナム中部高原のコントウム省に初めて実験的に散布された1961年8月10日です。同年11月30日、ケネディ米大統領は正式に「ランチハンド作戦(枯葉剤作戦)」を承認し、1971年10月30日までの10年間、反復的にベトナムの人々の頭上と国土(主に南ベトナム)にまきました。
“ベトちゃんドクちゃん”が、「あの日」から20年後の1981年2月25日、コントウム省に生まれました。
トリニティー実験 出典:ウィキペディア1945年7月16日にアメリカ合衆国で行なわれた人類最初の核実験
原爆投下に続き、枯葉剤作戦が準備されていた
日本にも枯葉剤作戦が準備されていたことをご存知ですか? ちょうど4年前、2020年7月5日付けの「ヒロシマとベトナム(その14)」被爆75周年-ヒロシマとベトナム戦争-を考える〔Ⅰ〕に紹介しましたので、覚えている方もいらっしゃると思います。
アメリカは第二次世界大戦末期、2つのプロジェクトチームによる対日作戦の準備を進めました。一つはマンハッタン計画に基づき「リトルボーイ」を広島に投下したポール・ティベッツ大佐、「ファットマン」を長崎に投下したチャールス・スウィーニー少佐を機長とする原爆投下作戦です。
もう一つが、化学兵器作戦です。サリンやボツリヌス菌爆弾、炭疽菌爆弾などが候補に挙げられ、全爆撃作戦の20%を毒ガス爆弾の投下とし、毒ガス爆弾6万発以上を常に前線に供給できるような体制を整える計画です。
その中の一つが枯葉剤作戦です。大変な食糧危機に陥っていた日本の主要な農産物である米やサツマイモを枯らす細菌兵器の開発が進められ、B-29が実際に日本の耕作地にまきました。しかし、米やサツマイモは細菌に対して抵抗力が強く成功しなかったため、ベトナム戦争で2,4,5-T などとともに枯葉剤として用いられた2,4-ジクロロフェノキシ酢酸という枯葉剤の散布が計画されました。
B-29で編成された第1010爆撃隊が、約1,645㌧の2,4-ジクロロフェノキシを、1945年9月までに日本の水稲作付面積の10%を破壊するという計画は、その後1946年4月までの延長とともに水田の約30%を破壊する計画に拡大修正されました。そして、グアム島に集結したB-29を改造した枯葉剤散布機が待機しているなか、8月6日と9日の究極の戦争犯罪が強行されたのです。
下の地図をご覧ください。焼夷弾で焼き尽くされた東京、名古屋大阪をはじめ主要都市はもちろん地方都市への空襲に続き、広島・長崎への原爆投下。そして枯葉剤作戦です。その対象とされた地域は、赤丸の東京や横浜、大阪、名古屋、京都、神戸周辺の稲作地帯でした。地図が示すように、日本列島のほぼ南半分にあたります。
枯葉剤作戦は日本の無条件降伏により実行に移されることはありませんでしたが、原爆に続き枯葉剤攻撃まで計画されていた歴史的事実を消し去ることはできません。
2024年6月20日(あかたつ)
【編集者】「ベトナムの歴史(その30-7)― 原爆投下と枯葉剤 ―」は、2回にわけましたので、つづきを明日掲載します。
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