5月に伴英幸さんと会って良かった
原子力資料情報室共同代表の伴英幸さんが、腰を痛めているという話しは、昨年あたりから聞いていました。ギックリ腰みたいという人もいました。彼は、昨年秋に松江市で講演をする予定があったのですが、これは断っていました。嫌な予感もありましたが、忙しさを言い訳にして、2~3回電話するだけでしたが、返答は「あまり良くない」というものでした。
そしたら5月11日、原子力資料情報室のスタッフから「3月にガンだということが分かり、骨に転移していて築地の聖路加病院のホスピスに入院している」「可能だったら上関原発のことなどを話しに来ていただけないだろうか」と連絡が届きました。
「6月に予定を立てたい」と返答しましたが、彼の連れ合いから「6月まで持つかどうか分からない」という連絡がきました。そこで5月18日~19日、上京して病院で会うことができ話しもしました。
そして6月10日12時35分に、72歳で永眠しました。最後は彼の好きなピアノ曲を、病院のスタッフが病室で演奏し息を引き取ったとのことです。彼は大の風呂好きでもあったので、息を引き取った後、みんなで入浴をさせたそうです。そして6月16日に葬儀が行われました。
彼の連れ合いから、葬儀に来ていただくことは出来ないだろうか。来ていただいたら弔辞をしてほしいとの連絡がありました。しかし、どうしても断れない用事と重なって不可能になっていました。
彼が、広島に来る時には必ず連絡がありました。僕が平和公園の慰霊碑めぐりのガイド役と重なっていた時、彼は「碑めぐりガイドは、木原さんにしか出来ないことだから、大事にしてね」と承知し励ましてくれました。
新聞で報じられていますが、彼は原子力資料情報室の共同代表として、また国の原子力政策の基本方針を策定する原子力委員会の専門家会議や、エネルギー政策に関する経済産業省の審議会などの委員も務めていました。
彼は広島風お好み焼きが好物でした。夏の原水禁広島大会には常連の講師として参加していました。上関原発のこともとても心配していました。彼が大切な打合せで上関町に行く前日、『事前レクチャー』と称して、広島市内の店でお好み焼きを食べ、話して飲みました。特に『ネキかけ』が好きで、「美味しい、美味しい」を連発したことは忘れられません。
上関と伴さんといえば、有名なエピソードがあります。ノーニュークス・アジア・フォーラムの会合で、上関原発計画地の田の浦(たのうら)海岸に案内してもらった彼は、「みんな泳がないの?」と話したかけたそうです。みんな水着を持っていなかったので、泳がなかったのです。そしたら彼は全裸で、田の浦海岸を泳いだのです。
このことを入院先で話したら、彼は大笑いをして喜んでいました。まさに大爆笑でした。「夏には祝島で神舞(かんまい)が8年ぶりに開催されるんでー。いっしょに行こうや」と話すと、大きくうなずきました。ぼくは「ヨッシャ!」と声をかけ、また二人で笑ったのです。
彼はいつも笑い、『木原節』を喜んでくれました(と勝手に思っている)。病院で交わした握手、その腕の力からは、こんなに早く逝くとは思えませんでした。今考えれば、この時に会って本当に良かったと思っています
※伴英幸さんが病室で皆さんに語ったメッセージを紹介します。
3月25日、私は原発不明がんと診断されて、都内の緩和ケア病棟に入院しています。そこで、私からの皆さんへの最後のメッセージです。 私は原発を1日でも早く止めるべく、この間ずっと皆さんと一緒に活動してきました。しかし、がんは進行し、残念ながら治る見込みがないというのが現状です。 3月11日、とんでもない事故が日本で起きてしまいました。1日でも早く原発を止めるということで、この間皆さんと一緒に闘ってきましたが、残念ながら私の寿命もきれかかっております。 こんな事故が起こらないように、この25年間闘ってきましたけれども、残念ながら原発を止めるということはできませんでした。 私に残された時間はほとんどありませんけれども、皆さんと一緒に脱原発の声を広めていく必要があると思っています。そういう声の中で、共に原子力からの撤退、これを1日でも早く進めるということで、今後とも皆さんと力を合わせて撤退に向けた運動を作り上げていくというふうに考えています。 どうぞ皆さん一緒に原発のない社会をつくるということで頑張っていきましょう。 |
木原省治
[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
« 府中地区・6月の「19日行動」 | トップページ | 三原地区・6月の「19日行動」 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- プリンターが壊れました。(2025.07.12)
- 伊藤孝司著「原爆棄民」(2025.07.11)
- 変わるか、消えるか?!(2025.07.10)
- 「ヒロシマ平和絵画展」(2025.07.09)
- 2025年7月のブルーベリー農園その1(2025.07.08)
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 変わるか、消えるか?!(2025.07.10)
- ヒロシマとベトナム(その71) ―「昭和100年」と父― その3 (2025.07.05)
- 原水爆被爆80年を考える集い(2025.06.28)
- 中国電力株主総会と祝島島民(2025.06.27)
- イラン・イスラエルの停戦合意(2025.06.26)
いつも素敵な文章をありがとうございます。
伴さんの最後のメッセージが、たくさんの人の心に届くといいですね。
投稿: 横浜リカ | 2024年7月10日 (水) 18時25分
横浜リカさん、コメントありがとうございました。
伴英幸さんが亡くなって、ちょうど1か月を迎えました。たくさんのことを思い出しながら、これからも彼の期待に応えるように「よっしゃー」で頑張りたいと思っています。
投稿: 木原省治 | 2024年7月11日 (木) 15時39分