一枚のプレート
白島九軒町の病院に行った帰り、白島線の電車通りを八丁堀方面に向かって歩いている時、そういえばと思って写したのが、下のプレートです。
このプレートは、南向きに取り付けられていますので、白島から八丁堀方向に歩いている時には、気をつけないと見過ごします。場所は、県立美術館の電車道り側の北の境界にある塀に取り付けられています。
プレートには、「西晋一郎博士旧宅後」と書かれ,次のように記されています。
「文学博士・西晋一郎(1873年―1943年)は、・・・・明治35年(1902)創設の広島高等師範学校教授となり、昭和4年(1929)広島文理科大学教授を併任。同15年(1940)に依願退職するまで、当地・広島において哲学や倫理学を教授をしました。西博士は、わが国古来の神道,儒教、仏教の伝統に、西洋哲学の精密な思索による理論を結びつけ、これらの思想を実践哲学に体系化した学者として知られています。
記念碑は、この通路を約20メートルは入った左側にあります。」
私が、西晋一郎博士のことはまったくといってよいほど知識がありません。知っていることと言えば、森滝市郎先生の岳父,つまり先生の奥さんしげさんのお父さんだということです。1931年の3月に森滝先生は、京都帝国大学大学院を卒業、広島高等師範学校に就任され,同年の12月27日にしげさんと結婚されました。
以前に森滝春子さんからこのプレートに関わることで「小さい頃、縮景園の隣にあったおじいさんの家によく遊びに行ったことがあります。垣根の隙間から縮景園に入り込んだことがありますよ。ですからあの位置だったと思います。」と教えていただいたことがあります。
ですので、「この通路を約20メートル入った」場所に、西晋一郎さんの旧宅があったのは間違いないことのようです。
ただ、このプレートの右側は、現在はビルとビルの谷間になっており、柵では入れなくなっていますので、記念碑が本当にあるのかどうかを確かめる術はありません。
さらに不思議なことは、森滝春子さんにも確かめたのですが、誰がどんな意図でいつ頃このプレートを取り付けたのか、全く不明だということです。
ただ、私には森滝先生ゆかりの地と言うことで、気になる場所です。
なんとも不思議なプレートです。
いのちとうとし
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