「広島ブログ」

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2024年5月

2024年5月31日 (金)

2024年5月のブルーベリー農園その4

安芸区の自宅から東広島市豊栄町のブルーベリー農園に通いながら昨年12月から行っているブルーベリーの剪定を続けている。2000年と2001年で1000本植えたが本格的で、丁寧が管理ができないまま来たのでブルーベリーの木の差が高くなりすぎ、ぼさぼさに茂っているので実の収穫がむつかしくなっている。この状況の改善をするために古くて太い枝を根元から切る方法で剪定を進めている。農園の周囲の景色はもう初夏だが、枝の先にはブルーベリーの実が日に日に大きくなってきていて、モッタイナイ気持ちをこらえて、初夏の農園周囲の景色に和まされながら作業を続けている。

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525日(土)

小屋の横の畑の大輪のバラがきりりと開花。次の日に切って安芸区の自覚に活けて楽しんだ

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526日(日)

義母の命日なので妻と墓参りに行く。墓地にはヒノキ(写真)やモミジが芽生えていた

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エビネはもうしおれている。こちらは晩春を想起させる姿

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花壇の主役はジャーマンアイリスからフランネルソウに交代

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スズメバチ捕獲器の隣に100均の粘着板式の捕獲器を吊り下げてみた。この日も2匹中に入っていた

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里山のブルーベリー園で2回目の手直し剪定と見回りを少しの時間行う。早生のブルーベリーの実は若葉色。摘み取りまであと50日くらいか

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里山のシライトソウの花穂はにょきにょきと伸びあがっている

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里山に咲くウノハナ(ハコネウツギ)はほぼ満開に

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ブルーベリーの剪定をしたあとは毛を切り取られた羊のようにほっそりした立ち姿になってしまう。ブルーベリーの根元から切る太い枝はチェンソーで短く切って一輪車で運ぶ。

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農園の近くの庭は多彩な花畑

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最近植ええられたこの田んぼは苗が小さいので文字通り水田の景色 

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2024年5月28日 (火)

広島被爆二世裁判広島高裁第2回口頭弁論

5月24日午後1時半から、被爆二世裁判の広島高裁における第2回口頭弁論が行なわれました。

第2回口頭弁論は、当初3月8日に予定されていましたが、新幹線が不通となり弁護団が出席できなくなり、延期されていたものです。

今回の口頭弁論に当たり、控訴人(被爆二世原告団)は、準備書面1,2を提出していましたので、それを口頭で陳述(といっても全文を読み上げるわけではなく、陳述したとして確認するのみ)を行ない、準備書面2について、二人の弁護士が要旨の説明を行ないました。

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裁判後の報告集会 発言しているのは在間秀和弁護団長

被爆二世弁護団が提出した第2準備書面は、今年2月29日に出された福岡高裁の「広島高裁の黒い雨訴訟判決(国の被爆行政に対する厳しい批判・被爆者援護法の3号被爆の趣旨は、原爆放射線による健康被害の可能性があると考えられる人たちを『被爆者』としている。)」を全く無視し、「原爆による放射能の遺伝的影響は証明されていない」と控訴請求を棄却するとした判決に対する反論,特に「被爆二世は、放射線による遺伝的影響の可能性が否定できないものである」ことを中心に主張する内容です。

主張の中では、いま放影研が進めようとする全ゲノム調査についても、「その対象となる被験者の数が少ないため、およそそのレベルの人数のものから検出されなかったといって、放射線の継世代的影響の可能性を否定されるという既決をもたらすものではない」とすると共に「放射線被曝の継世代影響がすでに否定できるものであれば、ゲノム調査の必要性はないはずである。放影研がゲノム調査を実施するということは、放射線被曝の継世代影響が否定できない、すなわち,放射線被曝の継世代影響の『可能性』があることの証左といえる」と、まさに正論を述べています。裁判官には、上記の「黒い雨判決」を正しく理解し、ゲノム調査を行なうことを意味をしっかりと理解して欲しいと思います。

さらに遺伝的影響に関して近時、ゲノム配列とは無関係に遺伝子発現を調整する制御機構「エビジェネティクス」が関与するという研究があることも示しました。報告会で、「エビジェネティクス」について説明があったのですが、残念ながら私の頭では理解できませんでした。ただ、重要な主張だと思います。

この件に関しては、被控訴人(国)は、口頭で反論しようとしましたが、裁判長が書面提出を要求しましたので、次回までに国が提出することになりました。

次回の期日は、7月26日の午後3時30分からですが、弁護団の話しでは、この日で弁論は終結になるようです。

いのちとうとし

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2024年5月27日 (月)

福島原発視察

広島県原水禁は、今日5月27日から29日までの3日間「福島原発視察」を行ないます。広島県原水禁の福島原発視察は、2017年に続いて3回目となります。

過去2回は、被災地の現地視察と被災者との交流を中心に実施しましたが、今回は廃炉作業が行なわれている「東京電力福島第一原子力発電所」の視察を中心に実施することにしました。

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もちろん現地の人たちとの交流も重視しています。

参加者に配布されるしおりの一部を紹介します。

視察団派遣の目的です。

「2011年に発生した東京電力福島第一原発事故から今年で13年となりますが、事故原発周辺は今なお立ち入ることのできない帰還困難区域が広範囲に残り、廃炉作業も遅々として進んでいません。事故を受けて政府が発令した「原子力緊急事態宣言」も未だ解除できない状態です。

それでも政府と電力業界は、地元住民を始め多くの反対の声を押し切り汚染水の海洋放出を強行するとともに、原発再稼働を始めとした原発依存へと再び舵を切りました。能登半島沖地震では、原発の脆弱性や原発事故の際の避難の困難さなどを改めて明らかにしましたが、国も電力業界も全くこうした教訓を受け止めようとしていません。

今回の事故原発の視察、そして現地福島の方々との交流を通し、改めて福島に寄り添い、脱原発・再稼働反対・中間貯蔵施設建設反対の活動にいかしていければと思います。」

日程です。


5月27()

14:001600

開会行事(福島県産業振興センター4F402号室」)

あいさつ 秋葉忠利・県原水禁代表委員

振津かつみさん(医師)

福島からの問題提起

講演「フクシマの現状と課題」角田政志さん(福島県平和フォーラム共同代表)

5月28()

9:001400

福島第1原発、廃炉資料館視察

15:001730

福島との交流

講演1 汚染水海洋放出問題 小野春雄さん(漁業者)

講演2 健康手帳問題について 紺野則夫さん(浪江町議会議員)

講演3 「福島第一原発のALPS処理水の海洋放出及び廃炉の進捗について」 引地力男さん(福島県平和フォーラム事務局長)

5月29日(水)

8:401020

語り部講話・原子力災害伝承館見学

12:00 福島駅解散

参加者は、22人です。

福島の実態をしっかりと学び、福島が抱えている問題を共有できる視察になるよう努力したいと思います。

私もこの視察に参加しますので、ここ2、3日、ブログは休みになりますが、追って視察報告を行なうつもりです。

いのちとうとし

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2024年5月26日 (日)

紙屋町シャレオ古本まつり

今回で第32回となる「紙屋町シャレオ古本まつり」が、昨日5月25日から6月2日までの会期で、開催されています。

最近書店の閉鎖が全国的な話題となっていますが、広島で開催される古本まつりは、何故か増えて,今回の古本まつりは、今年4回目です。

初日に会場を訪れましたが、たくさんの人が棚を覗いていました。

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私の目当ては、原爆関係の書籍ですので、郷土史と表示された棚を目指します。アカデミイ書店と神鳥書店の2店が、郷土史と特化して陳列しています。アカデミイ書店は普段からよく覗いている店ですので、神鳥書店の棚をくまなく探します。原爆関係の本では、目新しいものを見つけることが出来ませんでしたが、カバー用の箱の背に何も書かれていない本が目に入りました。引っ張り出すと箱書きが「藩政時代廣島城明細絵圖 附屬坊居館武家屋敷圖」となっています。

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中を見ると、文久3年(1863年 第14代将軍徳川家茂の時代)に描かれて絵図を昭和9年に最初に発行したものを昭和45年(1970年)に復刻して出版されたものだということが分かります。

中身を取り出すと、廣島城の絵図(カラー)が一枚あります。

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「備後三原城絵図」「三次御曲輪之絵図」「三次御屋形内御建物図」「三次御屋形絵図」が一枚に印刷された絵図と12枚の廣島城下繪圖が入っています。定価は、3000円です。少し高いかなとも思ったのですが、街めぐりで楽しめそうですので、購入しました。

帰宅後、12枚の「廣島城下繪圖」を1枚1枚広げてみました。

「其八本通二丁目ヨリ六丁目村迄」の絵図の六丁目と書かれているところが、現在のわが家の当たりになります。

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この地図の真ん中下側に,私の住むマンションの北側にある本逕寺が描かれています。

地図では下側(実際には東)の川が、西東川です。この川は、いまは埋められ鯉城通になっています。

さらに、本逕寺の当たりを拡大すると、地図の上側「浅野川内下屋敷」の「屋」の字の下側に逆さの文字ですが、「加藤種之助」という名前を見つけることが出来ます。

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昨年生誕100周年の記念行事を行なった「加藤友三郎の実家」です。

この「城下絵図」は、商家などは描かれず、武家屋敷とお寺(坊居)しか描かれていません。しかし、お寺は現在もほぼそのままの位置にあるものが多いですので、12枚の「城下絵図」もお寺を頼りにしながら見ると,現在との位置関係も何となく理解できますので、この絵図を手にしての町歩きが楽しみです。

いのちとうとし

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2024年5月25日 (土)

政治に忖度した裁判所

島根原発2号機の運転差止めを求め、島根、鳥取両県の住民4人が申し立てた仮処分、その決定が5月15日広島高裁松江支部で出されました。

ニュースでも大きく報じられたので、ご存知だと思いますが、裁判所は政治に忖度し、住民を見捨てる決定を行いました。

最近の原発をめぐる裁判では、裁判所が国の政策に忖度する姿勢が強すぎて呆れることが多いのですが、この度の決定はその最たるものといえます。まずは、言語不明瞭、当然意味の理解もできないものでした。

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仮処分というのは、本裁判では時間が掛かりすぎるということ等で、判決まで待てない理由で、「仮」の判断を裁判所に求めるものです。仮処分の良い点は、「差止める」という決定がされると、すぐに決定が実行されます。

中国電力は、島根原発2号機をこの8月にも再稼働するとし、そのために6月には原子炉の中に核燃料を装てんするとしていました。だから昨年3月、仮処分で再稼働を差止める申し立てを行ったのです。4人の人は、裁判所に対し6月までに決定を出してほしいとしていました。

本裁判と違うのは、仮処分裁判は公開の法廷ではなく非公開の審尋(しんじん)という形で行われます。普通の裁判で言う「判決」は「決定」と言われ、「原告」は「債権者」とか「申立人」とされ、「被告」は「債務者」とされます。債権者、債務者と言うと分かりにくいので、ブログでは債権者は「私たち」と書き、債務者は「中国電力」と書かせていただきます。

しかし中国電力は4月30日、8月としていた再稼働を、安全対策工事の遅れなどを理由に、12月に延期していました。

私たちは、この度の仮処分にあたって、次の5点を論点としました。①は、宍道断層の地震時の揺れが考慮されていない②耐震設計の目安となる揺れ「基準地震動」の、820ガルが低すぎる③三瓶山噴火時の安全性に欠ける④原発の立地が不適切⑤避難計画の実効性がない。を掲げました。

裁判所の出した決定は、避難計画の問題以外はほとんどを、原子力規制委員会が審査で「合格」にしたからとしています。地震動のガル数が高くても、安全性の影響には関係ないということには、まさに驚きでした。

「避難計画の実効性」という部分では、原発事故の具体的な危険性は無いのだから、ということで判断を行いませんでした。まさに福島原発事故など、まるで無かったかのようでした。そして字の間違いもあり、「実効性」を「実行性」と書いた部分もありました。

この決定がされた5月15日、経済産業省の「第7次 エネルギー基本計画」の議論が開始しました。今年度中に結論を出す予定とも報じられています。政府は、今後、電力需要は大きく伸びるとし、その理由をAI(人工知能)の発展などで、データセンターや半導体の工場などを揚げているのです。これまで「電力需要が伸びる、だから原発が必要」という言い訳は、たくさん聞かされてきましたが、AIがその理由にされるのは驚きでした。だから原発という根拠は初めて出てきた話しだと思います。

そして驚いたのは、エネルギー基本計画を議論する「有識者」の顔ぶれでした。16人のメンバーは経済界や業者、原発立地県の知事など原発推進者が占めていました。原発に疑問を主張する人は一人もいませんし、まずもって「有識者」の人数が大きく減っていました。しかし私たちには「原発いらない」という、強い世論がついていることを!

木原省治

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2024年5月24日 (金)

復帰52年第47回5・15沖縄平和行進に参加して

1.平和行進が変わっている

私は2015年に参加しているので今回は2回目です。今回は9年前と違うなぁと思ったところがあります。

今回の日程は、1日目、5月17日(金)広島から沖縄へ、午後3時から全国結団式。2日目、5月18日(土)平和行進「宜野湾市役所から北・南コースに分かれて米軍普天間飛行場(基地)包囲行進」、午後から宜野湾市立グランドで「復帰52年5・15平和とくらしを守る!県民大会」2,300人の参加。3日目、5月19日(日)午前、自由行動、午後沖縄から広島へ。

4泊5日が2泊3日になっていたこと、県民集会の参加者数が3万4,000人から2,300人に減少したこと、なにより「大浦湾から辺野古新基地建設ゲートまでの平和行進と抗議行動・座り込み」がなくなっていたことです。(ただし去年もなかったそうです)。これは残念でした。

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しかし、この平和行進がはじまったときは、3日間の平和行進、宿泊は公民館で雑魚寝だったそうです。いまはホテルですし猛暑の気候で見直しが続けられているのでしょう。ただ県民大会の参加者があまりにも少ないのはなぜだろうか。

2.県民大会

前回の参加で印象に残っていることに亡き翁長雄志(おなが・たけし)知事のあいさつがあります。「私はもともと自民党です。日米安保も必要と思います。しかし、沖縄の面積は日本の国土の0.6%にすぎません。そこに米軍の基地の74%が集中しています。なぜ沖縄だけに過重な負担を強いるのでしょうか。日本全体で米軍基地の負担をすべきではないでしょうか。不公平です。また米軍基地は沖縄の発展を阻害しています。米軍基地がなければ産業はもっともっと発展しています。選挙結果からも沖縄の民意は新基地建設反対です。県の有するあらゆる手法を用いて辺野古に新基地は造らせない」と力強く宣言されたことです。

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今回、玉城デニー知事は、「復帰から52年が経過した今も『広大な米軍基地の存在が沖縄の振興の障害』となっています。辺野古新基地建設は県民の了解を得られないまま強行されています。辺野古新基地建設阻止に向け取り組んでいきます。沖縄県の21世紀の地域外交に関する万国津梁(しんりょう・外国との懸け橋の意味)は、緊迫化する東アジア情勢を踏まえ『沖縄戦で得た教訓を次世代に伝え、平和を希求する沖縄の心・肝心(ちむぐくる)を世界に発信します。』沖縄を再び戦場にしない。平和で誇りある沖縄に。負けてはならない。あきらめてはならない。」と力強く呼びかけられました。

(注):沖縄の心・肝心(かんじん)とは、沖縄の人の「困った人がいたら助ける」「家族のように接する」「一度面識があれば兄弟のように接する」など、心の豊かさを表したものを一言で「肝心」というそうです。

3.地元無視の強行は許されない

最後に印象に残ったことは、ラーム・エマニュエル駐日米大使が米軍機で日本最西端の町、与那国町(よなぐにちょう)などを訪問したことについて、「沖縄県が軍用機での空港使用を自粛するよう再三申し入れたにもかかわらず、使用を強行したことは許されない。戦争に巻き込まれるのではないかと不安を覚える住民感情を逆なでする訪問の仕方は、外交官にあるまじき横暴な振る舞いだ。中国を挑発するような言動で日本周辺の緊張を高めることはもってのほかだ。沖縄は『軍事植民地』ではない。米中対立の最前線に南西諸島を位置づけ、沖縄の島々を自由に利用しようとする日米の一体化路線に歯止めを掛けなければならない」と幸地一実行委共同代表が主催者代表であいさつされたことが今の沖縄の現状を表していると思いました。 まさしく、沖縄を孤立させてはなりません。

小川敏男

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2024年5月23日 (木)

2024年5月のブルーベリー農園その3

東広島市豊栄町のブルーベリー農園では、ウノハナが開花し里山の林の中でホトトギスが鳴き農園のブルーベリーは若葉が茂り、ネムノキの枝にも若葉がわきだす初夏の景色となっている。童謡「夏は来ぬ」の歌詞どおりの様子。20日の農園の気温は28度まで上がった。でも日差しは真夏ほどではないので木陰は涼しい。ブルーベリーの剪定作業も全体の8割がすんでもうひと踏ん張りなのでラストスパートの気分で安芸区の自宅から通っている。そして、5日間かけて農園の家のトタン屋根の塗装が完了したので当分安心。

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5月14日(火)

ブルーベリー畑の草刈りと剪定作業を続ける

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5月17日(金)

これまでで一番太いブルーベリーの根元の幹と出会う。足首よりもう一回り大きい。丈夫そうなので根元から切らないで50センチくらい上で切って枝の更新をした

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5月19日(日)

花壇のジャーマンアイリスが満開

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ブルーベリー畑にはアヤメも咲いている。花壇でできた種を畑に適当にまいたのでそこからら生えたらしい。ブルーベリー畑にはいろいろな花が咲いたほうがミツバチが来やすい

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初夏の様子

①里山ではシライトソウが白い穂を出して咲いている

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②里山でウノハナ(ハコネウツギ)の一番花が開花。1輪でもいい香りがする

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③庭のヤツデの大きな葉の上に座るアマガエルはふっくらした体形

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④トンボ(名前知らず)は人の気配を感じると、とまっている場所を変える

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一輪だけのバラ

①花壇でひしめき合う他の植物にまじって花開く

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②大きな八重のツバキの下で花開く

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農園の家は茅葺の屋根の上にトタンをかぶせている。連休明けに業者に依頼して塗装を行った。色はこげ茶。これで当分雨漏りは防げるので安心

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2024年5月22日 (水)

三原地区と府中地区の5月「19日行動」

【三原】

5月19日午後、「戦争をさせない三原市民行動」の定例街宣が三原駅前ロータリー周辺で開催。市議など18人の市民が思い思いのプラカードを掲げて道行く市民にアピールしました。1時間弱の行動でマイクを持って訴えられたのは6人。

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▲寺田元子市議は、「43兆円と言われた軍事費が14兆円以上増額され、60兆円になろうとしている。これ全てが税金だ。国民生活が目に見えて苦しくなっている現在、他に使わねばならない課題が目白押しなのにどう云うことだろう。こんな悪政は直ちにやめさせなければならない」と訴えました。

▲政平智春市議は、「コロナが5類に引き下げられて、すべての検査・治療が自己負担化された。一方でこの軍拡増税!『国が民を守る』という基本が吹っ飛んでいる。沖縄の離島に自衛隊の基地が多数作られているが、当初は『緊張が高まっているから、皆さんを守るため』ということでしぶしぶ納得せざるを得なかった人たちも、島内に2000Kmも飛ぶミサイルがどんどん配備され先制攻撃も辞さずということの中で、いざという場合は相手側からの攻撃対象の一番手になろうとするようなことから、『約束が違う!』と反発を強めておられる。国民が知らない内に戦争準備が進んでいる。許されないことだ」語気を強めました。

市民の一言メッセージでも、▲「私たちは一円からでも所得税がかかるが、裏金を貰った議員はお咎めなしなんて、腹がたってしょうがない」と岡 江津子さん。

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▲高木武子さんは、「2015年の安保関連法(戦争法)の強行採決以降、憲法9条で歯止めがかけられていたはずの『紛争国への自衛隊派遣』が公然と言われるようになり、武器輸出も出来るようになってしまった。ことの始めは皆『閣議決定』からで、国会での熟議は全くない中でのなし崩し憲法改悪だ。でも私たちも含め、全国各地で声を上げ続ける人々がいることで、反転攻勢は必ずできる」と訴えました。

▲中西一夫さんは、「世論調査で『9条を変えない方が良い』というのが昨年の55%から61%に増えている。『変えた方が良い』も37%から32%に下がった。ウクライナ戦争の影響で一時期国民の間に蔓延した『やはり軍事力は必要』という意識が、冷静さを取り戻したのかとも思う。頑張りましょう」と述べました。

▲最後にマイクを握った「戦争をさせない三原市民行動」共同代表の冨中さんは、「ここに至っても裏金事件で問題となっている政治資金改正の動きに、自民党は抜け穴だらけの改正案を提出しようとしている。あまりのお粗末さに公明党からもそっぽを向かれている。戦争をさせない、平和を守るということは私たち大人の責任だ。私たちには選挙で一票を行使できるという大事な武器もある。選挙で正しく一票を行使する声を上げて行こう」と結んで街頭行動を終了しました。

上羽場隆弘

【府中】

今日(19日)も15:30から上下町Aコープ前で5人、17:30から府中天満屋前で6人がスタンディングとリレートークを行いました。いつもより若干人数が少ないのは、メンバーの中に沖縄の平和行進に参加するため欠席した人もいるからです。遠く沖縄の空の下で頑張っている仲間や現地の市民に想いを馳せながら道ゆく車に手を振りました。そして今回も「安保法制は違憲です」の横断幕と一緒に「イスラエルはガザ虐殺をやめろ」の横断幕も掲げました。

上下町Aコープ前ではマイクのトラブルでスタンディングだけに切り替えました。

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しかし静かなスタンディングだから抵抗がなかったのか、日曜日の午後とあってAコープで買い物を終えた若いパパが「お疲れ様です!」と言いながら笑顔をむけてくれました。初めてのことです。そしていつもとおり多くの人が車窓から手を振ってくれました。

府中天満屋前ではハンドマイクを急遽用意しリレートークを行ないました。車のスピードを落として横断幕の文字を読む人も多かったです。弁士からは以下の点が語られました。

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・広島サミットから一年、首脳陣がお好み焼きに騒いだといったような報道が本当に必要なのか?平和公園で核抑止力を肯定したバイデン政権は臨界前核実験を行った。お好み焼きに騒ぐ暇があったら被爆者の話をじっくり聞き、資料館を時間をかけて見学し核兵器・核抑止論の愚かさについて理解を深めるべきではなかったか。

・憲法記念日に改めて9条のある憲法によって平和が守られてきたと思った。水俣病被害者との懇談で環境省が被害者の話の途中でマイクのスイッチを切った事件には、憲法25条によって水俣病を解決しようとする気がないことがよく現れていて酷いことだ。イスラエルやロシアによる戦争を見るにつけ、政府には生存権の尊重を守らせ、平和を作り出させなければと思う。

・防衛省設置法の改正や経済安保情報保護法の成立や地方自治法改正でますます戦争の準備が進み、このまま米軍と一緒に行動すれば、日本が攻撃を受ける可能性が高まる。安保法制とともに止めていきたい。国際法・人権法・憲法9条を生かすことが大切だ。

石岡真由海

【編集者】毎月「19日行動」の原稿を送っていただく、三原の藤本講治さん、府中の小川敏男さんが、沖縄平和行進に参加し不在でしたので、上羽場隆弘さん、石岡真由海さんに原稿を送っていただきました。お二人に感謝です。

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2024年5月21日 (火)

アメリカ臨界前核実験に抗議する慰霊碑前座り込み

核兵器廃絶広島連絡会議(連合広島、広島県原水禁、広島県被団協など11団体)は、昨日(5月20日)の午後0時15分から30分間平和公園慰霊碑前で、アメリカが14日にネバダ核実験場で行なった臨界前核実験に抗議する座り込みを行ないました。

座り込み開始に当たって連合広島の大野会長があいさつを行ないました。「バイデン政権下での3回目の核実験。バイデン大統領が、昨年5月に資料館を見学し、被爆者の話を聞いた後、芳名録に『世界から核兵器を最終的に、そして、永久になくせる日向けて,ともに進んでいきましょう。』と記帳したのは一体なんだったのか。絶対に容認できない。強い思いで座り込みを行ないましょう」。

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5月とは言えない暑さの中ですが、30分間の無言の座り込みが続きます。座り込みを終了する直前、広島県被団協の箕牧智之理事長が、被爆者の思いを訴えました。

「今の気持ちは、煮え湯を飲まされるような感じです。私の頭が割れるほど興奮して腹立たしい思いがしています。岸田首相は、アメリカに対して苦言を申入れるべきです。G7サミットからちょうど一年、プリンスホテル、平和公園、宮島での行動はただのセレモニーだったのかと問いたいです。しかも今後もたびたび実験を続けるとの発言。世界のリーダーであるべきアメリカがその態度では、他の保有国も静観しないでしょう。核兵器は絶対に使ってはいけない最高の狂気です。世界の政治家は何故理解を示さないのでしょうか。日本政府も米国に対して忠告できないものですか。今日は、怒りを持って訴える座り込みになったと思います。」

箕牧さんの訴えの後、参加者全員で慰霊碑に向かって1分間の黙祷をし、最後に核兵器廃絶広島連絡会議として、アメリカ大使館に抗議文を贈ることを確認し、抗議の座り込みを終えました。参加者は、59名でした。

府中でも抗議の座り込み

夕方、府中の小川敏男さんから、「府中市でも市役所前で12か時ら12時30分までの30分間,15人の参加で抗議の座り込みを行なった」ことが写真と共のメールで送られてきました。

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ところで、私は、座り込みの前日の19日に、資料館の地球平和監視時計が、リセットされたかなと見に行きました。着いたのは、11時半頃だったのですが、まだリセットされず、2021年9月16日にアメリカが行なった臨界前核実験以降の日数「976」の表示のままでした。

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外から写したのですが、監視時計のすぐそばに知り合いの資料館職員の姿がありましたので、「いつリセットするのですか」と聞いたところ,「今日の正午に石田館長が行ないます」とのことです。少し時間がありましたが、せっかくだからリセットを見ようと、周囲を散歩した後改めて資料館を訪れました。

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今年4月に新しい館長に就任した石田館長によって「最後の核実験からの日数」は、「0005」(514日からの通算日数)にリセットされました。

皮肉なことですが、この日5月19日は、広島でサミットが開幕してちょうど一年ということで、「首脳等が記帳した芳名録や首脳会議で実際に使用された円卓・椅子などを展示」する「G7広島サミット記念館」の開館セレモニーが、この「地球平和監視時計」のリセットとほぼ同じ時刻に行なわれました。もちろんバイデン大統領の芳名録も展示されています。

湯崎知事や松井市長には、この皮肉をどう感ずるのか尋ねてみたい思いでした。

いのちとうとし

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2024年5月20日 (月)

ベトナムの歴史(その30-6)つづき ― “エージェントオレンジDay”2024 in ヒロシマ ―

具体的なイベント内容

1.“枯葉剤63年”「パネル展」  無料

◇期間 7月17日(水)~22日(月)  ◇会場  東広島芸術文化ホール「くらら」 市民ギャラリー

◇内容 ・特別展示 いま世界は~ウクライナとガザ~

・枯葉剤コーナー Booth1~7

・ネパール支援活動(東広島ユネスコ協会)

2.ドキュメント映画「ドクちゃん フジとサクラにつなぐ愛」  有料:要チケット、当日券有

◇日時 8月11日(日)12:30開場、13:00開演、16:00終演

◇開場 東広島市民文化センター アザレアホール

◇内容 オープニング、「ドクちゃん フジとサクラにつなぐ愛」鑑賞、グエン・ドクさんOnlineトークなど

◇料金 一般1800円、学生1200円、ベトナム人500円

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県内シアターでも「ドクちゃん フジとサクラにつなぐ愛」 ~「割引」をご利用ください~

私は1998年に“ベトちゃんドクちゃん”に初めて会いました。ベトさんは2007年に27歳で亡くなられましたが、ドクさんとは交流を続けています。“ドクさん”来日45回目の2016年、私たちの招きで初めてヒロシマを訪れたのを機に広島国際大学客員教授に就任。“エージェントオレンジDay”やドクさんの活動支援などを通じて連携と交流を続けています。

昨年、「日越国交樹立50周年」と「“ベトちゃんドクちゃん”分離手術35周年」を迎えました。「日越国交樹立50周年」を記念する日本政府の記念事業として、「ドクちゃん フジとサクラにつなぐ愛」が施策され、5月3日以降、全国で公開されています。

是非、一人でも多くの皆さんに鑑賞いただきたいと、監督・プロデューサー・映画配信会社、県内のシアターと相談し、現時点、下記のシアターで上映を予定していただくことになりました。是非、ご鑑賞ください。なお、下記「証明書」を劇場窓口で提示いただければ、一般料金1,800円から300円割引の1,500円でご鑑賞いただけます。提示方法は、「紙媒体」でも「電子」(スマホなど)で結構です。

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◆上映シアター 八丁座

住所:広島市中区胡町6-26 福屋八丁堀本店8F

上映期間:5月31日(金)から一週間の限定上映

◆福山駅前シネマモード

住所:福山市伏見町4-33

上映期間:調整中(HVPFにお問い合わせください)

今秋、福山市で「枯葉剤被害者支援のためのベトナム民族アンサンブルチャリティーコンサート」開演

 10月16日(水)、午後6時から「県民文化センターふくやま」で、ベトナム国立ボンセン劇場のアンサンブルによる、枯葉剤被害者支援のチャリティーコンサートを開演します。現在、参画くださる方を募りながら準備を進めています。是非、福山市近郊をはじめ皆さまの参画を募っています。

是非、こちらもよろしくお願い致します。

 私たちの活動に加わってくださる方をお待ちしています。 “出来るとき、出来る場所で、出来ること”をという「3D精神」で、課題と役割を分かち合いながら活動を進めているのが私たち一般社団法人広島ベトナム平和友好協会(HVPF)です。ご質問、ご意見などを含めご連絡をお待ちしています。

(携帯)090-1010-0472 (E-mailakatatu@d4.dion.neip

2024年5月120日(あかたつ)

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2024年5月19日 (日)

ベトナムの歴史(その30-6) ― “エージェントオレンジDay”2024 in ヒロシマ ―

エージェントオレンジDay

この夏、ヒロシマは79回目の「原爆の日」を迎え、その4日後の8月10日、ベトナムで初めて枯葉剤がまかれて63年目を迎えます。1961年8月10日、アメリカはケネディ大統領の命令で猛毒ダイオキシンを含む枯葉剤を散布する「枯葉剤作戦(ランチハンド作戦)」を始めました。まかれた場所は、皆さんよくご存知の“ベトちゃんドクちゃん”の生誕地、ベトナム中部高原のコントウム省です。

枯葉剤は1971年に中止されるまでの10年間、ベトナム国土(主に南ベトナム)と人々の頭上に降り注がれ、数百万のベトナム人と参戦したアメリカをはじめ韓国、オーストラリア、ニュージーランドなどの兵士が浴びました。白血病や皮膚癌などで多くの死者を出し、第一級の発癌物質であるダイオキシンは遺伝子の損傷を引き起こすとされ、数多くの先天障害児が今でも生まれています。

ベトナム政府は8月10日を「エージェントオレンジDay(枯葉剤被害者の日・祭日)と制定し、幾世代にわたり深刻な障害をもたらす化学兵器枯葉剤の残虐さと被害者の救済を世界に訴えています。

なぜ枯葉剤のことをエージェントオレンジと呼ぶのか

よく、「なぜ、“エージェントオレンジ”って言うの」という質問をいただきます。

ベトナム戦争でアメリカは約9万1千㎘の枯葉剤を散布したといわれていますが、その種類は数種類あり、それぞれの容器(ドラム缶)に付けられる縞の色で、エージェント・オレンジ、エージェント・ホワイト、エージェント・ブルー、エージェント・パープル、エージェント・ピンク他に分けられていました。

その中で散布量全体の62%を占めていたのがダイオキシン中でも最も毒性が強く、発癌性、催奇形性の高い2.3.7.8T-CDD(テクラトトロジベンゾ--ダイオキシン)を持つエージェント・オレンジ剤だったことから、枯葉剤を総称してエージェント・オレンジと呼ばれています。

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ランチハンド作戦出撃のためドラム缶から積み込まれる枯葉剤

“エージェントオレンジDay” 2024 in ヒロシマ

私たち広島ベトナム平和友好協会(HVPF)は、「枯葉剤60周年」の2021年にベトナムと世界で取り組まれている“エージェントオレンジDay”に呼応して、このイベントを始めました。それは、20世紀の戦争被害の象徴である核被害を受けたヒロシマと化学兵器被害を受けたベトナムの共通する“ノーモアヒロシマ・ナガサキ”、“ノーモアエージェントオレンジ”、“ノーモアウオー”という固い意志をつなぎ合い、平和で豊かな持続可能な地球社会を築きたいとの思いからです。

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2021年、ホーチミンからOnline出演いただいたドクさん

今年、3回目の「“エージェントオレンジDay”2024 in ヒロシマ」を企画しています。

ポイントは次の3つです。第一に、“枯葉剤とは”、“ベトナム戦争と枯葉剤作戦”、“今なお続く被害”など枯葉剤の実態と実相。第二に、グエン・ドクさんのパネルとドキュメント映画を通して“生きる”枯葉剤被害者の姿。第三に、来年の「被爆80周年」を前に、ロシアのウクライナ侵攻でイスラエルによるパレスチナ自治区ガザ攻撃で、既に化学兵器が使用され、核兵器使用の懸念が高まっている中で即時停戦と和平・復興・共生に向けたプローチへの強いヒロシマからのアピールです。

 「被爆80周年」の前年、ヒロシマから発する平和メッセージに是非ご参加ください。

明日、具体的なイベント内容を紹介します。

2024年5月19日(あかたつ)

【編集者】アメリカの臨界前核実験に抗議する座り込みは、20日月曜日の午後0時15分から、慰霊碑まで行ないます。その様子は、報告します。

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2024年5月18日 (土)

つぼみを付けたキョウチクトウ

今日も散歩の途中で目にした話しです。

平和記念公園の西側の本川沿いに南北約600メートルにわたって植わり夏になると見事な花を咲かせていたキョウチクトウが、一昨年12月、翌年5月に開催されるサミットのテロ対策だとして,当時腰の高さまで、無残に伐採されました。

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中国新聞2023年1月17日紙面より

当然のことですが、昨年夏は花を見ることはありませんでした。

昨日、散歩コースを少し変更し、平和公園から本川橋をわたり本川右岸を上流に向かって歩きました。目に入ったのは、新しい枝を伸ばしきれいな葉を付けているキョウチクトウです。

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上の中国新聞の写真とほぼ同じような位置から撮った写真です。大人の背丈より新しい枝が伸びていますので、向こうの景色は見えません。当時、西区の樹木医の堀口力さん(77)は、中国新聞のインタビューに答えて「キョウチクトウは暖かい地域で育つ樹木。寒くなる時期の剪定は木の成長を弱め、ダメージを与えかねない」と指摘されていたようですが、無事に成長したようです。

枝先に少し赤い色が目に付きます。

近づいてみるとまだまだ小さいのですが、間違いなくつぼみです。

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元の木の高さ、花の数に戻るには、2から3年かかるとも指摘されていますので、以前のような見事な花を咲かせるのには、もう数年かかるようですが、今年は、少ない数でも花を見ることができるのではと期待できます。

道路を挟んだ本川小学校には、もっと大きなキョウチクトウが育っていましたが、このキョウチクトウも同じように伐採されました。

こちらのキョウチクトウも新しい枝と葉を付けているようですが、川沿いほどには繁っていません。

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遠くから眺めただけですので、はっきりとは言えませんが、こちら側のキョウチクトウは、今年も花を付けないのではと思われます。

同じようにサミット警備のために伐採された東区牛田本町の京橋川左岸の被爆シダレヤナギは,私もその後何度も見に行ったのですが、新しい芽を見ることはできませんでした。ついに今年3月「枯れ死した」として、広島市は被爆樹の登録を取り消しました。

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サミット当時の警備(本川右岸は、金網で覆われた)状況を振り返ると、原爆投下後の焦土にいち早く咲き、市の花としても親しまれているキョウチクトウの伐採が本当に必要だったのか、何故被爆シダレヤナギは枯れ死しなければならなかったのか、という思いにあらためてかられました。

いのちとうとし

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2024年5月17日 (金)

一枚のプレート

白島九軒町の病院に行った帰り、白島線の電車通りを八丁堀方面に向かって歩いている時、そういえばと思って写したのが、下のプレートです。

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このプレートは、南向きに取り付けられていますので、白島から八丁堀方向に歩いている時には、気をつけないと見過ごします。場所は、県立美術館の電車道り側の北の境界にある塀に取り付けられています。

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 プレートには、「西晋一郎博士旧宅後」と書かれ,次のように記されています。

「文学博士・西晋一郎(1873年―1943年)は、・・・・明治35年(1902)創設の広島高等師範学校教授となり、昭和4年(1929)広島文理科大学教授を併任。同15年(1940)に依願退職するまで、当地・広島において哲学や倫理学を教授をしました。西博士は、わが国古来の神道,儒教、仏教の伝統に、西洋哲学の精密な思索による理論を結びつけ、これらの思想を実践哲学に体系化した学者として知られています。

記念碑は、この通路を約20メートルは入った左側にあります。」

私が、西晋一郎博士のことはまったくといってよいほど知識がありません。知っていることと言えば、森滝市郎先生の岳父,つまり先生の奥さんしげさんのお父さんだということです。1931年の3月に森滝先生は、京都帝国大学大学院を卒業、広島高等師範学校に就任され,同年の12月27日にしげさんと結婚されました。

以前に森滝春子さんからこのプレートに関わることで「小さい頃、縮景園の隣にあったおじいさんの家によく遊びに行ったことがあります。垣根の隙間から縮景園に入り込んだことがありますよ。ですからあの位置だったと思います。」と教えていただいたことがあります。

ですので、「この通路を約20メートル入った」場所に、西晋一郎さんの旧宅があったのは間違いないことのようです。

ただ、このプレートの右側は、現在はビルとビルの谷間になっており、柵では入れなくなっていますので、記念碑が本当にあるのかどうかを確かめる術はありません。

さらに不思議なことは、森滝春子さんにも確かめたのですが、誰がどんな意図でいつ頃このプレートを取り付けたのか、全く不明だということです。

ただ、私には森滝先生ゆかりの地と言うことで、気になる場所です。

なんとも不思議なプレートです。

いのちとうとし

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2024年5月16日 (木)

ライラックの花が咲いていますー被爆者の森

今日も散歩の途中で目にした話です。

今日は、わが家から東の方を目指しての散歩です。

最初の気になったのは、宝町バス停前に立つ本陣の建物とその脇に置かれた石柱です。

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写し方が悪く、この写真には写っていませんが、建物の一番東端に道標の石柱が立っています。

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左側面には,左方向を示す矢印と「日田道」の文字、右側面には,右方向への矢印と「友枝道」の文字が刻まれています。

「日田って九州大分の地名だよな。何故その石柱がここに」と不思議な気持ちになります。気になりますので、本陣跡の右側の古美術商「むさし堂」を覗いて、「前の石柱は、ずっと以前からあったものですかね」と尋ねてみました。「この店も20年ほど前に段原から移ってきたので、はっきりしたことは言えないのですが、今の本陣は以前料亭だったので、その時に別のところから移されたもののようですよ。」「そうですよね。いくら何でもこの場所に『日田』の道標を建てることはないですよね」

これで一件落着。さらに比治山方面を進みます。

京橋川には、比治山橋が架かっています。被爆した橋柱が、残っています。

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何度も渡った橋ですが、今まで被爆した橋と思って通った記憶がありません。広島市が被爆50周年の事業として発刊した「ヒロシマの被爆建造物は語る」には、欄干の一部が落下した写真に橋柱もはっきりと写っています。

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爆心地から1.71キロの距離ですが、爆風で欄干が落下したようです。この写真は、1945年11月頃、西詰の下流側から撮影されたものです。私が写したのは、同じ西詰ですが上流側の橋柱です。

比治山橋を渡り、京橋川の左岸を上流に向かいます。鶴見橋の東詰で、被爆ヤナギの写真を撮りました。

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この被爆ヤナギには思い出があります。何年頃だったかはっきりとは覚えていませんが、もちろん鶴見橋が掛け替えられる前です、今は枯れてしまった曲がった幹が、元気な頃です。1993年5月に撮影された写真が「ヒロシマの被爆建造物は語る」に掲載されています。

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「この被爆ヤナギが、爆心地方向に曲がったのは、揺り戻しの強い爆風の影響を受けたからだよ」と先輩から教えられ信じていたことを思い出します。

最近、被爆樹木めぐりで樹木医の堀口力さんの話を聞くようになってから、原因は違うのではないか(樹木の被爆側の成長が遅れるため)と思うようになりました。それを証明しているのが、説明板の写真です。

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1945年9月頃に撮影された被爆ヤナギですが、やや下流寄りの傾いてはいますが、1993年に写された上の写真のように爆心地方向には傾いてはいません。揺り戻しの爆風で曲がったのであれば、この時すでに曲がっていたはずです。

被爆ヤナギを見た後は、鶴見橋をわたり平和大通りを西進します。東詰を過ぎると被爆者の森があります。今年3月に植栽された木も元気に育っていました。そして、ようやく今日のタイトル「ライラックの花が咲いています」に出会いました。

この木のことは、ずっと気になっており、被爆者の森を訪れるたびに見続けてきました。このブログでも何度も取上げた北海道のライラックです。近づいて、びっくりしました。花が二つ付いていたのです。

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今までは、紫の花だったのですが、今咲いているのは白い花です。見え難いので拡大します。

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今年は,ヒコバエが伸びた枝で、あまりにも細すぎてとても花は付かないだろうと思っていましたので、感激です。すぐに広島市中区維持管理課に電話を入れました。

思いがけずうれしい発見が出来た散歩でした。

いのちとうとし

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2024年5月15日 (水)

2024年5月のブルーベリー農園その2

豊栄町のブルーベリー農園から夕方帰るときに田んぼのそばを通るが、傾いた日差しで水の張った田んぼがキラキラ光り木々や草花がぽっかり浮かび上がって輝きを増す景色を見ながら安芸区の自宅に帰る日々が続く。スズメバチの捕獲器をブルーベリー畑と里山のブルーベリー園に吊り下げているがこの時期はオオスズメバチがよくかかる。ペットボトルの中でもがいているハチの顔はちょっと怖い。

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5月10日(金)

農園の周囲の早苗田とスイバの花穂

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5月11日(土)

今年は里道に植えたジャーマンアイリスがたくさん咲いた

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5月13日(月)

農園の花壇のアヤメ

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農園につくと最初の作業はブルーベリーの枝を燃やした後の炭の片付け。一輪車に乗せてブルーベリー畑にまいていく

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剪定したブルーベリーの枝は積み上げてから細かく切る作業をしていく

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ミツバチの活躍で受粉がすすむ

①レンゲの受粉(5月8日)

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②晩生のブルーベリーの受粉

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③早稲のブルーベリーの受粉

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里山のブルーベリー園の周囲

①アザミ。今年は少ない

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②スズメバチの捕獲器にはオオスズメバチが2匹入ってうごめいていた。この時期はオオスズメバチがよく捕まる

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農園の周辺の道沿いに咲くマーガレット

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2024年5月14日 (火)

平和大通りのバラー散歩の途中で

平和大通りは、散歩のときよく通る道です。雨がりの昨日の散歩コースの中心は、平和大通りでした。

NHK前の交差点を東進し、並木通りの手前の北ブロック(移動演劇さくら隊原爆殉難の碑の西側)の真ん中ほどにバラ園があり、40本あまりのバラが見事な花を咲かせています。

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ずっと以前になりますが、周りのロープ囲もなく、こんなにキチンとは整備されていなかった記憶があります。

最初の目に付いたのは、一番の背高のっぽの黄色いバラです。黄色いバラは1本だけですが、存在感がありました。

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バラは2列並んで植えられています。車道寄りには、この黄色いバラと鮮やかな深紅のバラが並んでします。

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北側の一列は、ピンクのバラです。一番多い種類です。

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数日前に、消毒されたようで、注意の看板が立てられています。

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広島市中区維持管理課の話しでは、アレルギーの人もおられるので、注意喚起のため数年前から、薬剤散布後は看板を立てるようにしたとのことです。

この時一緒に教えていただいたのですが、ここに植わっているバラは,旧東ドイツやオランダから送られ,当初平和公園に植わっていたようですが、平和公園が整備された時、その一部が,この場所に移植された樹木です。

ただ平和公園に植わっているバラのように、どこから送られたバラなのかは、はっきりとは分からないようです。少し残念です。

何枚かの写真を写した後、散歩を続けます。

帰り道に、確かNHKビル横の平和大通りの南側のゾーンに、長崎ゆかりのバラがあることを思いだし、寄り道をしました。

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このバラも見事に咲いています。

前に立てられた説明板には、「広島・長崎平和のバラ このバラは永井隆博士の庭から贈られたものです。」と書かれ、その下に小さな字で永井隆博士の略歴が記されています。しかし、このバラが、いつ植えられたかなどの来歴は記されていません。

見にくいのですが、上の写真の左奥をよく見ると石碑が建っているのが分かります。

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この石碑の銅板には、このバラの由来が書かれています。

「世界最初の原爆を体験した広島と長崎の青年たちが、昭和二十四年十一月十二日、広島市で原爆都市青年交歓会を開き、反戦と反核のために立ち上がることを決意したとき、原爆症のため如己堂で病臥中の永井隆博士は、世界恒久平和の願いを込めて、庭に咲いていたこの薔薇を樹を贈ってこられた。」

新しく設置された説明板には、何故この由来が書かれていないのか、ちょっと不思議です。永井隆博士の来歴も確かに大切ですが、昭和24年(1948年:私が生まれた翌年)という早い時期に広島・長崎の青年が交流し、「反戦・反核のために立ち上がる決意」した時に記念植樹されたことも伝えるべきではないかと思います。

天気に恵まれ、より鮮やかな花の色をみせてくれたバラたちでした。

いのちとうとし

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2024年5月13日 (月)

中国人の爆買い?

並木通りにある「ギャラリーたむら」で陶芸家内田鋼一さんの個展が、11日から始まりました。最終日は、19日。

内田さんは人気の陶芸家で、個展には多くの中国人が買いに来ると言われています。ギャラリーたむらでは、毎年この時期に内田さんの個展が開催されますが、これまで中国人と思われる人の姿を見せることはありませんでした。

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 ところが今年は、少し違った様子で個展がスタートしました。ギャラリーたむらの開店時間は、午前11時ですが、開店前から16人もの行列が出来ています。一昨年、陶芸家若杉聖子さんの個展では、前日に中国人と思われる人から何度も電話が入ったり、他のお店での若杉さんの個展では、多くの中国人が買いに訪れるということがあったため、ギャラリーたむらでも同様の事態が予想されると言うことで、その年の初日に整理のため手伝いをしたことがあります。

今回も気になったので、開店時間前に私も店に行き、入店者の整理の手伝いをすることにしました。

開店前に並んでいた16人は、すべて中国人というわけではありません。先頭は、早朝に車で大阪から来た人たち(内田さんにきくと料理人の仲間)、どこの個展にも駆付ける名古屋の人なども並んでいます。

午前11時、一回の入店者を7人に制限し、一人1個限りの販売と言うことで、スタートしました。並んだ人にその条件を指示するのが私の役割でした。

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手前に写っている人は、日本人

中国人と思われる人の何人かは、スマホで写真を撮り、誰かと連絡を取りながら購入作品を決めています。「複数はダメですか」と念押しをする人は、他の作品をスマホで写しています。それでも、何とか一時間あまりで、一段落しましたので、私は一端帰宅しました。

その日は、内田さんと夕食を一緒にすることになっていましたので、午後6時過ぎに再び店を訪れると、すべての作品に売約済の赤い丸が付いています

「えー、どうなったの」と問うと、午後に別の中国人が次々と訪れ、スマホの写真を手に作品を決め、購入していき、全部完売になったということです。

決して安い価格ではありませんが、内田さんの話しによれば、中国では数倍、場合によれば一桁大きい金額で販売できるので、交通費やアルバイト料(京都から来た人も居る)を払っても、充分におつりが来るようです。

中国人の爆買い、ということが良く言われますが、内田鋼一さんの個展で見た景色もその一つだったようです。

来年は、少し工夫をしなければと話しながらの夕食会でした。ちなみに、若杉聖子さんの個展では、初日、二日は、DMを持参した人しか入店できないようにしたため、翌年からの混乱は解消することが出来ました。

いのちとうとし

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2024年5月12日 (日)

水俣病問題と私

5月1日に行なわれた水俣病被害者団体と伊藤信太郎環境大臣との懇談会で、水俣病被害者の発言中に環境省職員が、マイクの電源を切ったことで、大臣が謝罪に追い込まれたことの報道が続いています。

被害者の発言を遮断するなど言語道断のことで有り、絶対に許されるものではありません。

何故こんな事態が起こったのか?いくつかの原因があると思いますが、私がこのニュースに接したとき、一番に感じたのは「環境省職員に『水俣病問題では国も加害者の一人だ』という認識が欠けている」と言うことです。

そう指摘するのは、私もわずかですが水俣問題に関わってきたからです。

1995年の政治決着によって多くの水俣病裁判の原告が提訴を取り下げる中で、唯一この『政治決着』を認めず、訴訟を継続したのが水俣病関西訴訟団(団長川上敏行)でした。

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最高裁判決後の川上団長・私も向かってすぐ左側にいました。

2001年大阪高裁が、「国や県の責任を認める」判決を出し、最高裁の上告されたいた時期、当時衆議院議員を務めていた私の部屋に水俣病関西訴訟団の支援者が訪れ、裁判への支援とともに「水俣病に認定基準である77年判断基準について、国会で取上げて欲しい」と資料を持って要請されたことがあります。後で分かったことですが、当時私が、在外被爆者問題に関わっていることを知り、この議員ならひょっとすると協力してくれるのではないかと、要請に来られたようです。

充分に水俣病問題を理解していたわけではありませんが、私の政策秘書の「ぜひやってみようではありませんか」との声もあり、所属する環境委員会で質問することにしました。1995年の政治決着以来、国会の場で水俣病問題が取上げられることはありませんでしたので、政治決着後初めて国会で水俣病問題を取上げた議員になりました。

この委員会での質問は、ずいぶんがんばりましたので、その時の委員会質疑のDVDが、支援者の間で視聴されたと聞いています。

そうした経過があったので、水俣関西訴訟の最高裁判決が出された2004年10月15日には、支援者の理解を得て、法廷内(少人数しか入れない)で勝訴判決を聞くことが出来ました。

私の関わりはさておいて、重要なことは、この最高裁判決は、大阪高裁の判決を認め「国が水俣病による健康被害の拡大防止のためにいわゆる水質二法に基づく規制権限を行使しなかったことが国家賠償法1条1項の適用上違法となる」としたことです。水俣病の一番の加害責任は、水銀を垂れ流したチッ素にあることは当然ですが、「健康被害の拡大を防止しなかった」国の加害責任も認めたと言うことが重要です。

ですから、この最高裁判決が出されたその日の夕方、原告団と環境省の面談の場(最高裁の隣にあった社会文化会館)に小池百合子環境大臣が出席し、原告に対し謝罪したのです。小池大臣はすぐに退席しましたが、その後原告団から国に対して「問題の早期解決を図るよう」要望が1時間以上にわたって行なわれました。

私もこの場で原告団と一緒に席に着き、国に対し「加害者の国が中心になって決めた77年判断基準は、新たに検討会を設置し見直しをすべきだ」と繰り返し指摘しました。その後、数回の原告団と環境省の話し合いの場に参加し、「国の加害責任の明確」を追求しました。

最近の報道では、「水俣病問題は、環境省が生まれた原点だ」ということは強調しますが、国も加害者だと言うことが、あまり報道されません。

もし環境省の職員がこれらの歴史をきちんと認識し、「国が加害者」だという自覚がもっと強く持っておれば、今回のような対応はなかったはずだと私は思っています。

そしてもう一つ指摘しておきたいことは、水俣病関西訴訟団(団長川上敏行)が、政治決着を認めず「被害を拡大させ、患者を切り捨てる行政への憤り」を根底にした裁判の継続がなければ、その後の水俣病問題の進展はなかったと言うことです。

いのちとうとし

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2024年5月11日 (土)

在ブラジル被爆者と岸田首相の面談

去る5月4日に行なわれた在ブラジル被爆者と岸田首相の面談の様子について、在ブラジル被爆者の渡辺淳子さんからメールが届きました。本人の了解を得ましたので、そのまま全文を掲載します。


この4日の岸田首相サンパウロ訪問での我々被爆者との面会については、各新聞社が掲載記事を出していますので様子はご存知の事と存じます。

只、この件が決まるまでは、中々はっきりとした日程・時間が変わりまして最後まで落ち着きませんでした。

一度は、キャンセルと言う事までありましたが、岸田首相の思いと考えますが、どうにか短い時間での面会が出来ることが決まり安堵しました。

こちら秋とは言え連日の真夏日でした。

私は、息子が車で会場まで送ってくれましたが、会場に入る為に道一杯に並んで大勢の人達がいるので離れた所で車を降りて会場に行きました。

私達招待者は、別入口より責任者が誘導して下さり入りました。

一般の人は、セキュリチーチェックが行われていました。

会場は大勢の人と熱気であふれ日伯の国旗を持ち、岸田首相の到着されると、両国旗を振りながら声を出してお迎えし、しばし平和ムードがあふれていました。

歓迎セレモニーが終わるまで私達(森田隆氏、盆子原国彦氏、渡辺淳子、斎藤綏子さんの招待4人)は、特別設置スペースで待っていました。

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左から盆子原さん、森田さん、渡辺さん

 当日は、被爆者4名、と広島県人会4人ずつの招待者で、最初に我々4人の被爆者が先に面会いたしました。私達の面会が終わってから、広島県人会の招待4人が入りました。

そのルームには、赤白の幕が内部に張られて前中央に岸田首相様の椅子が有り右横に私達4人の椅子と左横に椅子が同じくありました。

岸田首相が入ってこられまして私達は立ち上がりまして挨拶致しました。そのまま、皆座らずに首相が話され始めて(面会時間は2分と綏子さんには領事館よりと言われていたそうですが、私は只短いと言う事しか知りませんでした)。結局、5分くらいの時間だったそうです。

首相のお話は、まず、我々が今まで被爆者として、ブラジルでの平和活動を続けて来られた事を自分は聞いて存じていますと言われ、我々への労いのお言葉を頂きました。

次に、森田さんが自分のポルトガル語の自伝本を渡され、綏子さんがその内容の説明をされました。

次に渡辺が、在ブラジル被爆者協会30周年記念として出版しましたと言う事をお話して、「南米在住ヒバクシャ魂の叫び」の本をお渡ししましたら、ぱらぱらとめくってくださって、「日本語ですね、これなら読めるから後で読ませて頂きますと仰いました。

次に、盆子原さんから、お願いが有りますと問いかけて、「核兵器禁止条約への加入をお願い致します」と言うと、首相は、「まずは、核保有国を条約に入れる努力をする必要があるので努力しています」等のお話をされました。

そして、首相より、森田さんもう一度と言われ、握手されました。

そして、これからも健康に気をつけてお暮しくださいと言うようなお話をされたと思います。

その後、私は、首相にお体には気をつけて下さい、そしてもう一度お目にかかりたいと思いますと言いましたら微笑んで頂きました。

その後皆がそれぞれ同じような事を言われたように思います。

それで我々4人は外に出ました。

入れ替わりに、広島県人会4人が入室しました。

ルーム前に総合写真を撮るための椅子がそろえてありました。

中央に岸田首相の名前が有り、向かって右側我々被爆者4人が座り、左側に広島県人会4人が座り記念撮影がされました。

それで終わりました。

以上が岸田首相面会時の流れです。

総合写真は、先ほど領事館へ問い合わせましたら、連絡が来たらお知らせしますとの返事が来ましたので、

写真が届きましたら又、ご連絡いたします。

只、面会前、特別スペースに入る前に私達3人が撮った写真が有りますのでお送り致しますのでご覧頂ければと思います。

会場となった建物は、名称「ブラジル日本福祉協会」と言い、我々は普通「文協」と言って親しんでいます。

1955年に創立されました。移民資料館、大講堂、など色々な活動の場が設けられています。


【編集者】文中の「斎藤綏子さん」は、森田隆さんの娘さんで、掲載した写真は斉藤さんが写されたと思われます。

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2024年5月10日 (金)

喜代子姉ちゃんのこと

 地球上にはそっくりな顔・性格をしている人が3人いるということを、誰かが話していました。先日広島電鉄の電車の中で、実姉である喜代子さんに、まさに「瓜ふたつ」という女性を見かけました。

顔つき、眼から鼻にかけてと頬の膨らみ具合、しゃきっとしている背中、着ている服装、履いているスニーカー、もちろん品の良さもです。じっと見ていると「変なおじさん、嫌、変なジジイ」と思われるのではと感じながらも、やはり見ていました。

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喜代子姉ちゃんは、ぼくより3歳年上で1946年2月に生まれました。原爆が投下された時には、お母ちゃんのお腹の中にいて胎内被爆者でした。その後、弟であるぼくが生まれ、そして4年後に父親が40歳代の若さで亡くなりました。まだ若かった母は、もう一人の姉を入れて3人の子どもたちを育ててくれました。

そして喜代子姉ちゃんは、59歳の誕生日を前にした2005年2月に急死したのです。夫が帰宅した時、姉は自宅で亡くなっていました。医師は食道動脈溜の破裂ではなかろうかと伝えたそうです。

ぼく達3人の姉弟は仲が良いというよりも、お互いに助けあって、仕事に行っていた母が帰るまでに七輪に火をおこし、カマドでご飯を炊き、リーダー役の一番上の姉が、ぼく達を指導していました。

広島市内の家は原爆で壊滅したので、親戚の人が持っていた五日市町(現・広島市佐伯区)のわら屋根の古い家に住まわせてもらいました。まともにお客を入れられる部屋は一部屋しかなく、雨漏りする部屋もありました。ぼくは姉二人から勉強を教えてもらいました。

その喜代子姉ちゃんは、子どもの頃からバレエを習っており、幼稚園のようなところで教えるとともに、自らもずっと習っていました。そして広島大学にある原爆放射能医学研究所で働いてもいました。そこで同じ大学にいた大学院生と結婚し、夫の卒業とともに実家のある徳島市に戻ったのです。

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喜代子姉ちゃんは、なんといっても気前が良く、趣味もたくさんあって、亡くなる前には徳島阿波の人形浄瑠璃を勉強し、娘が米国人と結婚した関係から英会話も勉強して得意でした。

徳島の名産品であるカンキツ類のスダチや、スダチ焼酎も何十箱も送ってきました。誕生日には電話を掛けてきて、前置きなしに「ハッピーバースディ ツー ユー」を唄い出すことは何十年続いたでしょうか。内緒ですが小遣いもくれました。その時にいう言葉は「省ちゃん、誰にも言わないこと。お礼の電話などしないこと」が鉄則でした。

若気の至りでか、ぼくは参議院選挙の全国比例候補者に名前を連ねたことがあります。全国から得て総得票数のなかで、徳島県から得た票数が一番多かったのでした。可愛い??弟が立候補しているからと、みんなに声を掛けたのでしょうね。

今年は原爆から79年、生きていたら、まだ78歳です。しかしその喜代子姉ちゃんが亡くなって、20年という年が流れました。せめてもの救いは、お母ちゃんが先に亡くなったことでしょうか。

電車の中で出会った人、どこの誰かも知りませんが、たぶん喜代子姉ちゃんのような前向きで明るい人だと思いながら、ぼくの方がその人よりも早く電車を降りたのでした。

木原省治

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2024年5月 9日 (木)

人間らしく働きたい!

2024年419日、中教審「質の高い教師の確保」特別部会(第12回)が開催され、「審議のまとめ(素案)」が提示されました。

その内容は、「教職調整額4%を10%以上に」「主任教諭の創設」「学級担任手当」等、昨年5月の自民党特命委員会の提言をほぼなぞったものであり、私たちの望む形から大きくかけ離れたものでした。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/445f6971b0a28e3b8f13f8f7c332d28fcade6e6c

「給特法※」の枠組みを残したままである限り、教育職員の時間外労働は「勤務」とは見なされず、労務管理をされることなく「定額働かせ放題」が放置されてしまいます。

私たちは、単なる給与の増額を求めているのではなく、「公立学校の教育職員を一般の労働ルールの枠外に置くのはやめて労基法を適用し、長時間労働を解消すること」が必要です。

また、「主任教諭の創設」や「学級担任手当」は、職場の分断を招きます。これまで教育現場は、教職員全員が役割を分担し、ともに子どもに関わり、お互いの共通認識と協力・協同によって支えられてきました。私は、一部の者の処遇と権限を高め、業務を集中させること、更なる階層化に反対です。

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子どもはお国の赤子や経済発展のための人材ではなく、一人ひとりが「権利の主体」です。子どもたちが尊厳をもち、共に幸せに生きていくためにこそ、教育はあります。

この間ずっと、教職員は「労働者」である自覚を奪われ、忙殺される中で疲れ切り、一つひとつに引っかかることなく、トップダウンに従い、物言わぬようにされてきました。

物言わぬ教職員は、物言わぬ子どもたちを育てます。これは本当に怖いことだと思っています。

教育は諸刃の剣です。教職員がどう働くのか、どう学ぶのか、どう仲間とつながるのか、どう主権者として生きるのかが、そのまま子どもたちにつながります。だからこそ、教育は、教職員は、不当な支配を受けることなく、自由でなければなりません。

給特法=公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法

残業代(時間外勤務手当及び休日給)を支給せず、勤務時間内外を問わず包括的に評価して教職調整額残業代の代わりとして教職調整額を支給するという仕組み

よりのぶ

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2024年5月 8日 (水)

2024年5月のブルーベリー農園その1

ブルーベリーの剪定を続けているが、この時期はブルーベリーも花が咲きミツバチによる受粉が同時並行で進む。今年はブンブンする羽音があまり聞かれないのでちょっと少ないのかもと心配していたが、5月の連休後半には里山からいろいろな種類のミツバチが来てくれブルーベリーの結実が確認されて一安心。トンボが来たりして初夏を思わせる中せっせと安芸区の自宅から東広島市豊栄町のブルーベリー農園に通っている。

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5月4日(土)

農園の庭の池に遊ぶイトトンボ。もう初夏

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5月5日(日)

ブルーベリー畑の剪定を続けている。ミツバチは少なめだが受粉は順調にすすんでいる

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ブルーベリーの剪定で出る枝の処理は電動バサミが便利で手の負担が少ない。細かく切るので野焼きの効率がよくなる

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5月6日(月)

道路そばのブルーベリー畑ののり面に咲くオオタニウツギの赤い花

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ため池のある里山からレンゲツツジの向こうのブルーベリー畑を望む

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レンゲツツジの近くにフジも咲いている。藤色、新緑、オレンジ色があって目に優しい

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ため池の土手

①フキが青々と葉っぱを広げている。手でつかめる量のフキを鎌で切って持ち帰る。

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②マムシグサ

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③バイカイカリソウ

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麦畑。正面の山が古城のある茶臼山

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こちらは田んぼ。田植えが始まっている

2024年58

社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2024年5月 7日 (火)

2024年行くべきまち-52カ所第3位の山口市

今年初めにアメリカの大手新聞ニューヨークタイムズが発表した「2024年行くべきまち」52カ所3番目に取上げられた山口市、帰省ついでに少し街を廻ってみました。

5月4日の午後4時過ぎに山口に着きましたので、街めぐりは翌日にし、この日は、前日の5月3日に2年ぶりに運転を再開したSL山口号の写真を撮りに出かけました。

といっても撮り鉄の趣味があるわけではありませんので、思いついた場所は山口駅近くの陸橋の上です。

事前に調べた時刻表では、津和野からの折り返し運転で山口駅を出発するのは午後5時40分。少し前に陸橋で待ち受けます。同じようなカメラを構える人が、10数人います。

「ボー」という汽笛が聞こえてきます。山口駅を出発したようです。すぐに黒い煙を吐きながら進むSL山口号の先頭が目に入ります。

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駅を出てすぐですので、あまり速くない速度で近づきます。スマホのシャッターを押しました。

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バッチリと写っていました。

翌日は、墓参りを終えて、何カ所か市内観光をしました。

最初に訪れたのは、室町時代に山口を支配していた大内氏の館跡に立つ龍福寺の参道です。

新緑のもみじが参道を覆っています。新芽から赤い葉を付ける赤もみじも目に入ります。

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次は、ニューヨークタイムズに「西の京都」と紹介された「西の京」を代表する「国宝瑠璃光寺の五重塔」です。

現在瑠璃光寺の五重塔は、2023年2月からはじまった約70年ぶりの檜皮葺屋根の全面葺き替え工事中のため、工事用シートで覆われているため、本体を見ることができません。

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それでも訪れる人に瑠璃光寺の五重塔を印象づけてもらいたいのでしょうか、五重塔を白くデザインしたシートで覆われています。曇り空でしたが、前の池にシートが映る様子をカメラに収めることが出来ました。

近づくと、内部の工事の様子がモニター画面(写真左下)に映し出されていました。

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修復工事は、2026年3月まで実施されるようです。早く美しい姿をみたいものです。

瑠璃光寺を後にして、山口県庁に向かい,旧山口県庁舎と旧議会棟を訪れました。

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旧山口県庁

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旧議会棟

二つの建物は、1913年(大正2)に起工し、1916年(大正5年)に完成し、西洋の近代的な建築様式と伝統的な和様式が融合した大正建築の粋を集めた貴重な建築物として、現在の新館が完成した年の1984年(昭和59年)1228日に国の重要文化財に指定されています。

ここも何度か訪れたことがあります。いつも年末の休日中でしたので、中を見学したことがありませんでしたが、今年4月から祝日も開館することになったため、今回初めて内部を見学しました。現在は、県政資料館として活用されています。内部の一部を紹介します。

知事室です。天井などにもこだわった様子を見ることができます。

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当時の議会です。当時使われていた資料が展示されています。

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その一つ、議員の座席を決めるくじです。当選回するに関係なく議席の位置を決めていた時期があったようです。

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山口県庁が建つこの場所は、1863年(文久3年)藩主毛利敬親が、幕末の有事に備え、萩から山口に移し、翌年に山口御屋形(山口城)を竣工させたのが,山に囲まれた天然の要塞であったこの場所です。砲台や土塁、水濠を備えた近代的な西洋式城郭だったようですが、現存するのは正門であった藩庁門、堀、土塁です。

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約2時間あまりの市内見学でしたが、静かな良い街だと言うことを改めて実感しました。

いのちとうとし

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2024年5月 6日 (月)

ヒロシマとベトナム(その58-2) ~南シナ海をめぐる動向-2の2~

ベトナムの「4つのNO」原則

「古来よりわが領土」と主張する南シナ海をめぐるベトナムと中国の争いは、主なものだけでも1974年のホアンサ諸島戦争(英名:パラセル諸島、中国名:西沙諸島)、1988年のチョンサ諸島(英名:スプラリー諸島、中国名:南沙諸島)ジョンソン島での衝突、2011年の中国監視船によるベトナム国営石油会社の探査船敷設ケーブル切断事件、2014年のトンキン湾」での中国漁船によるベトナム漁船衝突・沈没事件(3人負傷)が挙げられます。2019年にも中国の資源調査船が、ベトナムが管理するスプラトリー諸島のバンガード堆近海で調査活動を行うなど緊張関係が続いています。

   

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筆者作成(原爆資料保存推進協議会「原爆展」用に作成した表)

1,400kmにも及ぶ国境線を持つ中国とベトナム。古くは紀元前から約1000年にわたる中国によるベトナム支配、近年では双方3万人もの戦死者を出した1979年の中越戦争、同じく5,000名を超す犠牲者を出した1984年の国境紛争など対立は南シナ海にとどまりません。

両国関係の帰趨は南シナ海、アジア全体の平和と安定に欠かすことのできない重要課題です。

ベトナムは、2020年に従来の(1)「同盟関係を結ばない」、(2)「外国の基地をベトナムに置かない」、(3)「2国間の紛争に第三国の介入を求めない」という原則に、「他国との関係において武力の使用や威嚇を行わない」を新たに加えた「4つのNO」原則を掲げています。

こうしたベトナムの姿勢が高まる南シナ海の緊張を和らげ、平和的解決へと進むことに期待しています。

次号では南シナ海で緊張を高めているもう一つの側面、中国とフィリピンの関係を見てゆきたいと思います。

(2024年5月6日、あかたつ)

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2024年5月 5日 (日)

ヒロシマとベトナム(その58-1) ~南シナ海をめぐる動向-2の1~

両国とも「古来、わが領土」と主張

南シナ海で繰り広げられている中国、台湾、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイの6カ国による領有権争い、ベトナムと中国の関係を見ることにします。

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(資料をもとに筆者作成)

両国とも「古来、わが領土」と主張しています。中国はその根拠として幾つかの文献名を上げていますが、最も古いのが中国は元の時代の航海家、汪大淵(おうたいいん)が1350年に南海諸国を旅行して得た見聞を地理・物産・風俗をまとめた『島夷志略』(とういしりゃく)です。他にも明の時代(14世紀後半~17世紀中頃)に書かれた『順風相送』、明から清の時代に漁師が書き伝えた航海伝書の『更路簿』などが挙げられています。

2017年5月2日、中国共産党・中国外文出版発行事業局が管理・運営するニュースサイト「中国網」(チャイナネット)の日本語版が、「漁師が伝える南中国海における航行経験の秘本」として『更路簿』を取り上げ、「中国の漁師は正確な地図とナビがない時代でも、順調に南中国海で操業し、南洋に下り取引を行うことができた。これはすべての船長が必ず持つ航海図だった。記載されている航路、航海要領、気象・水流は、多くの漁師がその血で手にした『命の航路』だ。西沙・南沙諸島が中国の領土・領海であることの、力強い証拠となっている。」と報じました。

中国学者である斎藤道彦氏(中央大学名誉教授)は、『南シナ海をめぐる領有権対立の歴史』の中で、「(『島夷志略』は)中国がこれらの島々を『命名した』という主張は『南海諸島』に関しては見られず」、「歴史的資料の根拠とする部分の記述の具体的引用も見られない」、「『順風相送』は航海のルートを示したもので領土・領海を示したものなどではない」と述べています。また『更路簿』についても、「内容は南海諸島への往来やそこでの生産活動のための航海案内書」であり、「中国の各王朝に領有意識」や「実効支配があったということも確認できない」と述べています。

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2017年5月2日配信の「中国網」(チャイナネット)より

一方、ベトナムも「古来、チュオンサ群島とホアンサ群島はベトナムの領土であった」と主張しています。

1979年9月28日、ベトナム外務省・国家国境委員会が発表した「ホアンサ・チュオンサ両諸島に関するベトナムの主権」、全96頁をアジア・アフリカ言語文化研究所・研究員の西野範子さんが2012年に翻訳されています。それには、1701年にフランスから中国に渡った宣教師の手紙に「パラセルはアンナン王国に属する」と書かれていること、「1774年、阮(グエン)朝下で作成された地図にバイカットバン(黄砂の浜)の一部がベトナム領として描かれている」こと、「阮朝が毎年調査団を派遣し多くの船舶が遭難・漂着した祭に残された銀や羊毛、象牙、磁器などの財貨、ナマコやタイマイ、巻き貝などを持ち帰っていた」などの記録をもとに、「ベトナム人民は、ホアンサ諸島とチュオンサ諸島を発見し、ベトナムの国家はその2つの諸島に対し、真に、連続的に、平和的に自国の主権を行使してきた。」とのベトナムの主張が訳されています。

前述の斎藤中央大学名誉教授も、「杜柏(トバ)が17世紀に編纂した『広義地区地図』でグエン王朝によるバイカットバン(黄金海岸)の開発が明記されている」、「1776年の黎貴惇(レイ・クドン)の『撫辺雑録』に記述されたホアンサ及びチュオンサの地理・資源、およびグエン朝が両群島の開発にあずかってきた歴史により、南海はベトナムの生活と支配の領域にあったと主張している」と紹介しています。

(2024年5月5日、あかたつ)

【編集者】「ヒロシマとベトナム(その58)」は、あかたつさんの了解を得て、今日、明日の2回に分けて掲載します。

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2024年5月 4日 (土)

2024平和といのちと人権を!5.3ヒロシマ集会に450人が結集

戦争させない・9条壊すな!ヒロシマそうがかり行動実行委員会が、毎年5月3日に開催する「平和といのちと人権を!5.3ヒロシマ集会」が、広島弁護士会館で昨日午前10時から開催されました。主会場の広島弁護士会館を始め、5つのZOOM会場を結んでの今年の集会には、450人が参加しました。

山田延廣世話人の主催者あいさつのあと、ジャーナリストで和光大学名誉教授の竹信三恵子さんの記念講演が始まりました。

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講演のタイトルは「憲法9条で生活破壊を止めようー戦争が起きる前に人が死ぬー」です。

竹信さんの講演は、こんな問いかけから始まりました。

「戦争、軍拡は政治・外交だけの問題とおもっていませんか?」

軍拡二法によって、税のバケツに穴ができ「社会保障のための増税」のつもりが,その穴から軍事費へと流れていく。以前は9条がその穴を塞いでいたが、その穴が空いたことによって軍事費が拡大し、社会保障費は削られ、命を失い、奪われていくことになるとの指摘です。

ここから戦前の軍事費拡大の歴史、戦後の9条と手を結んで進んできた生活改憲を紹介しながら、「ここが空洞化されているが,変なことをするたびに私たちが押し返しているから今、何とかこの程度でもっている」と、私たちの運動の大切さを強調。

現在進む非正規雇用者の増大、家制度の復活などの実態具体的に紹介し、さらに安倍政権以降、軍事費が防災関係予算を上回り始め、現在では軍事費の4分の1に防災予算が削減されていることを紹介しました。「いざと言うときには『募金を集めろ』で良いのですか。」

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そして最後に「戦争はどのように始まる前に人を殺すか」を・老老介護殺人、生活保護を受けられないで死んでいく人などなど、今私たちの周りで当たり前にように起きている事実を紹介し、その言葉の意味を強調されました。

少し違う角度からの憲法9条論によって、9条の大切さを学んだ講演でした。

講演のあと、l女性会議の佐藤奈保子さんが下記の集会決議を提案し、全体の拍手で確認しました。


ヒロシマ憲法集会決議

 今日の憲法集会で私たちは竹信三恵子さんから「憲法9条で生活破壊を止めようー戦争が 起きる前に人が死ぬ」ことを学びました。このスローガンを大きく掲げ、戦争を止める、日 本を戦争に巻き込ませない、憲法を守り発展させる運動に邁進することを決議します。

世界で戦火が拡大し市民の犠牲が増えています。ガザでウクライナで、とりわけ子どもや女性たちのいのちが奪われています。ヒロシマは即時停戦、市民を殺すな、子どもを殺すなと強く訴えます。

岸田文雄首相は4月10日に発表した日米共同声明で、自衛隊が事実上米軍の指揮統制のもとに置かれることを約束しました。バイデン大統領は、日本の防衛費倍増計画、反撃能力(敵基地攻撃能力)保有、自衛隊の統合作戦司令部設置に賛辞を送っています。日米軍事同盟が一層強化され、戦火がアジアに拡大するとともに米軍の軍事行動に自衛隊が参加する恐れが強まっています。

その一つとして、呉市では海上自衛隊呉基地が日鉄呉製鉄所跡地に拡充され、日本有数の「複合的な防衛拠点」になる計画が持ち上がりました。沖縄や南西諸島に、中国を狙ったミサイルや武器を送る兵站拠点になる動きと連動し、再び軍事基地ヘと機能が強化されようとしています。広島湾には海田の陸上自衛隊第13旅団、岩国の米軍基地が立地しており、これらが合同して戦争準備の体制を整えようとしています。そのために「戦争法」が制定され、かつ「経済安保法」「重要土地利用規制法」「共謀罪法」「特定機密保護法」という市民への監視強化の悪法もつくられました。これらの悪法を速やかに廃止させましょう。

広島市においても、松井一実市長は、G7サミット直前に米国政府から要請されたパールハーバー「軍事公園」と広島平和記念公園の姉妹公園協定を、市民と議論することもなく米国大使館に出かけて調印しました。また職員研修での教育勅語引用ヘの市民の抗議の声を無視するばかりでなく、ガザの即時停戦を求める声明を発することも拒否しています。

自民党・岸田政権にとって、憲法の平和主義、基本的人権の尊重、国民主権は、戦争できる国づくりの足かせになっています。だからこそ是が非でも改憲したいのです。しかし、いま政治が行うべきことは、アベノミクス失敗による円安物価高と日本の産業力低下によって苦しむ市民の暮らしを守ることです。ミサイルよりも物価対策、少子化対策、教育費無償化など様々な暮らしの課題に正面から向き合うことです。

 政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように、「戦争させない!9 条壊す な!」の運動を力強く進めていきましょう。


竹信さんが、講演の中で何度も取上げた女性を取り巻く状況(特に労働現場で)については、著書『女性不況サバイバル」(岩波新書2023年7月20日刊)に詳しく書かれています。

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ご一読をおすすめします。

いのちとうとし

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2024年5月 3日 (金)

急ぐ必要のない憲法改正―国民の声は!

今日の憲法記念日に合せて、マスコミ各社は、例年のように憲法に関する世論調査の結果を発表すると思われます。

昨日の中国新聞の一面には、共同通信が行なった世論調査結果が紹介されていました。

それによると憲法改正の国会議論に関し「急ぐ必要がある」と答えた人が33%にとどまり、「急ぐ必要がない」と答えた人が65%と大きく差が開いたと報じました。

さらに「改憲の進め方」は、「慎重な政党を含めた幅広い合意形成を優先すべきだ」と答えた人が、72%に達したことも報じています。

この数字を見て、私が感じたことは、国会における、というより衆議院におけるといった方が良いと思いますが、「改憲ありき」の論議が強調される動きが、いかに国民の意思と乖離しているかを表しているということです。

約2年10ヶ月、憲法審査会の前身である憲法調査会に委員として籍を置き、オブザーバー幹事として憲法調査会の運営に関わってきた経験を持つものとして、現在の憲法審査会の運営のありように強い疑問を感じていましたので、余計に国民と国会議員の乖離の実態に,やはりそうなのだと感じます。

2000年1月に初めて衆参両院に憲法調査会が発足して以来、すでに23年以上の時間が経過していますが、何故に改憲への道が遠いのかを「憲法改正」を声高に唱える人は、考えてみる必要があると思います。

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衆議院憲法審査会のホームページには「憲法審査会とは」として「憲法審査会は、日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的に調査を行い、憲法改正原案、日本国憲法に係る改正の発議又は国民投票に関する法律案等を審査する機関です。」と書かれています。

憲法審査会は、ただ「憲法改正」だけを目的としているわけではありません。「日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的に調査を行い」と、「広範かつ総合的な調査を行なうこと」も求めていますが、現在の憲法審査会が果たしてこの役割を充分に果たしていると言えるのでしょうか。

答えは「NO」です。

集団的自衛権を求めた「安保法制」、そして岸田首相が進める日米軍事同盟の強化、武器輸出の緩和などなど、日本国憲法を全く無視した政策が大手を振って進められ,憲法と乖離してしまった政治の実態とその原因をこそ、広範かつ総合的に調査するのが、憲法審査会の役割のはずです。

このような憲法を軽んじ無視する人々によって、憲法が変えられるとすれば、「改憲」された憲法も遵守されるという保証はありません。

私が体験した憲法調査会では、改憲を求める人たちも,できるだけ幅広い賛同を得るために、小さな政党の意見もくみ上げて運営するという努力がされました。果たして今はどうでしょうか?

当時の憲法調査会を振り返ってみますと、「憲法と現実が乖離しているので、憲法改正が必要だ」と言うことが強調されていました。これに対し、私は「憲法と現実が乖離しているとするならば、何故そのような乖離を起きたのかをきちんと調査することこそこの調査会がやるべき役割だ」と繰り返し主張してきました。この私の意見が採り上げられることは残念ながらありませんでしたが、私は今でもその主張は間違っていなかったと思っています。そして強調したいのは、当時一番小さかった党の私でも、そうした意見が自由に表明できた事実です。

今、憲法審査会にはそんな空気があるのでしょうか。

憲法改正を主張する人たちには、先の紹介した世論調査の結果を素直に受け止め、国の基本法である憲法を変えること責任の重さを自覚して欲しいと思う憲法記念日です。

いのちとうとし

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2024年5月 2日 (木)

エビネラン

毎月4回、きれいな写真入りの「ブルベリー農園」便りを届けていただく遊川さんから、一昨日「エビネ開花の件」のタイトルで次の4枚の写真が添付されたメールで届きました。

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最後の写真を見るとエビネランの花の色は、多種多様だということが分かりますし、ずいぶん咲き誇っているように見えますが、遊川さんのメールには、「まだ満開ではないです」と書かれていました。

様々な色の花が咲いている中で、何故最初の3枚(うち2枚は同じ花)だけ大写しの写真が送られてきたかです。

実は、数年前(確か2020年だったと思います)に、遊川さんからエビネの苗2株を送っていただいたことがあります。その2株は、一昨日届いた写真の1枚目(やや茶色がかっている)2枚目(鮮やかな黄色)の種類でした。遊川さんは、その時のことを覚えており、「そちらはどうですか」との問いを込めて写真を送ってくれたと思います。

一株づつ別の鉢に植えたわが家のエビネも、その後毎年きれいな花を咲かせ,楽しませてくれていますので、その様子を2022年にはブログで紹介しました。

さて今年のエビネです。

一鉢は、見事に花を付けました。

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ところがもう一鉢は、5株も伸びたのですが、葉だけ繁って花芽が伸びてきません。

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2022年のブログにも「左側の苗は、昨年は芽を出したものの、花が付くことはありませんでした。」と書いていますので,芽だけ伸びて花を付けないことがあるようです。今のところ原因は不明ですが、来年のため少し勉強してみなければと思っています。

ついでの話しですが、わが家に1本だけしか育っていないブルベリーですが、花は終わり何個か実を付けています。

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「たわわに実った」と言うわけにはいきませんが、きちんと色づいてくれるか楽しみです。

わが家で年を越えた胡蝶蘭が何株も花を咲かせ始め楽しませてくれていますが、今日は遊川さん関連の花たちだけの紹介にします。

いのちとうとし

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2024年5月 1日 (水)

2024平和といのちと人権!5・3ヒロシマ憲法集会

77年を迎える憲法記念日の5月3日、「戦争をさせない・9条壊すな!ヒロシマそうがかり行動実行委員会」は、午前10時より広島弁護士会館で「2024平和といのちと人権!5・3ヒロシマ憲法集会」を開催します。参加費は、資料代として500円です。

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今年のテーマは「憲法9条で生活破壊を止めようー戦争が起きる前に人が死ぬー」で講師は働く場での性差別や非正規労働者の貧困問題に取り組むジャーナリスト・和光大学名誉教授の竹信三恵子さんです。

竹信さんは、「異様な軍拡の話を聞いたとき、戦争が起きる前に人が死ぬと思った」と語り、最新著「女性不況サバイバル」(岩波新書2023年7月)では、「コロナ禍、世界各地で『女性不況』と課題視されたにもかかわらず、なぜ日本の女性たちの雇用危機は無いことにされ、放置されてきたのか。」を問いかけています。

・コロナ禍で解雇されると路上生活を強いられる貧しい国・共働きをしたいと生活できなくなったのに、「日本型家制度」に未だに縛られて、女性は補助労働、男性は稼ぎ手として長時間労働を強いられる国(集会チラシより)

私も初めて聞く講師ですが、期待は大です。

昨日は、竹信さんの講演資料や参加団体の集会チラシなど当日会場で配布する資料の帳合いが行なわれました。

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私の住むビルの4階にある事務所で行なわれましたので、私も参加しました。それぞれの団体から約10枚あまりのチラシが用意されていましたが、10人あまりでの作業でしたので、30分ほどで終了し,当日の配布を待つだけです。

資料が足りなくなるぐらい多くの人に参加して欲しい「2024年ヒロシマ憲法集会」です。

なお、千人委員会・平和運動センターは、主会場の弁護士会館とZOOMで結ぶ自治労会館,福山「雅」ヘの参加を呼びかけています。

いのちとうとし

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