去る5月4日に行なわれた在ブラジル被爆者と岸田首相の面談の様子について、在ブラジル被爆者の渡辺淳子さんからメールが届きました。本人の了解を得ましたので、そのまま全文を掲載します。
この4日の岸田首相サンパウロ訪問での我々被爆者との面会については、各新聞社が掲載記事を出していますので様子はご存知の事と存じます。
只、この件が決まるまでは、中々はっきりとした日程・時間が変わりまして最後まで落ち着きませんでした。
一度は、キャンセルと言う事までありましたが、岸田首相の思いと考えますが、どうにか短い時間での面会が出来ることが決まり安堵しました。
こちら秋とは言え連日の真夏日でした。
私は、息子が車で会場まで送ってくれましたが、会場に入る為に道一杯に並んで大勢の人達がいるので離れた所で車を降りて会場に行きました。
私達招待者は、別入口より責任者が誘導して下さり入りました。
一般の人は、セキュリチーチェックが行われていました。
会場は大勢の人と熱気であふれ日伯の国旗を持ち、岸田首相の到着されると、両国旗を振りながら声を出してお迎えし、しばし平和ムードがあふれていました。
歓迎セレモニーが終わるまで私達(森田隆氏、盆子原国彦氏、渡辺淳子、斎藤綏子さんの招待4人)は、特別設置スペースで待っていました。
左から盆子原さん、森田さん、渡辺さん
当日は、被爆者4名、と広島県人会4人ずつの招待者で、最初に我々4人の被爆者が先に面会いたしました。私達の面会が終わってから、広島県人会の招待4人が入りました。
そのルームには、赤白の幕が内部に張られて前中央に岸田首相様の椅子が有り右横に私達4人の椅子と左横に椅子が同じくありました。
岸田首相が入ってこられまして私達は立ち上がりまして挨拶致しました。そのまま、皆座らずに首相が話され始めて(面会時間は2分と綏子さんには領事館よりと言われていたそうですが、私は只短いと言う事しか知りませんでした)。結局、5分くらいの時間だったそうです。
首相のお話は、まず、我々が今まで被爆者として、ブラジルでの平和活動を続けて来られた事を自分は聞いて存じていますと言われ、我々への労いのお言葉を頂きました。
次に、森田さんが自分のポルトガル語の自伝本を渡され、綏子さんがその内容の説明をされました。
次に渡辺が、在ブラジル被爆者協会30周年記念として出版しましたと言う事をお話して、「南米在住ヒバクシャ魂の叫び」の本をお渡ししましたら、ぱらぱらとめくってくださって、「日本語ですね、これなら読めるから後で読ませて頂きますと仰いました。
次に、盆子原さんから、お願いが有りますと問いかけて、「核兵器禁止条約への加入をお願い致します」と言うと、首相は、「まずは、核保有国を条約に入れる努力をする必要があるので努力しています」等のお話をされました。
そして、首相より、森田さんもう一度と言われ、握手されました。
そして、これからも健康に気をつけてお暮しくださいと言うようなお話をされたと思います。
その後、私は、首相にお体には気をつけて下さい、そしてもう一度お目にかかりたいと思いますと言いましたら微笑んで頂きました。
その後皆がそれぞれ同じような事を言われたように思います。
それで我々4人は外に出ました。
入れ替わりに、広島県人会4人が入室しました。
ルーム前に総合写真を撮るための椅子がそろえてありました。
中央に岸田首相の名前が有り、向かって右側我々被爆者4人が座り、左側に広島県人会4人が座り記念撮影がされました。
それで終わりました。
以上が岸田首相面会時の流れです。
総合写真は、先ほど領事館へ問い合わせましたら、連絡が来たらお知らせしますとの返事が来ましたので、
写真が届きましたら又、ご連絡いたします。
只、面会前、特別スペースに入る前に私達3人が撮った写真が有りますのでお送り致しますのでご覧頂ければと思います。
会場となった建物は、名称「ブラジル日本福祉協会」と言い、我々は普通「文協」と言って親しんでいます。
1955年に創立されました。移民資料館、大講堂、など色々な活動の場が設けられています。
【編集者】文中の「斎藤綏子さん」は、森田隆さんの娘さんで、掲載した写真は斉藤さんが写されたと思われます。
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