「イペの花の下の被爆者」在ブラジル原爆被爆者協会資料展
3月15日から5月17日までを会期に広島大学医学部医学資料館で、2023年度広島大学原爆放射線医科学研究所(以下「原医研」資料展「イペの花の下の被爆者 広島県医師会に寄贈されたザイバルジル原爆被爆者協会資料の紹介」が開催されています。
在ブラジル原爆被爆者協会から広島県医師会に寄贈された資料の展示は、昨年8月に広島医師会館で行なわれ、その様子は昨年8月26日のブログ「在ブラジル原爆被爆者協会資料」特別展: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で紹介しましたが、その時は資料のごく一部の展示でした。
今回の展示は、まとまった形での展示と中国新聞に報じられましたので、改めて行ってきました。
会場に着くと、今回の展示会のタイトルは「イペの花の下の被爆者」となっています。「イペとは?」と思ったのですが、会場に置かれた資料に次のように説明文が付けられていました。
「写真の花が『イペ』です。『コガネノウゼン』とも呼ばれます。いくつかの色の花を持つイペの、特に黄色の花はブラジルの国花です。この花は『ブラジルの桜』とも呼ばれ、ブラジルに渡った日本人の励ましとなったそうです。」
会場は、広大医学部医学資料館の2階です。1階の受付で名簿に記載し、2階に上がります。2階は、医学関係の展示がたくさん並んでいますが、真ん中ほどに「在ブラジル原爆被爆者協会の資料」が展示されています。
昨年の広島県医師会より広いスペースがとられています。広島県医師会での展示との大きな違いは、在ブラジル被爆者協会の活動の様子から展示が始まっていることです。スタートは、「南米在住ヒバクシャ 魂の叫び」(2014年発刊)に掲載された渡辺淳子さん(2歳被爆)の体験記の全文です。このコーナーを進むと、「402号通達と在外被爆者の訴訟」の展示もあります。その中の次の一文が目にとまります。「2001年の集団訴訟。原告となった在外被爆者の心持ちである。在外の地、日々共に暮らす大多数ではないコミュニティのなかで、母国に裁判を起こすことは重大だ。足並みも最初から揃うわけではない。立ち上がること、運動を続けること、理解を広げていくことを担う覚悟を思う」
この文章は、誰が書かれたものかは分かりませんが、当時の在外被爆者裁判を取り組んでいた頃のことを思い出しながら読みました。
1988年にブラジル相互協会、ブラジル被爆者協会、在白長崎県人会、在白広島県人会が協力して長崎の平和公園に贈った「祈平和」と刻んだ碑の取り組みを伝えるブラジル相互協会の1989年3月①日付「会報」の現物(森田隆さんの姿も映っている)や、医師団派遣に対する「お礼状」なども展示されています。
寄贈された資料の紹介の中で一番スペースを割いて展示されていたのは、1988年に行なわれた「南米5カ国原爆被爆者実態調査」です。
昨年県医師会館でみたときには、表紙だけしか見ることができませんでしたが、今回の展示では、原医研がまとめたと思われる分析も同時に展示されています。興味深い項目もありますので、この内容については、次回(9日)紹介します。
いのちとうとし
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