古代出雲と備後―古代出雲文化フォーラム
3月9日午後1時から広島国際会議場で島根大学主催の「古代出雲文化フォーラム」が開催されました。
「出雲」と聞いただけで、「とにかく参加しなければ」と、1月下旬にネットで参加申し込みをしました。
当日の参加者は、300人ということで、関心の高さを伺わせました。
この「古代出雲フォーラム」は,「古代出雲文化を通じて島根県の歴史、文化や風土、そして島根大学の学術研究の成果等を全国に向けて発信するものとして、古事記編纂1300年に当たる平成24年(2012年)度に東京において第1回を開催して以来、全国各地で開催して参りました。」(当日配布されたパンフレットより)そうです。ちなみに広島では、平成25年(2013年)度に一度開催されていますので、今回が2度目の開催となります。それぞれの開催地域と出雲との結びつきを中心にテーマが設定されています。
今回のテーマは「古代出雲と備後」で、第1部のシンポジウムでは3つの講演「1,弥生時代の備後・安芸と出雲・石見の交流、2.国史跡寺町廃寺跡が語る備後と出雲、3,出雲と備後を結ぶ道」がありました。その内容を簡単に紹介します。
「弥生時代の備後・安芸と出雲・石見の交流」の中心テーマは、弥生時代中期に広島県三次市や島根県出雲市で築造された「四隅突出型墳丘墓」から、両地域の繋がりを示す内容でした。
「国史跡寺町廃寺跡が語る備後と出雲」は、三次市にある「国史跡寺町廃寺跡」から見えてくる備後と出雲の繋がりを、屋根の軒に取り付けられた「軒丸瓦」のつくり・文様が同じものであることから「備後と出雲に深い繋がりがあった」ことの報告でした。紹介された「国史跡寺町廃寺跡」は、初めて聞く史跡ですが、大きな伽藍があったようですので、一度訪れてみたい史跡です。
「出雲と備後を結ぶ道」では、天平5年(733年)に完成した出雲風土記に、この両地域を結ぶ道が5つ存在していたことが記述されており、両地域に深い繋がりがあったという報告でした。ちなみに「出雲風土記」は、ほぼ完全な形で残る唯一の風土記として貴重なものです。
私が特に興味を持ったのは、最初の二つの報告です。二つの報告は、いずれも「備後地域で発祥し、それが出雲に伝搬した」というものでした。意外と言えば意外なことです。私は、「出雲は古代の中心だった」と思っていましたので、頭をガツンと打たれたような思いになりました。
第2部は、島根大学の取り組みが紹介されましたが、ここでは省略します。3時間半の長いフォーラムでしたが、もう一度古代の歴史を学び直さなければと思わされた「古代出雲文化フォーラム」でした。
いのちとうとし
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