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2024年1月11日 (木)

中国新聞「私の道しるべ」余話

中国新聞には、毎週月曜日に1ページ全面を使って「平和」についての特集した紙面があります。私も楽しみにしているコーナーです。

今年最初となる1月8日の紙面(11面)では、「私の道しるべ ヒロシマの先人たち」として、日本被団協初代理事長藤居平一さんと森滝市郎先生の二人が取上げられました。

森滝先生については、私に要請があり、昨年末に3時間あまり中国新聞記者に私の思いを語りました。3時間あまりの話を、あの字数でまとめるのは大変だったと思いますが、当日の紙面を見て、よくまとめてもらったと思いました。

この紙面を読んだ読者の何人かから「よい記事でした」と連絡がありました。

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依頼を受けたとき、「私でよいのか」との思いもあったのですが、森滝先生のことをもっと知ってほしいとの思いをずっと持っていましたので、引き受けることにしました。1月1日のブログにも書きましたが、森滝先生が亡くなられて、今年で30年です。森滝先生と直接接したことのある人もだんだん少なくなっていますので、あんなこと、こんなことを語っておくべきだったという反省も多くあります。

例えば、「核と人類は共存できな」です。この言葉は、特に2011年の東日本大震災による東京電力第一原子力発電所事故以来、多くの人によって使われる言葉となったのですが、1975年、最初のこの理念を提起されたのが森滝先生だったことを知る人は少なくなりました。「核と人類は共存できない」の言葉には、ウランの採掘から始まる核被害者への深い思いがあることも伝えたかったことの一つです。また、子どもの素朴に疑問に応えるために導き出された座り込み行動の理念である「精神的原子の連鎖反応が物質的原子の連鎖反応に勝たねばならぬ」の言葉の意味もそうです。

さらに、これが一番大事なことかも知れませんが、文中「理念を行動で示す。僕もそうありたい」と書かれていますが、「生涯行動をし続けられた」という言葉を付け加えたいと思います。亡くなられる半年前、92才でなお、慰霊碑前の座り込みをされた姿は、忘れることができません。「僕もそうありたい」という言葉には、「私も森滝先生のように生涯反核運動を続ける」との想いを込めたつもりです。

反省点はいろいろありますが、公的とも言える中国新聞の紙面を通じて、森滝先生の思想、運動への姿勢の一端を私の言葉として語ることができたことは、本当に幸せなことだと今思っています。

森滝先生と行動を共にしたときのことを思い出しながら、森滝先生の足跡に少しでも近づけるようにがんばりたいと改めて思っています。

なお、中国新聞のホームページ[私の道しるべ ヒロシマの先人たち] 被爆地から訴え 運動の礎…藤居平一と森滝市郎 | 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター (hiroshimapeacemedia.jp)に記事が掲載されていますので、ここから検索することもできます。

いのちとうとし

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