ヒロシマとベトナム(その53-1) ~日越外交関係樹立50周年記念訪問―その2-1~
「クアンチ省地雷処理支援センター(QTMAC)」視察
ヴォ―・ヴァン・フン省知事との会見、少数民族寄宿高等学校での奨学金授与式、省教育訓練局との交流というミッション(公式行事)を終えた翌日、11月3日は「訪問団」2つ目の目的、終日「ホアビンTour(平和の旅)」です。
クアンチ省は旧南北ベトナムの軍事境界線だったベトナム戦争最大の激戦地。全面積4,745.7㎢の82%に不発弾や地雷が残る、ベトナムでも高い「地雷・不発弾・枯葉剤の汚染地域」です。中でもクラスター爆弾による汚染は、最も高い地域の一つと言われています。訪れたのはドンハ市内にある地雷や不発弾処理と被害防止や支援を行っている「クアンチ省地雷処理支援センター(QTMAC)」。
下の地図の赤色が地雷や不発弾が残っている場所を示しています。センターでいただいた地図を分かり易くするために地名と説明を入れました。地図上部(北)のグリーンベルトが軍事緩衝地帯で、これを挟んでベトナムは南北に分断されていました。右(東)は南シナ海、左(西)はラオスです。南シナ海からラオス国境まで最も短いところで約50㎞です。ラオス国境近くの赤い部分は1968年1月から4月にかけて、米軍ケサン基地をめぐる「テト攻勢」が戦われたところです。
地図を見ると、クアンチ省全域が赤く地雷と不発弾に汚染されていることが分かります。中でもクアンチ町を見てください。白丸で囲んでいる町の全域が真っ赤に塗りつぶされています。
地雷と不発弾に汚染されたクアンチ省
ベトナム戦争最大の激戦地 = ベトナム最大の地雷・不発弾の汚染地
1972年3月、南ベトナム解放民族戦線と北ベトナム軍が、アメリカ軍と南ベトナム軍が支配するクアンチに攻勢をかけました。軍事境界線に接し、北ベトナム侵攻の足掛かりとなる最北端の米軍基地をめぐる歴史的な攻防が始まったのです。幾度かの激闘の末、5月1日、クアンチは北ベトナム・南ベトナム解放民族戦線に明け渡され、人民軍はクアンチのシンボルであるクアンチ古城に陣を構えました。
ところが、南ベトナム大統領グエン・バン・チュウは失地回復に向けて米軍とともに総攻撃をかけ、6月28日から9月16日までの81日間にわたる激戦が繰り広げられました。センター長は、「わずか3平方キロメートルのクアンチ古城に、32万8千発もの砲弾が撃ち込まれ爆弾が投下された。その威力は広島の原爆7発分に相当する」と説明。実に、1平方メートルに110発という凄まじい数の砲爆弾が撃ち込まれたことになります。
ほぼ省全土が激しく汚染されている中でも、とりわけクアンチ町が最も汚染度が高く真っ赤に塗り潰されている理由が頷けます。クアンチ古城の戦いで亡くなった人数は、「正確には把握されていないが、チュオンソン戦没者墓地に約1万名が葬られていることから、犠牲者は1万名余りとされている」とのことです。
81日間に及ぶ激戦を通しクアンチ古城を守り抜き、米軍と南ベトナム軍を撃退したこの戦いが、その後のベトナム戦争の帰趨を制します。翌年の1973年、「パリ協定」に基づき米軍が撤退、1975年4月30日の「サイゴン解放」による祖国統一へと、大きな転換となったのがクアンチ古城の戦いです。
(2023年12月4日、あかたつ)
【編集者】毎月5日に掲載している「ヒロシマとベトナム」ですが、その53「~日越外交関係樹立50周年記念訪問―その2」は、長編ですので、今日から3回に分けて掲載します。今日はその第1回です。
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