「広島ブログ」

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2023年12月

2023年12月31日 (日)

2023年12月のブルーベリー農園その4

安芸区の自宅から東広島市豊栄町のブルーベリー農園に行って農作業を続けているが、17日の初雪に続いて23日にも雪が降った。この日の朝はこの町ではマイナス6度にまで気温が下がりとても寒かったそうだ。しかしその後は穏やかな日が続いて農園の雪もすっかり溶けて1014度くらいの気温で足の指のしもやけにもなることなく農作業ができた。2000年の10月から始めたブルーベリー栽培も大きなダメージもなく生育してくれていて、これからも冬から春まで1本1本ブルーベリーの剪定作業が続く。

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12月23日(土)

ブルーベリー農園のある豊栄町は朝の気温がマイナス6度だったと聞いた。作業する日中も02度くらいで気温が上がらない一日だった。

①農園の管理するため池の見回りに行くと池の全面は厚い氷で覆われていた。

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②そのあたりにあるヒノキ林。ひたすらしぃーんという音が聞こえそう。

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③滑らないように気を付けながら里山のブルーベリー園の剪定を続ける。

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12月26日(火)

雪は消えて里山のエビネのあるあたりには横に這うキイチゴがまだ落ちずに赤い実をつけている。

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12月29日(金)

ブルーベリーの葉はすっかり落ちたブルーベリーの枝の花芽がよく見えるようなった。

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里山西側のブルーベリー園で晩生(ラビットアイ系)の剪定を続ける。ここは2000年に植えたところで、木も古くなっているので幹の更新を図るためばっさり切っている。

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剪定が終わった木々。

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29日でブルーベリー農園での農作業はおしまい。

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晩秋に小さい畑に黄色のビオラを一株植えたのだが、気温が0度以下になっても花弁がしおれない。丈夫なものだ。

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12月30日(土)

安芸区の自宅から同じ区内にある祖父母の墓の掃除に行ったときに竹やぶに赤いサザンカが目に入った。

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青々とした照り葉も花も生き生きしていて、墓掃除の疲れが和らぐ出会いだった。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

 

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2023年12月30日 (土)

いのちとうとしの今年最後のブログです。

明日31日には、遊川さんの「12月のブルーベリー農園4」を掲載しますが、私の原稿をアップするのは、今日が今年最後です。

遊川さん、あかたつさん、木原さん、イライザさん、広教組の皆さん藤本さん、小川さん、大瀨さんなどなどのみなさんの協力によって、今年も何とか「できるだけ休まない」でブログを更新することができました。ありがとうございました。

振り返ると今年も大変な一年でした。

ロシアによるウクライナ侵略から2年、イスラエルのガザ殲滅軍事行動などなど戦火が絶えず、多くの市民のいのちが奪われました。改めて、戦争は、市民の大切ないのちを奪うものだということを突きつけられました。 

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年末も続く原爆ドーム前の行動

同時に「核兵器は存在することそのものが脅威である」ことを再認識させられて一年でもありました。

国内のおいても・・・・。広島市も、とりわけ松井市長の市政は・・・。

振り返れば、暗い話ばかりのような気がしますが、しかし決して諦めることは許されないと実感した一年でもあります。

このブログでも不十分でしたが様々な問題を取上げてきました。どう受けとめていただいたのでしょうか。

そんな中でも心がけてきたことは、今年もできるだけ、まなびに出かけ、現地に足を運ぶことでした。

そこでは、いつも新しい発見の連続があり、多くのことを学ぶことができたと思っています。

みなさんにとって、この一年はどんな年だったでしょうか。

残された今日、明日の二日間、もう一度この一年を振り返りながら、新たな年への決意を固めたいと思います。

どうか、よい年をお迎え下さい。

いのちとうとし

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2023年12月29日 (金)

高校生が描いた「原爆の絵画展」にまた行ってきました。

平和公園内にある広島国際会議場の地下2階サクラで、来年の1月9日までの日程で、広島基町高校の生徒が描いた『聞き、描く。共に、描く。高校生が描いたヒロシマ『原爆の絵画展』』が開催されています。

この「原爆の絵画展」に行くのは、8月に続いて今年2度目になりますので、「また」と表題を付けました。今回どうしてもと思ったのは、23日に原爆の絵制作生徒による「ギャラリートーク」が開催されたからです。以前にも「ギャラリートーク」は行われたようですが、まだ一度も参加したことがありませんでしたので、今回はぜひにとの思いで参加しました。

これまでにも何度か「原爆の絵画展」を観に行っていますが、生徒の話を直接聞くのは、今回が初めてです。今回のトークでは、3人の生徒の発表がありましたが、ちょっと遅れての参加になりましたので、すでに二人の生徒の話しは終わっており、最後の一人のトークを何とか聞くことができました。

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木村光希さんはこう語ります。「原爆の絵を通して、広島に住む高校生として、平和について向き合う機会を得られてよかった。少しでも多くの若い世代の人や県外に住んでいる人たちの目にとまればよいと思う。なぜ戦争が起きるのかを考える。自分が伝えるには何ができるか、自分には戦争体験がないが、自分が伝えることができるのは?今平和があることがどんなに大切なことかを伝えたい」。

その後残された15分あまりの時間、参加者の質問に答えるかたちでのトークが行われました。

「被爆者の話を聞けば聞くほど、より原爆のことに関心を持つようになり、いろいろ知ろうと努力し、知るようになった。別の場所に行っても広島のことを表現したいと思うようになった。絵を描いたことは、生涯の大切なものになった。」

「広島のことは知っているつもりだったが、被爆者の話を聞いて、これまで全く知らなかったということがわかった。そして平和への関心がより深くなった。絵を描いたことで、平和になるためには、知ることが大切だということを学んだ」などなど。

少し遅れての参加になりましたが、ギャラリートークに参加することができ、初めて制作者の思いを聞くよい機会になりました。

今回の絵の展示には、以前と違う展示方法がとられています。被爆者10人の証言をもとにした絵が展示されていますが、今回は、被爆体験証言者ごとにまとめ、さらに被爆時、直後、避難など時系列の順に展示されています。

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上の写真は、小倉桂子さんの証言を基にして描かれた作品です。右から左に時間が流れ、写真には6枚の作品しか写っていませんが、計7枚が展示されています。他の証言者の絵も同じような並びになっています。

今年8月に亡くなられた中西巌さんの証言をもとに描いた絵2点も展示されています。

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今回展示されている作品は、今年7月に完成した9点を含む約60点です。会場は、今日から1月3日まで休館ですが、1月9日まで開催されています。

いのちとうとし

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2023年12月28日 (木)

修復したのですが

10月29日のブログこれ、壊れていますよね: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で紹介した「NHKのビルが建つ敷地の南東角に設置されている時計」の修復が完了したようです。したようですとは、曖昧な表現ですが。

数日前、散歩の途中で気づいたのですが、NHKビル前の壊れていた時計を見ると、何か以前見た様子と違う違和感を感じます。

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おかしいなとよくよく見ると、以前は残っていた短針も無くなり、真ん中の小さな円は、真っ白になっています。時計としての姿は全くなくなっていますので、修復途中かなと思いNHK広島放送局の受付に行き、聞いてみることにしました。

「あの時計修復が終わったのですか」と尋ねると「そうなんです。古い時計だったもので、部品を取りそろえることができず、時計としての修復はできませんでした。」との答えでした。そういえば、10月29日のブログに「NHKの問い合わせた答えとして『修理を検討しているのですが、何分にも古いもの(ビルが建って30年ぐらい経つ)なので、どう修理するのか手配ができずにいます。オーナーさんとも相談して、どうするか検討中です。』」と書きましたが、結局時計としての修復は不可能だったようです。

1996年3月に完成したこのモニュメントは「宇(そら)の広場」の名称が付けられています。広島城が作られたころ、このあたりまでが海で、太古の昔から月が見守ってきたことを象徴するものとして、海水中の岩(岩礁)を照らし出していた月の推移を三日月と満月で表現したものでした。

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設計者坂上直哉さんは「右側の時計は満月を表現し、左側には三日月を配し、月の推移をあらわすと共に、時の流れを今度はこの大時計が未来に向かって刻むことになる」との想いを込められていたようです。

修復が終わったといっても、時計の針がなくなり未来に向かって時を刻むことはできなくなりましたが、本来の満月としての表現はよりはっきりとしたように思われます。

そんな思いで、このモニュメントがこれからも市民に親しまれればよいなと感じながら、この場を後にしました。

いのちとうとし

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2023年12月27日 (水)

広島県被団協が「教育勅語」問題で広島市長に抗議

このブログでも2度にわたって広島市長が、広島市職員研修において「教育勅語」を引用した問題にいてついて取上げてきました。この問題については、様々な団体が広島市に申し入れを行っていますが、広島県原爆被害者団体協議会も一昨日、箕牧智之理事長と前田耕一郎事務局長、熊田哲治事務局次長の三人が市役所を訪れ、広島市長に対し「抗議文」を提出し、引用を取りやめるよう求めました。これに対し、対応した鍋沢研修所長は、「市長にしっかり伝えます」と回答しました。

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以下にその全文を掲載します。


広島県原爆被害者団体協議会理事長

 箕牧智之 

「教育勅語」の一部を研修資料に使用していることについて(抗議とお願い)

市長におかれましては市民のために日夜尽力されていることに敬意を表します。

市長が広島市職員研修の資料において、「教育勅語」の一部を引用していることが報道されました。市長は教育勅語について「使い方を誤ったが、中身の部分については評価できる。」として来年度以降も使用を続けるとの考えを示されたとのことです。

私たちは、核兵器はいけない、核兵器は戦争の中で使われたものであるから戦争もいけないと考えています。これは戦争、原爆を経験した者として骨身にしみた思いです。市長も広島の市長としてそのことは十分にお分かりと思います。

市長はなぜことさらに戦前の教育勅語を持ち出されるのですか。市長が一部であれ、戦前の教育理念の根本であった教育勅語を持ち出されることは、市長が戦争へと進んだあの時代の教育を評価しておられるものと感じ、恐れを抱きます。市長もご存じのことと思いますが教育勅語については日本国憲法の精神と相容れないものとして衆議院、参議院それぞれにおいて排除あるいは失効の決議がなされています 。

核兵器に反対し平和を愛する広島市の市長としては戦争へと突き進んだあの時代の教育理念を評価することなどあってはなりません。市長のお考えが教育勅語のある部分と通じるものがあろうと教育勅語を持ち出して紹介することはお止めいただきたいと思います。

私たちは戦争、原爆を招来したあの時代の教育理念が持ち出され、評価されることに反対し抗議します。どうか、平和都市広島の市長として研修資料への教育勅語の引用をお止めください。私たちは市長と共に核兵器のない平和な世界への道を築き歩んでいきたいと思っています。どうかよろしくお願い申し上げます。


以上が広島県被団協の抗議文の全文ですが、ここで付言しておきたいとことがあります。

1948年(昭和23年)6月19日の衆議院本会議において、各派共同提案である「教育勅語等排除に関する決議案」を提案した松本淳造議員は、その提案理由の中で次のように述べています。

「部分的には眞理性を認めるのであります。それを教育勅語のわくから切り離して考えるときには眞理性を認めるのでありますけれども、勅語というわくの中にあります以上は、その勅語そのものがもつところの根本原理を、われわれとしては現在認めることができないという観点をもつものであります。それが憲法第九十八條にも副わないゆえんでありまするので、この際この條規に反する点を認めまして、われわれはこの教育勅語を廃止する必要があると考えざるを得ないわけであります。」

この趣旨弁明を受けた上で、衆議院が全会一致で「教育勅語等排除に関する決議案」が採択したことを改めて強調しておきたいと思います。

余談ですが、松本淳造議員は、1946年4月の衆議院議員選挙で、島根県選挙区に社会党公認で立候補し当選しています。島根の出身者とは意外でした。

いのちとうとし

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2023年12月26日 (火)

広島市長の認識を問う

広島市の新規採用職員研修において、松井市長が「心の持ち方」などとして戦前・戦中の「教育勅語」の一部を研修資料に引用していたことが報道されました。しかも、松井市長就任の翌年である2012年から今年に至るまで毎年、研修資料に引用されているということです。まさか、「国際平和文化都市」を標榜している広島市で、職員に対してこのような研修が行われているとは、思いもよらず、驚きと失望を禁じ得ません。

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引用されているのは「爾臣民 兄弟に 友に 博愛 衆に及ぼし 学を修め 業を習い 知能を啓発し 進んで公益を広め 世務を開き」の部分で、英訳とともに掲載されているようです。

12月11日、松井市長は、新聞記者の取材に対し、「教育勅語を再評価すべきとは考えていない」と断ったうえで、「その中に評価してもよい部分があったという事実は知っておくべき」と述べたと報じられており、同月19日の定例会見においても、「民主主義を取り込もうとしている内容だから評価できるのではないかと、(研修の中で)説明している」と見解を述べています。

しかし、「教育勅語」は、天皇を主権者とする大日本国憲法下で、「臣民に対して発せられた天皇陛下のお言葉」であり、そのすべては「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」に帰結するものです。その教えが、アジア太平洋戦争において、どれだけの若者に犠牲を強いたことでしょうか。その反省のうえに日本国憲法が定められ、国会において「教育勅語」が排除・失効が決議されたのです。

松井市長の言葉からは、明治以降、敗戦までの間、「教育勅語」にもとづく教育によって、多大な犠牲を払った歴史的事実や、「教育勅語」が国会で排除及び失効が決議されたことに対する「重み」が、まったく感じられません。一部であれ「評価してもよい部分」を「教育勅語」から引用することそのものが、日本国憲法の理念や国会決議に反する行為です。

松井市長においては、そのことを真摯受け止めて発言を撤回し、国際平和文化都市の市長として、真に世界の恒久平和につながる発信をしていただきたいと願います。

広教組 森﨑賢司

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2023年12月25日 (月)

23年⇒24年、諦めから希望へ

12月22日、中国電力は上関町の中間貯蔵施設建設調査に向けての森林伐採の届けを、上関町に再提出しました。

中電にとっては急ぐことのない中間貯蔵施設です。関西電力としても福井県にある原発の再稼働を、福井県知事が使用済み核燃料を県外に運び出さなくても実質的に認めたために、上関町での森林伐採も先送りになると楽観視していました。

上関町の周辺市町をはじめ村岡嗣政山口県知事も、中間貯蔵施設に慎重な姿勢になっていたことも、その理由になっていたのです。

中電が上関の周辺市町にどのような「理解活動」をしたのかは、その内容を知ることは難しい部分もありましたが、山口県議会は11月議会最終日の12月15日、市民団体から提出されていた「中間貯蔵施設の問題について自治体などへ丁寧な説明行うことを求める」請願を否決し不採択としました。

この疑問は、伐採届けを提出した翌日の新聞で明らかになりました。経済産業省資源エネルギー庁は、来年度の予算案で山口県と上関町への電源立地対策交付金として、約6億円を盛り込んだと報じました。これまでの交付金上限額、1億4千万円を加えると7億円を超えることになります。

周辺市町も金だったのか、これで周辺市町が「落ちた」と想像しました。電源立地対策交付金は、使い道も金額も決められているのに、好き勝手の使用は許されないことです。

12月20日、中国電力本店前で今年最後の昼休み街頭宣伝を行いました。島根原発の問題点や上関原発のこと、上関町内での中間貯蔵施設のことなどを、寒風が吹く中、10人ぐらいが署名集めをする中でマイクを持ちました。8月には島根原発2号機の再稼働の動きもあります。

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行き交う通行人の反応はそれなりなのですが、中電本店ビルから出てくる人たちの表情は暗い。意気揚々と仕事をしているという感じは受け取れないのです。私たちに対し、抗議の意見を言う人もいません。その顔は、まさに能面仮面という感じでした。

繁華街で街頭宣伝をしていると、たまに「原発は要るわいのう」という意見を言う人がいますが、当事者の中電の人からこういう声は掛けられたことはありません。僕はこういうように話されるのは嫌いではないのですが。

23年は、先輩や「師」としてたくさんのことを教えてもらった人たちとの別れがありました。一方で新たな出会いもありました。

なんといっても嬉しい新たな出会いの場は、広島平和公園を訪れた修学旅行生や労働組合の人たちに碑めぐりガイドをする中にあります。北海道から九州まで人たちとの、「一期一会」の機会は、本当に楽しいものです。

ロシアとウクライナの戦争も中東でのホロコースト(大虐殺)も、解決の兆しが見えてきません。政治のこの現実を解決するための方法が、片方の国への武器提供という知恵も工夫もないやり方には、強い怒りと虚しさとやり場のない悲しみを感じてしまうのです。

中電のカルテル事件で起こした株主代表訴訟の初公判が、2月5日広島地裁で開かれます。最初に意見陳述をすることになっているので、裁判官にも支援に来てくれる方にも、いかに分かりやすく話せば響くだろうかということを考えています。

2025年は原爆投下から80年、改めて「ヒロシマ」に住む者としての使命と責任を感じるとともに、どうにかして「希望」への道に転じたいと思っているのです。                  

私が担当している今年最後のブログとなりました。1年間、読んでいただきありがとうございました。

木原省治

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2023年12月24日 (日)

松井市長の「教育勅語」引用に対し抗議と要請

広島市の松井一實市長が、広島市の職員研修において「教育勅語」の一部を資料に引用していることに対し、広島県平和運動センター・部落解放同盟広島県連合会・自治労広島県本部・広島県教職員組合・広島県高等学校教職員組合の5団体は1222日、代表者5人が広島市役所を訪れ松井市長にあてた「要請文」を阪谷幸春企画総務局長に手渡しました。

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「要請文」では、教育勅語が敗戦後日本国憲法と相いれないとして国会において排除・失効が決議されたこと。とりわけ、決議の趣旨説明で衆議院文教委員長が述べた「われわれは、その教育勅語の内容におきましては、部分的には真理性を認めるのであります。それを教育勅語のわくから切り離して考えるときには真理性を認めるのでありますけれども、勅語というわくの中にあります以上は、その勅語そのものがもつところの根本原理を、われわれとしては現在認めることができないという観点を持つものであります」との発言を紹介し、「全くもって不適切であり、違憲です」と指摘し、使用をやめること、そして全職員への日本国憲法の研修を行うことを求めています。

「要請」は、髙橋克浩平和運動センター議長が主旨を説明、その後、芝内則明部落解放同盟県連書記長、地村高明自治労県本部代表代行、頼信直枝県教職員組合委員長からも一言ずつ思いを話しました。

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これらの声に対し阪谷局長は、「対話がないところに未来はない、との思いで今日は話をしていきたい」とした上で、「市長も核兵器を廃絶し平和な世界を築かないといけないと考えている」「教育勅語を美化するものではなく、どういう面持ちで仕事に取り組まなければいけないかという精神を教える・伝える教材の一つとして使っているというのが本意」と「市長の意図」を説明し理解を求める一方、「(要請について)しっかり市長に伝えたい」と応じました。

 参加者からは、「心配しないでほしいと言われても、心配せざるを得ない。他の教材でも可能では?」「いろんな意見があるのはわかるが、日本国憲法に立脚していなくてはならない。それを否定する内容は、どういう意図であろうと使うべきではないし、注意深く扱ってほしい」等の意見も改めて出されました。

以下に「要請文」の全文を掲載します。


広島市職員研修における松井市長の「教育勅語」引用に対する抗議と要請

平素より、平和行政の推進に努めておられることに、深く敬意を表します。

広島市職員研修において、松井市長が「教育勅語」の一部を資料に引用していることが報道されました。国際平和文化都市を標榜する広島市で、このような研修が行われていることに驚きと失望を抱いています。

「教育勅語」は、大日本帝国憲法下、天皇を頂点とする国家が永遠に続くよう命を投げ出し尽くせよという国家主義・軍国主義の思想を子どもたちに教え込むために使われてきました。敗戦後、個人の尊重・国民主権・基本的人権の尊重・平和主義を原則とする日本国憲法と相容れないとして、国会において排除・失効が決議されました。当時、決議の趣旨説明で衆議院文教委員長が「われわれは、その教育勅語の内容におきましては、部分的には真理性を認めるのであります。それを教育勅語のわくから切り離して考えるときには真理性を認めるのでありますけれども、勅語というわくの中にあります以上は、その勅語そのものがもつところの根本原理を、われわれとしては現在認めることができないという観点を持つものであります」と述べたことからも、部分的に用いることも適切でないことは明らかです。市長が言われるところの「評価してもよい部分」があったとしても、それらはすべて「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」にかかる文言です。そもそも、引用冒頭の「臣民」とは天皇に支配され服従する人民という意味です。これを市職員研修に引用する認識そのものを疑わざるを得ません。

言うまでも無く、日本国憲法は最高法規です。第15条には、公務員が全体の奉仕者であることが規定されています。また、第99条には、公務員には憲法尊重擁護義務のあることが規定されています。公務員である市長が、公務員である市職員の研修に、日本国憲法の理念に相容れない「教育勅語」を引用することは、全くもって不適切であり、違憲です。「今後も使用を続ける」ことは許されません。

このたびの引用に怒りを持って抗議するとともに、引用は過ちだったと認め、発言並びに資料を撤回することを強く求めます。

加えて、2012年からこの間、「教育勅語」が引用され続けていたにも関わらず、憲法尊重擁護義務のある市職員から疑義が唱えられなかったことに大きな危惧を抱きます。管理職を含む全職員への日本国憲法の研修を行うことを強く求めます。


大瀨敬昭

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2023年12月23日 (土)

2023年12月のブルーベリー農園その3

だんだん寒くなることの他には変化の少ない東広島市豊栄町のブルーベリー農園に17日に初雪が2~3センチくらい降った。農園の入り口にある県道沿いの温度計は0度になっていた。農園の周囲の雪景色を楽しみながらブルーベリーの剪定作業を続けたが、安芸区の自宅からの農園通いは朝遅く出発して帰りは早めに出発にするのが長続きのコツかもしれない。

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12月16日(土)

農園のブルーベリー畑ではブルーベリーの落葉が進む一方で畑一面に緑色の背の低い草がじわじわと広がっていく。

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農作業はブルーベリーの剪定をひたすら続ける。この日の場所は里山のブルーベリー園の西側の斜面、早稲のブルーベリーの剪定が終わり晩生のタイプが始まった作業していると急にばたばたばたーっと音がしたかと思うとオスのキジが飛び立った。

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12月17日(日)

自宅の玄関に飾っているのは寒蘭、日本の蘭の一種で鹿児島、高知、和歌山などの黒潮沿いの地域に多い。花に銘がつくのが日本の古典園芸で名前は「日光」という。ほのかな香りもある。

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農園は一面雪。山裾では風が強く吹いて杉木立に積もった雪が舞う。

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日差しはしっかりあり、少なくなったブルーベリーの紅葉が雪の白さに浮かぶ、

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すっかり赤くなったナンテンの実も雪をかぶっている。

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農園の家とブルーベリー畑を望む。

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青空が出て雪は降っていないので、滑らないように足元を固めて里山のブルーベリーの剪定を始める。

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切った枝をブルーシートに乗せて農園の端っこのあちこちに積みかさねておくのだが、ブルーシートは雪のうえをするするとよく滑ってくれる。

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男用の軍手とゴムの手袋をニットの防止と防護メガネを外して室内で休憩。手袋を2重にすると手がかじかまない。

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4時前になるともうああたりは薄暗くなり空も日差しが弱くなる。空気も一気に冷たくなる。年末は少し寒さが和らいでくれるだろうか。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2023年12月22日 (金)

三原地区・府中地区の今年最後の「19日行動」

【三原】

  今年最後の定例「19日行動」は、12月9日(土)13時30分から三原駅前で16人が参加して実施しました。街頭行動では、1941年、旧日本軍がハワイ真珠湾への奇襲攻撃、太平洋戦争の開戦から82年を迎えた翌日であったため、6人の弁士が「侵略戦争の歴史を教訓にして二度と戦争を起こさない=不戦の誓いを確かなものにしていこう!」と訴えました。

・・・「良い戦争はありません。悪い平和もありません。私たちは本当の平和を求めていきましょう」・・・

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 弁士の花田喜代子さんは、「ウクライナやパレスチナ カザ地区の戦争状況、子どもたちの姿を見るたびに心が痛みます。戦争で一番被害を被るのは子どもや女性、高齢者です」。「なぜ戦争が起きるのか。こぶしを上げたら下ろさなければならない。ピストルを持ったら撃ちたくなる。武器を持ったら使いたくなる。これは人間が持って生まれた本能かもしれませんが、そこに武器があるから使いたくなる。とても残念なことだと思います」。「日本は戦後、先の大戦の反省から武器を作らない、持たない、海外に売りもしないという約束事をしてきました。それが言葉の巧みな表現によって武器を作り、輸出されるようになってきていると思います」。黒柳徹子さんがテレビで言われていた言葉「戦争は絶対してはいけません。戦争がはじまると一番困るものは食べ物です。朝、お母さんが大豆を売って15粒、私にくれました。15粒で一日暮らしなさいと言われました。今のカザ地区、ウクライナで他の国々で戦争を体験している子どもたちは、15粒の大豆ももらえないんだろうな」と思いながらテレビを見ました。

 戦争は絶対してはいけません。正義の戦争なんか絶対ありません。街頭の横断幕に書いてあるように、私たちは戦争法に反対し、憲法を守り、9条を壊さない運動をこれからも行っていきます。と訴えました。

2023年の戦争をさせない三原市民行動「19日行動」は、延べ203人の市民が駅前に立って平和憲法を守ろうと訴えてきました。来年も元気を出して街頭に立ち続けます。

藤本講治

【府中地区】

午後3時から上下Aコープ前8人、4時30分から府中天満屋店前9人で、リレートークとスタンディングを30分間行いました。

今日も新しい横断幕が用意され、「イスラエルはガザ虐殺をやめよ」「防衛増税撤回を」「パー券裏金の徹底解明を!」と手書きで書かれています。

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リレートークでは次のように話されました。

M ロシアのウクライナ侵攻は1年9か月も戦争が続いています。また、イスラエル軍によるパレスチナ・ガザ地区への攻撃で子どもたちも怪我をして泣きながら逃げる様子がニュースで流れる度に胸が痛みます。早くこの虐殺を止めるべきです。日本はアメリカのバイデン大統領と一緒になってイスラエルを支持しています。さらに日本は台湾有事に備えて沖縄周辺に軍事基地を次々とつくっています。軍事力で戦争は止められません。軍事力で国民の生活も守れません。今日はおうちで家族で話し合ってみてください。

D 今日の議会最終日に「災害やコロナ対応のために緊急事態法が必要であり、憲法を改正して緊急事態条項を入れる意見書」が採択されました。コロナの問題にしても政府が病院を縮小して医師や看護師を減らしたことに原因があります。事実、医師や看護師の数はOECDの中でも最下位です。最下位を反省して病院を元に戻せば緊急事態法など必要ありません。これに公明党が賛成するとはなげかわしいです。

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U 先日、米軍のオスプレイが墜落しました。オスプレイは空飛ぶ「棺桶」と言われています。日本国内には、沖縄の米海兵隊普天間基地に24機、横田基地に6機配備され、自衛隊も17機の導入が決まっている。そのうち14機がすでに木更津駐屯地に暫定配備されています。2025年にはすべての17機が佐賀空港の隣で新設が進む佐賀駐屯地に移されることになっています。オスプレイは米国以外で日本しか購入していません。米国でも陸軍はオスプレイを採用していません。17機の導入費用は約3,600億円。日本だけが対米追従でガラクタを買わされています。 原因が解明されない限り、日本政府はオスプレイの無期限飛行停止を求めるべきです。

O 広島県教育委員会は上下高校も含め県内の高校の統廃合計画を発表し、県民に意見を求めています。しかし、県教委のトップの平川教育長は福山市出張をタクシーで行ったり、図書館に児童文学評論家の赤木かん子氏の関連商品を置くよう進めてきました。第三者機関は「取引を法令違反」と指摘しています。県教委自らのこの問題の実態解明がまだまだ不十分です。県民に不信を与えている県教委の官製談合疑惑こそ問題です。平川教育長は自ら身を引いて責任を取るべきだと考えます。平川教育長の辞任なくてして県立高校の統廃合計画を検討することはできません。

I アメリカが戦争したら日本も支援する安保法制が出来て8年たちました。昨年の12月に岸田首相は中国を敵視して、専守防衛から先制攻撃できる敵基地攻撃を決定し、沖縄、石垣島など南西諸島にミサイル基地をつくり、軍事費もGNP1%の5兆円から来年度はGNP2%の8兆円にすることを決めました。日本国憲法の平和主義から認められるものではありません。今日は福山、尾道、三次、そして三原や広島市でも同じように取り組んでいます。安保法制がなくなるまで粘り強く取り組んでいきます。今日も車の中から大勢の方に手を振っていただきました。ありがとうございました。

小川敏男

【編集者】今年最後の「19日行動」、大変ご苦労様でした。来年もよろしくお願いします。

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2023年12月21日 (木)

2024年度憲法を守る広島県民会議総会

憲法を守る広島県民会議は、19日午後6時から自治労会館で2024年度の総会を開催しました。

大瀬敬昭事務次長局長(平和運動センター事務局長)の司会で開会した総会は、総会議長に貴田月美常任幹事(I女性会議)を選出し議事に入りました。

最初に、山田延廣代表委員(弁護士)が、あいさつ。山田代表委員は「私たちは、ただ憲法を守ると言うだけでなく、生活に憲法に活かすことを活動の中心にしてきました。様々な活動ができたのも、県民会議に結集する団体、個人の力が有ったからです。岸田首相がすすめる『敵基地攻撃』の考え方は、今ガザで起きていることと同じことが、起こると言うことです。また、憲法審査会は、週一回ということに固執して開催されており、改憲の動きを心配していたのですが、安倍、二階派の『政治の金』の問題が浮上しています。これは自民党政権が劣化していることを示しています。私たちは、国民の声に沿い、今あるべき情勢に沿った活動を続けています。いったん戦争になった時、結局国民が犠牲になることを今の情勢は示しています。私たちの活動をしっかりと継続していかなければなりません」と訴えました。

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続いて、藤本講治事務局長から、2023年度の活動報告、2024年度の活動方針が提起されました。

主な方針は、従来からの活動「『輝け9条!活かそう憲法』5.3意見広告」「平和といのちと人権を!ヒロシマ憲法集会」「憲法理念の実現をめざす第61回護憲大会」「12.8不戦の誓いヒロシマ集会」「紀元節復活反対!平和・民主主義・人権を守る2・11ヒロシマ集会」や5月に開催される「復帰52年5・15沖縄平和行進」など、県護憲として取り組んできた独自の行動を強化すると共に、戦争をさせない・9条壊すな!ヒロシマ総がかりき行動の街頭アピール行動や様々な集会に積極的の取り組み、憲法改悪を許さない行動を引き続き行っていくという内容です。

提起された、報告、方針は、満場一致で確認されました。

その後、会計報告、予算案が提案され、承認を受けました。役員改選は、組織の役員体制による常任幹事一名の変更が提案され、その他は全員留任することが承認されました。

総会終了後、私が「憲法をめぐる状況」と題して30分間の講演を行い、全ての日程を終了しました。

岸田首相が、憲法尊重擁護義務を踏みにじって「総裁任期中に憲法改正を実現したいという思いはいささかも変わりはない」と国会で答弁し、野党の日本維新の会、国民民主党などから早期の改憲を求める発言が相次いでいることを考えると、憲法をめぐる情勢は、かなり厳しいものがあります。しかし、「政治と金」の問題で、国民の政治への信頼は、大きく揺らいでいます。国民の信頼を失った政治の中で、憲法改正を推し進めるようなことがあってはならないと思います。大事なことは、国の基本を定めた憲法を改正するのかを決めるのは、最後は国民一人ひとりの判断に委ねられているということです。それは、最終的には「国民投票」で決することになるということですので、私たちのさらなる運動の強化が求められています。

そういう運動を粘り強く続けることが確認された今年の「憲法を守る広島県民会議」の総会でした。

いのちとうとし

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2023年12月20日 (水)

体調に気をつけて下さい!

毎月今日20日は、あかたつさんの「ベトナムの歴史」を掲載していますが、あかたつさんが体調不良となり、今回はお休みをいただくことになりました。

今週初めから、急に寒さが厳しくなりました。明日はさらに、真冬並みの寒波が押し寄せるようです。

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デンマークカクタスが咲き始めました

コロナが依然として収束せず、インフルエンザも猛威を振るっているようです。

今年も残りあとわずか、どうか体調に気をつけてお過ごし下さい。

【編集者】

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2023年12月19日 (火)

ガザに支援物資を届けたいー森下雄一郎さんの話し

11月27日から12月8日まで、ガザへの支援物資を届けようと活動して来られた森下雄一郎さんの話を聞く会が、昨日午後2時から平和会館で行われました。

この聞く会の呼びかけ人は、広島県被団協の前田耕一郎事務局長。私も案内をもらいましたので、参加をしました。

これまで世界各地にでかけ支援活動を続けてこられた森下さんが、紛争のニュースを聞いて何とかしてガザの人々に支援物資を届けたいと思い、選んだのがエジプトのカイロからの道でした。いまガザへ物資を届けることが可能と思われる唯一の道です。以下は、自らが映した映像を流しながらの森下さんの話しです。

届けようと思った支援物資は、食料、水、医薬品です。ガザ近郊に住む人でないとガザには入れないとカイロで支援者を探し、何とかガザへの車の手配ができ、ガザへと向かった。カイロからガザまでの道のりは、シナイ半島を経由し約1000キロ。何カ所もの軍が管理する検問所があります。後300キロとなった地点の検問所では、それまでにない非常に厳しいチェックがあり、これ以上外国人である私が進むことは難しいという状況になりました。協力者のひとりに、ガザに住んでいた住民がいましたので、この人に後は託すことにしました。

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この協力者は、何とか難民キャンプにたどり着いて物資を届けることができ、彼を通じてスマホでその様子が知ることができました。その施設には、約1000人が収容されているようです。

この難民キャンプにいる人たちは、今回の紛争で逃れた人なのか以前から難民となっていた人たちなのかは、残念ながらはっきりしませんでした。

スマホの画像を通じてですが「シュクラン」(ありがとう)の言葉があったので、きちんと物資が届き、感謝されていることがわかりました。

これまでの支援活動もそうなのですが、「人が人を助けることができないのが戦争だ」と言うことを感じます。そして、いつも現地の支援者(といっても、日本を出るときからはっきりしているわけではなく、現地に行ってから森下さん自身が探すようですが)が協力し、助けてくれるから、いつも何とか進むことができています。

ガザへの支援の報告は以上ですが、森下さんがなぜこの危険と思われる場所に行くのかを次のように話してくれました。「NGOの手の届かないところ、それは最も危険な場所です。しかし、そんな場所が最も支援が必要な場所なんです」「水、食料、教育、女性の問題。国は関係ありません。人は人です。明日ではない、今日届けたいのです。私たちは、国境を越えてわかり合えるのです」。森下さんの強い思いが伝わります。

森下さんは、ガザへの支援行動のほかにも、次のような活動をしていることが紹介されました。濁った水をのんで生活するブルンジ共和国の村に行き、井戸掘りをしたこと、トルコ・シリア地震の被害を受けながら、ほとんど支援の手が届いていないシリアに行ったこと、大水害に合ったリビアへの支援、ミャンマーの難民を支援するためタイに行ったことなど。2,3ヶ月に1回海外を訪れて支援活動を続けていること。

最後に森下さんは、こう言いました「『微力だけど無力ではない』と言うことをいつも思わせてもらっています。」

どこかでいつも耳にする言葉です。

いのちとうとし

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2023年12月18日 (月)

平和大橋の修繕が終わったが

中国新聞によれば、平和大橋の欄干の親柱に入っていた亀裂の修繕が、127日に終わったようです。

1029日のこのブログこれ、壊れていますよね: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で、亀裂がテープで補修されている様子を紹介しました。

この中で、次のように書いています。「被爆地広島の復興を象徴する橋だけに、抜本的な補修が望まれますが、修理が完了するまでには少し時間がかかりそうです。」

広島市は、業者に委託し11月28日から、修繕工事を始めました。私もこのニュースがテレビで放映された翌日の11月29日に、現地に行ってきました。樹脂を投入する作業は終了し、青いビニールシートで修繕箇所が覆われていましたので、修繕部分を直接見ることができませんでしたが、現場に作業員がおられましたので、少し話しを聞くことができました。

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「いつ頃きれいな姿になりますか」と問うと「少し時間をおいて、修繕のため注入した樹脂がはみ出ている部分を削ってきれいにしますので、きれいなもとの姿に戻るのにはもう少し時間がかかります」との答え。さらに「原因は?」と問うと「きちんと調べたわけではありませんが、この橋が架けられた時期は、原材料の材質が充分でなかったことや、橋の交通量が多いですので振動などの影響などが考えられます」との答えでした。

「修理が完了した」との報道を目にして、もう一度現場に行ってみました。

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きれいに修復されており、どこに亀裂があったのか、痕跡を見つけることはできません。

しかし、11月29日にも気になっていたのですが、よく見ると他の場所にも何カ所か亀裂や傷があります。

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この写真の真ん中部分は、後から塗ったと思われるコンクリートがはげています。

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こちらは、上から塗ったコンクリートが、浮き上がり一部剥落しています。

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右側にあるこのキズも気になります。小さな亀裂は、これ以外にも無数にあります。

平和大橋の上流側の新しく拡幅された歩道側から見ただけでも、これだけの亀裂やキズが見つかりますので、橋全体で探せばもっと見つかるはずです。

市は、今回応急の修繕を終え、原因を引き続き調査し、必要があれば抜本的な対策を講ずる」としているようです。

抜本的な対策を講じるというのであれば、イサム・ノグチさんが設計された貴重は平和大橋ですので、デザインそのものを変えることはできませんが、新しい材質の材料で平和大橋全体を作り直すことを考えてもよいのではないでしょうか。そう思わせるほどに、橋の傷みが進んでいるように思います。

いのちとうとし

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2023年12月17日 (日)

「月丘夢路生誕100年記念碑」除幕式

10月19日のブログ平和大通りに新しい碑が建立されます。: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で紹介した「月丘夢路生誕100年記念碑」の建設工事が完了し、昨日16日(土)午前11時から、除幕式が行われました。

場所が狭いと言うことで関係者だけの出席で実施されたようですが、事前にこの情報を入手していましたので、私も現地に行ってきました。

定刻の午前11時に除幕式が始まり、最初に月丘夢路財団理事長井上絵美さん(月丘夢路さんの娘)があいさつ。

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井上絵美さんは、あいさつの中で「母は、映画『ひろしま』には、どうしても出演したいと当時の映画会社の枠を超えて参加しました。『真に原爆の悲劇は繰り返してはいけません』『戦争は何があっても起こしてはならない』と言い続けていました。この碑の前に立ち平和を祈ってほしいと思い、碑に『平和への祈り』と名付けました。」と、母と碑への思いが語られました。

続いて、井上美枝さんら4人による序幕です。

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現れた「月丘夢路生誕100年記念碑」の説明板には、この碑の概要が次のように書かれています。

「広島平和都市記念碑と白神社(境内鳥居は橋爪家より奉納)に向けた2つの軸線を持っておりますので、当記念碑から軸線方向に手を合わせて共に平和を祈りましょう。円環状の記念碑(月)は基壇(丘)の上に立ち、月丘夢二の恒久平和への思い(夢)を、それぞれの軸線(路)を通して来訪者と共に祈ることを目的といたします。」

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この解説によって、月丘の「月と丘」をイメージしてつくられた記念碑だということがわかります。

碑の正面手前には、平和公園の広島平和都市記念碑に向かって白っぽい軸線が付いています。軸線の中間あたりに菱形の模様が付けられているのは、ここで祈ってほしいとの思いが込められているのだと思います。ちょっと見にくいのですが、左側にも軸線があり、この延長線上に白神社があります。

ここでなぜ「白神社なのか」気になります。

月丘夢路さんは、1921年に広島市大手町にあった薬問屋橋爪家の長女として生まれています。薬問屋を営む橋爪家は裕福な家だったようで、白神社の鳥居を寄贈されたようです。

その鳥居を見に行きました。

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寄贈された鳥居は、手前のしめ縄がかけられている2本の柱の左側の一本です。裏側に寄贈者の名前が刻まれています。

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刻まれている文字は、「明治三十六年四月十五日建立 永井幸兵衛 橋爪孫兵衛」、その下に石工の名前も刻まれています。月丘夢路さんの先祖が寄贈された柱だということがわかります。ちなみに「永井幸兵衛」は、本通にある「長井支店」の先祖だそうです。「明治三十五年」の建立ですから、被爆石であることもわかります。

「月丘夢路生誕100年記念碑」の建立と合わせたのでしょう、現在そごう広島店の2階で、「月丘夢路展」が、来年の1月8日まで開催されています。

会場では、「映画 ひろしま」を紹介するミニパンフレットが無料で配布されています。

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そこには、除幕式で娘の井上絵美さん紹介された「真に原爆を二度と繰り返してはならない、という気持ちを伝えたい。それがあの映画に出ることにつながったんです。」という月丘夢路の言葉が書かれています。

いのちとうとし

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2023年12月16日 (土)

日朝友好広島県民の会2023年度総会

日朝友好広島県民の会は、12月13日午後6時から広島留学生会館で2023年度総会を開催しました。

佐藤奈保子事務局次長の司会で始まった総会は、最初に代表委員の足立修一弁護士が、開会あいさつ。足立代表委員は、「今年も日朝関係は依然として厳しい状況が続いている。それは、強制連行など被害者の問題を置き去りにして、日米韓の軍事的関係を優先していることによる。そのことによって、『軍事的緊張が高まっている』という報道が続いている。私たちは、地道な取り組みを続けてきた。『幼保無償化』では、広島市の支援が決定し、前進した。ただ、高校無償化問題は、今後どうするか考えなければならない。そのとっかかりとして、来年秋に高校無償化問題に関わった全国の弁護団が、広島で朝鮮問題を取り組むためのフォーラムを開催することにしている。そうしたことを通じて、朝鮮高校への差別を止めさせ、日朝友好運動を進めていきたい」と述べました。

続いて大瀬敬昭事務局長が、2022年の活動報告、決算報告、2023年度の活動方針、予算案などを提案し、全体の拍手で確認しました。

提案された活動方針の内、「取り組みの柱」は以下のとおりです。


取り組みの柱

①日朝国交正常化の実現をめざし、朝鮮民主主義人民共和国に対する全ての制裁措置を直ちに解除し、対話再開のための道を開くよう、全国の運動に結集し日本政府に対する働きかけを強化します。

②朝鮮学園への「高校無償化」の適用、補助金の再開、物価高騰対策補助金適用対象を勝ち取るため、支援行動への参加、情宣活動・署名運動等を通じて、政府・文科省、広島県・広島市に対する取り組みを強化します。

③広島朝鮮初中高級学校における民族教育諸活動を財政面から支援できるよう、「民族教育連帯基金」(別称「広島朝鮮学園支援県民基金」)の協力呼びかけ、チャリティーコンサートなどのカンパ行動に引き続き取り組みます。

④在日朝鮮人に対するあらゆる差別・偏見を許さず、在日朝鮮人の民主的民族諸権利を擁護するための取り組みを継続・強化します。

ここで総会は終了し、その後、11月6日に行われた「金剛山歌劇団チャリティコンサート」で集まった支援金1,247,000円の目録が、高橋克浩代表委員から朝鮮学園の朴志晙(パク・チジュン)校長に贈呈されました。

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今年の総会の記念講演は、幼保無償化を求める朝鮮幼稚園保護者連絡会の宋恵淑さんによる「朝鮮学校の子どもたちもまんなかに!-無償化実現に向けた闘いの成果と今後の課題」でした。

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宋さんは、「幼保無償化は、制度設計の段階から朝鮮幼稚園が除外されていたが、法律制定時に付けられた付帯決議をテコにしながら、様々な運動を行い、日本の国庫から初めて朝鮮学園にも支給されるようになった」闘いの歴史を紹介。つづいて「日本政府は、国連人権委員会などから、在日朝鮮人、朝鮮学園への差別に対し、繰り返し是正勧告が出されているにもかかわらず、無視し続けている」経緯を紹介。さらに昨年成立し、今年4月から施行されている「こども基本法」を紹介する「こども家庭庁」のパンフレットなどで使われている「こどもまんなか」の意味を紹介し、全ての子どもが差別されるべきでないことを強調されました。最後に「まとめ」として次のことが提起されました。

「・高校無償化をもとめる決して屈しない・諦めない・負けを知らない闘いが、民族教育の権利保障の歴史に国庫補助実現という貴重な前進をもたらした。

・日本が締約国となっている国際人権諸条約の観点からも、朝鮮学校差別はすぐに是正されるべき。

・新たに施行された国の包括的なこどもの権利に関わる法を強力なツールとし、朝鮮学校に差別的な国の学校教育関連施策を再検討させるべき。

・地域における朝鮮学校のこどもたちへのあたたかい支援、応援、つながりが、日本社会の差別と偏見を打ち砕き、朝鮮学校の子どもたちを勇気づけるカギとなる。」

宋さんの話しは、今後の私たちの運動への示唆となるものでした。

朝鮮大学生を中心にして続いている文科省前の金曜日行動は、15日で500回目を迎えたそうです。「継続は力」を強く感じます。

いのちとうとし

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2023年12月15日 (金)

2023年12月のブルーベリー農園その2

しばらくは暖かい日が続く。やはり今年は暖冬かもしれない。週末、安芸区の自宅から通う東広島市豊栄町のブルーベリー農園でも日中は18度くらいになっているので、主な作業のブルーベリーの剪定もぶるぶる震えることもなくすすめていける。日がどんどん短くなる日がつづく。

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2月9日(土)

農園に着いたのは2時を過ぎていた。この日は一人でブルーベリーの剪定を続けた。ブルーベリー畑の赤い葉はかなり落ちている。

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小さい畑にある富有柿の木はすっかり実がなくなって枝だけになった。

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12月10日(日)

農園の周辺の田んぼは稲刈りの後、荒おこしがすんでぼこぼこした土が広がる。

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柿や梅の木のある景色

① 柿の木は多くの農家の庭や畑には柿が植えられている。

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② 近づいて見上げると、柿の実はまだたくさんついている。

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③ 他の農家の柿の木は実もあとわずか。

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④ 梅の木の冬木立。葉が落ちても立ち姿はきりりとしている。

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里山の晩生のブルーベリーの上のほうの枝の葉はほとんど落ちている。枝先には花芽がしっかりついている。

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里山の早稲のブルーベリーの剪定を続ける。もう少しでこのエリアが終わる。

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夕方になると刈った草の野焼きがあちこちで始まる。そうするとあたり一面にけむりが低くたなびく。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2023年12月14日 (木)

福田村事件

「福田村事件」という映画をご存じですか?

今年は関東大震災から100年。資金が集まらない中、クラウドファンディングでの寄付も得て製作された映画です。近くの映画館で上映していることを知り観に行きました。

香川県の行商団が、東京に向かう途中関東大震災が起こり、混乱の中自警団に虐殺されるという悲撃のストーリーです。村人は政府が流したデマ(朝鮮人が井戸に毒を放り投げているなど)に怯え疑心暗鬼に陥り、行商団を朝鮮人だと思い込み、15人の内9人を虐殺しました。クライマックスのシーンはあまりにむごたらしく直視できませんでした。自分や家族を守るために殺さなくてはという集団心理が働き、誰も止めることは出来ませんでした。

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この映画が事実を元に製作されたことを知り、ただただ驚いたのが素直な感想です。こんな愚かで悲惨な事件が起こってたなんて。殺されてもいい命はありません。

ウクライナやガザで起こってることも同じです。歴史を振り返ると、何かが起きたとき必ず差別が噴き出します。

日々私たちはどれだけ差別や不合理と向き合っているでしょうか。おかしいことはおかしいと言い続けなければ、何か起きたときに遅いのです。止めることはできません。

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2023年12月13日 (水)

5分で体験を話せ

12月10日の午後1時半から広島市立大学平和研究所、中国新聞社、長崎大学核兵器廃絶研究センターが主催する国際シンポジウム「核戦争の危機と被爆地―G7広島サミットを踏まえて」が、広島国際会議場で開かれました。

約3時間の長丁場でしたので、まず登壇者とテーマを羅列します。

基調講演:「G7広島ビジョンと国民の生命・身体・財産の安全」石田淳(東京大学教授)

報告:「ウクライナ戦争と国際平和秩序の行方」吉川元(広島平和研究所特任教授)

「『被爆国』と『被爆地』サミット報道から見えてきたもの」田中三千子(中国新聞編集委員)

G7広島サミットと核兵器廃絶:市民社会の視点から」畠山澄子(NGOピースボート共同代表)

ヒロシマからの発言:小倉桂子(平和のためのヒロシマ通訳者グループ(HIP)代表)

パネルディスカッション:コメンテーター「『責任ある』核兵器の使用はあり得るか」河合公明(長崎大学核兵器廃絶研究センター副センター長:教授)

パネリスト 全ての登壇者

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私の力では、シンポジウムの全てを紹介することはできませんので、全体を通して強く印象に残った二人の発言を紹介します。

一つは、小倉桂子さんの持ち時間は15分の発言です。

自らの体験を語る場面ですでに10分が経過。その後5分で、サミット首脳にた証言を行った時の様子の紹介がありました。「5分で体験を話せと言われ大変でした。しかし、サミット首脳は、真剣に聞いてくれました。サミット招待者にも話したのですが、『やっと広島に来れた』の言葉、ファーストレディーたちは、会うとすぐ『話を聞くのを楽しみにしてきた』」ことを紹介し、その後バイデン大統領から手帳が送られてきたので「今、この手帳を持ち歩いて、証言の後、サインと感想を記帳してもらっています。一杯になったらバイデンさんに送ろうと思っています。」と現在の活動を紹介し「知ることこそ、平和の第一歩。知って絶望しないで、私たちにできることをやりましょう」と参加者に呼びかけました。

久しぶりに聞く小倉さんの話でしたが、今回のシンポジウムで一番印象に残ったことです。

二つは、河合公明さんの会場からの「長崎では、どんなことをされているのですか」の質問への答えです。

「三つあります。・長崎では、核兵器の問題をグローバルな問題と絡めて考えています。・若い世代の育成をどうすすめるか。・アカデミア(大学や公的研究機関における研究職)が市民と積極的に交流する。ということです。」さらに「『G7広島ビジョン』に書かれている『全てのものにとって』とは、どういう意味か?」と問いかけながら「国家の安全保障と人間の安全保障を考えるためにも市民社会のアクションが大切。市民の力、何かを動かせる個人の力を大切にしたい」と訴えられました。長崎の地道な努力には頭が下がります。

河合さんが、「『責任ある』核兵器の使用はあり得るか」について「『責任ある』核兵器の使用などあり得ないのではないか」と指摘し、コメントのまとめとして「広島を訪問した首脳の責任:広島を訪れたG7首脳が感じたことを持ち帰り、今後の政策にどのように活かすかの責任。『世界の誰もが被ばく者になることはない』と語るリーダーの責任ある言葉が必要だ」と指摘されたことにも共感を覚えました。

少しだけですが、学ぶことのできたシンポジウムでした。

いのちとうとし

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2023年12月12日 (火)

12.8不戦の誓いヒロシマ集会

 憲法を守る広島県民会議、広島県平和運動センター、広島県原水禁、8の日平和行動ヒロシマ女の会、戦争をさせないヒロシマ千人委員会の5団体が共催し、毎年開催している「12.8不戦の誓いヒロシマ集会」が、今年も12月8日広島弁護士会館で開催されました。

今年の集会では、主催者のあいさつの後、広島県高等学校被爆二世の会・ピースリンク広島・呉・沖縄の呉世話人の西岡由起夫さんが「ヒロシマからー進む海上自衛隊呉基地の軍港化」と題して、日本最大の海上自衛隊基地なった呉基地の現状を紹介しました。

1991年の湾岸戦争後の「掃海部隊派遣」に始まった呉基地は、その後の海上自衛隊の海外派兵の拠点となりました。今再び発進基地・敵基地攻撃の拠点になろうとする呉基地の機能強化を許さない運動が求められています。

続いて、沖縄から体調不良をおして駆けつけていただいた山城博治さんによる講演です。講演のタイトルは「沖縄を再び戦場(いくさば)にさせないー沖縄からの報告」です。

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アメリカに隷属化する中で進む日本の安全保障政策を厳しく糾弾し、「台湾有事となったとき、なぜ沖縄だけが攻撃されると言えるのでしょうか。ピンポイントで攻撃できるミサイル、全国のどこか攻撃されてもおかしくないのです」と指摘し、さらに「アメリカは、仮に対中戦争が始まれば、沖縄の基地は中国との戦争で生き残ることはできないと、沖縄(日本)を見捨てて移動することになる。米軍が考えている戦略をしっかりと見つめることが必要だ」と、日米安保体制の根幹に疑義があるとの問題を指摘し、私たちに現実に起きるであろう問題をとらえる視点を提起されました。そして、今まで以上に巾広い運動を展開するためにどうするのか、沖縄で行われた「11.23沖縄を再び戦場にさせない沖縄県民大集会」の様子やその集会を積み上げるまでの経験を紹介しながら、今後の私たちの運動の進め方、特に若い人たちをどう結集するのかとの問題提起がありました。これまで聞いた山城さんの話しとは少し違う問題提起でした。

最後に以下のアピールを採択し、集会を終えました。


12.8不戦の誓いヒロシマ集会アピール

旧日本軍による米ハワイ真珠湾への奇襲攻撃、太平洋戦争の開戦から82年を迎えました。アメリカとの開戦は、アジア・太平洋地域への戦火を拡大しました。この侵略戦争で中国をはじめアジアの国々で数千万人が犠牲となり、日本では主要都市が爆破され、沖縄での地上戦、広島・長崎への原爆投下など日本人の死者も300万人を超え、膨大な惨禍と犠牲をもたらしました。

戦後、私たちはこの大きな反省の下に日本国憲法を築いてきました。軍部はもちろん、為政者の「暴走」を許さない立憲主義を土台に「平和主義」「国民主権」「基本的人権」を柱に戦後78年間、日本は一度も戦火を交えることもなく、平和国家として歩んできました。

今、ロシアによるウクライナ軍事侵攻やイスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への無差別虐殺行為など世界は混迷を極めています。日本政府は世界戦争や台湾有事を理由にして、安保3文書を改定し、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有や防衛費を5年間で43兆円も増やす大軍拡を行うばかりか、石垣島や宮古島など琉球弧の島々に自衛隊のミサイル部隊を配備するなど戦争する国づくりに突き進んでいます。こうした動きは全国の自衛隊の強靱化へと広がり、海上自衛隊呉基地においても反撃能力を担う軍港化へと動き始めています。

私たちは、戦争か平和かの岐路に立たされています。戦争の歴史・教訓に学び、沖縄・日本を再び戦場(いくさば)にさせない運動を強く展開していかなければなりません。今こそ「戦争ではなく平和を」の声を上げていきましょう。

開戦の日を迎え、私たちは過去の植民地支配と侵略戦争の反省に立って、「12月8日」を「8月6日」と並んでヒロシマが忘れてはならない日と位置づけ、毎年「不戦の誓いヒロシマ集会」を開催し、二度と戦争を起こさせないことを誓い合っています。

ヒロシマに暮らす私たちは、「戦争放棄を謳った憲法9条」を手放すことはありません。そして、混沌とする世界情勢の中、私たちは戦争法の廃止、憲法改悪・軍拡阻止など新しい戦前にさせないたたかいに総力をあげることを確認し、「不戦の誓い」とします。


最後に私が、「真珠湾攻撃の1時間前にマレー半島の上陸作戦が始まり、その主力が広島の第5師団だった。その第5師団は、中国への侵略戦争の中心でもあった。広島が侵略戦争の歴史に深く関わってきたことを忘れてはならない」と訴えて集会は終了しました。

今年の参加者は、約100人でした。

いのちとうとし

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2023年12月11日 (月)

「原爆ドーム世界遺産登録記念集会」を開催

「原爆ドーム」が世界遺産に登録されて27年目となる12月7日、核兵器廃絶広島平和連絡会議(連合広島、広島県被団協、平和運動センター、県原水禁など12団体)は、原爆ドーム前で「原爆ドーム世界遺産登録記念集会」を開催しました。

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すっかり日が落ち、夕闇が広がった午後6時、連合広島大野真人会長の主催者あいさつで始まった記念集会は、続いて広島県被団協、県原水禁、KAKKIN広島、連合広島の代表による献花、その他の団体代表による懸垂が行われました。参加者全員が、原爆犠牲者に対する黙祷を行った後、連合広島女性委員会後藤理香委員長が、下記の「集会アピール」を提案し、全員の拍手で確認しました。

集会は、広島県被団協の箕牧智之理事長が、「原爆ドームは、78年間痛々しい姿でここに立っている。世界の人びとは、この前に立って、実態を知ってほしい。締約国会議は、みんな立ち上がって拍手をして終わった。私も学校で証言したが、高校生が涙を流して聞いてくれた。そして拍手で受け止めてくれた。」と閉会のあいさつを行い、終了しました。

その後、60人の集会参加者全員が献花をして、解散しました。

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この集会に参加し改めて思い出すことがありました。それは、世界遺産登録の大きな障害となっていた「文化財指定基準」を改訂させることによって、登録実現への道を開いたことです。この「文化財指定基準」の改訂があったからこそ、今回の「旧広島陸軍被服支廠」の重要文化財指定を実現させることができたのです。


原爆ドーム世界遺産登録記念集会アピール

今から78年前の1945年8月6日午前8時15分、この広島に人類史上初の原子爆弾が投下された。爆心地近くにあった広島県産業奨励館は、「原爆ドーム」と呼称を変え、その歴史とともに、ここに立ち続けている。

今から27年前の1996年12月7日、「原爆ドーム」のユネスコ世界遺産への登録が実現した。

原子爆弾の恐ろしさ、愚かさを後世に伝えるために、この「原爆ドーム」のユネスコ世界遺産登録に向けて、多くの市民や県民が一体となって、4年の歳月をかけて署名運動などの運動に取り組んだ。その熱い情熱の結集である164万を超える請願署名が政府を動かし、世界遺産登録委員会の決定を手繰り寄せることとなった。

私たち、広島が求めてきたものは、「原爆ドーム」の建造物としての文化的価値の評価ではなく、「原爆ドーム」に刻まれた被爆者の慟哭と被爆の実相を世界の人々へ伝え、核兵器の使用を決して許してはならないという警鐘を鳴らし続けることにある。

未だ、終わりの見えないロシアのウクライナ侵攻や勢いを増す北朝鮮のミサイル発射実験に加え、イスラエルとハマスの戦争では、いとも簡単に、核兵器使用を発言するなど、世界中を恐怖へ陥れている。

今年11月に開催された核兵器禁止条約第2回締約国会議には、日本被団協の代表として広島県被団協の箕牧理事長が参加し、核兵器の脅威を国際社会に訴えかけた。一方、日本政府は、唯一の戦争被爆国であり、核兵器禁止条約がめざす核兵器廃絶という目標を共有したうえで、5月に開催されたG7広島サミットにおいても「核兵器のない世界」の実現に向けた決意を強く発信したにも関わらず、日本および国際社会の平和と安定を理由に、日米同盟下での核抑止力を含む米国の核抑止が不可欠との認識を示すなど、結果として、事実上、核兵器の保有を容認する姿勢をとり、会議へのオブザーバー参加さえ見送った。

こうした状況だからこそ、ヒロシマの果たす役割は思い。

私たちは、「原爆ドーム」世界遺産登録の意義を再認識し、国内外の世論喚起をはかるとともに、被爆の実相を着実に次代に継承していくなど、核兵器廃絶と世界の恒久平和実現に向けた運動を強化していかなければならない。

私たちは、78年前の惨劇を目の当たりにし、今もなお「核兵器廃絶と世界恒久平和の実現」を無言で訴え続ける「原爆ドーム」とともに、想いを共有する多くの人々との連帯の輪をさらに広げ行動することを誓う。


いのちとうとし

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2023年12月10日 (日)

「異常気象の防止は原発」と言い出した日本政府

 アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで開かれている国連気候変動会議(COP28)は12月2日、米国政府のリードによって「世界全体の原発の設備容量を2050年までに3倍に増やす」との宣言を発表し、日本が賛同したと報じられました。

この宣言に賛同したのは、宣言をリードした米国を除き、英国やフランス、韓国、そしてこの度の会議の議長国であるUAEなど21カ国ということです。

 気候変動枠組条約の締約国は198の国と機関があるという中で、「原発容量3倍」に賛同したのは、22カ国ということです。世界の大勢は温室効果ガス排出を減らすために原発が必要などとは言わないことに、少し安心しましたが、福島原発事故を経験した日本が、こういう宣言に賛同することに強い怒りが沸いてきます。

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 米国のニュースケール社が、小型モジュール炉(SMR)事業の中止を発表した直後に、原発3倍をリードしたということも理解ができないことです。小型モジュール炉に米国は多額の補助金を注入しておきながら、このニュースケール社は価格競争がないとして、事業の中止を決めたのです。同じように米国での原発計画を撤回した企業は、日本の東芝もそうです。

 「原発は発電段階では二酸化炭素を出さない」というのが、日本政府も電力会社も同じことを言います。しかし原発の燃料であるウラニウムを採掘する時、燃料に加工する時、原発を建設する時、廃炉にする時、使用済み燃料を処理・処分する時、すべての段階で莫大な化石燃料を使います。そして莫大な費用を要します。

 廃炉が決まっている例えば島根原発1号機も、廃炉作業や燃料冷却や原発の管理で、大量の電気を使い地球温暖化の原因になるものを排出しています。

 もちろん、原発には放射能被害という危険が伴います。この間、日本は原発を増やしてきましたが、気候変動には何の役にも立たなかったのではないでしょうか。

 一方でCOP28では、再生可能エネルギーによる発電を2030年までに現在の3倍に増やし、エネルギー効率を2倍にすることを110カ国が合意しました。

 環境NGOの「気候行動ネットワーク」などは、再生可能エネルギーに消極的で気候変動対策に消極的だとして、日本政府を4年連続で「化石賞」に選んだと発表しました。

 今年4月15日、ドイツは原発ゼロを達成しました。2035年までに再生可能エネルギーへ完全に移行することをめざし、その方向に向かっているのです。困難な道のりも予想されるのですが、大前提は「やる気」だと思います。

日本は電気を貯める技術や、自然エネルギーの豊富な国です。逆に小さな島国ですし、地震の多発地帯です。福島原発事故からたったの12年、『フクシマ』など無かったかのように原発に舵を切る日本政府、世界の国々から呆れられる国にはしたくないものです。

木原省治

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2023年12月 9日 (土)

できることを探して

先日、「幸せへの権利守られてる?」という記事があった。

幸せへの権利って・・・と思いながら読んでみた。「生きる」教育の授業をしている学校で「子どもの権利条約ハンドブック」を配り自分にとって一番大切な権利は何?守られていない権利はない?と話しあわれていた。

一人ひとり大切と思えるものや幸せと感じるものは違うかもしれないけど、権利は平等にあり、守られるべきもの。守られているかどうか気づかず日々過ごしていることもあるかもしれない。子どもの権利が守られていないのは子どもたちだけではなく、私たちの生活の中にも隠れているのかなと思った。

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今の時期、街中がクリスマス一色に飾り付けられ、歩いているとクリスマスソングも聞こえてくる。しかし、世界の各地ではたくさんの人が殺され、生きる権利も奪われている。衝撃的な子どもの姿の映像などみると胸が締めつけられる。

何かできることはないかと思いながら何もできていない。

何に関しても言えることだけれども、目に見える情報だけでなく知ることから始めていけたらと思う。

M

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2023年12月 8日 (金)

2023年12月のブルーベリー農園その1

東広島市豊栄町のブルーベリー農園に安芸区の自宅から週末農業で通っているが、農園では冬の野鳥の声もまだ聴けない。そろそろジョウビタキのひっひっという声がききたいが・・。いつも農園の草刈りを手伝って頂いている親戚の方の話ではこの周辺でキジが増えたそうで、キジは一夫多妻なのでまだ増えるかもとのこと。栽培しているブルーベリー農園では農薬を使っていないことと、田んぼが隣接していないのでコメに使う農薬も避けられているので、キジも住みやすく子育てもしやすいブルーベリー畑になっているのならばうれしい限り。安芸の郷では12月に入ってブルーベリーの加工品のジャム、ソース、ジュレなどの注文が入って製造に追われている。農園のブルーベリーは安芸の郷に納品されてからは冷凍保存されているので加工の材料として役立っている。

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11月30日(金)

晩生(ラビットアイ系)のブルーベリーの紅葉が真っ赤に染まった。

①ブルーベリー畑の法面を挟んで上下の畑の紅葉

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②光の反射で紅葉がまぶしい。

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③里山に上がるところの小高い小さな畑から撮影。

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④同じ場所からすこし望遠で。

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⑤農園の家の窓からもブルーベリーの紅葉を見ることができる。

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12月3日(日)

農園に着いたら、最初にブルーベリーの枝を野焼きする。帰るときには野焼きは終わっている。

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里山のブルーベリー農園の早生(北部ハイブッシュ系)のブルーベリーは落葉したので剪定を始めている。

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里山での剪定の場合は、ここで切った枝を細かく切って斜面の端に積み重ねている。

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剪定している場所の西側の斜面の下には田んぼが広がる。

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3時半ちょっと休憩で家に移動。

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ブルーベリー畑の晩生(ラビットアイ系)の葉は落葉が始まっている。毎年12月中旬にはほとんど葉が落ちるのでそろそろ紅葉の見納め。昨年は128日に農園に雪が降っている。いよいよ冬到来。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2023年12月 7日 (木)

12月の「3の日行動」

戦争させない・9条壊すな!ヒロシマ総がかり行動実行委員会が、毎月3日に行っている「3の日行動」が、今月は3日が日曜日だったので、一日変更し4日の午後5時半から本通電停前で実施しました。

帰宅を急ぐ通行人に、冒頭に川后和幸共同代表がこの行動の思いを訴え、その後6人(うち4人は女性)の弁士が次々とマイクを握り、以下のようなテーマでそれぞれが訴えました。

・河井疑惑をただす会の山根岩男さん:「政治と金」の問題

・県教委「官製談合疑惑」をただす市民の会の田村栄子さん:平川教育長問題

・気候変動問題に取り組む市民団体「350ACTION JP」の小野綾子さん:気候危機を防ぐ手立てをいますぐに

・日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワークの岡原美智子さん:セクハラ・PTSD裁判の問題点など

・広島市立大学准教授の田浪亜央江さん:ガザ市民虐殺をやめさせよう

・ピースリンク広島・呉・岩国の広島世話人の新田秀樹さん:オスプレー墜落事故

そして、最後に石口俊一共同代表が、まとめのあいさつをした、この日の行動を終えました。

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いずれのテーマも、今起きている重要な課題への問題提起ですので、私は、横断幕を持ち、この訴えを聞きながら、次のようなことを考えていました。

「政治とお金」の問題は、今なお明らかになっていない河井疑惑で使われた資金がどこから出たかです。今大きな問題となっている自民党派閥の資金パーティーの不透明な資金の流れと同質の問題です。そして、何よりも問われなければならないことは、なぜ自民党は、こんなにも政治資金を集めなければならないのかということではないでしょうか。

平川教育長問題は、こうした疑惑を持たれるような人が、そのまま教育長の座に居座っていてよいのかです。私は、教育行政のトップに立つものとして、こうした疑惑を持たれるようなことがあってはなりません。そのことだけでも、自ら身を引いて責任を取るべきだと考えます。

気候変動問題では、ドバイで行われたCOP28での岸田首相の演説に対し、世界の環境団体でつくる「気候行動ネットワーク」が、対策に後ろ向きな国に贈られる「化石賞」を贈ったというニュースが届いています。岸田首相に地球温暖化対策を任せておく訳にはいきません。国会議員一人ひとりが、もっとこの問題に向き合い、自らの課題として取り組むべきです。

イスラエルによるパレスチナでの虐殺行為は、絶対に許されません。再開されたイスラエルの地上戦は、南部へと移り、北部からの避難民は行き場を失い、再び子どもや女性、市民のいのちが次々と奪われています。イスラエルは、どれだけのいのちを奪えば、戦闘を中止するというのでしょうか。問題のことは、日本政府の姿が見えて来ないことです。即時の休戦と人道的支援のためにもっと役割を果たすべきです。

オスプレーの墜落問題、危険だとの指摘を無視し配備を進める政治。そして事故後の原因究明にまたもや大きな障壁となっているのが「日米地位協定」。「日米地位協定」の見直しを本気で取り組まなければと改めて実感させられる事件です。

日も沈み、暗くなり帰宅を急ぐ市民が多く、足を止め耳を傾けるという市民は少なかったのですが、継続し続けることの意味を改めて感じながらの行動でした。

参加者は、30人でした。

いのちとうとし

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2023年12月 6日 (水)

ヒロシマとベトナム(その53-3) ~日越外交関係樹立50周年記念訪問―その2-3~

求められている 地雷・不発弾処理のための支援

下の写真は2022年10月6日に配信された「VN Express」が、「クアンチ省の高速道路から僅か270m離れた地点の地下1mで、重さ340kgの爆弾2発が発見され、撤去された」と報じていました。

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クアンチン省で撤去された不発弾(2022年10月)

次の写真は同じく2022年11月、クアンチ省南西部のホンホア県で発見された80kgの火薬を含んだ227kgの不発弾です。

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信管付き不発弾、搬出できず現場で切断(2022年11月、クアンチ省)

2022年11月23日の『ベトナムニュース(日本語版)』によると、近くの農家が農場建設中に地下1mで見つけた爆弾には時限式信管が着いていたため、他の場所に搬出できず、周辺住民100世帯を避難させ、爆破処理ではなく特殊な切断機で解体処理したということです。これがクアンチの現状です。

ベトナム全土では、国土の約18%に相当する610万㌶が地雷や不発弾に汚染され、2020年12月までに約46万㌶が除去されましたが、まだ総面積の17.1%、564万㌶が残されています。

各国のNGOなどの支援で除去作業が進められていますが、資金・人材とも不足しているのが現状です。センターを訪れた訪問団からの質問に答えてセンター長は、「100%除去することは不可能だと考えている。2035年を目標に、とくに子どもたちの犠牲者を少なくしてゆきたい。1,000名のスタッフは十分と言えない。1チーム12名で除去除去作業を進めているが、1チームにあと3人増やせれば安全性も効率も格段に高まる。何よりも人材を増やすことが課題。そのためにも世界からの資金援助、機材や設備への支援が必要」との切実な訴えは訪問団の心を揺り動かしました。

私たちに出来ること ・・・・事実に触れ伝える、 心を通わせ支援の輪を広げる・・・・

クラスター爆弾禁止条約(オスロ条約)は締結国に生産、貯蔵、使用、移譲を禁止しています。同時に、締結国はケガした本人だけでなく家族や遺族、さらに汚染された地域に対する支援を義務付けています。その履行を求めるとともに、アメリカ、ロシアなど未加盟国によるクラスター爆弾の拡散と使用を厳しく問い、オスロ条約の実効性を追求しなければなりません。

下の写真はセンターに展示されていた義足と車椅子です。地雷や不発弾で傷つけられた子どもたちを含む多くに人たちに必要な機具、機材も不足しています。センター長の説明を聞きながら、山口を拠点に枯葉剤被害者支援や地雷・不発弾による犠牲者支援を取り組んでいる友人を思い起こしました。

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不足している機材・機具(地雷処理支援センター)

また、東広島市内にある福祉分野の専門的で高度な人材を育成する大学で、学生たちがボランティアで義足や義手のメンテナンスを行っていることを思い起こしました。

様々な人や組織・団体の皆さんと情報と課題を共有しながら、私たちにも出来る支援と交流を・・・・・と、思いめぐらす学び多き地雷処理支援センター(QTMAC)視察でした。

あかたつ

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2023年12月 5日 (火)

ヒロシマとベトナム(その53-2) ~日越外交関係樹立50周年記念訪問―その2-2~

ベトナム戦争後、地雷・不発弾により8,500人が犠牲

センターは、「2015年に開設され、現在、海外のNGOなどを含む21団体、約1,000人のスタッフが活動している。1個の地雷や不発弾を安全に掘り出し、処理するには膨大な時間と莫大な費用が必要」(センター長)とのことです。説明を聞きながら、9月12日、NHKがクアンチ省の地雷・不発弾を取り上げ、「一昨年は1万8千個の地雷や不発弾が処理されたが、まだまだ先が見えない」と報道していたことを思い出しました。

地雷や不発弾による被害は、今も後を絶ちません。センター長は、「ベトナム戦争が終結した翌年の1976年から今日までの46年間に地雷や不発弾で亡くなった人は8,500人以上、年平均185人にも及び、そのうちの31%が子どもたちだ」と話されました。

犠牲者の1/3を占めるという子どもたち、その多くがクラスター爆弾によるものです。

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クラスター爆弾

クラスター爆弾は、砲弾型をしたコンテナの中に数個から手で拾える程度の数百個の子爆弾を詰めた爆弾です。親爆弾から一斉に飛散し周辺の人間を殺傷するもの、飛散した子爆弾に触れると爆発するもの、さらに興味をそそるためにカラフルに色づけしたもの・・・まで多様です。

センターにはクラスター親爆弾と子爆弾、子爆弾に詰められた鉄片などが、「危険極まりない!爆弾・地雷」「危ない!地雷」と書かれた「ドクロ入りポスター」とともに展示してありました。以前、少数民族村の学校を訪れたとき、「不発弾や地雷などを見つけたら、触らず大人に知らせよう!」という手づくりポスターで啓発、教育していると聞いたことがあります。センターでも毎年子どもたちの見学会を実施し、犠牲者をなくす取り組みを進めているとのことです。“子どもを守ることは大人の責任だ”と痛感しました。

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クラスター爆弾ほか

この瞬間も 子どもたちの命を奪っているクラスター爆弾

2008年12月3日にクラスター爆弾禁止条約(オスロ条約)が締結され、2010年8月1日に発効しました。今年3月1日現在、日本を含む111カ国が加盟しています。そのオスロ条約は、対人地雷全面禁止条約(オタワ条約)同様に、クラスター爆弾の生産、貯蔵、使用、移譲のいずれも禁止しています。

しかし、この瞬間にもウクライナ戦争、イスラエルのガザ攻撃で使用されています。ロシアはオスロ条約に加盟しておらずウクライナ侵攻で使用し、同じく加盟していないアメリカはウクライナにクラスター爆弾を供与し、ロシア軍、ウクライナ軍双方の使用で犠牲者の数が激増していると伝えられています。

ウクライナ戦争、イスラエルのガザ侵攻。子どもたちや一般市民を含め無差別に殺傷するクラスター爆弾使用を糾弾するとともに、即時停戦と平和的解決のため声を大にしなければなりません。

あかたつ

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2023年12月 4日 (月)

ヒロシマとベトナム(その53-1) ~日越外交関係樹立50周年記念訪問―その2-1~

「クアンチ省地雷処理支援センター(QTMAC)」視察

ヴォ―・ヴァン・フン省知事との会見、少数民族寄宿高等学校での奨学金授与式、省教育訓練局との交流というミッション(公式行事)を終えた翌日、11月3日は「訪問団」2つ目の目的、終日「ホアビンTour(平和の旅)」です。

クアンチ省は旧南北ベトナムの軍事境界線だったベトナム戦争最大の激戦地。全面積4,745.7㎢の82%に不発弾や地雷が残る、ベトナムでも高い「地雷・不発弾・枯葉剤の汚染地域」です。中でもクラスター爆弾による汚染は、最も高い地域の一つと言われています。訪れたのはドンハ市内にある地雷や不発弾処理と被害防止や支援を行っている「クアンチ省地雷処理支援センター(QTMAC)」。

下の地図の赤色が地雷や不発弾が残っている場所を示しています。センターでいただいた地図を分かり易くするために地名と説明を入れました。地図上部(北)のグリーンベルトが軍事緩衝地帯で、これを挟んでベトナムは南北に分断されていました。右(東)は南シナ海、左(西)はラオスです。南シナ海からラオス国境まで最も短いところで約50㎞です。ラオス国境近くの赤い部分は1968年1月から4月にかけて、米軍ケサン基地をめぐる「テト攻勢」が戦われたところです。

地図を見ると、クアンチ省全域が赤く地雷と不発弾に汚染されていることが分かります。中でもクアンチ町を見てください。白丸で囲んでいる町の全域が真っ赤に塗りつぶされています。

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地雷と不発弾に汚染されたクアンチ省

ベトナム戦争最大の激戦地 = ベトナム最大の地雷・不発弾の汚染地

1972年3月、南ベトナム解放民族戦線と北ベトナム軍が、アメリカ軍と南ベトナム軍が支配するクアンチに攻勢をかけました。軍事境界線に接し、北ベトナム侵攻の足掛かりとなる最北端の米軍基地をめぐる歴史的な攻防が始まったのです。幾度かの激闘の末、5月1日、クアンチは北ベトナム・南ベトナム解放民族戦線に明け渡され、人民軍はクアンチのシンボルであるクアンチ古城に陣を構えました。

ところが、南ベトナム大統領グエン・バン・チュウは失地回復に向けて米軍とともに総攻撃をかけ、6月28日から9月16日までの81日間にわたる激戦が繰り広げられました。センター長は、「わずか3平方キロメートルのクアンチ古城に、32万8千発もの砲弾が撃ち込まれ爆弾が投下された。その威力は広島の原爆7発分に相当する」と説明。実に、1平方メートルに110発という凄まじい数の砲爆弾が撃ち込まれたことになります。

ほぼ省全土が激しく汚染されている中でも、とりわけクアンチ町が最も汚染度が高く真っ赤に塗り潰されている理由が頷けます。クアンチ古城の戦いで亡くなった人数は、「正確には把握されていないが、チュオンソン戦没者墓地に約1万名が葬られていることから、犠牲者は1万名余りとされている」とのことです。

81日間に及ぶ激戦を通しクアンチ古城を守り抜き、米軍と南ベトナム軍を撃退したこの戦いが、その後のベトナム戦争の帰趨を制します。翌年の1973年、「パリ協定」に基づき米軍が撤退、1975年4月30日の「サイゴン解放」による祖国統一へと、大きな転換となったのがクアンチ古城の戦いです。

(2023年12月4日、あかたつ)

【編集者】毎月5日に掲載している「ヒロシマとベトナム」ですが、その53「~日越外交関係樹立50周年記念訪問―その2」は、長編ですので、今日から3回に分けて掲載します。今日はその第1回です。

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2023年12月 3日 (日)

パレスチナ・イスラエル問題へのつぶやき

イスラエル・ハマスの双方が人質解放に向けて動き出し、暫定的に停戦に入った。中東のこの地域の問題は遥か昔の歴史から現在にわたって続いている。

うちの子どもの学校のクラブ活動で、ちょうどガザ地区の子どもたちと交流した翌日の10月7日にハマスがイスラエルを攻撃し始めた。現在交流したガザ地区の子どもたちの消息は不明だそうだ。うちの子どもは衝撃を受けて、なけなしのこづかいをはたいて、ガザ地区支援募金をした。また、11月19日に広島国際会議場で開催された国際フェスタにもクラブでブースを出して、ガザ地区との交流を紹介し、ガザ地区の子どもたちが描いた絵を配っていた。

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国際フェスタにて

 ただ、なぜこのような事態になってしまったかをうちの子どもに問うてみたが、ぼんやりと領土問題くらいにしか理解していない。過去に長い歴史的に迫害されたユダヤ人がイスラエルを建国し、そのため今度はパレスチナ人が迫害された。どちらもその地は自分たちの国のはずだった。そのイスラエル建国さえもイギリス・アメリカの身勝手な政策のために利用されたものだった。子どもはクラブ活動で学んだり、あらためて私が説明してみたが、理解は難しい。ユダヤ人=ホロコーストの被害者という構図ができてはいるが、1945年以降の中東戦争では必ずしもその構図ではない。どちらも正義をかざし何度も泥沼の戦争を続けている。一時期ラビン首相たちがオスロ合意を結び和平に歩み寄っていたが、結局暗殺された。和平に向けて動くと反対派に抹殺される。うちの子どもは、来年から学校の社会科では世界史を選択するそうだ。多くの「〇〇の戦い」とうものを学ぶだろう。国と国、民族と民族の対立を、ただの受験勉強の一単語としてとらえることなく、その歴史的背景を理解し、現在にも通じるものとして学んでほしいものだ。

Mumei

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2023年12月 2日 (土)

パレスチナ国際連帯デーー「パレスチナに涙を」

11月29日は、「パレスチナ国際連帯デー」でした。

今から76年前の1947年11月29日、国連総会が決議181により、イスラエルとパレスチナの二国間共存というビジョンを決めたことから、シオニストによるパレスチナ人の追放作戦が始まり、パレスチナは内戦状態となりました。現在イスラエルという国は存在しますが、パレスチナという国は存在しておらず、パレスチナの人々は、民族自決の権利を求め続けています。1977年、国連総会で11月29日が「パレスチナ人民連帯国際デー」と定められ、国際的に連帯の行動が行われています。

この日、国連の欧州本部(スイス・ジュネーブ)では、特別会合が開催され、グテレス事務総長が声明を寄せ「一致団結して、パレスチナ自治区ガザの占領と封鎖をなくすよう求めなければならない」と訴えた上で「長期的な人道停戦」を実現するよう呼びかけたことが報道されています。

広島でも、広島パレスチナともしび連帯共同体」(毎日交代で原爆ドーム前でスタンディングをしている人たちのゆるいネットワークです)の呼びかけで、原爆ドーム前でパレスチナの人々との国際連帯デーの行動を取り組まれました。

この日の行動を田浪さんのメールから紹介します。

12時から15時まで、「ガザ・モノローグ」を英語と日本語で朗読。ここで朗読される証言は、第一次イスラエル・ガザ紛争(2008-2009)後、アシュタール劇場の若者たちが書いたものです。このモノローグは今日もなお、正しく状況を伝えています。

15時から17時まで、パレスチナの犠牲者14,843人を追悼する「Tears for Palestine」を開催します。キャンバスに赤い涙を描き、彼らの生を想い、追悼します。ボランティアが犠牲者の名前を読み上げ、一人一人の命に敬意を表します。

17時から19時まで、キャンドルナイトとオープンダイアローグ。 黒い服を着てご参加ください。

私が参加したのは、午後3時から午後5時まで行われた「キャンパスに赤い涙を描き、犠牲者の名前を読み上げる」パートです。

現地に着くと、犠牲者の名前と年齢が次々と読み上げあれていました。

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この「Tears for Palestine」という行動は、東京のパレスチナ・オブ・ジャパンが東京で企画したもので、東京ですでに犠牲者の名前が読み上げられています。広島ではそのつづき(田浪さんの話し)の犠牲者の名前が、読み手を交代しながら読み上げられていました。

その前には、巾およそ5メートルの大きな白い布が広げられ、誰でも自由に「赤い涙」を描くことができるようになっています。

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読み上げられる犠牲者の中には、3才、5才という年齢の子どもたちもたくさんいます。涙なしでは聞けません。私も犠牲者への思いを共有しながら、「赤い涙」を5つぐらい描きましたが、私は、広島県原水禁常任理事会に参加するため、4時半過ぎにこの場を後にしました。

その後の様子を貴田月美さんが、写真とともにメールで知らせてくれました。

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赤い涙で、白い布がほとんど一杯になっています。

この間に読み上げられた犠牲者の名前は、約4000人だったようです。

最終的に赤い涙で一杯になった布は、午後5時からのキャンドルナイトとオープンダイアローグで掲げられました。

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戦闘が再開されれば、さらに犠牲者の数は多くなります。パレスチナの人々の命を守るためには、戦闘の停止は絶対の条件です。

そのための広島からの行動が、さらに求められていると改めて感じました。

いのちとうとし

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2023年12月 1日 (金)

広島県原水禁常任理事会と被爆78周年原水爆禁止世界大会広島県実行委員会

広島県原水禁は、一昨日(29日)午後5時から、11月の県原水禁常任理事会、午後6時から被爆78周年原水爆禁止世界大会第3回広島県実行委員会を開催し、被爆78周年原水禁大会広島大会の総括を行いました。

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以下、提案された総括案の一部を紹介します。

「大会の概要」では、

①コロナ禍で縮小を余儀なくされていた大会が、3年ぶりに制限なしで開催され、2,100人の参加があった。

②日本政府に「核抑止力論から脱却し核兵器禁止条約にたただきに署名・批准を求める」とともに福島原発の汚染水の放出強行を強く批判した。

③山口県上関町への使用済み核燃料中間貯蔵施設建設の動きに反対する「特別決議」を採択した。

④大会会場での高校生平和大使の活動および広島県被団協への支援を呼びかけたカンパが、477,557円集まった。

「分科会」では、6つの分科会に合計960人、国際シンポジウムは42人、2つのフィールドワークには、118人の参加があった。

全体として、事務局の予想を超える参加があり、資料不足や入りきれない会場があり、今後の課題となった。

「内容的課題」として

①様々な運動的な課題とともに、次世代への運動の継承という大きな課題を背負った大会だった。特に参加者の半数以上が初参加者であり、参加者がもう少し主体的に関われないか(聞くばかりでないものに)との感想も出されており、全国の議論に反映する。

②高校生平和大使やカクワカへの評価が若い層からも高いものがありました。子どもの広場に関わった大学生も含め、引き続き、開会総会・分科会問わず活動に参加してもらえるよう取り組んでいく。

「非核平和行進」では、

コロナ禍で久しぶりの開催となったこと、さらには酷暑の中、また参加人数の減少もあり、行進を中止した地区やコースもあった。また、行進はしたものの参加者から見直しも含めたあり方を問う厳しい声も出されている。来年は、コース・距離・時間等大幅な見直しも行いながら取り組むことが必要だ。

他にも事務局運営や「分科会会場での任務分担の問題」など大会運営上の課題が、大瀬事務局長から提起され、議論に入りました。

議論では次の二つの課題について、積極的な意見が出されました。

一つは、二日目の午後、参加者に対しどのようなプログラムを提供するかです。大会二日目は、全国からの参加者に広島の実相を学んでもらうため、分科会は午後0時30分で終了していますが、初めての参加者が非常に多いので、広島県実行委員会が「碑めぐり」などのプログラムを提供し、広島にまなぶ場をつくってはどうか。

二つは、「非核平和行進」についてです。特に酷暑が続く中での平和行進となるので、これまでの歴史を尊重しながら、各地区との意見交換をしながら、さまざまな工夫し、継続して実施する。

いずれも来年の世界大会に向けた積極的な意見の提起ですので、さらに論議を深め実現に向けて努力することを確認し、二つの会議は終わりました。

なお、広島県原水禁として来年の5月27日から29日の日程で、福島原発事故に関わる現地視察を行うことを確認しました。

いのちとうとし

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