ベトナムの歴史(その30-1) ―ベトナム戦争と枯葉剤被害Ⅰ―
枯葉剤散布が終わって52年
前号と前々号でベトナム戦争中、アメリカ軍によって南ベトナム解放民族戦線の兵士とホーチミン・ルートを壊滅するために枯葉剤が、繰り返し・繰り返し散布されたことを書きました。
“ベトちゃんドクちゃん”が生まれたコントウム省に初めての枯葉剤がまかれた1961年8月10日から62年。C-123輸送機を主軸とする枯葉剤作戦(ランチハンド作戦)最後のヘリコプターが散布を終えた1971年10月30日から52年になります。1975年4月30日の「サイゴン解放」(ベトナム戦争終結)からは48年です。
今年、日本とベトナムが外交関係を樹立して50周年を迎え、私が会長を務める一般社団法人広島ベトナム平和友好協会(HVPF)が「設立15周年」に当たることから、11月初旬に18歳の青年から86歳を迎えたばかりの人生の達人まで16名でベトナムを訪問しました。
健康・いのちを蝕み続ける枯葉剤(ダイオキシン)
ベトナム戦争が最も激しく戦われた旧南北軍事境界線(旧国境)のまち、クアンチ省。そこで誰もが目の当たりにしたのは、「ベトナム戦争はまだ終わっていない」という現実でした。
今なお全面積(47,46㎢)の81%に不発弾や地雷が残り、省土の20%に枯葉剤がまかれたクアンチ省は、最も高い「地雷・不発弾・枯葉剤の汚染地域」です。
「5年前に観光旅行で北部のハノイや南部のホーチミン方面に行きましたが、今回は中部のベトナム戦争の激戦地(クアンチ省都)のドンハに行って戦争被害の大きさを目の当たりにしたことは、余りのリアルで凄いショックでした。」(74歳・男性)という感想に言い尽くされています。
クアンチの地雷・不発弾問題については、12月5日の「ヒロシマとベトナム」(その53)で報告しますので、ここでは枯葉剤被害児宅訪問について報告します。
クアンチ省枯葉剤被害者団体(VAVA)のスタッフの案内で2件の被害者宅を訪問しました。3人の被害児を育てたという81歳の父親と母親は、「4年前と昨年二人の子どもを亡くした。年老いて仕事も出来ず、この息子のことが一番気がかり」と話す。37歳という息子は話すことができなません。
2軒目の被害者は夫を早くに亡くした母親は、「二人の子どもを育ててきたが昨年一人は交通事故で亡くなった。下の子は30歳になるが起き上がることも話すことも出来ない。政府の援助で何とか暮らせている。」とのこと。クアンチの平均月収の1/3余りに相当する170万ドンの支援金と訪問団員がそれぞれが準備したおみやげ(支援物資)に、「私たちにとって、皆さんからの支援は本当にありがたい」と、お礼の言葉をいただきました。
求められる国内外の被害者支援
ベトナム全土では400万人が枯葉剤を浴び、その被害者は二世、三世、四世に及び約300万人と言われています。被害児者のための施設は全国に12の「平和(ホアビン)村」、「友好(ティンバン)村」、26カ所の社会福祉施設がありますが、圧倒的多くの被害児者が自宅で困窮しているのが現状です。
「ベトナム戦争が最も激しく戦われた」クアンチ省は、「ベトナムで最も貧しい省のうちの一つ」といわれ、人口(64万8千人)の5%に当たる3万人余りの枯葉剤被害者の状況は深刻です。
ベトナム政府も支援を拡充しつつありますが、まだまだ国・省・県・村レベルの枯葉剤被害者協会(VAVA)が、国内外の組織や支援者に支援を募り、生活支援のほか家の建設や修復、リハビリ・治療、車椅子の提供、職業訓練や就学金・・・・によるのが現状です。
広島ベトナム平和友好協会ではクアンチ省訪問時に支援金や支援物資を届けるとともに、数年に一度ベトナムから民族アンサンブルを招聘し、「枯葉剤被害児救援のためのチャリティーコンサート」の開催や、毎年8月10日の「レージェントオレンジDay」(ベトナムの祭日「枯葉剤被害者の日」)に合わせたイベント開催を通した支援活動を続けています。
本Blogを通して、またの機会にイベント案内や支援のお願いをさせていただきますので、よろしくお願いたします。
上の写真は以前訪れた枯葉剤被害児のドゥ・ドク・ズエンさん、当時8歳の写真です。1980年代に兵役に就いていた父親が訓練のためジャングルで木を伐採、そこで枯葉剤に汚染しました。出産一週間後に「(頭の一部が大きく膨らんだ)ズエンちゃんを見て気を失った」と語った母親の言葉は今も鮮明に残っています。
ズエンさんは、「一昨年(2021年)1月2日、22歳で亡くなった」とVAVAの方から聞きました。次回の訪問時には訪れ線香を手向けなければと心に秘め、被害児宅を後にしました
2023年11月20日(あかたつ)
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