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2023年11月

2023年11月30日 (木)

2023年11月のブルーベリー農園その4

2000年からブルーベリー農園を営んでいる。東広島市豊栄町のブルーベリー農園まで安芸区の自宅から週末に通うのだが、夏場と違って朝は遅く、帰りは日が暮れるのが早いので作業は午後が中心になってしまう。夏の賑わいはすっかりなく、近隣の農作業もみることはなく、生き物の動きは落葉のかさかさする音くらいで、寒くはないがしんみりとした気配が漂うなか、早生のブルーベリーの葉が落ちて枝だけになってきたのでブルーベリーの剪定作業を始める。

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11月23日(木)

祝日なのでこの日も農園に行く。剪定したブルーベリーの枝を野焼きしたり、里山の早生のブルーベリーの剪定を続ける。

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3段あるブルーベリー畑の一番下の畑と隣の休耕田。紅葉したブルーベリー畑と、夏の草がすっかり枯れた休耕田と。

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11月25日(土)

里山のブルーベリー園の剪定作業を続ける。早生のブルーベリーでまだ葉のついている木は落葉するまで剪定をもう少し先にする。

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里山の早生のブルーベリーのエリアは2002年に植えたので木が古くなってきており思い切って根元から切っていく。中にはシンクイムシの被害で穴の開いた枝もありそこに細い枝を差し込んでおいた。

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11月26日(日)

ブルーベリーの剪定作業の前に、数年ぶりに農園の花壇のスイセンの球根を掘り上げた。株分けをしてブルーベリー畑に植えた。

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畑にはもう花の咲く野の花はホトケノザくらいしかない。

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里山の早生のブルーベリーの剪定を続ける。切った後枝が乱れないようにビニールハウスで使われるハウスバンド(マイカ線ともいう)で数か所くくる。これまで使ってきた麻ひもは夏の実がたわわにつくと重さで切れることがあるので今シーズンはこれで縛っていく。

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農園の周囲の晩秋。

①ブルーベリー畑の紅葉。赤みが一段と増してきた。

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②里山のカエデの紅葉

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③里山の里道沿いのサンショウの紅葉

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④5時10分頃の農園に出た月。5時半には辺りはすっかり暗くなる。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2023年11月29日 (水)

広島市主催「被爆建物めぐり2023」―広島高等学校講堂

「被爆建物めぐり2023」の最後は、広島高等学校講堂(広島大学付属中・高等学校講堂)です。

広島陸軍被服支廠からは約1キロ、団体で歩きましたので、15分ぐらいかかり、広島大学付属中・高等学の正門に着くと、日曜日でしたが学校の職員の方が待っておられます。個人で見学しようと思えば、事前(10日前)に連絡しなければならないようですが、今回は広島市の主催の行事でしたので、学校側が準備していただいたのだと思います。

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被爆建物の講堂は、正門の正面に位置しています。爆心地からの距離は、2.69kmです。

講堂前で、山下さんの説明を受けた後、「自由に見学してください」と学校側から許可が出ましたので、それぞれ思い思いに講堂の中に入り見学をしました。

玄関には装飾が施されています。

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タイル張りの講堂の入り口には、竣工時を示す数字「2587」が、描かれています。竣工は、1927年(昭和2年)ですので、この数字は「皇紀」の年数です。

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当時の時代状況をあらわしています。このタイルを踏んで、中に入ります。二階から写した講堂の内部です。

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 並んでいる椅子は、新しくなっていますので、現在も使われていることがわかります。左右の柱は、最近塗り替えられてそうです。竣工時の写真には、天井にはシャンディリアがあったようですが、今はLEDに代っています。

いろいろと改修されていますが、それでもはっと思うような建築当時の装飾がいたるところに残っています。

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 爆心地から2.5km以上離れていますので、鉄筋コンクリート造りだった講堂(他に図書館、化学教室も鉄筋コンクリート造り)は、被爆の影響を見ることはできませんが、古典様式を取り入れた建築物として貴重なもののような気がします。もちろん木造造りだった校舎本館や雨天体操場などは、全壊、半壊、大破などの被害を受けたことが、広島原爆戦災史に記載されていますが、その中に講堂は書かれていませんので、ほとんど無傷だったようです。

広島原爆戦災史には、広島高等学校も即死者は、教職員4人、生徒約24人の即死者を出たと書かれていますが、いずれも動員先での被爆です。当時学校には、教員2人、生徒約60人がおり、被爆時朝礼が行われていたようですが、即死者や重傷者はいなかったようです。

広島高等学校講堂の見学を最後に今年の「「被爆建物めぐり2023」は終わりになったのですが、帰宅しようと正門に向かうと、左手に気になるものが目に入りました。

正門の横(正門入って右)に建つ「原爆死没者および戦没者 慰霊碑」です。

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最下段に刻まれた「アカシア会」は、広島大学付属中・高等学校の同窓会の名前ですが、気になるのは、碑の上段に刻まれている「原爆死没者および戦没者」の文字です。戦没者の文字が刻まれている慰霊碑は、きちんと調べなければなりませんが、少ないのではないかと思うからです。裏に回ると、建立年月日が「平成17年4月17日」と刻まれています。平成17年は西暦2005年ですが、広島大学付属中・高等学校の前身でである広島高等学校が創立されて100周年という節目の年ではありますが、被爆から言えば60周年という時期です。なぜこんなに遅く建立されたのか、こちらも気になります。

いつか、遅くなった理由を調べてみたいと思っています。

いのちとうとし

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2023年11月28日 (火)

広島市主催「被爆建物めぐり2023」

今月19日、広島市が主催する「被爆建物めぐり2023」がありました。こちらは、何とか抽選に当たり、参加者のひとりに加わることができました。

今回の被爆建物めぐりのサブタイトルは「南区の被爆建物を通じて、ヒロシマをさがそう」ですので、巡る被爆建物は、南区にある広島陸軍兵器補給廠(広島大学医学部資料館)、広島陸軍被服支廠(旧日本通運出汐倉庫)、広島高等学校講堂(広島大学付属中・高等学校講堂)の3カ所でした。

何度も見学した被爆建物が二つ入っていますが、興味を持ったのは最後に訪れた「広島講堂学校講堂」です。ここは、何度か訪れようと思いながら実現していなかった被爆建物です。

集合場所は、広島大学医学部資料館前。午前10時前に全員がそろい、被爆建物めぐりがスタートしました。

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今回のガイドは、都市計画プランナーの山下和也さんです。山下さんは、広島平和記念資料館が被爆50年事業として発刊した「ヒロシマの被爆建造物は語るー未来への記録」(1996年3月発刊)の作成スタッフの一員です。また当時のメンバー三人と2006年9月に「ヒロシマをさがそう 原爆を見た建物」を出版されていますので、被爆建物についてのスペシャリストです。

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当日配布された資料に被爆建物について次のように記されています。

被爆建物・・・ヒロシマの道標(しるべ)

・被爆前の町の姿と暮らしを伝え、被爆前後の歴史をつなぐ道標。

・被爆時において、逃れ、人を探した道標。

・被爆直後の救援や復興を支えた道標。

・建築・空間を通じて被爆の実相と体験を伝える道標。

・刻み込まれた記憶を読み解き、想像して、未来を考える道標。

道標を頼りにヒロシマを歩こう。ヒロシマをさがそう。

帰宅後、「ヒロシマをさがそう 原爆を見た建物」を開いてみると、上記「ヒロシマの道標」が、この本のまとめ的に記載されていました。今後の被爆建物見学では、この道標を指標にしたいと思います。

被爆建物見学の最初は、集合場所でもある「広島大学医学部資料館」です。この建物については、すでに何度もこのブログでも書いていますので、なぜこの建物が被爆建物なのかなどは省略します。

山下さんのガイドのうち2点を紹介します。下の写真を見ながら、読んでほしいと思います。

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前にも紹介したことがありますが、上側の朱色っぽいレンガのうち、白っぽいレンガが被爆建物で使われていたレンガで、広島県産で廿日市の地御前や能美の高田などで焼かれた広島県産です。

レンガの積み方は、小口と呼ばれる小さなものと長手と呼ばれる長めのものが、横一列づつ順番に積み重ねられています。この積み方は、イギリス積みと呼ばれ、日本にあるレンガ造りの建物の9割以上は、この積み方でつくられています。後で訪れた被服支廠も同じ積み方です。この他にフランス式と呼ばれる積み方があり、こちらは小口と長手を混ぜて積む積み方です。

以前から気になっていた足下の黒っぽいレンガについてです。この黒っぽいレンガは、地面に近いということで、吸水性の低い素材や釉薬を塗って、吸水率を下げるように作られものです。ちょっとだけ知識が増えました。何度訪れても、いつも新たな発見があります。

広島陸軍兵器補給廠の見学を終え、広島陸軍被服支廠(旧日本通運出汐倉庫)に移動します。

陸軍被服支廠についても、すでに何度も紹介していますので、省略したいと思いますが、一つだけ初めて聞く話がありました。

それは、西側に並ぶ鉄扉の変形具合です。

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以前の見学でも鉄扉が変形していることはよくわかっていましたが、山下さんの説明によれば、「3棟ある建物のうち北側の建物ほど変形具合は小さく、南側にある鉄扉ほど変形が大きくなっている」とのことでした。その説明を受けてよく見ると、確かに南側の建物ほど鉄扉の変形が大きいように見えました。

この説明は、私は初めて聞く話です。爆心地から遠い方に影響が大きくなっていることが不思議な気がしますが、北西にある比治山が風の流れに何らかの影響があったように思われます。

これで、二つの被爆建物の見学は終わり、いよいよ次は、私が今回の見学会で一番期待している広島高等学校講堂(広島大学付属中・高等学校講堂)へ移動しました。少し距離がありますので、このつづきは明日報告します。

いのちとうとし

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2023年11月27日 (月)

届けキャンドルメッセージ

HANWAが呼びかけた「ガザ無差別大量虐殺の即時停止、核戦争阻止」を訴えるキャンドルメッセージ行動が、26日夕方原爆ドーム前で行われました。

今回1500本のキャンドルで描かれたメッセージは、「STOPGENOCIDE in GAZA  NO NUKES NO WAR!」です。

ガザの無差別大量虐殺の即時停止を求める「STOPGENOCIDE in GAZA」の文字は、市民団体によって11日に同じ場所で描かれたキャンドルメッセージと同じです。「NO NUKES NO WAR!」の文字には、27日から国連本部で始まる核兵器禁止条約の第2回締約国会議に共闘する思いを込めたメッセージでもあります。

午後4時から賛同する人たちによって、文字作りが始まり、日が沈みはじめた午後5時20分過ぎから点火され、文字が浮かび上がりました。

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全員で黙祷の後、森滝春子さんが最初のこの行動の趣旨を説明。続いて、田浪亜央江さんが、アピール。続いて、パレスチナ留学生のレベッカさんがアピール。

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最後に「ガザ無差別大量虐殺の即時停止、核戦争阻止 ヒロシマ・キャンドルアピール緊急行動声明」をHANWAの足立修一代表が読み上げて、この日のキャンドルメッセージによるアピール行動を終了しました。

この行動の要旨を紹介するため、アピール文の一部を紹介します。

「24日、イスラエルは圧倒的な国際世論に迫られてガザ・ジェノサイド攻撃を4日間休止せざるを得なくなった。ハマスは約束通り人質を解放している。イスラエルは[政治犯]として捕囚しているパレスチナの女性、子供を一部開放するところまで追いつめられている。

しかし、ネタニヤフ首相は、一時停戦後には直ちにハマスを殲滅する迄パレスチナ人への攻撃を再開すると宣言している。

イスラエル・ネタニヤフ政権のこれまで行ってきた、決して許されない病院への攻撃、国連経営の学校や避難施設まで壊滅状態にしてきた。ガザ地区の住民の電源を奪う強制停電、外部との連絡網、水、食料、電気、燃料、移動の自由の供給を遮断している。

(略)

今回さらに前例のない激しさで、ガザ地区のへの地上侵攻による爆撃と空爆を続けている。命がけで患者の治療に当たる医師たちや国連、国際NGOまで犠牲にして極悪非道の残虐な仕打ちをしている。このような一国家による他民族へのいわれなき侵略、収奪、虐殺行為が現代において許され良いというのか!

ネタニヤフ首相は、冷然と言い放った!「パレスチナ人は人間ではない、動物だ。すべてをせん滅しなければならない」と。まさに民族浄化だ!

(略)

ナチスによるユダヤへのホロコースト、Nuclear Genocideと言われるアメリカによるヒロシマ・ナガサキのへの無差別大虐殺の非人道的な歴史的事実は、人類が決して再び犯してはならない重大な国際犯罪である。

2021年にやっと人類が到達した核兵器禁止条約TPNWが2回目の締約国会議を迎えている。

そこに、原爆投下国米国や被爆国日本政府の姿はないのみならず、TPNWを否定している。そのことが、ロシアのウクライナへの核使用の威嚇、イスラエルの核保有を自認する核兵器使用発言まで許す誘因となり、核戦争の危機を招いているのではないのか?!

私たちは、無差別に不当な力によって殺戮され傷つけられ、愛する家族を奪われ、環境を破壊されているすべての人々に連帯する。

私たちは、世界で隠蔽されてきたすべての核被害者に連帯する。

私たちはヒロシマから世界に訴える! 

イスラエルによるパレスチナ・ガザ殲滅、ジェノサイド攻撃の即時停止を!

ウクライナ戦争の即時停止を!

核被害者、核被災地への完全援護を!

核と人類は共存できない!

(以下略)」

この声明と写真は、ニューヨークの反核団体を通じて、拡散されることになっています。また、首相、アメリカ大使館、イスラエル大使館にも送付されます。広島からのメッセージが世界に届くことを願っています。

急きょの呼びかけでしたが、100人の参加がありました。

いのちとうとし

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2023年11月26日 (日)

2023ピーススクールと第五福竜丸展示館見学

一週間ほど前になりますが、17日から19日の三日間、東京の自治労会館で平和フォーラムが主催する「未来はワタシが決める 2023ピーススクール」が開催されました。

このピーススクールは、今年で4回目となりますが、私も昨年に引き続き「原水禁運動の歴史に学ぶ」をテーマに、二日目の講師を務めました。

二日目は、朝食後夢の島にある「BnmB 東京スポーツ文化館」に移動して、原水禁運動に関わる講座二つが行われました。最初は、第五福竜丸展示館学芸員の市田真理さんの「第五福竜丸物語~核兵器廃絶の祈り~」で、その講演を受けて私が話すことになりました。

市田さんは、今年6月に開催した「被爆78周年原水禁世界大会広島実行委員会結成総会」で「第五福竜丸を知っていますか?」と題した記念講演を行っていただきました。その時の様子は、記念講演「第五福竜丸を知っていますか?」: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で紹介しました。

市田さんの講演を受けて私の講演を行いました。二日目の午前中は、この二つの講演で終了し、昼食後すぐ近くにある「第五福竜丸展示館」の見学が行われました。

私も一緒に参加しました。「第五福竜丸展示館」は、これまで訪れたことがありませんでしたので、ピースフォーラによい機会を与えてもらうことになりました。

BnmB 東京スポーツ文化館」から移動しての入館でしたので、正面からではなく裏口からの入館になりました。

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入るとすぐに第五福竜丸の舳先が目に入ります。

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周囲には、ビキニ水爆実験の様子や世界のヒバクシャも紹介されており、核被害の問題を学ぶことができます。

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館内の見学を終え、館外に出ると、周囲にたくさんのモニュメントがあります。そのいくつかを紹介します。

ビキニ水爆実験の犠牲者となった久保山愛吉さんの言葉「原水爆の被害者は、わたしを最後のして欲しい」が刻まれた石碑。

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1996年12月に海中から引き上げられた第五福竜丸のエンジンも有ります。

第五福竜丸は、1967年に廃船になりましたが、エンジンは買い取られ貨物船「第三千代川丸」の取り付けられたのですが、その船が座礁・沈没し、海中に沈んでいた者が引き上げられたそうです。

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すでにかなり劣化が進んでいますので、今後のさらなる劣化が心配です。

もう一つは、敷地の東端にある「マグロ塚」です。

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ビキニ水爆実験によって多くのマグロが汚染されました。水揚げされたマグロは、消費者の手に届く前に、全て中央卸売市場の築地市場の一角に埋められ処分されました。そのことを忘れないようにと、この「マグロ塚」が建立されました。本来は築地市場に建てたかったようですが、築地市場の移転問題などもあり、この地に建立されたようです。

見学を終えて帰路につくとき、ようやく正面の入り口の写真を撮りました。

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こちら側には、きちんと「第五福竜丸展示館」の看板が取り付けられています。

「第五福竜丸展示館」の最寄り駅、新木場駅までは、東京駅から京葉線でわずか10分で行くことができ、新木場駅から展示館までも徒歩10分という近さです。何度も東京を訪れていながら今回が初めての見学でしたので、大きなことは言えないのですが、ぜひ少し時間を取って行ってみてほしいと感じました。

展示館の見学を終えると、ピーススクール参加者は、地下鉄有楽町線・新木場駅から自治労会館に移動、私は、同じ駅からJRを利用し、東京駅を目指しました。

ピーススクールの参加者は、41名、うち5名が広島からの参加でした。

いのちとうとし

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2023年11月25日 (土)

中国電力、上関町での中間貯蔵施設調査地の森林伐採出来ず!

11月19日、中電は上関町での中間貯蔵施設建設に向けての調査予定地6900平方メートルの森林伐採を行わないまま、この日を向かえました。8月21日に上関町に申請していた伐採終了の期限でした。

中電は、「改めて再度申請をすることになるが、その時期は未定」としました。今の状況では、当分は行わないだろうというのが私の考えです。

8月2日、急に浮上したとされている上関町への中国電力と関西電力による中間貯蔵施設建設に向けた調査の申し入れ、実は長年にわたる周到な準備によってなされてきたことは、いろいろな場で話しておりました。

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特に原発内の使用済み核燃料貯蔵プールに余裕の無い関電が、福井県知事から今年中に県外搬出の目途が立たないと、美浜原発などの再稼働を認めなないと言われ続けられたことから、形だけでも方針をつけないとという気持ちを持っていたのは事実だと思います。

しかし頑なだった福井県が、10月10日に関電と資源エネルギー庁の幹部が福井県を訪れ、話合いを行ったら、その3日後に福井県知事は県外搬出をしなくても、再稼働を認めるとしました。再稼働を認めた具体的な内容はマスコミ報道でしか知りませんが、まさにズッコケでした。

このことは関電にとって、上関町への中間貯蔵施設ということの意欲が薄くなったのは事実でしょう。また中国新聞が実施した山口県内自治体へのアンケート調査では、中間貯蔵施設に賛成なのは上関町だけという結果となり、当事者の西哲夫上関町長もあてが外れたと想像しています。特に賛成してくれるものと思っていた、福田良彦岩国市長の反対表明は、西町長には大きく響いたようです。

 こんな状況の中では、調査OKとは言わないのが村岡嗣政山口県知事のスタンスです。11月7日に中電の中川賢剛社長が山口県を訪れ、村岡知事と面会した後、報道陣に発言した内容について村岡知事は「ミスリードになる遺憾だ」と不快感を示したのです。

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画面中央が中国電力上関原発の建設予定地(共同)

新聞記事から、中川社長と村岡知事の発言を再現してみます。

中電社長(7日の山口県知事との面会後に報道陣に対し)

「知事からは丁寧な対応を行うように、周辺の市町にしっかり理解を得るように指示をいただいたので、指示に従って丁寧な説明をこれから続けてまいりたい」と話しました。

山口県知事(8日の記者会見で)

「理解を得るようにという指示はしていない。あたかも推進の立場と捉えられかねない。理解したかどうかは各市町が判断することで、私の基本的な姿勢ともまったく相いれない」と話したのです。

山口県知事から「ミスリード」「遺憾」と言われ、中電社長になってからの最初の大仕事にケチがついたのですから、中川賢剛くんも当分はおとなしくしているでしょうね。一方の西哲夫くんは10月31日、国に対し中間貯蔵施設調査受け入れによる交付金の申請を行いました。

彼らしいやり方です。

とは言いながらも、この問題は政治の動きに大きく左右されることです。今後の動きに注目しながら監視していくことが大切だと思っています。

木原省治

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2023年11月24日 (金)

沖縄を再び戦場(いくさば)にさせない!広島を出撃拠点にするな!

沖縄で開催された「沖縄 11・23県民平和大集会」に連帯する集会やイベントが全国各地で取り組まれました。

広島でも昨日午後1時30分から、広島と沖縄をむすぶドゥシグヮー と戦争させない・9条壊すな! ヒロシマ総がかり行動実行委員会が共催する「沖縄を再び戦場(いくさば)にさせない!広島を出撃拠点にするな!」をタイトルとする集会が、広島弁護士会館で開催されました。

沖縄の平和大集会は、「沖縄を再び戦場にさせない沖縄県民の会」が呼びかけ、辺野古新基地建設、自衛隊ミサイル配備、安保関連3文書改定 などなど、沖縄の声を無視し、沖縄を再び戦場(いくさば)にしようとする流れを止めるため、県民の声を結集しようと開催されたものです。

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戦争への加担を強いられるのは沖縄だけではありません。広島も米軍岩国基地や海上自衛隊呉基地も拡大強化され、再び広島が、出撃拠点となろうとしています。

午後1時半から始まった集会は、菊間さんの司会で始まり主催者のあいさつは、総がかり行動共同代表の石川幸枝さん。「沖縄のことを思うといつも胸が痛む。ガザでもそうだが、戦争になればいつも犠牲になるのは子どもたち。沖縄で座り込みをしている人が『辺野古のためだけに座りこんでいるのではない。日本のために座りこんでいるのですよ』と言っていたことが心に残っています」と、この集会への思いを述べました。

続いて、新田秀樹さんが「広島の基地の現状」を報告し講演に移りました。

最初は、元海上自衛官でVFPジャパンの形川(なりかわ)健一さんが、奄美諸島から沖縄列島にかけて進む「自衛隊の南西シフト」の状況について詳しく解説。形川さんは、2014年まで27年間、海海上自衛隊に勤務し、厚木基地や那覇基地などで航空機整備に従事し、現在は自然農家として三次に在住。

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形川さんの話で印象に残ったことは「9月に沖縄を訪れた時、与那国島に行ったのですが、与那国島に自衛隊の駐屯地ができて4年、自衛隊員が迷彩服でうろうろしても、島の人が何も感じない風景になっている。島民の半分が自衛隊の関係者になっていることが原因と思われる。」ということです。そして「沖縄では基地などに対する問題意識が高いが、本土では?そこで何をするのか、何ができるのか」という問いかけでした。

二人目は、元陸上自衛官、VFP ジャパンの魚住真由美さんが、現在自衛隊内で大きな問題となっているセクシャル・ハラスメントの問題について解説。魚住さんは、1998年まで 6 年間、陸上自衛隊に勤務した経験を持っています。

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魚住さんは、「今、元陸上自衛官の五ノ井里奈さんの訴えで自衛隊内の性被害がクローズアップされていますが、私もずっと自衛官時代同じ体験をしてきました。当時、訴える場所もなく、ハラスメントの言葉、なかった。」と当時の自分の体験を赤裸々に報告されました。

VFP(ベテランズ・フォー・ピース: 平和を求める元軍人の会)は、1985年、米国で従軍経験のある元軍人(ベテランズ)と軍人の家族、およびその賛同者により結成された国際的な平和団体で、二人が所属するVFPジャパンは日本の元自衛官と市民の有志により2017年6月1日に設立された組織です。「『戦場のリアル』と『戦争する国の経済のリアル』を、みなさんに考えていただくことを通じて、平和をつくっていく」ことを目的に活動を続けています。

そうした目的を持って活動する元自衛官の二人ですので、その話は、実感のこもったものでした。

その後、会場からに質問に二人が答える対談が行われました。

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集会の最後は、広島と沖縄をむすぶドゥシグヮーの閉会あいさつと三線の演奏と会場と一体となった歌声(「優しい心を武器にして」「月桃の花」)で、集会は終了しました。

沖縄の集会の参加者は、7,500人、広島会場は60人の参加がありました。

いのちとうとし

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2023年11月23日 (木)

2023年11月のブルーベリー農園その3

安芸区の自宅から東広島市豊栄町のブルーベリー農園に週末に行ってブルーベリーの栽培を2000年から続けている。収穫したブルーベリーは主に安芸の郷に納品してブルーベリージャムなどに加工され販売される。その結果安芸の郷の事業所に通う障害者の皆さんの労働の確保と工賃の確保につながっている。晩秋のブルーベリーの作業は見回りが中心で、落葉を待って枝の剪定が始まるスケジュールになる。切った枝を野焼きすればサツマイモを焼くことができるがそれはもうしばらく先。

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11月18日(土)

日中の気温が8度くらいで寒く、農園の小さい畑の富有柿の葉もすっかり落ちていた。

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ブルーベリー畑の紅葉も一段と赤色を帯びてきた。

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農園の家のサザンカは花数が多くなり、

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家の裏の花壇のヤツデの花。晩秋に咲く。隣のイチョウの落葉も進んでいる。

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里山の早生のブルーベリーもほとんど落葉している。木の根元にところどころシンクイムシが入っていたので殺虫剤を穴の中にスプレーしておいた。

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11月21日(火)

農園の見回りをする。10月の初めに緑肥目的でブルーベリー畑にまいたカラシナがたくさん芽を出し大きくなっている。

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カラシナは食べられるので先っちょを切って煮びたしにして昼ごはんでいただく。茎の部分はちょっと固い。

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里山にある廃家の敷地に大きな栗の木がある。100年以上は経っていると思われる。根元から2mくらいの高さの胴回りが空洞になっている。

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木の下から上を見上げると10mもある高さで葉を広げている。この場所に近づいたとたんばたばたばたとキジが飛び立ったので一瞬びくっとした。

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いい天気なので澄んだ青空に柿の実が映える。

①農園の富有柿

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②農園からの帰り道に立っている大きな柿の木。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2023年11月22日 (水)

友遠方より来たる

ドイツのポツダムにある「ヒロシマ・ナガサキ広場」の記念碑建設(2010年)の活動を通じて知り合ったドイツ・ベルリン在住のふくもとまさおさんが、久しぶりに帰国し、広島で再会しました。

ふくもとさんには、このブログにも、何度かドイツの最新事情を提供していただいていますので、読んでいただいたかたもあると思います。

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ふくもとさんの今回の帰国の目的は、第二次世界大戦中、日本が進めていた核兵器開発にドイツのナチスがどう関わっていたのか、その資料を調査するためです。私たちが会った13日も、旧海軍時代の資料を調査するため呉を訪れ、夕方広島で会うことができました。

8年ぶりの再会を喜び、夕食を共にしながら、旧交を温めました。同席したのは、2度のベルリン訪問に同行した久保さん、そして、今回の調査に協力することになった元RCC記者のKさんです。

福本さんから、今度帰国するというメールが入ったとき、「元地方放送局に働いていたKさんを知らないか」との問い合わせがあり、以前からの知り合いであったKさんに間違いないだろうと紹介したことがきっかけで、今回Kさんも同席してもらうことになったのです。

Kさんは、プラモデルの作成を趣味にしておられ、戦闘機についての造詣も深く、ふくもとさんが知りたいと思っておられた戦闘機の情報について、記者時代に番組を作成した経験を持っておられたのです。

会食は、そんな話しから始まりました。そして興味をそそられたのは、当時のドイツの核兵器開発がかなり進んでおり、核実験も行っていたのではないかという話しでした。いずれ、ふくもとさんが、本として発表されると思いますので、ここでの紹介はこれぐらいで終わりにします。

ふくもとさんが、今度の帰国で、私と会いたいと要望されたのは、もう一つ大切な事情がありました。

それは、ポツダムにある「ヒロシマ・ナガサキ広場」の現状と整備の状況を知らせることでした。

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今回、ふくもとさんの話で知ったのですが、「ヒロシマ・ナガサキ広場」と名称が付けられた公園は、もともとポツダム市が所有しているのですが、私たち「ポツダムヒロシマ・ナガサキ広場をつくる会」が建設した碑(【ニュースペーパー10月号】ドイツ・ポツダムに原爆追悼記念碑が完成|ニュース|原水禁 (peace-forum.com)の所有権は、碑の作者の藤原信(まこと)さんにあったようです。

ふくもとさんの今回の話しは、その碑をポツダム市に寄贈し、今後市が管理することになったという報告でした。その経緯では、作者である藤原さんがすでに亡くなっておられるため、継承者捜しが大変だったようですが、最終的には碑の石を提供したノルウェーの石材店が所有したことにし、市に譲渡することで話が進んだということでした。合わせて、うれしいことですが、たくさんの人が碑を訪れているようで碑のすぐ周囲の芝生がなくなっており、それらを含めて全体の整備をすすめることになったとのことです。

こんなうれしい便りが聞けて、本当に楽しいふくもとさんとの再会になりました。

ふくもとさんは、今月末まで日本に滞在し、更に日本での調査を進めるとのことでした。

友は、遠方よりうれしい便りを持って広島を訪れてくれました。

いのちとうとし

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2023年11月21日 (火)

三原地区・府中地区の11月の街頭行動

【三原地区】

11月11日(土)、三原駅前ロータリーにおいて「戦争をさせない三原市民行動」の月例街頭アピール行動を開催し18人の市民が参加しました。最初に司会の上羽場から、「パレスチナ・ガザにおいて行われているイスラエル軍によるガザの住民に対するジェノサイドに抗議する。あまりにも非人道的な、そして一方的な虐殺行為に対して、全世界で『空爆止めろ!』『子どもを殺すな!』の声が上がっている。今日は、こうした全世界の声と行動と連帯したアピール行動として行いたい」旨の提起を行いました。

マイクを握られたのは政平智春市議、寺田元子市議や市内で様々な活動されている方々の6名。政平さんは「ニュースではハマスによる突然の武装攻撃が発端”で、イスラエル側はそれに対する反撃を行っているといわれているが、過去数十年に亘ってイスラエルによる空爆や住民追い出し・虐殺は続いて来ていた。こうしたことは全く報道されていない。ダビデとゴリアテほどの違いがある軍事力に様々な形での抵抗闘争がパレスチナ側から行われているが、現在のイスラエルの空爆・軍事侵攻はまるっきり一方的な虐殺行為だ。世界の声を一つにして止めさせなければならない」と訴えられました。

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寺田議員や市民の中西さんは「子どもや女性、関係のない住民が一方的に殺されている。国連総会で120以上の国々が即時停戦と人道的な対応を求める決議を上げたが、アメリカ以下十数か国はイスラエル側に立ってこの決議に反対、平和憲法を持つ日本こそは全力で仲裁に入るべきなのに政府は棄権に廻ってしまっている。世論の力で政府の外交政策を変えていこう」と口々に訴えられました。また、高木さんも「イスラエルは、戦争は『絶対悪』とした国際憲章や様々な国連決議を無視しさって今日までやりたい放題をしてきている。イスラエルのバックにあるアメリカ、そして、そのアメリカの顔色を伺うことしかできない日本の岸田政権を市民の力で打倒さなければならない。私たちは微力かもしれないが、決して無力ではない。全世界の戦争反対の声と合流して頑張ろう」と結ばれました。

最後に司会の方から「ここ一ヶ月の間にアメリカで数十万人規模の戦争即時停止・イスラエルの侵攻反対のデモが波状的に行われている。ヨーロッパや中東でもイスラエルによるジェノサイドに抗議する大規模な市民のデモが起きている。日本でもイスラエル大使館に向けて数千人規模の抗議デモも行われた。広島でも連日のように原爆ドーム前での行動が行われている。一人でも多くの人が声と行動を起こそう」と結んで、行動を締めくくりました。 

上羽場 隆弘

【府中地区】

今日は新たに2段で「イスラエルはガザ虐殺はやめよ standing against GAZA genocide」の横幕を掲げてリレートークとスタンディングを30分間行いました。午後3時から上下Aコープ前8人、4時30分から府中天満屋店前9人の参加でした。

4人の人が話された内容です。

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左は上下、右は府中

Aさん 「イスラエル軍がガザで行っている軍事攻撃に世界中の人たちが『即時停戦』と声をあげています。それなのに1027日の国連総会で行われた『ガザでの人道的休戦』決議で、賛成が121カ国という中で日本は棄権しています。岸田首相はイスラエル支持であります。だから1110日から13日の間に行われた時事通信の世論調査では岸田首相の支持率は21%と危険水域と言われている30%を大きく下回っています。」

Bさん 「最近、自衛隊が民間空港を使用している。まるで戦時体制づくりで危険な行動だ。また、4人家族の世帯は16万円の税金が戻ってくるという定額減税の話です。112日に閣議決定されましたが、11月8日の国会の委員会で鈴木財務大臣は『過去2年間で税収が増えた分は政策経費や借金である国債の返済にすでに使っている。減税するなら借金である国債を発行しななければならない』と言っています。つまり、『定額減税のお金は国民が借金して作り、自分たちで返せ』ということであります。これこそサギです。」

Cさん 「少子化対策で高校生に児童手当を拡充するといっていますがその財源のために税金の扶養控除を縮小すると言っています。国民年金の保険料の支払いも5年間延長して65歳までとする。約100万円の新たな負担です。実質の増税以外の何ものでもありません。これでは国民は貧しくなるばかりです。

税金や社会保険料の合計であります国民負担率は収入の50%に達しています。江戸時代の五公五民と同じです。53年前の1970年に24.3%だった国民負担率は、44年前の1979年には30%に、10年前の2013年には40%、そして現在は50%に上昇してきました。結局、収入の半分は税金や社会保険料にとられています。反対に来年度は軍事費をGNP1%約5兆円から、2%8兆円に引き上げています。『貧困格差と戦争は手をつないでくる』といわれています。戦争法と言われています安保法制は国会で決まった8年にたちましたが、結局、軍需産業が儲かり、国民を貧乏にする法律です。安保法制を廃止し、国民の生活を大事にする政治に変えていきましょう。」
Dさん 「イスラエル軍がガザで行っている軍事攻撃はまさしく生き地獄です。世界中の人たちが『平和的に生きる権利を持っている』と声をあげています。

今日は日曜日なのか車の中からいつも以上に手を振っていただきありがとうございます。安保法制が廃止されなければ来月の19日も行動を行います。今日はありがとうございました。」と締めくりのあいさつがありました。

その後、反省会兼連絡があり、今日、日曜日の午後から府中市議会の議会報告会が行われた報告があり、「若い人が『日曜日の昼間なので参加した』と4人の若者がきて、目的を達した」と言われました。

小川敏男

【編集者】三原の藤本さんは、護憲大会に参加され不在でしたので、上羽場 隆弘さんに原稿を書いていただきました。上羽場さんありがとうございました。少し長くなりましたが、一回で掲載しました。

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2023年11月20日 (月)

ベトナムの歴史(その30-1) ―ベトナム戦争と枯葉剤被害Ⅰ―

枯葉剤散布が終わって52年

前号と前々号でベトナム戦争中、アメリカ軍によって南ベトナム解放民族戦線の兵士とホーチミン・ルートを壊滅するために枯葉剤が、繰り返し・繰り返し散布されたことを書きました。

“ベトちゃんドクちゃん”が生まれたコントウム省に初めての枯葉剤がまかれた1961810日から62年。C-123輸送機を主軸とする枯葉剤作戦(ランチハンド作戦)最後のヘリコプターが散布を終えた19711030日から52年になります。1975年4月30日の「サイゴン解放」(ベトナム戦争終結)からは48年です。

今年、日本とベトナムが外交関係を樹立して50周年を迎え、私が会長を務める一般社団法人広島ベトナム平和友好協会(HVPF)が「設立15周年」に当たることから、11月初旬に18歳の青年から86歳を迎えたばかりの人生の達人まで16名でベトナムを訪問しました。

健康・いのちを蝕み続ける枯葉剤(ダイオキシン)

ベトナム戦争が最も激しく戦われた旧南北軍事境界線(旧国境)のまち、クアンチ省。そこで誰もが目の当たりにしたのは、「ベトナム戦争はまだ終わっていない」という現実でした。

今なお全面積(47,46㎢)の81%に不発弾や地雷が残り、省土の20%に枯葉剤がまかれたクアンチ省は、最も高い「地雷・不発弾・枯葉剤の汚染地域」です。

5年前に観光旅行で北部のハノイや南部のホーチミン方面に行きましたが、今回は中部のベトナム戦争の激戦地(クアンチ省都)のドンハに行って戦争被害の大きさを目の当たりにしたことは、余りのリアルで凄いショックでした。」(74歳・男性)という感想に言い尽くされています。

クアンチの地雷・不発弾問題については、12月5日の「ヒロシマとベトナム」(その53)で報告しますので、ここでは枯葉剤被害児宅訪問について報告します。     

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クアンチ省枯葉剤被害者団体(VAVA)のスタッフの案内で2件の被害者宅を訪問しました。3人の被害児を育てたという81歳の父親と母親は、「4年前と昨年二人の子どもを亡くした。年老いて仕事も出来ず、この息子のことが一番気がかり」と話す。37歳という息子は話すことができなません。

  2軒目の被害者は夫を早くに亡くした母親は、「二人の子どもを育ててきたが昨年一人は交通事故で亡くなった。下の子は30歳になるが起き上がることも話すことも出来ない。政府の援助で何とか暮らせている。」とのこと。クアンチの平均月収の13余りに相当する170万ドンの支援金と訪問団員がそれぞれが準備したおみやげ(支援物資)に、「私たちにとって、皆さんからの支援は本当にありがたい」と、お礼の言葉をいただきました。

求められる国内外の被害者支援

ベトナム全土では400万人が枯葉剤を浴び、その被害者は二世、三世、四世に及び約300万人と言われています。被害児者のための施設は全国に12の「平和(ホアビン)村」、「友好(ティンバン)村」、26カ所の社会福祉施設がありますが、圧倒的多くの被害児者が自宅で困窮しているのが現状です。

「ベトナム戦争が最も激しく戦われた」クアンチ省は、「ベトナムで最も貧しい省のうちの一つ」といわれ、人口(64万8千人)の5%に当たる3万人余りの枯葉剤被害者の状況は深刻です。

ベトナム政府も支援を拡充しつつありますが、まだまだ国・省・県・村レベルの枯葉剤被害者協会(VAVA)が、国内外の組織や支援者に支援を募り、生活支援のほか家の建設や修復、リハビリ・治療、車椅子の提供、職業訓練や就学金・・・・によるのが現状です。

広島ベトナム平和友好協会ではクアンチ省訪問時に支援金や支援物資を届けるとともに、数年に一度ベトナムから民族アンサンブルを招聘し、「枯葉剤被害児救援のためのチャリティーコンサート」の開催や、毎年8月10日の「レージェントオレンジDay」(ベトナムの祭日「枯葉剤被害者の日」)に合わせたイベント開催を通した支援活動を続けています。

Blogを通して、またの機会にイベント案内や支援のお願いをさせていただきますので、よろしくお願いたします。

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上の写真は以前訪れた枯葉剤被害児のドゥ・ドク・ズエンさん、当時8歳の写真です。1980年代に兵役に就いていた父親が訓練のためジャングルで木を伐採、そこで枯葉剤に汚染しました。出産一週間後に「(頭の一部が大きく膨らんだ)ズエンちゃんを見て気を失った」と語った母親の言葉は今も鮮明に残っています。

ズエンさんは、「一昨年(2021年)1月2日、22歳で亡くなった」とVAVAの方から聞きました。次回の訪問時には訪れ線香を手向けなければと心に秘め、被害児宅を後にしました

2023年11月20日(あかたつ)

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2023年11月19日 (日)

東区の被爆樹木めぐりーつづき

東区の被爆樹木めぐりのつづきです。

次に訪れたのは、鶴羽根神社の西隣にある明星院です。ここには、イチョウ、ソテツ、クロマツの3本の被爆樹木があります。

被爆樹木を探そうと山門をくぐり境内に入って何の気なしに右側を見ると不思議な石板が目に入りました。

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よく見ると、広島電鉄から被爆した路面電車の敷石千枚の寄贈を受けたことが記載されています。

千枚とは大量の被爆敷石です。引き返して改めて山門から境内を見ると、通路に被爆石が敷き詰められています。

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かつて、ドイツのポツダムにある「ヒロシマ、ナガサキ広場記念碑」をつくるとき、私も広島電鉄から寄贈を受けるため、被爆敷石が保管されている荒手車庫に行き、積み上げられているのを見たことがありますので、間違いなく被爆石だということわかります。

少し色が変わっています。

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境内に入り足下を見ると、通路に被爆敷石が敷き詰められています。

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肝心の被爆樹木です。これが被爆クロマツだなと思える木が見えますが、境内の西側にある二葉保育園の園庭の中で、境内との間にフェンスがありますので、近づけません。困ったなと思っていると、たまたま住職の姿が見えましたので、断りをいって園庭に入らさせていただきました。

外からは、クロマツしか見えなかったのですが、中に入るとクロマツと、ソテツが並んでいるのが目に入ります。

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ここは爆心地からの距離は、1,780mです。手前のクロマツは、「慈光之松」と呼ばれ樹齢約500年です。広島市のホームページでは、「爆風の影響か、幹が傾いている」と書かれています。左斜め手前が、爆心地の方向ですから、そう言われてよく見ると確かに幹が右(爆心地の反対方向)に傾いています。

クロマツの奥に「大悲之蘇鉄」と名付けあれた蘇鉄が見えます。

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葉がきれいに剪定され少なくなっていますが、左右に広がった幹からは、大きな木だということがわかります。樹齢は、約300年です。

次は、イチョウの木です。

その木は、クロマツなどとは反対側の境内の右側に立っていました。

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近づいてみると、この木の幹には奇妙な造形?が施されています。

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そばに立てられた石版には、次のように書かれています。

「樹齢百五十年と推定されるこのイチョウは、昭和二十年八月六日に被爆しましたが、奇跡的に樹勢を復活させて毎年秋には黄葉の絨毯と、たわわに実る銀杏は風物詩でした。昭和六十二年六月に落雷の直撃を受けて樹冠が裂け、更に平成十六年九月七日の台風十八号、十月二十日の二十二号の暴風により、倒木は子安観音の光背をねじ曲げ左手を寸断しました。

そして、令和三年八月九日台風九号の暴風雨により全ての枝が折れてしまいました。調査の結果、樹木の中心より雨水が浸透し根元近くまで腐食が進んでいました。それでも懸命に生き続けようと新芽を出す姿に感銘を覚えました。このたび防腐措置を施し、内部に観音菩薩仏頭を安置し、霊木として生命の尊厳を讃えることにしました。  山主敬白」(原文のママ)

日付が入っていませんので、何時つくられた石版か不明ですが、刻まれた来歴の最後の日付が令和三年八月九日となっていますので、ここ一、二年のうちに建てられたもののようです。この石板を読んだ後でよく見ると観音菩薩仏頭の下には、幹にしめ縄が付けられ、新しく伸びた枝には折り鶴などが、かけられています。他の被爆樹木ではあまり見られない光景です。

これで、明星院の被爆樹木めぐりは終わり、安楽寺に向かいました。

安楽寺に行く途中、G7サミットの前に切られてしまった被爆ヤナギのその後が気になりましたので、土手から下を覗いて見ました。

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切り口は乾燥した状態になっており、ヒコバエの姿を見ることはできません。残念ながらこのまま朽ち果てるしかないように見えますが、来春に奇跡的に新しい芽が出ることを期待し、この場を後にしました。

最後の安楽寺のイチョウの木です。

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ここは何度も訪れていますので、少し色づきはじめた様子を写真に収めて、被爆樹木めぐりを終えました。

いのちとうとし

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2023年11月18日 (土)

東区の被爆樹木めぐり

11日に、中国四国博報堂が主催する「緑の伝言プロジェクト『被爆樹木めぐり』」が行われました。参加を希望し、申し込みをしたのですが、残念ながら抽選に漏れ参加ができませんでした。そこで、独自に同じコースを巡ってみようと思い共催する広島市に「被爆樹木めぐりのコース」を問い合わせました。

すぐに「今回めぐる被爆樹木めぐりのコースと樹木は次の通りです」と回答がありました。

二葉の里第二公園(クスノキ) → 鶴羽根神社(クロマツ、イチョウ、クスノキ) → 明星院(イチョウ、ソテツ、クロマツ) → 安楽寺 (イチョウ)→ 宝勝院 (ボタイジュ、ツバキ)→ 碇神社 ( ソメイヨシノ、タブノキ)→ 光明院(ナツミカン) → 禿翁寺(クスノキ、コウバイ、モミジ、クロマツ、アラカシ8本)

二葉の里第二公園から安楽寺までは東区、宝勝院以降は中区白島です。宝勝院以降の被爆樹木はすでに巡ったことがありますので、このリストを基に東区の被爆樹木を巡ることにしました。

最初に訪ねたのは、順番通り二葉の里第二公園のクスノキです。この付近は、何度も通った場所ですが、被爆樹木を意識して訪れたのは、初めてです。周辺は再開発され、道路や公園にたくさんの樹木が植えられて整備されていますが、これほど大きな木は、このクスノキだけですので、すぐ目につきます。

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爆心地から2,040mです。この付近一帯は被爆当時東練兵場で、被爆後は被災者の救護所となりました。

自転車で次の鶴羽根神社に移動します。鶴羽根神社には、クロマツ、イチョウ、クスノキの被爆樹木がありますが、広島市のホームページによれば、いずれも爆心地から1,810mとなっています。

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境内に入ると、まずクロマツが目に入ります。鳥居のすぐ右です。

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近づくと、幹には虫除けのこもが巻かれています。境内をよく見ると他のクロマツにもこもが巻かれているのが目に入ります。

他の二本を探しますが、なかなか見つかりません。ちょうど宮司さんが通りかかられましたので尋ねると「本殿の裏に見える大きなイチョウが、被爆樹木です。クスノキは、東側の道路側にあります。」

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教えていただいたとおり、本殿裏に大きなイチョウの木がそびえています。近くで見ようと思ったのですが、隣に料亭二葉があり、近づくことはできません。

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できるだけ近づいて建物の間から写しました。よく見ると被爆樹木を示すプレートは見えます。今日の中国四国博報堂主催の「被爆樹木めぐり」では、ひょっとすると近くまでいけたかも知れません。

次は、クスノキです。この木は、教えていただかなければ、なかなか見つけることは難しい場所にあります。

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真ん中に少し幹が曲がって写っているのが、被爆クスノキです。広島市のホームページによれば、境内の別の場所で被爆したのですが、神社の改築工事の時、現在の場所に移植されたようです。高さ7mのところで幹が折れていますが、原爆の影響だと考えられています。

境界に立っていますので、東側にある駐車場に移動し写した写真です。

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鶴羽根神社の被爆樹木を見ながら、気になることが出てきました。広島市の「被爆樹木リスト」に記載された被爆地からの距離です。この被爆距離、10m単位で書かれているのですが、例えばこの鶴羽根神社の被爆樹木の場合、クスノキは移植されていますので別にしても、クロマツとイチョウとの間は、約100mはあります。ここと同じように同じ場所に複数の被爆樹木が少し離れている場合、何が基準になっているのだろうかということです。時間ができたら問い合わせてみようと思います。

そんなことを考えながら、すぐ隣にある明星院に移動しましたが、つづきは明日以降に紹介します。

いのちとうとし

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2023年11月17日 (金)

第60回護憲大会シンポジウム報告

前回に続き、護憲大会のメイン企画として行われたシンポジウムを報告します。

シンポジウムのテーマは、「憲法審査会の現実と今後の私たちのとりくみ」。名古屋学院大学教授の飯島滋明さんがコーディネーターとなり、新垣邦男さん(衆議院憲法審査会委員)、打越さく良さん(参議院憲法審査会委員)、杉尾秀哉さん(前・参議院憲法審査会幹事)、吉田晴美さん(衆議院憲法審査会委員)の衆参4人の国会議員をパネリストとして行われました。

この中で問題点として指摘された一つは、憲法審査会の開催自体が目的化しているということでした。杉尾さんは「議論の中身は深まらない。自説をたんたんと説くばかり。実績を作って草案を作りたいだけ」「憲法審査会には、他の委員会のように法案があるわけではない。どういうテーマで何を話すかは与党と野党第1党との話し合いによって決まる」とした上で、「本当に改正するとすれば、今の憲法ではどうして対応できないのか、立法事実があるのか、歴史的な制定の経緯、様々な学説も踏まえ緻密に議論しないといけない。真正面から議論していくことが必要」と訴えました。

「日米地位協定を先に変えてほしい」と訴えたのは沖縄県選出の新垣さん。対中国や北朝鮮を念頭に自衛隊の基地が次々と南西諸島に配備されていることを紹介し、「受け入れる側も当初は急患を運んでもらえるし災害になったら助けてもらえる、と期待していたが、弾薬庫が作られミサイル部隊が来てどんどん大規模になっていく中で、『話が違う』となってきている」。また、「米軍は嘉手納基地に戦闘機を常駐しなくなる。攻撃された場合に備えてグアムに移転する」と、沖縄が現実的に軍事的な標的になってきていることを指摘し、「沖縄は憲法の上に地位協定がある」と冒頭の日米地位協定への発言となりました。

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打越さんが指摘したのは「(憲法こそ)命と暮らしを支えてくれるもの」ということでした。打越さんはこれまで弁護士として、夫婦別姓訴訟を提起し最高裁まで闘ってきました。夫婦別姓訴訟では敗れたものの、旧優生保護法の下で不妊手術を受けさせられた問題や生活保護バッシングの問題など、「生存権の保障が脅かされている。人権が侵害されたり差別されたり、法律がおかしい時に憲法がある」として、「護憲=古臭い、守旧派というレッテルが貼られているがそうではない」と話されました。

憲法審査会の論点として具体的に話された一つは、国民投票の際のデマ対策やCM規制問題でした。メディア出身の杉尾さんは具体的な事例として、災害などで自衛隊が人命救助する映像が繰り返し流され「自衛隊さんありがとう、とイメージCMが繰り返し流されるとどうなるか」「CM枠は広告代理店が全て押さえている。さあ国民投票となった時、どうなるか」などと提起。また、自身がデマ投稿をされ、その投稿の削除に3年もの歳月を要したことを紹介し、「どうやってデマや意図的な操作を規制できるか、何らかの歯止めが必要。ここを放置したままでは禍根を残す」と何らかの規制の必要性に言及しました。

二つめは、議員任期の延長についてです。この点について打越さんは「国民の選挙権を奪う、ないがしろにするもの。関心を持ってほしい」として、1941年に一度だけ衆議院が任期延長をした際の理由が次のように述べられました。「衆議院の任期延長が一度だけある。その時の理由は『国政について不必要にとかく議論を誘発し…挙国一致体制の整備を邁進しようとする決意に疑いを起こさせないとも限らない』というものだった。選挙をすると政府の政策が良くないとか、議論が噴出するから。戦争遂行のためだった」と、平和と民主主義の危機に直結する問題であることが指摘されました。

今後に向けた課題について吉田さんは、2年前の総選挙で自身が当選した際、前回選挙に比較し5%投票率が上がっていたこと、同様に、昨年の杉並区長選挙で推薦する女性候補が当選したのも前回比5%投票率があがっていたこと。そして今年の統一自治体選挙で杉並区の議員の半数が女性になったが、ここでも5%の投票率アップがあったことを紹介し、「5%上げると政治の風景が変わる。もっと平和の声が集まっていくと感じている」と話されました。

シンポジウムの最後にコーディネーターの飯島さんから「もし、次の選挙で維新が野党第1党になれば、憲法審査会の議題は与党と維新で決まっていくことになる」と指摘し、次回選挙での立憲野党・護憲勢力の前進が不可欠であることが強調されました。

大瀬敬昭

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2023年11月16日 (木)

 第60回護憲大会報告

 「憲法理念の実現をめざす第60回大会」(護憲大会)が、11月11日~13日、全国から約1400が参加し新潟市内で開かれました。

 大会初日、新潟県民会館で開かれた開会総会では、実行委員長の藤本泰成(平和フォーラム共同代表)さんがあいさつ。

 藤本さんはまず、第1次世界大戦後の1928年、戦争の反省から「戦争の放棄に関する国際条約」(パリ不戦条約)が締結され、日本も含めた68か国が批准してきたことを紹介するとともに、条約成立のわずか3年後、満州事変という形で日本が最初に条約を破ってきた事実が述べられました。

そして、その後の敗戦により、「日本は、その敗北をかみしめながら、侵略戦争と植民地支配の反省に立ち、戦時社会体制である国家主義の克服を目指し、1928年の不戦条約を憲法9条に移し替え、戦争の放棄を抱えた平和憲法を掲げた」と、日本国憲法の成り立ちと意義について紹介されました。

その上で、「かつての歴史に向き合うことなく、安倍政権は安全保障法制を改悪し、岸田政権は安保3文書を改悪してきた。矢継ぎ早に戦争をする国づくりを進めてきた」とこの間の安全保障政策の転換と軍事増強へとひた走る日本政府の姿勢に触れ「かつて不戦条約を破った日本は、またしても、戦後のアジア諸国への約束である憲法9条を破ろうとしている」と非難。「歴史を冷静に見つめることのできない政治は、先の時代を見通すこともできない」「侵略戦争をあたかも、自存自衛の戦争であったかのように言い換える。捏造する歴史の中にどのような未来が生まれてくるというのでしょうか」と参加者に問いかけ、「今こそ冷静に歴史と向き合い、何をなすべきかを考えていかなくてはならない。それが、将来を決定づける」と提起しました。

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 開会総会に続いて行われたのは、メイン企画のシンポジウム。改憲勢力が執拗に憲法審査会の開催を主張する中、どのような議論がなされ、どのような状況になっているのかを知ろうと、「憲法審査会の現実と今後の私たちのとりくみ」をテーマに、名古屋学院大学教授の飯島滋明さんがコーディネーターとなり、新垣邦男さん(衆議院憲法審査会委員)、打越さく良さん(参議院憲法審査会委員)、杉尾秀哉さん(前・参議院憲法審査会幹事)、吉田晴美さん(衆議院憲法審査会委員)の衆参4人の国会議員をパネリストとして行われました。

 その中では、憲法審査会が「実績を作って草案を作りたいだけ」(杉尾)の場になっていることや、内容の問題として、国民投票の際、CM規制やデマ規制等の対策が全くできていないことなど、具体的に現状が報告されました。(次回詳報)

 大会二日目は、「現下の改憲情勢」「軍拡・基地強化」「ジェンダー平等」「歴史認識」「憲法を学ぶ」と5つのテーマに分かれての分科会とフィールドワークやひろばが行われました。

その一つ、「軍拡・基地強化」の分科会では、青森県を拠点とする地方紙『東奥日報』編集委員の斉藤光政さんが「新冷戦考―北の要衝/南の要衝」と題して新聞紙上で13回にわたって行った連載記事を元に講演。日本を取り巻く軍事情勢の現状と課題について報告されました。

この中で斉藤さんは、自衛隊が対中国・対ロシア・対北朝鮮を念頭に「南西シフト」と呼ぶ南西諸島への部隊配備を進め、奄美大島、沖縄本島、宮古島、久米島、石垣島、そして与那国島へと次々と自衛隊基地が作られ、ミサイル部隊が配置されていること。その動きに、中国とロシアが津軽海峡や宮古海峡を通過するなど「屈しない姿勢」を見せ軍事的緊張が高まっている現状が報告されました。

 一方、南西諸島の島々が次々と自衛隊基地を受け入れている住民感情について「自衛隊を置くことで、日本が自分たちを見捨てないのではと思っている」と紹介すると同時に、「軍事と金は結びついている」と指摘し、「原発もそうだが、過疎化が進む自治体が自衛隊を受け入れることで経済的な恩恵を受ける」とその理由が述べられました。

 また、「今起こっている軍事的緊張の高まりは、台湾をめぐってのもの。中国が台湾に侵攻するのではないかとも言われるが、アメリカと中国と日本の経済的な結びつきは極めて大きい。そこが戦争をしたら世界経済は間違いなく破綻する」と述べ、「偶発的なことはあり得るにしても、台湾進攻などあり得ない」。その上で、「誰が言い始めたのか? 誰が得をしているのか? を考えないといけない」と指摘しました。

 大会3日目は閉会総会。沖縄から基地問題、福島から原発事故汚染水の問題、山口から中間貯蔵施設の問題がそれぞれ報告された後、実行委員会の染裕之事務局長の大会まとめとアピール採択が行われました。

 なお、来年は1124()26()、岡山市内で開かれることが報告されました。

大瀬敬昭

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2023年11月15日 (水)

2023年11月のブルーベリー農園その2

安芸区内の地域の行事が土日に多く開催されているので週末農業で東広島市豊栄町のブルーベリー農園に通う回数が少なくなる。12日には安芸区民まつりが4年ぶりに開催され多くの人でにぎわった。それでも安芸区の自宅からブルーベリー畑に行き少しでも手入れをと考えて合間に農作業を続けている。秋の米の収穫が済み、そのあとの景色は田んぼの荒起こしを済ませた田の土色としていない田で伸びた草の緑が混在してモザイクな色合いの中、農園の紅葉の赤があって周辺の景色のアクセントになっている。広島市のえびす講が18日から20日にあるが、えびす講が近づくと一気に寒くなるのが毎年の天気で豊栄での農作業も厚着になる。

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11月11日(土)

農園に車で着くと運転席のドアのそばのノコンギクの花が盛りで、ブンブン小さい音がする。

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よく見るとミツバチなど数種類の虫たちが来ていた。

①仲良く蜜を吸う。密の位置をめぐっての争いはなし。

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②別の場所の花壇に咲く花にはヒョウモンチョウもとまる。

寒くなってきているので花の蜜が越冬のため必要なのだろう。

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メインの作業のブルーベリーの剪定はまだ早いので他の作業をいろいろこなす。

①一番下の段のブルーベリー畑の水路の溝掃除。

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②里山のブルーベリー園の周囲の伐採。細い檜と立ち枯れた木を整理する。

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③富有柿の収穫

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④ソラマメの種を植える。

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里山のブルーベリー園の早生の木は落葉が進んでいる。

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葉がすっかり落ちた木もある。こうなるとブルーベリーの剪定が可能となる。

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11月13日(月)

午後から農作業。ブルーベリー畑の小さい木の周囲に雑草がはびこっているので手作業で引っこ抜いて株もとをすっきりさせた。

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草取りをしているブルーベリー畑の下の段の眺め。陽が傾くと紅葉したブルーベリーが赤く光る。気温は日中でも10度を上下して寒さが一気にやってきた。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2023年11月14日 (火)

第27回「高暮平和の集い」

11月12日の午前10時30分から、庄原市高野町高暮にある中国電力高暮ダムの堰堤そばに建つ「高暮ダム朝鮮人犠牲者追悼碑」前で、第27回目となる「高暮平和の集い」が開催されました。

私も3年ぶりに参加をしました。前回(2010年)は、8月30日の開催だったのですが、夏の時期は農繁期と重なるなどの理由で、昨年からこの時期の開催となったようですが、寒さ厳しい中での集いとなりました。帰宅して高野の気温をアメダスで調べてみると集いが始まった10時過ぎは7.9度、その後も高野にいる間は、ずっと7度から8度台ですので、寒かったはずです。

集いは、地元高暮の草谷末広さんの司会でスタート。

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右が司会の草谷さん、左が後藤さん

全員で黙祷をした後、「ふるさと村高暮」の後藤信房館長が「今日と同じような厳しい寒さの中で、このダムは作られた。故李実根さんの20年来の努力で、この碑がたてられ、以降『平和の集い』が続いています。今年も続いていることは、非常にうれしいことです。歴史を振り返るとき、過去を変えることはできませんが、未来は変えられます。14戸の集落となり、この高暮も寂しくなりましたが、こうして多くの皆さんが集まって集いができることを本当にうれしく思います」とあいさつ。

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その後長年高校生平和ゼミを指導してこられた澤野重雄さんが、1960年代から始まった高校生たちの平和への、特に強制連行問題について、全国的な運動を紹介しながらのあいさつ。続いて、広島県朝鮮人被爆者協議会金鎮湖会長が、100年前の関東大震災における朝鮮人虐殺問題に触れながら「政府は今なお、その事実を認めようとしない。そうした政府の姿勢が、今なお朝鮮人差別を助長する風潮につながっている」とあいさつ。

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次に呂世珍在日朝鮮人総連合会広島県本部委員長のあいさつ。

続いて、朝鮮式儀礼・チュサ(祭祀)が行われました。

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チェサが終わると、若者による平和の誓いです。

まず朝鮮学園の代表、次に広島県高校生平和ゼミの代表があいさつ。いずれも、「この地に立って差別の事実を知り、先輩たちに運動の歴史を学んだ。平和で差別のない世界を作るためにがんばる」と決意を述べました。

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 左が朝鮮学園の代表、右が平和ゼミの代表

そして高校生代表による献花が行われました。例年、参加者全員が献花を行うのですが、今年は都合によって高校生代表のみになったようです。

ようやくコロナの影響も少なくなり、今年は多くの高校生が参加しました。

最後に高校生全員による合唱です。歌は「アリラン」「故郷」です。広島からのマイクロバスで練習したということで、日本の高校生もアリランを一生賢明に歌っていました。

碑前での集いが終わると参加者は、高暮ダムの堰堤を歩き、この場での強制労働の様子を偲びました。

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今年は雨量も少なく、ダムの水面がずいぶんと低くなっていました。

高暮ダムでの集いが終了した後は、「ふるさと村高暮」に移動し、草谷さんの話を聞いた後、バーベキューを囲んで地元の皆さんとの懇親会が盛大に開催されました。

午後2時過ぎに全ての日程を終了し、今年の「高暮平和の集い」は終了しました。

いのちとうとし

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2023年11月13日 (月)

先人を語る会ー吉田治平さんを語るー

広島市原爆被害者の会が主催し、今回で9回目を迎える「先人を語る会」が、11日の午後1時半から大手町平和ビルで開催されました。

今回のタイトルは「被爆地復興へ日雇いの被爆者とともに 労働運動、反戦・反核運動の先駆け」となっています。

語られる先人は、吉田治平さんです。

最初に、広島市原爆被害者の会の田中聰司さんが、映像を交えて吉田治平さんの経歴を紹介。

以下はその一部です。

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吉田さんは、1945年8月15日、兵器受領のために佐賀の部隊から神奈川県に行く途中で、入市被爆。広島市の縮景園の前に住んでいた家族のうち母と妹3人は、被爆死しています。

1945年9月に中国新聞に入社しますが、1949年11月にGHQのレッドパージで、中国新聞を解雇され、翌年12月に日雇い労働者を集めて労働組合を結成。その後失対事業(失業対策事業)に働く人々と1953年に全日本自由労働組合(全日自労)を結成し、失対労働者の改善に取り組んだ人です。

吉田治平さんの歩みは、中国新聞の「生きて」(生きて・労働運動家 吉田治平さん(1922年~) | 中国新聞デジタル (chugoku-np.co.jp))に取上げられていますので、詳しくはぜひそちらを読んでください。

今回の語る会には、吉田さんと一緒に失対労働者として働いた人から、当時の吉田さんの話がありましたが、私が特に記憶に残ったのは、「平和記念公園、平和大通り、と広島の都市基盤は、失対事業者がつくった」という話しです。

失対事業者がつくった全日本労働組合は、広島が最大の組織だったようで、1960年には、7200人いたそうです。失対労働者が最も多かった1961年には、広島市の登録者は7,500人でした。そして広島の特徴と思いますが、うち半数以上が被爆者で、更に2割近くが朝鮮半島の出身者だったようです。

「広島の復興は被爆者が担った」と言い換えてもよいと思います。

友人の佐藤奈保子さんも登場し、ハナミズキ短歌会で一緒だった吉田さんの思い出も語られました。

会場から「当時の平和公園はどんな様子だったですか」との問いに、吉田さんと一緒に働いていたという廣木照代さんは「当時、あの場所は本当にでこぼこしていました。少し掘ると骨が出てきます。私は、その骨を洗う役割をしていました。丁寧に洗った後、新聞紙に広げで干しました」と当時の様子を語ってくれました。

今のようなきれいな平和公園になる前を知ることのできる貴重な証言でした。

話しは貴重でしたが、参加していて違和感を持ったのは「なぜ吉田治平さんなのか?まだ語るべき人は、ほかにおられるのでは」という率直な気持ちです。

いのちとうとし

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2023年11月12日 (日)

ストップ・ジェノサイド in GAZA
キャンドルアクション

原爆ドームまでの金曜日行動を呼びかけてきた広島市立大学の田浪亜央江教授やHANWAの足立修一代表など有志の呼びかけで、昨日午後5時から「ストップ・ジェノサイド in GAZA
キャンドルアクション」が行われました。

この行動への呼びかける主催者からの訴えです。

「ガザで続けられるジェノサイド(大量虐殺)。

これは今に始まったことではありません。

16年以上にもわたってガザは封鎖され、住民は「生殺し」状態でした。

私たちの無知や無関心も、この不正義に力を与えて来たのです。

疲弊しきった貧しい住民たちの上に、今晩も巨大な爆弾が降り注がれようとしています。

もうたくさんです。

私たちの沈黙を破りましょう。

キャンドルを手にし、集まりましょう。

持ち寄った光を〈広島の声〉に変え、原爆ドーム前から世界に伝えましょう。」

この呼びかけに応えて、多くの市民が参加しました。

私も、キャンドルとガラスビンを持参して参加しました。

キャンドルで描かれた文字は「STOP  GENOCIDE IN  GAZA」です。

私が会場に着いたのは、午後5時少し前。すでに多くのボランティアによって、キャンドルを並べる文字がテープで描かれていました。

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それぞれが持参したキャンドルをこの文字の上に並べます。並べ終えると、チャッカマンで火が灯されます。私も持参したキャンドルに火を灯しました。

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全てのキャンドルに灯がともり、「STOP  GENOCIDE IN  GAZA」の文字が浮き上がったとき、写真撮影。この写真は、すぐにSNSで発信されました。

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原爆ドーム前からのメッセージは、世界に届くと思います。

写真撮影が終わると、参加者がそれぞれの思いをスピーチ。

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500名の参加者がそれぞれのガザへの、犠牲者たちへの思い感じながら、そして次への行動を決意し、午後6時半過ぎに、この行動は終わりました。

イスラエルによる地上攻撃により、多くのいのちが奪われています。子どもたちが犠牲になっています。幸いに生き延びている人たちも、住む場所を奪われ、危機的な状況です。

イスラエルは、直ちに軍事行動を中止し、ガザから撤退すべきです。

ストップ ジェノサイド これ以上の命が失われないように。

いのちとうとし

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2023年11月11日 (土)

「岸田文雄総理大臣へ」

前略

11月にもなるというのに、広島では日中に「夏日」になる日が続きます。これも環境問題に真摯にとりくんでくることが無かったこの国の政策が機能していない事をあざ笑うような「しっぺ返し」だと悔やむ日々ですが、いかがお過ごしですか?空調の快適な部屋でお過ごしの総理なら関係のない事かと思いますが。

さて、連日ニュースで取りあげられるのは、泣き叫ぶ子どもと、廃墟と化した海の向こうの街の映像と、阪神タイガース日本一に湧き上がる関西圏の人々と、総理の支持率が下がり、どうやら「危険水域」に達しているという報道ばかりです。後は、エサが少なく人里に出てくるようになった熊の映像ですか。まったくもって残念でしかありません。

そもそも、岸田総理大臣に苦言しかないのですが、あなたが、総理大臣に立候補した時の発言に「国民に耳を傾ける」「国民の声を聴く」と言われた言葉が、煙のように消え去ってしまいましたね。国民に「経済復興支援」として、またもや「お金」を配るのですか?前総理みたく、同じことを繰り返すのですか?結果はどうでしたか?経済が上向きましたか?やはり「二番煎じ」「三番煎じ」では“薄い”とは思いませんか。経団連、労働界に「賃上げ」を要請されましたが、現在のスーパーでは、賃上げ分をはるかに「上回る」物価高騰で「お金」を配っても限定的にしかならないから、「選挙目的」の政策にしかならないとエコノミストの皆さんもぼやいていますよ。

そもそも、ウクライナへのロシア侵攻後、物価が高騰し始めた時、ウクライナから「小麦が」とか、「ロシアからの燃料が」とか言われていましたが、それは違いますよね。例えば、この国では昔から穀物の生産は、他国に引けをとらない物があったはずです。それを「国策」として「外国産依存」を始めたところから、「脆弱な食」は始まっていたではありませんか。今からでも遅くはありません。この国の農業をはじめ、水産業、酪農業の「食」につながる業態へ、がっつり支援を行うことです。

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この国の安全という大義名分を掲げ、「軍拡・増税」を始められようとしておられますね。残念ながら、理解に苦しみます。「ミサイルを買う」「防衛のための装備を整える」ための増税は、この国の将来を担う人達への「つけ」回しにしかなりません。どれだけ国民一人当たりの借金が膨れ上がれば気がすみますか。更には諸外国との「摩擦」や「緊張」を招くものでしかありません。また、「武器商品を海外に売る」ことは、戦争を手助けするということです。日本には、憲法というものがあり、その憲法に「武力は放棄する」と明記されているのですよ。あなたたちは、すぐ拡大解釈をしてしまいますが。ルール違反です。ましてや、この被爆地ヒロシマ選出の政治家なのに。もう平和記念碑の文言を忘れてしまったのではないでしょうか。

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そもそも、ウクライナとロシアを巡る情勢や、パレスチナとイスラエルを巡る情勢もそうですが、どちらか片一方に「武器」を渡したり「お金」を渡したりしているから、長引くのです。そして許されないのは「社会的弱者」と言われる人々や、その人々を支援するためにその国にいた人たちまで傷ついたり、命を落とす事です。これは許されません。総理、あなたは平気でしょうが。

私から言わせれば、本来、こういった事態が起こる前に、毅然な態度で「武力」で「問題解決をさせない」ために、「国連」に対し、「本来の機能を果たせ」と日本が強くイニシアチブを発揮する必要があると思いますが。バイデン君に気に入られるのに必死なのですね。

挙句に未だ、問題解決に「核兵器使用もやむを得ない」などと発言する国内外の政治家の人がたくさんいます。核不拡散をさせないとかG7をわざわざ広島で開催したのに、効果が全くない。資料館の見学と、被爆者の証言をもっと、もっと時間をかけて聞かせてあげられなかった事が原因です。

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岸田文雄総理大臣、これ以上海外へ向けて何かをするということは止めてください。一時的なバラマキもやめてください。国内にしっかり目を向けてください。食べることすらままならない。生きることすらままならない。学校にすらいけない。給食すら食べられない。病院にもいけない。そんな現実を直視し、長いスパンでしっかりソフトを立てなおす制度が今は必要なのです。

草々

追伸 総理大臣を辞めるといわれるなら、「今」でしょう。古いか。

  2023年11月7日

自称:南区在住のグリズリー

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2023年11月10日 (金)

運動会今昔

10月28日、地域で開催された小学校の運動会に来賓として招かれ、行ってきました。連合町内会長をやっていることから来賓席に座ったのですが、僕が子どものころの運動会との違いがたくさんありました。

決して今が悪くて昔が良いという意味で書いているのではありませんから、誤解をしないでほしいのですが。

なんといっても、教師の生徒に対しての言葉です。「起立。着席。前にならえ」などという命令口調の言葉は決して使いません。「立ちましょう。」「座りましょう。」といった感じです。校長のあいさつも、競技の指示をする教員の言葉も、まるで保育園の園児に向かって話す口調でした。

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種目についても徒競走という言葉は使わずに、「Challenge Run!」「わ~HASHIRU」「きらきら かけっこ」という名前になっていました。もちろん騎馬戦とか3段~4段の組体操などありません。生徒たちのケガや事故が心配なのは、もちろん知っていますがね。

この小学校はかつてマンモス校でしたが、最近は生徒数も減ってきました。何年か前、保護者たちは、運動会の日は朝早くから学校の入口に並び、席を確保するために並んでいた光景が見られましたが、それは無くなりました。学校側が「次は3年生です。3年生の保護者の皆さんは、入れ替わって前のロープまでお越しください」というように誘導するのです。とても良いやり方だとは思いましたが、考えようによれば、自分の子どもや孫たちしか応援しなくて良いだろうという思惑を感じるのです。

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以前、運動会はみんなから応援され、喜ばれていた地域の行事だったと思うのです。自分の子どもだけでなく、みんなを応援していたと思うのですが。最近の保護者たちの姿は、自分の子どもたちに、ひたすらビデオカメラを向けるというのも新たな発見でした。声援の声や拍手がほとんど聞こえないのです。

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何度か放送されていたのは、「路上駐車をされている車は移動をお願いします」と「近くのスーパーに駐車しないようにお願いします」の要請でした。

孫二人が運動会で出場していたのですが、最後までその姿を確認することができませんでした。娘からは「孫愛のない祖父さんだ」と非難されましたが、同じような服装で帽子をかぶっているから、分かるはずないと思いましたが、そういう反論は決してしません。

聞いた話しですが、最近は保護者に対し、整列した時の場所や走る競技などでは、順番を書いた物を前もって連絡するそうですね。すごいサービス過剰ではないでしょうか。

来賓席に座り、ずっと思っていたのは、母親のフミ子さんのことでした。父親は僕が4歳の時に急死したので、3人の子どもを苦労して育ててくれたお母ちゃんです。もう亡くなって20年以上が経過しましたが、今でも大好きな人です。

フミ子さんは運動会の日には秋色の和服をきちんと着て、校庭中に聞こえるような大きな声で「省ちゃん頑張れ。省ちゃん頑張れ」を繰り返していました。  

昼休憩の時間には、観覧席の母のところで手作りの弁当を食べました。母は重箱にぎっしりと食べ物を入れていました。校庭の秋風の爽やかな臭い中ので、あの時に食べたこんにゃくとレンコンと人参の煮しめの味と稲荷ずしは、今でも忘れることはありません。

運動会は11時半には終わりました。時代の流れとともに変化した「運動会今昔」を感じさせてくれました。

木原省治

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2023年11月 9日 (木)

金剛山歌劇団2023年アンサンブル公演

6日の午後6時30分からJMSアステールプラザ大ホールで「金剛山歌劇団2023年アンサンブル公演」がありました。

今年の公演も「広島朝鮮初級高級学校チャリティーコンサート」として、日朝友好広島県民会や広島県平和運動センターなどが、日朝友好運動を続ける団体や労組などが、支援を行いました。

金剛山歌劇団のオープニングに先立ち、今年も広島朝鮮初級高級学校の生徒が登場しました。最初は、二人の合唱。次は、3人による民族器楽演奏(ヘグム、カヤグム、チャンゴ)です。この3人のグループは、10月31日から11月2日に東京で行われた「第55回在日朝鮮学生中央芸術コンクール」(第55回在日朝鮮学生中央芸術コンクール/優秀作品発表会【動画】 | 朝鮮新報 (chosonsinbo.com))で優秀賞を受賞しています。観覧していた広島朝鮮初級高級学校の生徒たちから大きな歓声と拍手を受けての演奏でした。

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生徒たちの出演が終わると、いよいよ金剛山歌劇団の公演です。今年の公演のタイトルは「風になって」です。

オープニングは、公演タイトルとなっている「風にのって」の器楽演奏です。「風にのって」は、「遠く離れた人々の胸に私たちの音色が鳴り響き、それがやがて大きな風となり平和の未来へと導くその日を夢見て作曲された」(プログラムより)作品です。力強く、そして希望に満ちあふれる演奏でした。

以下、混声7重唱、舞踊、女声独唱、独舞、3人舞、女声重唱、舞踊、男声独唱、賀屋軍都チョッテ独奏、ヘグム5重奏、チュンセナプ独奏、民謡メドレー(男性独唱、女声二重唱、混声7重唱)、そして最後は舞踊です。今年は、途中休憩なしで公演が続きました。

雰囲気を知ってもらうため、最後の2つだけプログラムから少し紹介します。民謡メドレーは、「故郷の大地には美しい山野、豊かな恵みを与えてくれる海や川があり、それらは全てわが民族の誇りです。そんな民族の誇りを民謡の音色に乗せてメドレーでお送りします。」選ばれた曲は、「ソンジュプリ」「氷川アリラン」「カトゥリ打令」でした。

最後は、舞踊「カンソンプフンアリラン」でした。この舞踊は、共和国で制作された民族色豊かな舞踊で、朝鮮の代表的な打楽器であるチャンゴを用いて踊る作品で、今年の金剛山歌劇団ツアーで初めて披露されたものです。

毎年公演の最後は、黄金色に輝く稲穂が波打つ水田と、農楽舞踊を軽快に踊る農民を基本に描いた「万豊年」が演じられて会場が大いに盛り上がったものですが、今年の舞踊「カンソンプフンアリラン」も、「万豊年」に劣らず、客席から手拍子が沸き、会場が一体となった雰囲気の中で、公演は終了しました。

会場は撮影禁止ですので、その様子を写真でお伝えできないのが残念ですが、今年も楽しい時間を過ごすことができました。

いのちとうとし

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2023年11月 8日 (水)

2023年11月のブルーベリー農園その1

11月に入っても日中の気温が25度になったりしているが、東広島市豊栄町のブルーベリー農園の標高は高いので朝晩の気温の低下もあって栽培しているブルーベリーの紅葉は確実に進んでいる。ブルーベリー栽培のための農作業は冬の剪定時期まで一休みの状況なので、畑の手入れ、里山の手入れなどをするために、安芸区の自宅から週末に通っている。体も少しゆっくりベースでいたわっている。

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11月3日(金)

ブルーベリー畑の手入れ作業もほぼ終わったので落葉までは他の農作業を行う。この日は一人で農作業をした。

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その一つが里山の手入れ。農園の管理するため池のある里山には20年くらい前に檜を植えた場所がある。立ち枯れた檜があるので、整理した。枯れた木は手で押せば倒れるので倒して2mくらいに切って1か所に積んでおく。次からは細い檜の間伐をひと冬かけて進める予定だ。

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次に取り掛かったのは、ブルーベリー畑の上にある小さい畑の手入れ。夏の間は草の茂みになっていたがこの季節になってようやく草を刈り畝を直し、ソラマメなどを植える準備ができた。手前はジャーマンアイリスを植えているが今年は、株分けはしないことにした。畝と畝の間の通路の土を畝に盛って歩きやすくした。

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帰る間際に柿を少しもいで家に持ち帰る。10月初めのころより富有柿の実の色が濃くなった。車の中で1個ほおばった。ここ1ケ月は農園と頂き物の柿をほぼ毎日食べている。

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農園の周囲の植物の様子。

①農園の家の庭に今年も咲くのはユッカの花。

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②すぐ隣のサザンカ。

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③四季咲きのバラの花。こちらは大輪。

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④こちらは中輪。

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⑤里山のブルーベリー園の早生の紅葉。

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⑥畑のブルーベリー。晩生の紅葉。

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⑦ため池のあるえん堤から見えるイチョウ。

4日、5日は安芸区の2か所の公民館まつりで出店を手伝う。4年ぶりだったがこれまで通りの売り上げだったのでよかった。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2023年11月 7日 (火)

柳田邦男さんの企画展「空白の天気図」特別講演

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で開催されている企画展「空白の天気図―気象台員たちのヒロシマ-」(4月4日のブログ「「空白の天気図―気象台員たちのヒロシマ-」: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」で紹介)の監修者であり「空白の天気図」の著者でもあるノンフィクション作家の柳田邦男さんの3回目となる講演会が、昨日午前10時から広島平和記念資料館メモリアルホールで開催されました。

柳田さんの講演をぜひ聴きたいと、過去の2回(314日と89日)応募しましたが、抽選に漏れ参加できませんでした。しかし、最後の講演会となる今回は、300人の会場に400人を超える応募があったようですが、抽選に当たり参加することができました。

柳田さんの講演のタイトルは「死の灰、黒い雨、二次災害―解明された被害拡大のメカニズム-」です。

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講演は、「空白の天気図」の元原稿が見つかったことから始まりました。「信州大学の図書館から、この夏『柳田さんの特別コーナー』を作りたいとの話があり、わが家の蔵書や資料、原稿などを搬出している時に、もう手元にはないと思っていた50年前の『空白の天気図』の原稿が出てきました。出版元である新潮社が、400字詰め原稿用紙で700枚ある生原稿に表紙を付け製本した状態でプレゼントしてくれていました。ペンで書いています。」というエピソードの紹介から始まりました。「今回持参し、会場入り口に展示しています。追悼祈念館の企画展開会中は、会場に展示することになっています。」

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「空白の天気図」の生原稿

その後、「空白の天気図」のねらいが紹介されます。「70年代、2重災害によって原爆の被害から生き延びた被爆者が、枕崎台風によって亡くなっていった。しかし、それはほとんど報道されていなかった。また、黒い雨の被爆者は援護されていない状況にあった。」「原爆によって気象台の機能がなくなって通信手段が途絶していた。襲来した台風についても、当日の広島気象台の天気図には、輪郭が書かれているだけ。」「水害の被害が伝えられていなかった」。そんな中で「①原爆と台風 複合災害の象徴的なものー枕崎台風の見直し」「②社会災害 戦争の中で起きる複合災害がいかに大変なものか」「③原点に返って考える 放射能被害の実相を見つめ直す 複合災害の実態も」を考えながら、「空白の天気図」を書かなければならないと思ったということでした。

この後、黒い雨のメカニズム、「空白の天気図」を読んで黒い雨の調査を行った宇田さん足跡を知り「黒い雨」の再調査を行った気象研究者増田善信さん、そのことによって黒い雨地域の拡大が証明され、その後の「黒い雨裁判」に活かされたことなどが科学的に、そして詳細に紹介されました。

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増田資料を手にする柳田さん

 特に増田善信さんの黒い雨地域の再調査は、「宇田雨域の原点である広島地方気象台における『観測精神』の実践、『現地調査』による記録」の考え方を引き継ぎ、「宇田氏の原資料の発掘、さまざまな手記類の調査、全国の体験者からの通報、現地住民の聞き取り」による調査の紹介は、原爆被害への向き合い方を教えていただける内容でした。

複合災害の危険性についての話もありましたが、ここでは省略します。

最後に「一人ひとりの人間が、複合災害に巻き込まれると本当に大変なことになる。一人ひとりが、それに巻き込まれたらどんなことになるか、調査し、記録することが大切だ」ということを強調されて講演は終わりました。

「空白の天気図」を読み直し、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館企画展「空白の天気図―気象台員たちのヒロシマ-」(来年2月29日まで開催)にもう一度出かけたいと思わされる講演会でした。

いのちとうとし

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2023年11月 6日 (月)

何やってますか?―平和の鐘の鐘木の取り替え

散歩をしていると思いがけない出会いがありますが、今日は、先日平和公園を散歩中にみかかけて景色の紹介です。

平和公園の北側にある「平和の鐘」で、警備員と作業員二人が鐘をつく鐘木(しゅもく)をつるしている鎖に触って何か作業をしています。

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気になるので聞いてみました。「鎖を縮めているのですか?」「いえ、鎖を縮めているのではなく、鐘木の先端を変えているのです」

鐘木は、何度も鐘をつくうちにだんだんと先端部分が削られていくようで、削られた先端部部の取り替え作業をし、新しくなった鐘木の取り付け作業中だったようです。

足下を見ると、取り外された鐘木の先端部分が見えます。

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「一年に一回ぐらい取り替えるのですか?」と問うと「何時とは期間が決まっているわけではありません。先端の木の部分が金属の輪っかまで削られ、輪っかが梵鐘に当たると傷がつくので、警備中に気づいたときには、取り替えを行っているのです。」

上の写真ではわかりにくいのですが、よく見るとササクレだった先端部分のすぐ下に金属の輪があるのがわかります。

まだ作業の途中でしたので、日を改めて取り替えられた鐘木の先端部分の写真を撮ってきました。

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きれいに補修されています。この写真では、はっきりと金属の輪がはめられているのがわかります。先端から輪までは、4~5cmぐらいありそうです。

これで当分安心して、平和の鐘をつくことができます。私が行ったときにも鐘をつく人の姿がありました。

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最近は観光客も多くなっていますので、どれぐらいの期間保つのだろうかな?と思いながら、この場をあとにしました。

帰り道、10月20日のブログこれ、壊れていますよね: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で紹介した「広島瓦斯株式会社原爆犠牲者追悼碑」のガス灯の修理が終わったのか気になりましたので、寄り道をしました。

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5本とも炎が上がっています。連絡を入れた後、すぐに修理をされたようです。そう思いながら、同じ角度から写真を撮っていたら、この碑のまわりに散らばるゴミを掃除しておられた近所の人に声をかけられました。私が「ガス灯が一本消えているのを見つけ、気になったので広島ガスに連絡しました。もう修理が終わっているかなと見に来たのです」と答えると「実は私も、ガスの匂いを感じたので、広島ガスの役員にメールをしたのですよ。同じ頃に連絡したんでしょうね」とのことでした。私と同じように気づき、連絡を入れた人がおらました。ちょっと不思議な出会いでした。

いのちとうとし

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2023年11月 5日 (日)

ヒロシマとベトナム(その52 ) ~日越外交関係樹立50周年記念訪問―その1~

日本から西南西約3,300㎞、ベトナム北中部のクアンチ省にいます。18歳の青年から86歳の誕生日を迎えたばかりの超ベテランまで男女16名の仲間と一緒です。今年、1973年9月21日に日本とベトナムが外交関係を結んでから50周年を迎え、私が会長を務める一般社団法人 広島ベトナム平和友好協会(HVPF)が設立15周年を迎えたことから、その記念訪問団として一日にベトナム入りしました。

 二つの周年記念を冠に戴く今回の訪問団は、幾つかの公式行事をこなし、ベトナムの歴史と文化に触れ、ベト味(ベトナム料理)を堪能することを主な目的にしたものです。

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出発前の訪問団:関空温泉ホテルの写真

 クアンチ省人民委員会表敬

 今日(2日)は一日、公式行事。先ずはクアンチ省人民委員会を表敬、ヴォ―・ヴァン・フン委員長(省知事)と会見。省のトップ、知事との会見は2009年の初訪問時と「ベトナム中部解放40周年記念式典」に招待された2012年。その時にホストを務めていただいた(当時)副知事だったチン知事との2018年の朝食会見に次ぐ4回目。

フン知事との会見はクアンチ省の外交を担当する外務局や教育、福祉部門の幹部、枯葉剤被害者団体(VAVA)役員などが同席。会見冒頭、HVPF会長就任を祝う花束、さらに15年にわたるクアンチ省との関係構築と教育支援(奨学支援)などの功績ということで表彰状をいただきました。予想だにしなかったサプライズに驚くと同時に、しばらくは続くであろう任の重さを痛感しました。

会見は私のあいさつ、フン委員長(省知事)のあいさつに続き、一時間余りの意見交換で今後一層の交流促進と課題を共有しました。

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クアンチ省人民委員会

 午後からは少数民族寄宿高等学校で「2023年度奨学金授与式」です。2009年に始めた「HVPF教育支援プログラム―高校生10US㌦奨学支援-」は、趣旨に賛同いただいた県内外の支援者(サポーター)からの年間18,000円(月1,500円)を3か年で寄せていただく奨学支援基金で成り立っています。

今夏、入学した「第15期奨学生」(1年生)20名、「第14期奨学生」(2年生)、「第13期奨学生」(3年生)各20名、計60名にサポーターからお預かりした奨学金を一人ひとりの子どもたちに直接届けました。今回での授与式でこの間支援した奨学生は300名になります。

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奨学金授与式

今日(3日)は、今なお不発弾や地雷による被害が続く中で、その処理を進めている「不発爆弾センター」の視察、枯葉剤被害者宅の訪問、クアンチ省最大の企業・SEPONNグループの視察、旧南北ベトナムの軍事境界線(ベンハイ川)見学、クアンチ省教育訓練局との会食で終えました。

明日(4日)は古都フエの観光の後、朱印船貿易の地ホイアンに移動。5日はホイアンとダナン観光し、6日に帰国予定です。

今号はベトナムからの短信になりました。「技能実習制度シリーズ」を始めたばかりですが、次号から幾度かにわたって、今回の記念訪問について報告させていただきます。

 あかたつ

【編集者】あかたつさんは、現在ベトナムを訪問中です。この原稿は、訪問中のベトナムから3日に届きました。

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2023年11月 4日 (土)

「11・3ヒロシマ憲法集会2023」開催

日本国憲法が公布されて77年周年となる昨日11月3日、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動ヒロシマ実行委員会が呼びかけた「NO WAR NO KISHIDA 11・3ヒロシマ憲法集会2023」が、原爆ドーム前で開催されました。

集会は、午後1時からヒロシマ実行委員会世話人の大月純子さんの司会で始まり、全員の黙祷からスタートです。続いてフルートの演奏がありました。

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その後、4人のアピールがありました。

トップバッターは、高校生平和大使の尾崎心泉(こころ)さん。岸田政権による核兵器禁止条約の批准と核兵器の廃絶を訴えました。二人目は、続いて、ヒロシマ総がかり世話人で弁護士の松岡幸輝さんです。松岡さんは、戦争法違憲訴訟の状況を中心に憲法改悪阻止を訴えました。

3人目は、広島市立大准教授で中東地域研究者の田浪亜央江さんです。このアピールは、イスラエルの軍事行動が激化し、地上戦が始まリ、市民のいのちが奪われているガザ・パレスチナ情勢について、アピールが絶対に必要だとして、急きょ田浪さんにお願いし実現しました。ガザでのイスラエルの無法ぶりを訴えながら「ガザ地区の住民の命を守るための行動をしよう」と呼びかけました。と田浪さんは、毎週金曜日の夕方行われる原爆ドーム前での「ガザ・ジェノサイドをやめろ! 原爆ドーム前スタンディング」の呼びかけ人で、この日午後5時から原爆ドーム前行動が行われました。

最後にヒロシマ総がかり共同代表の石川幸枝さんが、広島から子どもたちの命を守り戦争反対、改憲を許さない行動を強めようと呼びかけました、

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と4人のアピールを紹介しましたが、私は会場の後ろ側で原爆ドーム周辺の観光客のための通路を確保する作業を行っていましたので、アピールの内容をメモすることができていません。私の耳に残っている言葉を紹介しましたので、実際の発言とは異なるかも知れません。

4人のアピールの後、沖縄の具志堅隆松さんから寄せられたメッセージが紹介されました。

この集会では、事前にキャッチフレーズ「ミサイルより〇〇〇」ですが、〇〇〇の部分に入る言葉の募集が行われ、37点の応募がありました。その中から、20点の言葉を応募された滝和子さんの「権力監視カメラを」「ホカホカ給食を」「花の街を」の3点、高橋悠太さんの「核禁条約を」、4人(うち一人は、府中の19日行動の原稿を送っていただく小川敏男さん)の応募があった「対話を」が選ばれました。滝さん、高橋さんと4人のうち事務局が各人と相談しながら選んだ3人に「はだしのゲン」全10巻が贈られます。

最後の各自のアピールが書かれたプラスターを掲げて、集会は終了しました。

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集会スローガンは、「・軍拡やめて 物価を下げろ 福祉を充実・改憲止めて 平和をつくろう 人権守ろう・沖縄を戦場にするな・呉を出撃基地にするな・ウクライナ・ロシア戦争、パレスチナ・イスラエル戦争すぐにやめろ・核戦争防止へ核兵器禁止条約に参加せよ」です。

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集会終了後参加者は、「軍拡やめて 物価を下げろ」「岸田改憲を許すな」などのシュプレヒコールを行いながら、白島線電車通りにある岸田文雄事務所に向けたデモ行進を行い、到着後流れ解散で散会しました。

集会の参加者は、800名でした。

いのちとうとし

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2023年11月 3日 (金)

二つの展覧会

最近、二つの展覧会を見に行きました。

地下室の写真展

一つは、珈琲店の地下で開催されている「大江理江子・江下碧二人展『地下室の写真展』」です。

会場は、買い物途中に前を通る「名井珈琲商店」の地下1階です。

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雰囲気のある珈琲店ですので、いつも気にしながら前を通ります。店の前に小さな看板が出ているのが目にとまりました。近づいてみると、地下室で開催されている写真展の案内です。

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このお店、地下室があるんだと、作家には申し訳ないのですが、「地下室」という言葉に惹かれて、写真展を見に入りました。

大江理江子さんの写真は、『ロックの情熱とLIVE狂熱を切り取った写真』です。

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江下碧さんの写真は白黒写真で、キャプションには「真実を撮った瞬間虚構に変わる」のタイトルが付けられています。

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写真のことは詳しく知りませんので、全体の雰囲気を写真に撮ることは許可されていましたので、作品の雰囲気を感じてもらうため、2枚の写真を貼り付けました。

写真展の紹介はこれぐらいですが、珈琲店の地下は倉庫として活用されています。

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紅茶の名前が書かれた箱も並んでいました。普段は見ることのできない景色でした。

この展覧会は、12月2日まで開催されています。

もう一つは、昨日行った友人の個展です。

西村不可止展

NTTデータ時代の同僚で、毎回個展の度に案内状が届きます。

今年も昨年と同じ中区袋町にある「gallery718」での開催です。

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今年も「コンピューターシステムのイメージ」をモチーフに赤色を基調とした作品が並んでいました。

「見えたことから感じたことへ。1970年からコンピューターシステムに携わってきた私。そして『IT革命』が言われる真っ最中。私が感じた『ICT』のイメージを描いてみました。」

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どう感じるのかは、見る人の思い次第です。

数点ですが、大山を描いた水彩画も展示されています。

会場には、被爆建物や被爆樹木などを描き続けてこられたアマチュア画家藤登弘郎さんの姿がありました。

会期は、11月5日までです。

いのちとうとし

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2023年11月 2日 (木)

はだしのゲン

この春、広島市教委は「平和教育プログラム」を改訂し、今年度の「ひろしま平和ノート」から「はだしのゲン」等を削除しました。有識者会議において、「漫画の一部では被爆の実相に迫りにくい」、「浪曲の場面は児童の実態に合わない」、「鯉を盗む描写は誤解を与える恐れがある」等の課題が出されたため見直すことにした、とのことですが、その議事録を確認しても、議論の末に削除すべきとの結論に至った様子はありません。

広教組広島支区は、このことが明らかになってすぐに組合員の声を集めるとともに、より広く現場の声を集約するため、広島市立小学校(141校)の全校長宛に手紙を送付し、実際に2022年度に「はだしのゲン」を教材として使った3学年の担任に渡してもらう形でアンケートを行い、42校85件の回答を得ました。

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「はだしのゲンを平和教材として使ってみてよかったか?」という設問に対し、7割が「よかった」と回答し、「よくなかった」は1人のみ。どこに教材を変える必要があるのでしょうか。

一方、気になったのは「どちらでもない」の多さ(3割)です。「今後もはだしのゲンを教材として使いたいと思うか?」に対する回答となると、「どちらでもない」は更に増えて5割となります。どうして「どちらでもない」なのでしょう。もしかしたらこれは、「どちらでもいい」、「どうでもいい」なのではないでしょうか。

広島市教委は改訂の趣旨を、「先生たちに負担なく教えやすいものに」とも言いました。でも、人権・平和を学ぶ教育が、そんなインスタントのようなものでいいの?と思います。業務削減すべきは、そこではないでしょう。

学校現場は多忙を極めています。教職員も、言われたとおりにやる方が楽です。しかし、自分で考え行動することを怠ると、教育は権力に都合がよいものに変質するのです。

5月、市民生活に多大な制約を及ぼし、広島G7サミットが開催されました。街には警察官があふれ、あちこちにバリケードが設置され、異様な光景でした。「広島ビジョン」は、広島の名のもとに、核兵器禁止条約に背を向け、「核抑止論」を肯定するものでした。平和記念公園とパールハーバー国立記念公園との姉妹協定、原爆投下責任の議論の「棚上げ」発言等と一本の線でつながり、広島市がすすめる平和行政そのものの変質を疑わざるを得ません。「平和教育プログラム」改訂もその線上にあるのでしょう。

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私は、久しぶりに「はだしのゲン」を読み返し、戦争や原爆の恐ろしさ、愚かさ、個の尊厳を踏みにじる大きな力への怒り、被害と加害、その中でも信念を曲げず、声をあげ、人としてのぬくもりを決して奪われないゲンたちの姿に圧倒されました。この「真理」が不都合な人たちがいるのです。

何を使って何を子どもたちに伝えたいのかに立ち返り、平和教育を「自主編成」していく大切さ、点から線へ面へとひろげていく必要性を感じています。

よりのぶ

【編集者】今月から、広教組の皆さんから原稿を送っていただくことになりました。今日はその第一号です。

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2023年11月 1日 (水)

NHK広島「夢プロジェクト」公開収録

NHK広島放送局と広島交響楽団がコラボした「夢プロジェクト」の公開収録が、昨晩午後6時から広島文化学園HBGホールで開催されました。

NHK広島放送局のホームページに、この企画について次のように書かれています。

「NHK広島放送局では、指揮者の下野竜也さんと創立60年を迎える広島交響楽団を迎え、一夜限りの特別プログラムをお届けします。『夢』をテーマに若者が広響と一緒に多彩なジャンルで共演するステージなど、このコンサートでしか味わえない贅沢な時間をお楽しみください。」

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若い人たちの夢を叶えるための広島交響楽団と共演する企画です。

観覧には事前の申し込みが必要とのことで応募したところ、「応募者多数の場合は抽選」となっていましたが、無事に「入場整理券」が届きました。

定刻の午後6時、広島交響楽団による「スター・ウォーズメインテーマ」が演奏で「夢プロジェクト」はスタートしました。指揮者は、広島交響楽団音楽総監督の下野竜也さん。広響の演奏が終わると司会の小野文恵アナウンサーやゲストの一人と一組の計3人が登場。

ゲストの一人は、ミュージカルでデビューした音楽好きの俳優の城田優さん。もう一組は、音楽を使ったネタを得意とする島根県益田市出身の歌ネタ芸人「メンバー」です。

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これからが本番、「若者が広響と一緒に多彩なジャンルで共演するステージ」の開始です。

広響と共演した若者たちを出演順に紹介します。

姉・弟の二人によるピアノの連弾。女子高校生のギターの弾き語り。女の子20人のダンシングチームのダンス。城田優さんもメンバーの中に加わりました。ここで前半が終了。

後半のスタートは、再び広響による演奏。ベートーベンの交響曲第5番「運命」第1楽章、バッハの「アリア」、ドボルザークの交響曲第9番「新世界」第2楽章でした。

その後若者との共演が続きます。福山の大道芸人、フリースケートのコラボ。今回初めての共演とのこと。最後は、ハープの演奏でした。

ここで、そのパフォーマンスの様子を紹介することはとても無理です。昨日収録された番組「夢プロジェクト」は、来年1月12日(金)午後7月30分から8時42分に放送される予定ですので、ぜひそれを見て欲しいと思います。ただ放送時間の関係で広響の演奏部分は、全部は放送されないと思われます(私の勝手な想像です)ので、生演奏が聞けて本当によかったと思います。

いずれの出演者も堂々とした演奏やパフォーマンスで観客から大きな拍手が送られました。若者たちとのコラボの後は、ゲストの城田優さんが、アンジェラ・アキ作曲「手紙~拝啓十五の君へ~」の熱唱。そして最後に会場全員で「それ行けカープ~若き鯉たち~」を手拍子とともに大合唱して「夢野プロジェクト」は終了しました。

途中から、この「夢のプロジェクト」は、昨年も企画され、番組放送を見たことを思い出しながら、楽しみました。

いのちとうとし

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