和解を導いた力Part3ー西松建設裁判原告・宋継堯さんの闘いをふりかえるー
毎年10月の第3日曜日には、山県郡北広島町坪野の中国電力安野発電所敷地に建つ「安野中国人受難者之碑」前で、「中国人受難者を追悼し平和と友好を祈念する集い」が開催されます。
今日と明日は、「広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会」(以下「継承する会」)が主催し、14日、15日の二日間に開催した二つの行事を紹介します。
今日は、初日の14日午後2時から広島弁護士会館で開催された「和解を導いた力Part3ー西松建設裁判原告・宋継堯さんの闘いをふりかえるー」です。
タイトルの「和解を導いた力Part3」とあるように、今年は、過去2年間にふりかえった呂学文さん、邵義誠さんとともに西松建設裁判の受難者として原告となった3人の一人、宋継堯さんの闘いをふりかえる企画でした。
西松安野友好基金運営委員会の世話人だった杉原達さんの司会で、集いはスタートしました。杉原さんは、毎回大阪から参加されています。
最初に、「継承する会」の川原洋子さんが「宋継堯さんの軌跡」を紹介。川原さんは「宋さんの生い立ちから日本に強制連行された経緯、安野発電所現場でのトロッコ事故から失明に至る経緯、その後病気やケガで働けなくなった13人とともに下関から帰国、下関で船を待つ間に右目が腫れあがり、月のあまり2回気を失い、痛みに耐えきれず、自分の両手で右目の眼球を押し潰したこと」、さらに帰国後の苦難の生活が続いてことを紹介し、1992年に明らかになった安野の生存者の確認、1995年の50年ぶりの来日、その後の西松建設裁判において宋さんの証言が大きな役割を果たしたことなどが紹介されました。
川原さんの話で印象に残ってことが二つあります。
一つは、1994年5月の聞き取り調査での体験。「ようやく自分の話を聞いてくれる人が出てきた。本当にうれしかった。中国では、それまで自分の話を聞いてくれる人はいなかったので」という安野生存者の声。二つは、「宋さんの観察力、記憶力がすごかったことに驚かされた。当時の引率者の名前、現場の総監督の帽子に『吉田』と書いてあったことをはっきりと覚えておられた。その話をビデオに撮り、西松建設に持って行って見せた。そうすると、それまで拒否していた合同調査に西松がすんなりと応じた。」という話です。川原さんは、宋さんの観察力、記憶力がその後の裁判や西松建設との交渉で大きな力になったと紹介しました。
川原さんの「宋継堯さんの軌跡」の紹介のあと、当時のニュース映像(4本をまとめたもの)が上映され、宋継堯さんの在りし日の姿を偲びました。
川原さんの話やニュース映像を見ながら、不自由な目をおして来日された宋さん、その宋さんの来日のためのビザ請求の手続き(当時は、中国から受け入れるときには、身元保証人などの申請が必要だった)のお手伝いをしたことなどを思い出しました。
休憩を挟んで、第二部の「宋さんを語る」がスタートしました。
最初に、中国在住の陳輝さんの話を聞きました。陳さんは、西松建設裁判で通訳として活躍されていました。残念ながら、今年も中国からは遺族や関係者を迎えることができず、ZOOでの対話となりました。
川原洋子さんの質問に答えながらの話です。「1999年9月に中国を訪れた二人の日本人(川原さんと杉原さん)の通訳をすることから関わることになって以来、18回ぐらい調査や裁判、申入れに同行し、活動を共有してきました。当時マスコミもほとんど報道することはなかったので、活動に参加するまでは、強制連行の話は、知りませんでした」。その陳さんですが、車の中で「中国人被爆者・癒えない痛苦(トンクー)」(強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会1995年発刊)を見つけ、「加計を訪れてもなかなか現地の人が証言してくれなかったことを知り、太田川が中国人の苦しみを込めて流れていることなどの言葉に動かされて、本を翻訳することになった」経緯を話してくれました。
宋さんについては、「失明して帰国した宋さんにとって当時の中国で生活するのが、どれだけ大変だったか。本人のみならず、子どもたちも差別を受けていた。そのため長男は武術を習っていた」ことなど、陳さんならでの話を聞くことができました。
陳さんの話のあとは、陳さんが登場するまで通訳として活動された奈良在住の老田裕美さんの話と足立修一弁護士の話がありましたが、長くなりますので、今回はこの話は省略します。
最後に継承する会世話人の土屋信三さんが「日本は今どこに行こうとしているか、過去の歴史を学び、日中友好が子々孫々続くよう我わらが努力しなければならない」とあいさつし、閉会しました。
いのちとうとし
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