ベトナムの歴史(その29-1)
10年間続けられたランチハンド作戦(枯葉剤散布)
「宣戦布告なき戦争」と言われるベトナム戦争が始まった時期について、前号で私は抗仏戦争当時、フランス軍を支援するためにアメリカが軍事顧問団を派遣し、大量の武器・弾薬などの軍事支援を始めた1950年と考えていると書きました。ベトナム戦争はその後、1975年4月30日の「サイゴン解放」まで続くことになります。
1950年以降、アメリカの軍事顧問と大量の軍事支援を受けつつもフランス軍は、1954年5月7日にディエンビエンフーの戦いで敗れベトナムを去ります。7月2日には「(一旦)17度線で南北に分断」した上で、「1956年に自由選挙を実施し南北の統一を図る」とする「ジュネーブ協定」が結ばれます。しかし、アメリカは「ジュネーブ協定」を無視し、1955年10月、ゴ・ジン・ジェムにベトナム共和国を樹立させます。それまでのインドシナ軍事顧問団を南ベトナム軍事援助顧問団に改組・増強します。
こうしてアメリカはフランスに代わってベトナム共和国(南ベトナム)という傀儡政権をつくり、ホー・チ・ミンが指導するベトナム民主共和国(北ベトナム)を倒し、共産主義勢力の伸長阻止を図ろうとします。
そうした中で米軍は、今なお深刻な被害をもたらしている枯葉剤(エージェントオレンジ)作戦を始めます。1961年8月10日、ベトナム共和国軍(南ベトナム軍)のマークを付けた米軍C-123輸送機に枯葉剤を積み込み、ベトナム中部高原地帯のコントウム省で初めて実験的な散布が行われます。そして11月30日、ケネディー大統領が「ランチハンド作戦」と名付けられた枯葉剤作戦を承認し、1971年10月31日までの10年間、休みなく反復的に南ベトナムの国土と人々の頭上に降り注がれました。
出典:ウィキペディア「ランチハンド」と書かれた看板とC-123輸送機 1960年代
その結果、どのようなことがもたらされたのか、皆さんご存知のとおりです。そう、結合性双生児として生まれた“ベトちゃん・ドクちゃん”です。“ベトちゃんドクちゃん”は、ベトナムで最初に枯葉剤がまかれた地、コントウム省で1981年2月25日に誕生しました。
なぜ枯葉剤は南ベトナムにまかれた?
下の地図は米軍によって枯葉剤が反復的にまかれた地帯を示した地図です。枯葉剤が本格的にまかれ始めた1965年から米軍の出撃記録を基に作成された散布地域の地図に筆者が手を加えました。
枯葉剤作戦で出撃した米軍の記録を基に作成されたものに筆者が手を加えました
赤色部分が散布地点でその回数に応じて線が太くなり、赤く塗りつぶされた場所は散布の線が縦横に重なり一面に散布されたことを物語っています。地図上中央部の青囲みの地域がコントウム省、○がラオスとカンボジア国境近くにある“ベトちゃんドクちゃん”の生まれた村です。
皆さん、地図を見て不思議に思われないですか? おそらく気づかれたと思いますが、枯葉剤が散布されたのはアメリが後ろ盾になっている南ベトナム、ベトナム共和国の領内です。
〔なぜ?!〕と、お思いでしょう。
私は、そこに「ベトナム戦争の本質があると思っています」と、いつもお話しします。それについては明日触れることにします。
(2023年10月20日、あかたつ)
【編集者】ベトナムの歴史その29は、明日に続きます。
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