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2023年10月21日 (土)

ベトナムの歴史(その29-2)

ベトナム戦争はアメリカが冷戦構造のもとで勢力を拡大しつつあった社会主義勢力を押し止めるために、ベトナム共和国(南ベトナム)という傀儡国家を作り、南北を分断し、ベトナム民主共和国(北ベトナム)を打倒するために介入した戦争です。その戦いはアメリカと傀儡政権であるベトナム共和国(南ベトナム)にとっては北ベトナム政府を倒し、ベトナム全土を西側陣営に属する国にすることであり、ベトナム民主共和国(北ベトナム)と南ベトナムの人々にとっては、アメリカとその傀儡政権に支配された南ベトナムの解放と南北統一をめざした抗米戦争という性格を持っていたのです。

ベトナム共和国(南ベトナム)に住む人々は、南ベトナム民族解放戦線を結成して南ベトナム政権とアメリカに戦いを挑みます。いわゆる「ベトコン」と呼ばれたの人たちです。私たちもついつい「ベトコン」と口にしますが、そもそもは南ベトナム初代大統領だったゴ・ジン・ジェムが、「ベトナムのコミュニスト(共産主義者)野郎」という侮蔑の思いを込めて「ベトコン」と名付けたと言われています。

正式には民族の独立と統一を目指してゲリラ戦を戦った「南ベトナム民族解放戦線」に組織された人々で、決っして共産主義者だけではなく幅広い階層で構成されていました。日本でもメディアを含め「ベトコン」が通称となっていますが、先に述べた語意であり、ベトナム政府が「ベトコン」と自称したこともないことから、私は「南ベトナム民族解放戦線の人たち」と呼ぶか、短く「南ベトナム解放戦士」と呼ぶことにしています。

なぜ、アメリカと南ベトナム政府は、本来戦っている北ベトナムではなく南ベトナム領内、いわば自国内に枯葉剤を執拗にまき続けたのでしょうか。もうお解りでしょう。南北を分断されたベトナムの人々が分断された国家を越えて、解放と統一に起ち上がり戦った反米戦争(ベトナム戦争)は、主に北緯17度線を境に南ベトナム領内で展開されます。北ベトナム兵士が南進し、南ベトナムのゲリラ戦士とともに戦ったのです。

そこでアメリカは南ベトナムのジャングル深くにあるゲリラ戦士の基地や北ベトナムからの補給路を潰すために「ランチハンド作戦」をたて、枯葉剤でジャングルを枯らしたのです。何かの本でアメリカの政治家が、ベトナム戦争を「アジア人をしてアジア人と戦わせる」と言ったことを読んだ記憶があります。枯葉剤作戦は、まさにベトナム人同士を戦わせ、アメリカの帝国主義的な野望を貫徹しようとしたベトナム戦争の本質を象徴的に示すものだと思います。

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ホーチミンルート 左が散布前 右が散布後

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作戦で枯れたマングローブとフン少年(中村悟郎)

だから、枯葉剤が地図の上部にある旧南北境界線(クアンチ省)より南に位置する南ベトナム国土にまかれたのです。その面積は全土の20%に当たる243万㌶に当たります。コロンビア大学のテルマン教授らの推計では、10年間に約2万回、86%は2回以上、11%は11回以上も撒布されました。8万キロリットルもの枯葉剤が、3,118ヶ村以上の村々に浴びせられ、210万~480万人の人びとが猛毒ダイオキシンに汚染させられたとのことです。

「ベトコン」について

前述の「なぜ枯葉剤は南ベトナムにまかれた?」の項で「ベトコン」について触れ、(注1)を付けましたが、本文で説明することにしました。

これまで幾度か「ベトミン」という記述とその意味について触れましたが、「ベトコン」という記述は「ベトナムの歴史シリーズ」ではおそらく初めてだと思います。それぞれについて簡単に紹介します。

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ベトナム民族解放戦線の女性兵士

ベトミンは、正式名を「ベトナム独立同盟会」といい、抗仏闘争(戦争)を戦った独立運動組織で、ホー・チ・ミンが指導するベトナム国民戦線で、1941519日に結成されました。

「ベトコン」は「南ベトナム解放民族戦線」が正式名称で、19601220日に南部タイニン省で結成されました。南ベトナム政府の弾圧や米軍の介入に反対する仏教徒や自由主義者、華僑などが参加した、これまた広範な国民戦線です。参加団体は11の大衆団体、3つの宗教団体、3つの諸政治グループなどでした。

その南ベトナム解放民族戦線が南ベトナム国内において、北ベトナムからの武器・弾薬の支援を受け、その指導の下でゲリラ戦を展開し、「世界最強の軍隊」と言われた米軍に勝利しベトナムを解放したのです。

ところが、その南ベトナム民衆の抵抗闘争を共産主義者によるものと決めつけ、蔑視・喧伝するために、前述しましたゴ・ジン・ジェム初代南ベトナム大統領が「ベトコン(ベトナムのコミュニスト:共産主義者)と名付け、それが世界に広がり、今日に至っているのです。

そうしたことから、私は「ベトコン」ではなく「南ベトナム解放戦士」と呼ぶことにしています。

少し長くなりましたが、次号では今なお続く深刻な枯葉剤被害の実態について報告します。

(2023年10月21日、あかたつ)

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