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2023年10月18日 (水)

第16回中国人受難者を追悼し、平和と友好を祈念する集い

今日は、二日目(15日)に中国電力安野発電所に建つ「安野中国人受難者之碑」前で行われた「第16回中国人受難者を追悼し、平和と友好を祈念する集い」の報告です。

今年は、広島駅南口からマイクロバスで参加しました。現地に着くと早速、川原さんの解説でフィールドワークが行われました。中国電力安野発電所入り口で、中国人がこの地での働き方や暮らしなどなどの解説。以前も聞いたことがあるのですが、新鮮な気持ちで聞きました。

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後ろの白い建物が発電施設。タービンは、地下深く掘られた中に据えられています。この穴も中国人の人たちが、掘らされました。発電所に向かって上から二本の導水管が伸びていますが、中国電力は作られた時期よりも据えられている位置で番号を付けているようですので、左側が作られた時期は新しいのですが1号路、1号の横にもう一本付いているのは、放水用の導管です。古い方の右側が2号路と呼ばれていますが、こちら側が中国人が作った導水路です。今は鉄管になっていますが、中国人は、地下に導水路を掘りました。その後、その導水路が破裂したため、現在のような鉄管になりました。

このまま、川原さんの話を書いていると終わりが見えませんので、ここまでで終わりにします。

その後、「安野中国人受難者之碑」に移動し、さらに横の急な石段を登って、約7.7キロの導水路の最終点を見に行きました。これで今回のフィールドワークは終了しました。

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その後、山口から参加された内田喜美子さんのお話を聞きました。内田さんは、当時4歳。安野発電所の水の導入口である土居に住んでおられ時の中国人との体験を話していただきました。

1時間ほど休憩した後の午後1時半から「安野中国人受難者之碑」前で「第16回中国人受難者を追悼し、平和と友好を祈念する集い」(以下「追悼する集い」)が始まりました。今年もテントや椅子、机などの会場作りは、地元加計町の仲間に協力していただきました。感謝です。

岡原美智子さんの司会で始まった「追悼する集い」は、全員で黙祷の後、広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会世話人代表の足立修一弁護士が、これまでの経緯を紹介しながら最後に「今後もこの和解事業によって築かれた日中間の友好と交流をさらに深め、被害者の追悼、歴史の継承を皆様方とともに継続していく」という決意を表明しました。

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今年もコロナ感染の影響で、中国からの遺族を招くことができませんでしたので、届いたメッセージが紹介されました。その一部です。

「2010年10月にこの地で除幕式が開催されてから、今年は足かけ14年になります。私は被害者遺族を代表して、日本の支援者の皆さまが毎月10月にこの地で強制連行された中国人の歴史を追想することに感謝いたします。過去を振り返ると、第二次世界大戦が中国の人々に永遠に忘れることのできない苦痛をもたらしましたが、最後には正義の側が勝利しました。本日、私たちは記念碑の前に立って受難者たちを偲ぶとともに、若者たちがこの歴史を理解し正しく向き合って平和を重んじ戦争に反対するように促します.両国の友好を発展させ、平和的な関係を拡大させるために、ご来席の皆さまの努力が必要です。」

その後橋本博明安芸太田町長、善福寺藤井慧心住職、広教組頼信委員長のあいさつ、中国中大阪総領事館薛剣総領事のメッセーが紹介されました。

続いて、竹内ふみのさんの二胡の演奏。演目は、別れの歌で名高い「陽関三畳」。

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毎年のことですが、二胡の調べは、心に響きます。その演奏が終わると、二胡の演奏が続く中で、参加者全員の献花が行われました。私も広島県原水禁を代表した献花を行いました。

献花を以て「追悼する集い」は終了しました。

その後参加者は、同じ坪野にある善福寺に移動し追悼法要を行いました。

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中国から強制連行され、安野に送られた人は、360人。うち29人が異国の地でなくなりました。そのうち3人は、日本に来る途中で死亡、原爆による犠牲者は5人、8月15日の終戦を迎えながら、帰国の途につけずに亡くなった人は3人です。

藤井慧心住職による読経のもと焼香を行って追悼法要は終わりました。

これでこの日のすべてに日程が終了し、再びマイクロバスで広島駅を目指しました。

今年も遠方からの参加者がありましたが、私の友人である日中労働者協会の伊藤彰信さんも東京から参加し、二日間行動を共にしていただきました。

いのちとうとし

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