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2023年10月30日 (月)

「広島刑務所壁画」現地見学会

広島拘置所(中区上八丁堀)の建て替えで撤去される外壁に描かれた壁画の保存を求めている会が主催する「広島刑務所壁画」現地見学会が、29日に開催されました。

午前10時、午前11時、正午の計三回、壁画が描かれた当時、それを担当していた広島市職員による説明会が実施されました。

私が訪れたのは、3回目の正午の会でした。

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関心を持つたくさんの市民が訪れていました。主催者によれば、1回目の10時には、もっと多くの人の参加があったと言うことでしたので、関心の高さがうかがえます。

私たち夫婦が見学会に参加するきっかけは、20日の中国新聞の記事ですが、その後で昨年10月から毎月5日を中心に15回にわたって「ベトナム象、広島を歩く」のタイトルで執筆してくれたあかたつさんから「あの壁画の中にベトナムのゾウが描かれていると聞いたので、ぜひ写真に撮っておいてもらえませんか」と電話での依頼があったので、絶対に行かなければならないことになったからです。

現地に行くと、12時きっかりに、当時広島市観光課長としてこの壁画製作に関わった小林さんの解説が始まりました。

この壁画は、広島城築城400年目の記念事業の一つとして企画されたもので、「原爆で喪失した江戸時代前後からの城下町の雰囲気を表現する記念事業として城下町を表現した壁画」が描かれることになったのです。最初に、所有する法務省などの許可を得るための努力や制作者を選ぶ苦労などが紹介されました。

コンクリート壁に絵を描くという難しい壁画作成を担われたのは、入野忠芳さん。

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その年の5月頃から描きはじめ、ほぼ完成したのは、10月下旬。拘置所に隣接する宿院宿舎に泊まり込み、作業助手の男女二人を採用し、製作は進められ多様ですが、本当に短い時間で良く完成したものだと感心しました。

当時、私は白島中町に住んでいましたので、この場所をよく通ったことがあります。壁の廻りに足場を組んだ作業されていた様子をおぼろげながら覚えています。そしてコンクリートの壁面に絵を描くのですから、筆がすぐだめになるというようなことを聞いたような記憶があります。

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この壁画の中には、ちゃっかりと壁画を制作する入野さんと二人の助手が描かれて部分があります。上の部分の右側3人です。これも解説がなければ、見つけることはできなかったでしょう。

さてあかたつさんから依頼のあった像の絵です。描かれている象は、広島の城下を歩いている姿ではありません。

1862年に長年続いた「風俗規制」が全面解除され、「砂持加勢」という祭が行われました。「砂持」とは、上流から流れてくる砂によって浅くなった川底を掘り下げる「川ざらえ」で出た川の土砂を運ぶことですが、それを加勢するために出し物や仮装をして祭を盛り上げたようです。

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その作り物の一つとして、138年前にこの城下を通ったゾウもつくられたのです。それほどに、ゾウが城下を通ったことは、人々に印象強く残っていたようです。

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あかたつさんの依頼に応えて写真を撮りました。

今までに紹介したのは、拘置所の北面の壁画です。

東面には、厳島神社の管絃祭の様子や宮島の大鳥居、城下町の賑わいの図などが描かれています。宮島の大鳥居は、落雷による倒壊や大潮・高潮などによって傾くなどの被害が出てようですが、その寄付金集めに広島藩や広島の町が深く関わったようです。

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賑わいの図では、橋の上の民衆の姿が描かれていますが、どの橋かは特定できていないようですが、考えられるのは京橋ではないかということでした。

東面の壁画の写真も何枚か撮りましたが、光のかげんでうまく撮ることができませんでしたので、紹介するのは上の一枚だけです。

壁画見学会を開催した壁画の保存を目指している会では、現物保存が難しいということで、壁画の画像をデジタル化し、陶板に焼き付けて遺すよう広島市に要望しています。

見学会に参加しながら、何とか絵の保存が進むようにとの思いを強くしました。

いのちとうとし

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コメント

今から45年くらい前だったでしょうか。東京に住んでいた私は、何気なく入った新宿の画廊で衝撃を受けました。
「れっか」(裂っか、漢字がよくわかりません)と題されたシリーズで地球が、大地が引き裂かれていくかのような衝撃でした。
広島の画家、入野忠芳さんの個展でした。部屋の片隅に作家らしき方が座っておられましたが、あまりの眼光の鋭さに私は感動を伝えることもできず、その場を立ち去りました。

刑務所の壁画は広島の歴史を描いた大作です。同時に、ヒロシマの悲劇、怒りを藝術として表現された入野忠芳さんの作品です。広島の文化のためにも是非、残して下さい。

平木さん

コメントありがとうございます。
ブログでは、書かなかったのですが、ご指摘の通り入野忠芳さんは、被爆者として絵画を通じて、反核平和を訴えてこれました。被爆70年に泉美術館で開催された「ヒロシマ70 入野忠芳・香川龍介・田谷行平―入野忠芳の遺作とともに―」のことを思い出します。
私は、三人の画家の一人田谷さんをよく知っていますので、入野さんのことも聞いていました。
その入野さんの作品、もっと大切に扱って欲しいと私も強く思います。

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