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2023年9月28日 (木)

「在外被爆者支援・連帯ヒロシマ委員会」を知っていますか?―その2

ヒロシマ委員会の当初の計画よりも縮小しましたが、その第1陣としてアメリカ・シアトル在住の在米被爆者の美容師山田勝江さん(当時62歳:以下に記載する年齢はいずれも当時の年齢)が、8月3日に「再び故郷の地が踏めた」と32年ぶりに広島入り。山田さんは、広島市原爆対策部を訪れ被爆者健康手帳を取得。6日には、平和祈念式典に出席し、8日に広大病院に入院しました。爆心地から約3キロの自宅で被爆した山田さんは、昭和26年に渡米後、「体のだるさ、めまい、皮膚の荒れなど」に悩まされ続けたていましたが、約1ヶ月間の治療を受けることになりました。

第2陣は、同じ月の29日に8年ぶりに広島に帰ってきたアメリカ・ワシントン州カークランド在住の会社員中野昭さん(52歳)で、広島到着後すぐに広島市役所を訪れ、被爆者健康手帳の交付を受けます。山田さんは、翌30日に約1ヶ月間の治療を受けるため、山田さんと同じ広大病院に入院しています。

ヒロシマ委員会が実施したこの年の帰国治療事業は2名、翌年は3名と続き、1988年に県医師会に引き継ぐまで継続され、1988年7月17日に帰国の途についたハワイ・ホノルル在住の主婦石元恵美子さん(56歳)を最後に、合計16人の帰国治療が実現しました(中国新聞1988年7月18日付記事)。

しかし、援助や治療対策をさらに強化するのは、募金だけでは困難となり、ヒロシマ委員会石田明会長と県医師会の杉本純雄会長との話し合いによって、1988年2月に県医師会が肩代わりしてこの事業を取り組むことに合意しました。

ここでなぜ県医師会の肩代わりすることになったのかを少し考えてみたいと思います。

県医師会は、放射線影響研究所と伴に、厚生省の事業として1977年から始まった北米在住の「被爆者健康診断事業」に従事し、隔年で医師団を派遣していました。在南米被爆者健康診断事業が始まるのは、1985年からです。

この被爆者健康診断事業は、健診は実施したものの、「治療や診療を受けたい」という希望があっても、米国の医療法上で治療行為を行うことができず、検診を受けた被爆者の中には「広島の専門病院で治療や診察を受けたい」という強い希望がありました。しかし、「被爆者健康診断事業」がスタートした時期の県医師会は、「十分にそれは意識していましたが、財政面などから実行は他者に任せざるを得なかった」のです(広島県医師会「広島県医師会在米原爆被爆者健診事業30周年記念誌」より)。

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倉本寛司著「在米五十年 私とアメリカの被爆者」より

また、帰国治療の対象者の人選は、米国被爆者協会の倉本寛司会長に一任されていましたが、県医師会などのよる在米被爆者健診の結果が強く考慮されたことも新聞記事から読み取ることができます。

こうしたことが、1988年に県医師会が、ヒロシマ委員会の事業を引き継ぐことになった背景にあったのではないかと推察できます。

どうしても記しておきたいことは、広島県、広島市の対応です。1983年に被爆者4団体の代表が石田明会長と伴に県、市に対し「渡航費などの資金援助をして欲しい」と要望したところ、県は「在米被爆者の医療が重要であることは認めるが、県が渡航費を援助することは難しい」、市は「申し出の趣旨は十分わかるが、市は在米被爆者について、健診団派遣事業を充実させたい」と応えていることです。そこには、在外に住む被爆者への思いを全く感ずることができません。当時長崎市は、年に二人ずつ市費で帰国治療を受け入れていましたから、広島県・市の対応の冷たさが際立ちます。

ヒロシマ委員会の資金作りには、県内だけでなく、大きな広がりがありましたが、その紹介とまとめは、明日にします。

いのちとうとし

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