森滝市郎先生と加納莞蕾―つづきのつづきのつづき
2回にわたって「森滝市郎先生と加納莞蕾さんの出会い」について考察してきましたが、今日が最後です。
昨日、森滝先生と加納莞蕾さんの最初の出会いは、「1955年の原水爆禁止世界大会だった」と思われることを検証してきました。
今日は、加納莞蕾さんの原水爆禁止世界大会への参加が、その後の活動にどんな形で引き継がれたのかを考えます。
8月29日の「安来加納美術館と加納莞蕾(かんらい): 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」で、「布部村平和五宣言」について触れ、その内容を後日紹介することを約束しましたが、ようやくその順番が回ってきました。
「布部村平和五宣言」は、次の五項目です。
- 自治宣言
- 国際親善宣言
- 世界連邦平和宣言
- 原・水爆禁止宣言
- 世界児童宣言制定促進宣言
4を除く各宣言は、加納莞蕾さんが続けた「フィリピンの戦犯釈放」運動の延長線上にあり、特に「5,世界児童宣言制定促進宣言」には、平和のモラルを確立するために子どもの権利を確立することが大切だという強い思いが込められています。
私が注目するのは、「4,原・水爆禁止宣言」です。この「布部村平和五宣言」は、1956年に制定され、その年の11月3日に「平和宣言式」が行われ、その式に森滝先生が参加されたことを紹介しました。
そこで紹介した写真を拡大してよく見ると「宣言」は、1956年8月3日に布部村議会が決議したとあります。8月6日を意識して決議がされたと思うのは私の考えすぎでしょうか。4項目目に「原・水爆禁止宣言」があることを考えれば、8月6日の前のこの日を選んで決議されたと考えても不思議はないと思います。もう一つ考えられるのは、ちょうど3ヶ月後に当たる11月3日の「憲法公布の日」に「平和宣言式」を行いたいという思いがあったのではということです。
いずれにしても、この「布部村平和五宣言」に「原・水爆禁止宣言」が入れられたのは、加納莞蕾さんが1955年の「原水爆禁止世界大会」に参加されたことと深いつながりがあったことは、間違いないでしょう。
安来加納美術館に掲示された「布部村平和五宣言」の説明文には、「平和宣言式に、周りの多くの自治体からの祝詞、また全国的に子どもを守ろうとする団体、原水爆禁止協議会からの祝詞も来ています。」と書かれていますので、その代表として森滝先生が「平和宣言式」に招かれたようです。
ここにも森滝先生と加納莞蕾さんの強いつながりを感じますが、加納加世子さんからは、更にそれを証明する貴重な資料を見せていただきました。
アフリカのガーナから届いた森滝先生からの手紙です。宛名は、「加納辰夫様村民一同様」となっています。
手紙の冒頭に次のように書かれています。「出発前には、わざわざ歓送会に御出くださり、心からの激励を賜り誠にありがとうございました。」
そして最後のところで「昨日で会議がすんだので、いよいよこれからランバレネにシュヴァイツァー博士を訪れていきます。」と書かれ、日付は「六月二九日朝」と記載されています。
この手紙は、1962年ガーナのアクラで開催された「爆弾のない世界」会議に出席された森滝先生が、全ての会議が終わり、いよいよシュヴァイツァー博士を訪ねる旅に出かけられる朝に書かれた手紙です。
この手紙からさらに二人の繋がりの深さを知ることができます。ガーナへの出発前の歓送会に加納莞蕾さんが、島根の布部村から遠い道のりをいとわず、参加されたことです。当時の交通事情を考えると、島根から広島に出てくるには相当の時間がかかったと思われます。そしてそのことに対し、他に何通の手紙を書かれたかわかりませんが、森滝先生が、遠いガーナの地から加納莞蕾さんと村民の皆さんにお礼の手紙を書かれたことです。最初の出会い(私が考える)から7年後のことですから、この間にも深い交流が重ねられたことが想像できます。
「四國五郎展」を見るために訪れた安来加納美術館でしたが、加納加世子さんと出会うことができ、そしてそのご厚意で森滝先生の新たな足跡を知ることができました。
感謝です。
後日談です。私の仲介で、森滝春子さんと加納加世子さんとの電話連絡が再開し、近々再会されることになりました。嬉しい連絡です。
ずいぶんと長くなった安来加納美術館訪問記もようやく終わりを迎えました。
いのちとうとし
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