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2023年9月20日 (水)

ベトナムの歴史(その28)

ベトナム戦争はいつ始まった

よく、「ベトナム戦争はいつ始まったのですか」という質問を受けます。

1964年8月の「トンキン湾事件(注1)」に端を発したアメリカ軍の北爆(注2)か、その北爆が恒常化した65年2月、もしくは20万人のアメリカ地上軍がダナンに上陸した3月など諸説ありますが、一般的には北爆の本格化と地上軍が投入された1965年を「ベトナム戦争が始まった年」とされることが多いようです。

しかし、私は常々〔もっと早くに始まっていた〕と思っていました。

前号までにアメリカはベトナムの人々が抗仏戦争(第一次インドシナ戦争)を戦っていた1950年から軍事顧問団と大量の軍事物資を送りフランス軍を支援していたこと、1954年5月のディエンビエンフーの戦いでフランス軍が敗退したこと、翌55年7月に「南北統一の国民投票を実施」などが盛り込まれた「ジュネーブ協定」が結ばれたこと、同じ55年10月にアメリカの後ろ盾でベトナム共和国(南ベトナム、ゴ・ジン・ジェム政権)が作られたこと、ジュネーブ協定を無視したアメリカとベトナム共和国(南ベトナム)とベトナム民主共和国(北ベトナム)との間で南北統一めぐる争が始まったことなどについて触れました。

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1973年にピュリツア賞を受賞した「戦争の恐怖」。1972年にベトナム人写真家ニック・ウト(本名フィン・コン・ウト)撮影

前にも書きました(ベトナムの歴史(その23)抗仏闘争-3の7)が、第二次世界大戦後に戦われた第一次インドシナ戦争は、再びインドシナでの植民地支配を狙ったフランスと、それに抗し民族独立を目指すベトナム人民との戦いでした。同時に戦後、東ヨーロッパやアフリカ、アジアで勃興する民族独立の気運と社会主義化が進む中で、その伸長を抑え込もうとする西側陣営による防共戦争という性格を持っていました。

いわゆる、戦後冷戦構造のもとで戦われた象徴的な戦争が第一次インドシナ戦争だったのです。だから、アメリカはフランスに13億㌦という莫大な軍事援助をしたのです。にもかかわらずフランスは敗退してしまった。慌てたアメリカはフランスがディエンビエンフーの戦いで敗れた直後の1954年9月、自らが主導しイギリス、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、タイ、フィリピン、パキスタンの8カ国と対共産圏包囲網の一環として東南アジア条約機構(SEATO)を結成します。「宣戦布告なき戦争」と言われているベトナム戦争は、この時点に始まったとの説もあります。

しかし、私はアメリカのベトナム人民に対する戦争行為が始まったのは、それ以前、大量の軍事物資とともに軍事顧問団を送った1950年5月だと思っています。

「宣戦布告なき戦争」

下の表をご覧ください。これは私が会長を務める一般社団法人 広島ベトナム平和友好協会:HVPFが、毎年「エージェントオレンジDay(810日の枯葉剤被害者の日)に取り組んでいる、今なお続く深刻な枯葉剤被害「パネル展」で掲示した年表の一部です。

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表中の横線3本は、下から一般的に言われている「ベトナム戦争が始まった年」(1965年)、真ん中が敗退したフランス軍に替わって米軍が直接ベトナムに干渉し始めた年」(1955年)、そして一番上は私が「ベトナム戦争が始まった年」と考えている1950年です。

 1950年とする理由はアメリカが明確な意思と意図をもってベトナムへの干渉を宣言したのがこの年だからです。トルーマン大統領が承認した「インドシナに関する米国のポジション(The Position of the U.S. with Respect to Indochina)」と題した国家安全保障会議の文書(NSC64)には、次の様に書かれています。「仏領インドシナ(ベトナム、カンボジア、ラオス)は、共産主義者の手に落ちるのを座視してはならない重要な地域であり、米国はこの地域への共産主義の攻勢を阻止するための支援策を提供する」と。

この文章に基づく支援先はフランスなのか、フランスがホー・チ・ミンの指導するベトナム民主共和国(北ベトナム)に対抗するために、ベトナム最後の皇帝バオ・ダイを担ぎ出し建てたベトナム国なのかは明らかにしていません。

「宣戦布告なき戦争」と呼ばれている所以は、戦線布告という明確な区切りがなく、アジアの小国に連続して襲いかかった帝国主義国とその同盟者による侵略戦争であり、ベトナムの人々にとってはフランスに続くアメリカとの連続した抗仏戦争・抗米救国戦争だったことにあります。

その意味で私はベトナム戦争を捉え・語るとき、広くはフランスの植民地支配が始まった1858年からサイゴンが解放された1975年までを俯瞰することが大切だと思っています。狭く捉えても、戦後のフランス再支配のための第一次インドシナ戦争から連続して捉えることが不可欠だと思っています。

もちろん、歴史学者でも軍事専門家でもない私の勝手な思い込みです。

読者の皆さんはいかがでしょうか。

次号では1961810日から19711031日まで10年間続いた米軍による枯葉剤(エージェントオレンジ)散布について触れたいと思います。

(2023年9月20日、あかたつ)

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