朝鮮民主主義人民共和国創建75周年広島県友好集会
1945年9月2日に日本が降伏文書に調印したことによって、1910年以来30年間にわたる日本による植民地支配が正式に終了しました。その後、さまざまな紆余曲折を経て、1948年9月9日に朝鮮民主主義人民共和国の樹立宣言が行われ、国家として独立しました。しかし、朝鮮半島の南半分には、大韓民国が誕生し、朝鮮半島には二つの国が存在することとなり今も分断が続いています。
朝鮮民主主義人民共和国が建国を宣言してから75周年に当たる今年の9月9日に、朝鮮総連広島県本部主催の「朝鮮民主主義人民共和国創建75周年 広島県友好集会」が、南区荒神町にある広島市留学生会館で開催されました。
「広島県友好集会」の名の通り、参加者は在日朝鮮人の皆さんだけでなく日朝友好運動を行っている「日朝友好広島県民の会」のメンバーも参加し、朝鮮民主主義人民共和国(以下「共和国」)の創建75周年を祝うとともに、交流を深めました。
集会は、最近の共和国の様子を撮影したDVDの上映からスタートし、呂世珍委員長の主催者あいさつ、出席した日本側を代表して足立修一日朝友好広島県民の会代表委員があいさつし、祝意を込めた乾杯を行い、懇談会に入りました。
食事が終了すると、文芸同の皆さんの楽器の演奏、歌声で会場の雰囲気は一気に盛り上がりました。
文芸同は、朝鮮学校での民族教育を通じて培った民族心、朝鮮人としてのアイデンティティー、朝鮮文化を愛する気持ちを変わらず持ち続けようと、舞踊部、器楽部、声楽部など部署ごとに定期的に集まり、練習や発表会などの活動を続け、先日結成30周年の記念講演を終えたばかりです。文芸同の皆さん出演のあいだに朝鮮学校の子どもたちによる打楽器の演奏も行われました。
文芸同の出演が終わった後、日本側の出席者から3人がお祝いのあいさつをしました。私もその一人としてあいさつをさせていただきました。
私と在日朝鮮人の皆さんとの交流が始まったのは、1973年の平和友好際からですから、今年でちょうど50年になります。そして私が初めて共和国を訪れたのは、在朝被爆者問題を取り組むきっかけとなった1992年です。その後10回近く訪朝。最後の訪問は朝鮮被爆者協会の招待を受け「在朝被爆者の実態調査」のため訪れた2018年でした。そんな思い出を語るとともに、厳しい情勢の中だからこそ、今まで以上の友好連帯を進めたいとの思いを述べました。
写真を撮り忘れたのですが、会場には最近の共和国の様子を映した写真が展示されていました。最後に訪れてから5年、マスコミではミサイルの発射などの安全保障問題だけが報道されていますが、この写真を見ると平壌の街並みだけでなく、農村部における野菜栽培のためのハウスの建設や新しい住宅の建設が進んでいることがわかりました。
最近日朝間においては、新しい動きも見られるようですが、厳しい共和国パッシングは続いたままです。そして、幼保無償化問題や朝鮮高校無償化問題などの解決の道も見通せない状況が続いています。
「近くと遠い国」の関係にある日朝関係が、「近くて近い国」の関係となるようにすることこそ、東アジアの安定にとって、必要なことだと思いながら、会場を後にしました。
いのちとうとし
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