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2023年9月 2日 (土)

森滝市郎先生と加納莞蕾―つづきのつづき

森滝先生と加納莞蕾さんの出会いのつづきです。

「加納辰夫 広島へのメッセージ」の冒頭には、次のように書かれています。

「昭和30.8.6~8 広島市で開かれた原・水爆禁止世界大会に於いて、私はこの問題をアピールした。」

この問題とは、「世界児童憲章」のことですが、これについては後でもう少し詳しく紹介しますが、ここで重要なことは「原・水爆禁止世界大会に於いて、アピールした」との記述です。

Photo_20230901154701

ご承知のように森滝先生は、この「原・水爆禁止世界大会」では、地元広島の事務局長として大会の準備に追われ、大会成功の重要な役割を担われました。当然のことですが、大会運営にも深く関わられたことは、間違いありません。

ですから、加納莞蕾さんが、大会でアピール(どの場で行われたかは定かではないが)をしようと思われれば、事務局長であった森滝先生が、その判断に関わられたと考えても不思議はありません。

加納莞蕾さんが一参加者として「原・水爆禁止世界大会」に参加されたのであれば、この大会の場で森滝先生と加納莞蕾さんの出会いがあったかどうかは、はっきりしないのですが、どの場であれ、加納莞蕾さんは大会でアピールされたのですから、「どんな内容のアピールか」などを、森滝先生を含めた事務局で検討され、その時加納莞蕾さんを知ることになったと考えるのは当然のことです。

これらのことから、私は、森滝先生と加納莞蕾さんが、1955年の「原・水爆禁止世界大会」で会われたと結論づけました。森滝先生の日記は、8月4日以降空白となっています(中国新聞社編「ヒロシマ四十年森滝日記の証言」より)ので、日記から確認することはできませんが。

次に、アピールされた「加納辰夫 広島へのメッセージ」を理解するため、その一部を資料からの引用し紹介します。

「原水爆禁止のためのいかなるとりきめも、申し合わせも、或は法律も、世界のヒューマニティに支えられなければ何らの効力もない。過去に於いていかなる国際協定も一片の反古と化して戦争防止に何の力もなかったことを省みれば自ずから明らかである。平和は次の時代に期待すべく、それは児童に期待せねばならぬ。児童憲章の任務はここにある。(中略)されば、児童憲章が真に権威をもつには“過去の厳しい反省と懺悔”そして“世界性の獲得と基礎付け”がなければならず、それはまた“戦争否定“の理念をもたねばならない。これらの反省と自覚を促す動機となるものこそ最も具体的な“比島赦免のモラル“でなくてはならない。そして“児童は最も尊重せられた”実証たる、愛児の名において赦した真意が世界の知性に訴えられ、児童憲章が真に時代を作る平和憲章となることを要求する。かかる理由において原水爆禁止、さらに根源的なる戦争防止と否定のために世界児童憲章の速やかに制定せられることを求めている。」

Photo_20230901154801

日本人戦犯を赦免したエルピディオ・キリノ元大統領(妻や子どもを日本軍によって殺された)と会見する加納莞蕾

この文章の中から、加納莞蕾さんの思想、「児童憲章」と原水禁運動の関わりを学ぶことができると思います。この考え方に、原爆孤児を守るための精神養子運動「広島子どもを守る会」の会長を務めていた森滝先生が強い共感を持たれたことも想像でします。

そして1956年の森滝先生の布部村訪問と布部村未亡人会による「子どもを守る会への義援金」集めにつながったのだと言えます。

後もう一つだけ触れておきたいことがありますので、「森滝市郎先生と加納莞蕾」の「つづきのつづきのつづき」を書きたいと思います。

いのちとうとし

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コメント

今、ヤフーのホームページ。海軍大尉の見た  関東大震災があります。当時の海軍の動きです。東日本大震災の時に、海上自衛の動きは、どうだったのでしょうか。イギリス海軍のことも、触れています。

匿名希望さん
コメント読ませていただきました。
関東大震災で、海軍はどんな活動をしたのでしょうか。住民の避難に協力したのでしょうか。それとも、海に流された人々の救助だったのでしょうか。
きちんと調べなければわかりませんが、東日本震災で海上自衛隊が派遣されたとは承知していません。津波の状態の中で、海上避難したというニュースは聞いていません。

海軍はあらゆることをしています。驚きました。アメリカ大統領がアジア艦隊司令長官に、必要に応じ日本近海にある船舶局商船を救護活動に使用することを許し、震災救護に要する一切の費用は米国これを負担する旨発令。ソ連からは断る。ウラジオストック総領事からの外務大臣あての外交電報は、自分は書くことが出来ません。現在、ヤフーの検索で、出ます。     海軍大尉は見た  です。

匿名希望さん
詳しい情報提供ありがとうございました。
勉強になりました。
私ももう少し、勉強します。

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