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2023年9月29日 (金)

「在外被爆者支援・連帯ヒロシマ委員会」を知っていますか?―その3

ヒロシマ委員会に寄せられた募金は、約600万円集まりました。市民以外からの募金も多く集まりました。

「広島県医師会在米原爆被爆者健診事業30周年記念誌」には、次のような事例が紹介されています。

Photo_20230927085601

「原爆病院入院中の被爆者久保ツチヨさんから300万円、毎日出版文学賞、大宅壮一賞を受賞した袖井林二郎さんは、「私たちは敵だったのか」の印税70万、ノンフィクション作家の上坂冬子さんは、1冊1,100円のサイン入り自著「奄美の原爆乙女」を300冊寄贈しています。上坂さんが支援するきっかけとなったのは、1987年の夏取材のため米国西海岸の在米被爆者を訪ね、後障害の治療が困難な現実を目の当たりにしたこと」だったようです。

多くの人々の感銘を与え、支援の広がりとなったことがわかります。

ヒロシマ委員会の「里帰りの治療」運動は、県医師会に引き継がれ、一応の終止符を打ちますが、集まった600万円の基金のうち、約半分の300万円が渡航費に充てられました。残った約300万円がどのように使われたのかを紹介し、「『在外被爆者支援・連帯ヒロシマ委員会』を知っていますか?」を終わりたいと思います。

1988年4月15日付中国新聞にはこう書かれています。「ヒロシマ委員会は、近く在米被爆者の生活実態調査に乗り出す。25日に広島入りする米国原爆被爆者協会倉本寛司会長と調査方法などを打ち合わせる。(中略)調査のための通信費などは当面約100万円を用意し、被爆者協会に寄託する。」さらに「調査は倉本会長が米国に帰って、被爆者協会名で実施する。同協会がつかんでいる対象者700人余にアンケート方式で回答してもらいまとめる。」

ここでは、100万円という数字が出ているだけですが、残余の約300万円は、米国原爆被爆者協会に実態調査のための費用や在米被爆者の老後の不安を援助するための「ヒロシマ基金」として寄託されたようです。

倉本寛司さんは自著「在米五十年 私とアメリカの被爆者」(1999年刊)の中で、「又、在外被爆者支援連帯ヒロシマ委員会を設立した石田明先生は里帰り治療招待を実現していただきました。そしてその里帰り資金に三百万円を寄付して頂いた久保田さんに感謝します。後にこの資金を元にして『ヒロシマ基金』を設立、困窮している被爆者の救済を実施しています。」と記述されています。ここには、実態調査のことは書かれていませんが、4月15日の中国新聞記事と連動する内容だということがわかります。同書に付けられた年表には、「1988年8月 『在外被爆者支援連帯ヒロシマ委員会』からの寄付を元にして被爆者協会から独立した『ヒロシマ基金』設立。」と記されています。

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ここまで調べて思い出すのが、今年8月17日に訪れた広島県医師会館の「在ブラジル原爆被爆者協会資料特別展」に展示されていた「在米被爆者調査書」です。この調査書本体の表紙には、「1989年8月」と書かれていますが、「解説文」では、「北米での被爆者調査は、本資料の表記によれば、1988年7月に、当時の北米の被爆者団体・米国被爆者協会(会長 倉本寛司)によって実施された。その表書きには『1000人の被爆者がこの広いアメリカにばらばらに住んでいますので、互いの連絡・通信・交友は大変です。』と書かれている」と紹介しています。

広島県医師会を訪れたときには、まったく気づいていなかったのですが、この「在米被爆者調査」こそ、ヒロシマ委員会から贈られた「ヒロシマ基金」が、活用されたことは間違いありません。

そしてこの在米被爆者調査が、在ブラジル被爆者調査に活かされたことを思うと、在外被爆者支援連帯ヒロシマ委員会が果たした役割をもう一度検証し直すことが必要に思われます。

いのちとうとし

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