安来加納美術館と加納莞蕾(かんらい)
安来加納美術館での不思議な出会いを紹介する前に、この美術館の設立趣旨をまず紹介したいと思います。そのことが、後の話に繋がると思うからです。
美術館ホームページからの引用です。
「当館は、平成8年(1996年)11月1日安来市広瀬町布部(ふべ)(旧広瀬町)に開館しました。
設立は、故加納溥基により郷里の文化発展を願って、文化活動や生涯学習の拠点となるよう願って設立されてものです。
設立の動機は溥基の父であり画家であった加納辰夫(雅号 莞蕾(かんらい))の作品を収蔵したいとの思いと、戦後莞蕾がフィリピン日本人戦犯助命嘆願活動を起こし、6代フィリピン大統領エルピディオ・キリノ大統領ほかに送った300通に及ぶ嘆願書の往復書簡の控えを保存したいとの思いからです。また、同時に広瀬出身の芸術家から寄贈された作品を収蔵してほしいとの強い要請を受けてのこともありました。
(中略)
近時、当館の最も大事な使命として、戦後加納莞蕾がフィリピン日本人戦犯釈放運動から得た大きな教訓『許し難きを許す』というキリノ大統領の平和への思いを、当館の活動指針として設定して事業運営をいたしております。恒久平和を希求する美術館として邁進していきたいと思っております。」
ここで注目していただきたいのは「近時」以下の下線を付した部分です。
同じホームページに記載されている「加納莞蕾」についての記載から、その経緯をもう少し詳しく紹介します。
美術を学んだ加納莞蕾は、島根で教職に就いていましたが、1937年画家として生きていくことを決意し、朝鮮に渡ります。そして1938年11月従軍画家を命じられ、中国山西省に行き部隊とともに移動します。1940年その任を解かれ朝鮮の京城にもどり、師団各部隊作戦記録画を作成するとともに京城工業高等学校の講師を務め終戦を迎え、1945年9月家族とともに帰郷しました。
帰郷直後の布部村(当時は独立した村だった)で、フィリピン特攻隊司令官であった元海軍少将の古瀬貴季(たけすえ)と出合い、その古瀬は「戦争は過ちであった」「未来ある青年を死に追いやった私の罪は大きい」と加納に語ります。しかし、古瀬は間もなく戦犯として戦争裁判のためフィリピンのマニラに行きます。古瀬は、その後フィリピンのマニラ軍事法廷で「死刑判決」を受けましが、自らの責任と向き合う古瀬の態度を知った加納莞蕾は、フィリピンに助命嘆願をすることになります。
1949年3月末からフィリピンのエルピディオ・キリノ大統領に「戦犯赦免こそが平和の確立につながる」という考え方にもとづく38通の英文の助命嘆願書を送ります。そして、1953年7月6日、エルピディオ・キリノ大統領は、日本人戦犯の赦免を発表します。赦免された戦犯105人(すでに死刑になった17柱の遺骨とともに)は、1953年7月15日に帰国しました。
美術館入り口左側に建立された碑
その後も加納莞蕾は、「キリノ大統領が日本人戦犯を赦免したことは、われわれは大統領から大きな課題を与えられたのだ」と言い続け、「戦犯の赦免は『平和へのスタート』であり、大統領の思いに応ずるために、われわれは平和を築かなければならない」と決意し、活動します。
その活動の一つとして、1954年(昭和29年)布部村村長となった加納莞蕾は、1956年に村議会で「布部村平和五宣言」を制定します。
少し長くなったので、「布部村平和五宣言」の内容は、明日以降紹介しますが、これを読んでいただければ、安来加納美術館が「恒久平和を希求する美術館」として運営されている理由がわかっていただけると思います。
帰宅後、フィリピンのエルピディオ・キリノ大統領の「戦犯赦免」の話は、ずっと以前に広島市立大学の市民講座で学んだことがあったことを思い出しましたが、その時の話に加納莞蕾のことが触れられたかどうかは、残念ながら全く記憶に残っていません。
明日からの話の背景には、こんな歴史があることを知っておいて欲しいのです。
いのちとうとし
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