「広島ブログ」

2024年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 2023.8月のブルーベリー農園4 | トップページ | 森滝市郎先生と加納莞蕾―つづきのつづき »

2023年9月 1日 (金)

森滝市郎先生と加納莞蕾―つづき

森滝市郎先生と加納莞蕾さん(今回から本文中は「さん」付けにします)のお二人は、何時どこで知り合われたかです。

当時、二人が住んでおられた場所は、広島市と島根県能義郡布部村とずいぶん離れた場所ですので、早くから交流があったとは思えません。間違いなく出会いがあったと思われるのは、1955年8月6日に広島市で開催された原水爆禁止世界大会の会場です。それは、一昨日紹介したアルバムの同じベージの一番下に貼られている写真が説明してくれます。

23911

写真下の説明文には、「Aug.5.1955 原水禁世界大会広島大会に出発。前田貞明君と 松江駅にて。」と書かれています。2枚同じ松江駅前の写真が貼られていますので、どちらの写真が、前田貞明さんと写ったものかは不明(多分左側の写真と思える)ですが、2枚の写真の左側に写っている人物は同じですので、この方が加納莞蕾さんだということがわかります。

注目して欲しいのは、人物の後ろの垂れ幕です。垂れ幕の全体は写っていませんが、「水爆禁止   界大會 島根代表」の文字が書かれているのがわかります。アルバムの説明文だけでなくこの写真からもはっきりと、1955年8月6日に開催された原水禁世界大会に参加するため、8月5日に松江駅を出発するときに撮られたことがわかります。

ただ、気になるのは「説明文」にある「原水禁世界大会広島大会」という表現です。

23912

上の写真は、1955年に開催された「原水禁世界大会」の写真です。よく見ていただければわかるように、会場に掲げられた看板には「原水爆禁止世界大会」と書かれているだけです。確かにこの大会は広島で開催されましたが、「とにかく大会を開催しよう」との呼びかけで開催が決まった経緯がありますので、後にこの大会の名称に付けられることになった「第一回」という文言はもちろん「広島大会」という名称も使われていません。

このアルバムは、貼り付けられている順番が、必ずしも年代順ではないことから考えると、後になって写真が整理され、説明文も書かれたため、『広島大会』との記載が加わったと思われます。

少し横道にそれましたが、森滝先生が布部村を訪れたれた写真と加納莞蕾さんが1955年の原水禁世界大会に参加するため松江駅を出発する時撮られた写真が、同じページに貼られていることから、二人の最初の出合いが、原水禁世界大会の場だったと想像して間違いないと思います。

「確かに加納莞蕾さんが、1955年の原水禁世界大会に参加されたことはわかるが、あの大会には、5千人を超える参加者があったと言われているのに、この写真だけを根拠に、二人の出会いがあったと結論づけるのには不十分ではないですか」という疑問がわきます。

その通りです。ところが加納加世子さんは、「二人の出会いがあった」と考えることのできるもう一つの貴重な資料を見せてくださったのです。

その資料、といっても加納莞蕾さん手書きのものではありません。パソコンで打ち替え、A4の紙に印刷されたものです。

タイトルは「加納辰夫 広島へのメッセージ」で、その下に「(昭和30年(1955年)8月6日 第1回原水爆禁止世界大会(広島)における「世界児童憲章」の提案より)と付記されています。

この文章を読むと、間違いなく二人の出会いが原水禁世界大会の場であったことが、はっきりします。それとともに前回紹介した「布部村の未亡人会(原文のまま)から送られた『原爆孤児救援義金』」が、なぜ布部村で集められたのかも理解することができます。

ここまでで、またまた長くなってしまいましたので「加納辰夫 広島へのメッセージ」の紹介は次回にします。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

« 2023.8月のブルーベリー農園4 | トップページ | 森滝市郎先生と加納莞蕾―つづきのつづき »

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

#平和推進」カテゴリの記事

核兵器廃絶」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 2023.8月のブルーベリー農園4 | トップページ | 森滝市郎先生と加納莞蕾―つづきのつづき »