「加藤友三郎没後100年祭」に参列しました。
先週の土曜日の8月19日午前11時から大手町第2公園に建つ「加藤友三郎生誕地碑」の前で、NOP法人加藤友三郎顕彰会主催の「加藤友三郎没後100年祭」が、挙行されました。
「加藤友三郎生誕地碑」については、このブログの今年1月4日「加藤友三郎生誕地碑: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」で紹介しました。
軍備縮小を進めた加藤友三郎が、内閣総理大臣在職中のまま死去したのが、100年前の8月24日です。その功績を偲び、継承しようということで挙行されたのが、「加藤友三郎没後100年祭」です。
この祭典に参加することになったのは、今月26日に開催される「加藤友三郎没後100年記念シンポジウム」の実行委員会のメンバーとして「加藤友三郎顕彰会」の皆さんと知り合いになったことと、会場がわが家からすぐ近くだということもあったからです。
「加藤友三郎没後100年記念シンポジウム」の詳細は、実行委員会のホームページ加藤友三郎没後100年記念シンポジウム、広島、加藤友三郎 | 加藤友三郎 (katotomosaburo.com)を参照してください。
「加藤友三郎没後100年祭」lは、東区双葉の里の東照宮の宮司による祝詞から始まりました。ただ、マイクを使わずの進行でしたので、一番後ろにいた私には、全く聞き取ることができませんでした。何度か起立して、頭を垂れたことだけが記憶に残っています。式典は、約30分で終了し、その後全員で記念写真を撮って、誕生碑前での行事は終了しました。参加者は、暑い中でしたが約70人でした。
参加者には、お土産が用意されていました。袋の中には、1月4日のブログで紹介した中国新聞「オピニオン加藤友三郎没後100年上・下」のコピーや郷土史家田辺良平さんの「忘れてはならない8月24日」など、加藤友三郎の足跡を知ることのできる参考資料が多数同封されていました。少し重いなと思って中を見ると「広島初の総理大臣加藤友三郎没後100年祭」とラベルの貼られたお酒が入っていました。
この式典の後、場所を移動し講演会や懇親会が行われました。講演会の講師は、1月4日付・オピニオンの執筆者中国新聞特別論説委員岩崎誠さんでしたので、聞けば良かったかなとの思いもありましたが、私は祭典だけで失礼しました。
当日、東京では加藤友三郎の墓のある青山墓地で墓前祭が行われたそうです。
26日に開催する「加藤友三郎没後100年記念シンポジウム」も、すでに会場への参加希望者は予定数に達しているようですので、一連の流れの最後として成功すると期待しています。
いのちとうとし
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