岸田首相の芳名録
昨日紹介した「原爆の絵画展」と同じフロアーの並びの部屋で「G7広島サミット回想展」が開催されていましたので、各国首脳が記帳した芳名録を見てみようかなと思い、ちょっと会場を覗いてみました。
芳名録は、写真左手奥の写真パネルの下に展示されていました。この回想展の当初は、実物が展示されていたようですが、私が行ったときには複製に置き換えられていました。
興味を持って見たのは、岸田首相が書いた芳名録です。
次のように書かれています。
「歴史に残るG7サミットの機会に議長として各国首脳とともに『核兵器のない世界』をめざすためにここに集う 日本国内閣総理大臣 岸田文雄」
何度も訪れたことがあるからかも知れませんが、そこに書かれた文言の中には、被爆者と面談した思いや遺品と対面した思いは、全く語られていません。議長としての思いも大切ですが、語られるべきは、一人の人間としての思いはなかったでしょうか。
これを読めば、「広島ビジョン」に被爆者が一言も語られなかったのは、当然のことのようにも思えてきます。ましてや、核兵器保有国首脳に「もう二度と核兵器を使用することは出来ないですよね」と呼びかけることなど、あろうはずがありません。
芳名録が展示されているケースには、首脳の同伴者たちの芳名録も展示されています。
岸田裕子さんの芳名録もあります。
「今日、皆様と共に原爆資料館を見学できた事は、大変意義深く一生心に残る出来事でした。G7広島サミットにおいて皆さんと平和への願いを共有し、核のない世界の実現に向けて前進することを心より願っています。 岸田裕子」
皆さんはどう思われますか。私は、もう何も言う気も起こりません。
ところで、この展示を見て帰宅後、録画していた何本かのビデオを見ました。その一つが、テレビ新広島が作成し8月6日に放送された「アイ アム アトミックボム サバイバー~小倉圭子が伝えつづける理由~」です。
小倉さんは、あの日5月19日にG7広島サミットで資料館を訪れた各国首脳と対面した被爆者です。
この番組には、たびたび小倉圭子さんのパートナーである小倉薫さんが登場します。そこで紹介されたエピソードの一つに、資料館見学後、参観者が自由に感想を書く「対話ノート」がありました。
この「対話ノート」を提唱したのが、当時原爆資料館の館長だった小倉薫さんだったのです。
テレビの画面には、最初の対話ノートが映し出されました。
表紙には、「10.15~11.8 1970」と書かれています。15の文字の下には斜線で消した19の文字があります。8の字もはっきりは読み取れませんが、私がかってに想像した数字です。この絵から、「対話ノート」は、1970年から始まったことがわかります。そしてわずか20日あまりで、このノートが一杯になったこともわかります。
首脳たちが、小倉圭子さんの話を聞いた後に記帳した芳名録は、この「対話ノート」と同じ役割を持っています。
不思議な思いで見たテレビ番組でした。
いのちとうとし
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