ベトナムの歴史(その26ー1) 抗仏闘争を戦った日本兵-3
福山市出身 石井卓雄・元陸軍少佐
戦後ベトナムに残り、ベトミンとともに抗仏戦争を戦った元日本兵800名の中に広島県出身者がいます。「ヒロシマとベトナム」シリーズ(2019年12月4日-その7)で紹介した石井卓雄・元陸軍少佐です。(以降、石井卓雄と記します)
石井卓雄は大正8年(1919年)12月3日に福山市北吉津町で生まれています。日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)、第一次世界大戦(1914年)を経て、新興帝国主義国・日本が次第に軍国主義色を強めていた頃、シベリア出兵(注1)の翌年です。
話は少し逸れますが、石井卓雄が生まれた年の福山は活発な梅雨前線による7月の洪水に続き、9月には台風による大きな被害を受けています。下の写真はその時のものです。
(出典:「大正8年7月洪水」http://www.ccba.or.jp/archives/pdf/disaster_T8.7.pdf
この写真も「大正8年7月洪水」から借用した当時の地図です。福山城の右上に「吉津村」(白囲み)と記されています。
下の地図は「歴史的行政区域データ」から引用した石井卓雄が生まれた直後、1920年1月の「広島県深安郡吉津村」の区域図(赤囲み)です。福山市は1917年に市制を敷いていますので、正しくは「深安郡吉津村」ではなく福山市吉津町だと思いますが、現在の吉津町、北吉津1~5丁目辺りです。
出典:歴史的行政区域データ「広島県深安郡志津村」
石井卓雄のことを知ってから関係資料を漁り、防衛省戦史研究室に問合せ、在ホーチミン日本領事館やベトナムの友人などの手を煩わせながら石井卓雄の足跡を追っています。福山の友人に生誕地とされる福山市北吉津町を案内していただき、生家(跡)を探し回りましたが、100年も前のことで地番変更や開発も加わり生家(跡)を見つけることができませんでした。現在も石井卓雄「探索旅」を続けています。どんな情報でも結構ですので、ありましたらご一報ください。
(2023年7月20日、あかたつ)
【編集者】あかたつさんから届いた「ベトナムの歴史(その26)は、あかたつさんの了解を得て、今日明日の2回に分けて掲載します。
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