改めて考える朝鮮半島出身者の原爆犠牲者数―その1
昨日午後1時半から袋町のひと・まちプラザで、韓国の原爆被害者を支援する市民の会・広島支部主催の講演会「朝鮮半島出身者の被爆の背景を考える」が開催されました。
5月に開催されたG7広島サミットに招待国首脳として広島を訪れた韓国・ユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領が、岸田首相と共に韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝したことで、朝鮮半島出身被爆者への注目が高まりました。
こうした情勢を受け、今回の講演会は、朝鮮半島出身者がなぜ故郷を遠く離れた広島・長崎で被爆しなければならなかったのか、その背景を探ると共に日本が行った植民地政策について改めて学ぶための企画でした。
講演者は、朝鮮半島出身者の被爆者問題の第一人者と言える韓国の原爆被害者を支援する市民の会会長の市場淳子さんです。
何度か市場さんの話は聞いていますが、今回初めて聞く内容がほとんどでしたが、特に印象に残った部分を紹介します。
最初は、「韓国人犠牲者とは」です。
「韓国のメディアでは『日本で強制動員されて被爆』という表現がよく用いられるが、韓国被爆者協会の協会会員全てが、『徴用・徴兵』で日本に強制動員されたわけではない。市民の会では、『韓国の原爆犠牲者は、日本の朝鮮植民地支配により強制的、半強制的に広島・長崎に行かざるを得ず、米国が投下した原爆の被害まで受け、九死に一生を得て祖国(大韓民国)に帰ることが出来た人々』と言ってきた。『強制的』とは、『徴用・徴兵等』によるものを指し、『半強制的』とは『植民地下で生活難に陥れ、仕事を求めて日本に渡らざるを得なかったこと』を指す。」
この前置きが重要でした。
朝鮮半島からの戦時動員のうち、徴兵は1944年から始まり、徴用は1944年9月から国民徴用令が朝鮮半島にも適用されたことにより、急激に徴用者が増大します。そのことを、市場さんは図表を示しながら増加動向を説明しました。広島では、盧溝橋事件に端を発した日中戦争が始まったといわれる1937年頃から急増し、在住朝鮮人数は、全都道府県中、常に第8位だったと言うことです。
次に市場さんは、「韓国人原爆被害者の『渡日理由』」を解説します。
1979年に実施した韓国原爆被害者協会の調査に基づいての紹介です。
当時7つの支部(現在は、会員数が減少し4支部)がありますが、地域ごとに大きな偏りがあります。「生活のために移住した」人が多い地域は、4支部。「徴兵・徴用」が多いのが、畿道、湖南の2支部です。畿道は、現在の全羅南道、全羅北道で、湖南は、現在の京畿道(ソウルを取り巻く地域)ですが、なぜこの2支部に徴兵、徴用が集中しているかです。
「徴兵、徴用」の対象者は、20代前半の人たちです。行われた時期は、先にも紹介しましたが植民地支配の末期にもかかわらず、この地域に集中しているのです。その理由は、この二つの地域(畿道、湖南)は、朝鮮半島の穀倉地帯だったため、日本への食糧供給のためこの地域での増産は、必至の課題でした。そのための労働力として、若者が必要とされ、この地にとどまっていたという事情があったのです。
市場さんのこの話は、次のその他と地域の「生活のため移住」に続きますが、初めて聞く話で目からうろこのような気持ちで聞きました。
このことに関連して、日本政府は、朝鮮半島出身の旧軍人・軍属に関して、1971年様々な名簿の写しを韓国政府に渡していますが、広島、長崎の部隊に配属された朝鮮人の数は、「特定の時点における具体的な活動場所関する記載がないため、困難」と回答しているようです。
市場さんの次の話は、「韓国の広島」と呼ばれる「陜川(ハプチョン)」の人々が、なぜ広島に渡ったのかの話に移りましたが、その話は明日紹介します。
いのちとうとし
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