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2023年6月 5日 (月)

ヒロシマとベトナム(その48) 「ベトナム象、広島を歩く」エピローグ2 ~象と日本~

かつて日本にも象が住んでいた

「ゾウさん ゾウさん おはなが ながいのね、そうよ かあさんも ながいのよ」、誰もが知っている歌です。まどみちお作詞、團伊玖磨(だんいくま)が作曲し、1952年にNHKラジオで流され、今では誰もが知っている童謡の「ぞうさん」です。その象は動物園でしか見ることができません。子どもたちの動物園好きは、大きくて長い鼻が自由に動くことやおだやかで優しげな象さんが大好きだからかも知れません。

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地図は約2万年前のもの。灰色部分が当時の陸地。(出展「日本語の意外な歴史」)

実はかつて、日本に象がいました。1948年、偶然、長野県信濃町・野尻湖付近でナウマン象の臼歯を発見されたことから、4万8千年~2万年前の氷河期にナウマン象が住んでいたことが明らかになりました。その長野県飯田市の竹佐中原遺跡から800点におよぶ石器が発見され、自然科学分析したところ、「3万年より古く、5万年前より新しい」ことが分かりました。その後ナウマン象の化石は1万7000年より新しい地層で発見されていないことから、その頃に絶滅したのではないかと考えられています。

なぜ、絶滅? 気候変動?・・・、誰もが持つ疑問ですが、どうもそうではないらくしく、人間が増え象を狩り尽くしたというのがもっぱらの説のようです。

いずれにしても、中期旧石器時代(30万年前~3万年前)から後期旧石器時代(5万年前~1万年前)の「日本人」は、現アジア象の近縁に当たるナウマン象と時を同じく住んでいたのです。

日本人の象好きは、太古の昔に始まったのかも知れません。

仏教とともに伝わった象の絵姿

その後、長い時を経て日本人が再び象を知ったのは仏教伝来(538年)とともに伝わってきた経典や仏画を通してです。6世紀後半に造営された「藤ノ木古墳」から金銅製鞍金具に鬼面、兎、象の透彫りが出土していることから神聖な存在だったと思います。

奈良文化財研究センターのホームページには、〔・・・・日本人が「象」という動物の存在を知ったのは、遥か昔の古代までさかのぼります。『日本書紀』には「象牙」が記されていますし、『和名類聚抄』(注1)には「似水牛、大耳長鼻、眼細牙長者也」と、具体的な姿が説明されています。おそらく経典や仏像などを通じて大陸から伝わったのでしょう。〕と紹介されています。

人々は絵でした見たことのない象の姿を想像しながら、神聖な動物として受けとめていたのでしょう。

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藤ノ木古墳から出土した金銅製鞍金具    鞍金具(象)の透彫(出典:文化庁)

面白い象を発見しました、鎌倉時代(1250年頃)に彫られた象の彫刻です。ロサンゼルス・カウンティ美術館に所蔵されているそうで、「一体どうやって日本人は象を学んだんだろう」と話題を集めていたとのことです。

皆さん、何に見えますか?

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やってきた!実物象

象が日本に渡来した最も古い記録では、初代の渡来象は室町時代の応永15年(1408)6月22日、オランダ領スマトラ島パレンバンの華僑の頭目・施進卿と考えられる亜烈進卿という人物から足利義時に送られたものです。

第2代は戦国時代末期、天正2年(1574)に明国船が「象と虎」を博多に持ち込んだと伝えられています。

第3代はその翌年の天正3年(1575)、明国船が豊後国臼杵の浦に着き、大友義鎮(注2)に「虎4頭、象1頭、孔雀、オウム、ジャコウネコ」を贈ったと伝えられています。

第4代は豊臣政権下の慶長2年(1597)、スペイン領マニラ総督から豊臣秀吉に贈られた象。

第5代が江戸幕府開闢一年前の慶長7年(1602)に、交趾国(ベトナム)から徳川家康に贈られた象。

そして、第6代が今シリーズの主人公である 「享保の象」(1728年6月13日)です。

ところで、象の渡来が「享保の象」を除き、多くが16世紀から17世紀初頭にかけて集中していることに気付かれましたでしょうか。

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大航海時代の要図(出典:世界史の窓)。筆者が矢印を加えました

前号で、「次号(6月5日)では、象好き!日本人の歴史を振り返りながら、ベトナム象が来た頃の日本とベトナムの興味深い「外交秘話」を紹介します。」と約束しましたが、少し長くなりましたので次号に回します。

当時は「大航海時代」であり、オランダ、スペイン、イギリスなどが新大陸やアジアに侵出していました。そうした時代に乗り、商魂たくましく活躍(暗躍)する商人も多く、その一つとして「象外交」が行われていたのではないかと思います。

約2世紀後、江戸末期のペリー艦隊(1853年)やロシア艦船の来航(ペリー艦隊来航一ヶ月後)は、日本を大きく変える契機になりましたが、「ベトナム象」渡来時代には想像もしなかったことでしょう。

次号(7月5日)では、約束の「享保の象」時代の「外交秘話」について紹介します。

(注1)和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)

平安時代中期に作られた辞書。承平年間(931年~938年)、勤子内親王の求めに応じて源順(みなもとのしたごう)が編纂。天文・気象・精霊・水・土石に関して綴った「天地部」から、草木を綴った「草木部」まで24部・128部門まで書かれた「十巻本」。天文・気象を綴った「天部」から草木について綴った「草木部」までの「二十巻本」がある。平安時代以前の語彙・語音を知る資料として、また社会・風俗・制度などを知る史料として日本文学・日本語学・日本史の世界で重要視されている書物。(出典:ウィキペディア)

(注2)大友義鎮

戦国から安土桃山時代に活躍した九州の大名。キリシタン大名として知られ、境を接する中国(山口)の大内氏と覇を争った。最盛期には九州6国を領したが島津氏に破れ、豊臣政権下では一大名となる。法号が宗麟で大友宗麟としての方が知られ、小説にも描かれている。筆者のお薦めは遠藤周作の「王の挽歌」。

(2023年6月5日、あかたつ)

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