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2023年6月25日 (日)

変わりつつある回り

 1年に2回くらいの間隔で書かせてもらっていた雑誌のY編集長さんから、「今号をもって編集長を辞めることになりました」というハガキが送られてきました。この本には、上関原発のことや8月6日のことなど年に1~2回、1回4000字程度の字数で書いていました。

  原稿依頼があって締め切りまで2~3週間というのは、けっこうハードではありましたが、頑張って書けたのは何よりもY編集長さんが好きだったからです。同年齢の方で、上京した時には喧噪な居酒屋で大きな声で語りあったものです。

 ハガキを受け取って、すぐに電話しました。

 「体調が悪いのですか」と訊ねると、

 「体調は別に悪くはないけど来年には後期高齢者の仲間入りをするし、字を扱う作業は誤字が許せないから、ここらでこの仕事は引退ですよ」と元気そうな声で話されました。

 とても几帳面な方で、毎号遅れることなく発刊されていましたし、編集後記には、それぞれの執筆者への感想も丁寧に書いておられました。他人への気配りと優しさが好きでした。雑誌は編集長が交代して続くとのことですが、編集長さんが好きだったから書けたという気持ちは、今後は薄れるかも知れません。僕自身も文章を書いているという立場から考えると、やはり誤字や間違い記述の心配もあります。

 話しは大きく変わりますが、もの心ついた頃から在った隣りの大豪邸の取り壊しが行われています。広い土地に木造の2階建ての住居と、庭には池も在り、石造りの灯篭、大きな植木もたくさんありました。

Img_7333

当時、普通の家には電話も無い時代ですが、この家には電話が有り急ぎの時には『呼び出し』で、電話の取次ぎをしていただいた記憶が鮮明に残っています。

 「木原さん~電話ですよ」と声をかけられ、その家に行く時は少し緊張もしたものです。その頃住んでおられた方も、その子どもさんも既にあの世の方ですし、今の持ち主さんも九州に住んでおられて、それでも1か月に一度ぐらいは帰ってきておられました。

 この大豪邸の解体には、1週間以上かかりやっと目途がついたようです。解体され、改めてその土地の広さにびっくりしました。その気になれば、普通の一軒家なら五軒以上は建つでしょうね。

Img_7336

 子どもの頃、わが家から遠くに当時の国鉄線路を走る汽車の姿が見えたものです。母はその汽車を見て、「今、〇〇時だ」と時計替わりにしていた記憶もあります。現在では、10メートル先には家があります。

時代の流れは仕方ないことですし、それを否定する気持ちもありません。しかし、隣りから聞こえてくる解体する重機の音に、その家に住んでおられた方のことや、当時の風景が思い出されて、ちょっぴりと寂しい気持ちになっています。

木原省治

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コメント

時代ととも周りも人も変わっていく寂しさが伝わったきました。悲しいかな人間はいつまでも元気でいるという事はなかなか難しいですが、いつまでも、素敵な文章を書いてくださいね。

 横浜リカさん、コメントありがとうございます。人間も周りも変化していくことは分かっていながらも、その流れについていけないもどかしさと、回顧の思いを感じています。歳なのでしょうかね。
 これからも、多くの人たちに励まされて書いていきたいと思います。どうぞ引き続きよろしくお願いします。

前送った文章が変なところがあって、差し替えていただきますか?

時代ととも周りも人も変わっていく寂しさが伝わってきました。悲しいかな人間はいつまでも元気でいるという事はなかなか難しいですが、いつまでも、素敵な文章を書いてくださいね。

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