第五福竜丸事件を知っていますか?-広島での運動は
被爆78周年原水爆禁止世界大会広島実行委員会結成総会の後行われた市田真理さんの「第五福竜丸を知っていますか?」の講演について、兄弟ブログである「ヒロシマの心を世界に」で、2回「第五福竜丸を知っていますか?」 ――テーマは「Life」でした―― : ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)、事実をもって語らしめる ――「第五福竜丸を知っていますか?」の報告2―― : ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com))に渡って、イライザさんが詳しく書かれていますので、ぜひ読んでください。
イライザさんのブログでは、「第五福竜丸事件」から「初期の杉並の署名運動が全国的規模の運動になり、1955年に第一回の原水爆禁止世界大会に至る年表」が掲載されていますので、今日は広島での運動の経緯を宇吹暁さんの「ヒロシマ戦後史」や「森滝日記」を参照に年表にしてみました。
1954年
4月21日 第6回婦人会議広島大会で「市民大会」の開催を提案
5月15日 「原爆・水爆実験禁止広島市民大会」の開催
*世話人会で「ビキニ水爆への怒りとともに、原爆の惨禍に遭った広島の体験を強く打ち出すべきだとの意見が相次ぎ「原爆・水爆禁止」というスローガンが生まれた。
5月20日 原爆・水爆実験禁止広島市民大会世話人会が「8月6日までに国連要請の20万名の署名を集める」ことを決定
6月4から6日 第一回街頭署名を市内6カ所で実施 150人が参加し、1万5200名が署名
7月2日 原水爆禁止県民運動連絡本部が発足(70余団体が加盟)
署名運動の目標を「100万名」
8月6日 「原爆・水爆禁止広島平和大会」で署名が「89万8578名」
8月20日 署名が100万名を突破
8月27日 国連本部に署名を発送 署名数:103万3472名
300枚を一冊に綴じて84冊、重さ125キロ
当時の人口:約205万人
当時、国連への送料は20万が必要。日通が無料で送付を引き受けた。
9月7日 県民運動連絡本部を発展的に解消し「原水爆禁止運動広島協議会」が発足(翌年9月22日に名称は「原水爆禁止広島県協議会」)
10月24日 原水爆禁止署名運動全国協議会第2回世話人総会で、広島協議会の森瀧市郎事務局長が「原爆10周年原水爆禁止世界大会の広島開催を提案」
1955年
1月16日 「原水爆禁止世界大会の広島開催」を正式に決定
この経過は、私たちに「署名運動が起こり、その連携をはかる組織が作られ、それが発展的に恒常的な運動体として組織」が作られ「運動があるから組織が作られる」と言うことを教えています。
また、この運動を通じて、1956年5月27日に「原水爆被害者団体協議会」(県被団協)が発足しました。
イライザさんの「ヒロシマの心を世界に」を読みながら、広島での運動をもう一度振り返ってみました。
その中で、一つ気になっていることがあります。広島で集められた署名は,国連に送られたのですが、他の地域で集まった署名(公称3000万、宇吹暁調べ2500万)は、どこに提出されたのだろうかということです。今のところ、提出先が書かれた資料を見つけることができていません。
いのちとうとし
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