広大の供木はなぜ残った?
先月の27日から3回にわたって「被爆復興のために贈られた広大の供木」(被爆復興のために贈られた広大の供木の今: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com))を紹介しました。その最後に「市役所を訪ね、この説明板設置に至る経緯を調べてみたいと思います。」と書きました。その後、公園を管理する広島市に「当時の資料が何かありませんかないか」と問い合わせていましたが、「これではないかと思う資料が見つかりました」との連絡が入り、昨日担当課を訪れました。
その資料の名前は「東千田公園基本設計報告書」(以下「報告書」)です。
この報告書は、1997年(平成9年)に、広島大学跡地を主会場として開催された「第14回都市緑化ひろしまフェア」に向けて、広島大学跡地を「東千田公園」として整備するために作られた基本設計報告書です。
この報告書の中で,公園整備にあたっては「既存樹木の価値を再確認し、できる限り現状の位置での活用を前提とした」とし,特に「広大の供木」について「『世界の人びとからの好意の結集』である献木を保全・活用し、『緑・いのち』のテーマと連動させて計画し、特徴あるフェア会場とする」とし、会場の中心的役割を与えています。
そのため、報告書の末尾には、1995年(平成7年)に実施された「広島大学跡地既存樹木調査」の結果が詳細に記載されています。
その調査は、「フェニックス等の寄贈植物の移植について」の著書がある広島大学理学部教授の豊田源太郎さんへのヒアリング、現地立ち会い、資料の提供を受けて、全部で1063本を調査し、そのうち22種、162本が「供木」であることが確認したようです。
報告書には、その一番の根拠資料となったのは,広島大学が1995年に作成した「広島大学本部跡地植栽樹木調査と図面一覧表」だったことが記されています。
上図には、小さくて見え難いのですが、供木が、種類ごとに色分けして表示されています。
この広島大学の調査書が、なぜ広島市の調査と同じ年になっているのかは不明ですが、「東千田公園」の整備計画で「戦前に建てられた旧理学部1号館と既存樹木を残して、既存施設を撤去する」と、かつての広大の痕跡が大きく変化することになったので、広島大学としても現況を調査しようということになったと想像されます。
いずれにしても、この場所が「都市緑化フェア」の主会場として使われるようになったことが、「供木の記録」を残す大きなきっかけとなり、大切に保存されることになったことは間違いないと思われます。
ただ、供木は、広大本部跡地全体に植えられましたので、現在の旧理学部一号館前の広場以外に植えられていた供木は、残念ながら現在は存在しません。
それ他にも,例えば先日4本と紹介したオリーブの木は、寄贈を受けたのは11本で,ほぼ同じ場所に植えられたのですが、公園整備の中で一部が公園区画に入らなかったため、内7本しか残されず、その後枯れたりしてさらに4本に減ったということになります。
さらに今回わかったことですが、先月28日のブログで供木として紹介した「ソテツ」は、「広島大学本部跡地植栽樹木調査と図面一覧表」のリストには掲載されていませんでしたので、訂正する必要があります。
今回「報告書」を調べていたわかったことは、世界から贈られて供木が、ただ「残っている」というのではなく「供木」として大切に扱われ、現存しているということです。
ほっと安心する気持ちがわいてきました。
いのちとうとし
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