広島大学供木運動―広島大学創立70周年記念写真集
先月の27日から4回にわたって「復興のために贈られた広大の供木」の現在について紹介しましたが、昨日別の資料を探しているとき、供木が植栽された当時の様子を知る資料を見つけることができました。以前から気になっていた資料を見つけることができたというのが正し言い方かも知れませんが。
その資料は、広島大学が2020年2月に発刊した「創立70周年記念写真集 広島大学の70年」と題した26ページの写真集です。
この写真集は、広島大学75年史編纂事業に一環として発刊されたものです。
その中で「7 自由で平和な一つの大学」とタイトルが付いた見開き2ページ(p.15,16)の右側1ページ全てを使って、当時の供木運動の様子が写真で掲載されています。
・理学部付属植物園で試験栽培された樹木・苗木を植樹する森戸学長・植樹直後のフェニックスや世界各地に送られた森戸辰男学長の「樹木の提供依頼書状」など、7枚の写真で構成されています。
興味深く見たのは、正門とともに写っているフェニックスの写真です。森戸学長が、「原爆焼け野原から復興するシンボルとして、灰の中からよみがえる不死鳥(フェニックス)と同じ名前をもつ樹木を選んだ」と記載されています。
このフェニックススは、ブログでも紹介したように、当時植えられた同じ場所に、今も元気な姿で大きく育っています。
当時の様子を知ることのできる貴重な写真ですので紹介したいのですが、写真の無断使用が禁じられていますので、残念ですがここでは紹介できません。
またこの写真集には、広島大学の前身である広島文理科大学、広島高等師範学校に在学していて被爆した東南アジア出身の「南方特別留学生」が納まる写真や当時の原爆被災に関する資料も掲載されています。中国からの留学生については触れられていないのが残念ですが。
この原爆被災に関するページには、被爆後の広島文理科大学付近の写真も掲載されており、それを見ると、正門の一が現在よりも北側に位置していたことがはっきりとわかります。
この写真集は、広島大学文書館のホームページ(大学史関連刊行物 | 広島大学 (hiroshima-u.ac.jp)でPDF版を見ることができますので、興味がある方はぜひ検索してみてください。
いのちとうとし
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