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2023年6月

2023年6月30日 (金)

2023.6月のブルーベリー農園その3 2023.6月のブルーベリー農園その4

標高の高い東広島市豊栄町のブルーベリー農園は、社会福祉法人安芸の郷のある安芸区矢野のブルーベリーの収穫より少し遅れて、この時期から早生のブルーベリーが実り始める。安芸区の自宅から農園に通って栽培しているが、まだ安芸の郷には早生のブルーベリーの実は量が少ないので納品出来ていない。でも安芸の郷の早生のブルーベリーは、今年は昨年よりたくさん収穫出来ているので品薄状態にはなっていない。梅雨なので草が伸びるのが早い。里山では背の低い笹竹がどんどん増える。草を刈り、ブルーベリーの枝を剪定しながら夏の収穫本番に備える日々。夏の摘み取り援農のみなさんからそろそろ日程調整の連絡も入る。

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6月24日(土)

道路そばの小さい区画のブルーベリー畑は早生を植えているので防鳥ネットを張った。

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区画のなかのブルーベリー。木はまだ小さいが大きな実をつけている(早生のダローという品種・接ぎ木)

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6月25日(日)

田んぼの法面を草刈る人。田んぼは一面早苗が大きくなりすっかり緑色になった。

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里山の早生のブルーベリーの摘み取りに行く。防鳥ネットの中に56羽のヒヨドリが入っていたのでネット開けて鳥を追い払った。このあとネットの小さい穴をつくろったが、完全ではないのでどこかからまた入りそうだ。防御はむつかしい。

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ネットの中。びっしりと実をつけているのは早生のブルークロップという品種。小粒だがおいしい。

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里山で毎年咲くホタルブクロ。

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農園の庭から。

そろそろ見納めの花はハナショウブ

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これからの花。オニユリの蕾

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いまが咲く時期のタイザンボクの花(農園の蔵の後ろに咲く627日)

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6月27日(火)

友人の援農でブルーベリーの剪定枝を野焼きする。そして里山のブルーベリーの剪定と枝の片づけを続けた。早生のブルーベリーも少し摘んだ。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2023年6月29日 (木)

中国電力株主総会と祝島島民の会

昨日、中国電力の株主総会が行われました。その様子はいずれ木原省治さんによって詳しく報告していただけるものと思っていますので、私は、会場となった中電本社前の様子を照会します。

私が、中電前に言ったのは、上関町の祝島の人たちが来られるのではないかと思い、私が中電本社前に行ったのは、午前9時過ぎでした。

9時20分頃、中電前に防長バスが到着し、祝島の人たちが、降りてこられました。

先頭は、祝島島民の会代表の清水敏保さん。今回の参加者は、25人です。久しぶりの祝島の皆さんとの出会いです。

中電の株主総会には、「上関原発計画の撤回」を求めて、毎年祝島からバスでの参加が続いていましたが、コロナの影響で2019年を最後に昨年までは中止となっていましたので、今年は4年ぶりの参加となりました。

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到着するとすぐに,旗竿が下ろされ、幟のとり付けが始まります。いつもながらの手際よさです。

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幟を手にした島民の会のメンバーを前に代表の清水敏保さんが、マイクを握ります。

「2022年、中国電力は、田ノ浦でのボーリング調査ができず、話し合いをするため民事調停を提案しました。ところが、民事調停の場で,中電は法的論争はしないと一回でやめ、祝島島民の会を被告とする妨害排除請求事件を提訴しました。現在3回目の口頭弁論が行われています。中国電力は、いつもながら自分の都合の良いことを主張し、ことが進まなければ金や権力で、また,司法を頼りに原発を建設しようとしています。上関町の政治経済、暮らしにまでに介入し、町民を分断に追い込んだ責任は中電にも多いにあると思います。一日も早い撤回を求めます。

過疎高齢化が急速に進む中での運動は、決して容易ではありませんが、上関原発計画が白紙撤回されるまで、皆さんのご支援をいただきながら共にがんばって参ります。皆さんがんばりましょう。」

上関原発計画が浮上したのが、1982年。それからすでに41年の歳月が過ぎています。上関原発計画の進行を止めているのは、間違いなく祝島島民の皆さんの活動があったからです。

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そして「豊かな自然を守りたい、子どもや孫達に伝えたい」との思いで、この運動を支援した多くの市民の運動があったからです。

清水さんのあいさつを聞きながら、そのことを改めて思い起こしていました。

今回の祝島からの参加者の中に、いつも先頭に立って声をあげていた、なじみのある女性達の姿が、ほとんど見ることができませんでした。41年という年の長さを実感します。

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途中、雷が鳴り、強い雨の降る中でしたが、最後に「原発計画を中止させるぞ」のかけ声あげ、2時間の行動を終え、祝島の人たちは再びバスに乗車し、小雨の中帰郷の途につきました。

「祝島島民の会」の皆さんの粘り強い運動の歴史を改めて思い起こすことになった中電前の行動でした。

いのちとうとし

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2023年6月28日 (水)

原爆死没者名簿への被爆留学生の登載

昨日の中国新聞を見て、びっくりしました。

昨日、このブログでちょっとだけ紹介した「広島文理科大学、広島高等師範学校に在学していて被爆した東南アジア出身の『南方特別留学生』」のことが記事になっていたからです。

記事は、「被爆留学生を搭載へ 原爆死没者名簿に初申請 広島大学」の見出しで、現広島大学に留学中に被爆して亡くなった人たちの名前が、原爆死没者名簿に登載されることになったことを紹介しています。

今回登載されるのは、「南方特別留学生」8人とともに「広島大学創立70周年記念写真集」では触れられていなかった中国からの留学生9人も含まれているようです。全ての留学生が登載されることになり良かったと思います。

新聞記事には、南方留学生のこととともに中国人留学生について「中国大陸出身者の12人が在籍中に被爆。うち張秀英さんたち男女6人が爆心地そばの宿舎や,中区千田町にあった校舎などで原爆死した。広島大学はこの6人に加え、すでに亡くなったと確認した3人の登載を求めている。」と書いています。

この記事を読みながら、思い出すことがあります。

それは、被爆40周年の1985年に中国を訪問された森滝市郎先生が,「帰国後どうしているだろう.ぜひ会いたい」と思っておられた被爆した中国人留学生4人(董永増さん、由明哲さん、王大文さん、初慶芝さん)との再会を果たされたことです。帰国した4人の留学生のうち、帰国後一度も広島に来られたことのなかった山東工業大助教授薫永増さんと元吉林大学日本研究所員初慶芝さんをその年の秋、日本に招待したのですが、薫永増さんは、その年の10月に急逝され、残念ながら訪問が実現せず、翌年6月に初慶芝さんのみが、来広し、治療と被爆者健康手帳の申請を行いました。

当時は、日本に来なければ手帳の申請ができない時代でしたので、被爆者健康手帳を取得できたのは薫永増さんを除く3人だけでした。

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写真の右が王大文さん、左が初慶芝さん

ところで、昨日の中国新聞の記事を読みながら、気になったことがあります。

原爆死没者名簿への登載方法です。広島市に電話で尋ねました。

被爆者健康手帳所持者が亡くなられて場合は、死亡手続きともいえる手帳に基づいて「葬祭給付金請求の申請」が行われますので、その手続きが行われたことによって、原爆死没者名簿への登載が行われるようです。

それでは、被爆者健康手帳をもたない被爆者で原爆死没者名簿に登載を希望される場合はどうなるかです。このケースの対応については「広島市原爆死没者名簿登載および照会対応要領」が定まられており、それに基づいて対応することになるようです.この要領に基づいて、「広島市原爆死没者名簿登載確認票」を提出することになります。この確認票の申請者の項には、氏名・住所などの他「死没者との続柄」を記載する欄がありますので、原則的には親族しか申請できないと思われます。

そうすると、今回の外国人被爆者のように親族がいない場合はどうなるのかです。広島市に尋ねたところ、「親族からの申請の他に、広島市の調査によって判明した場合も登載できることになっています。今回の場合は、このケースで対応しています」との回答でした。

新聞記事では、「広島大学が申請した」となっていますが、今回のケースは、正確には、「広島市の調査によって判明した」という手続きを経て登載することになったとなるようです。

もちろん、広島大学が「留学生被爆者の名前を登載しよう」と思い申請されなければ、広島市が独自に調査することはなく、死没者名簿への登載は実現しなかったことですので、やや遅きに失したとはいえ、広島大学の英断に敬意を表したいと思います。

まだ国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に遺影が登録されているかどうか調べていませんが、未登録であれば遺影の登録も行われればと思います。

いのちとうとし

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2023年6月27日 (火)

広島大学供木運動―広島大学創立70周年記念写真集

先月の27日から4回にわたって「復興のために贈られた広大の供木」の現在について紹介しましたが、昨日別の資料を探しているとき、供木が植栽された当時の様子を知る資料を見つけることができました。以前から気になっていた資料を見つけることができたというのが正し言い方かも知れませんが。

その資料は、広島大学が2020年2月に発刊した「創立70周年記念写真集 広島大学の70年」と題した26ページの写真集です。

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この写真集は、広島大学75年史編纂事業に一環として発刊されたものです。

その中で「7 自由で平和な一つの大学」とタイトルが付いた見開き2ページ(p.15,16)の右側1ページ全てを使って、当時の供木運動の様子が写真で掲載されています。

・理学部付属植物園で試験栽培された樹木・苗木を植樹する森戸学長・植樹直後のフェニックスや世界各地に送られた森戸辰男学長の「樹木の提供依頼書状」など、7枚の写真で構成されています。

興味深く見たのは、正門とともに写っているフェニックスの写真です。森戸学長が、「原爆焼け野原から復興するシンボルとして、灰の中からよみがえる不死鳥(フェニックス)と同じ名前をもつ樹木を選んだ」と記載されています。

このフェニックススは、ブログでも紹介したように、当時植えられた同じ場所に、今も元気な姿で大きく育っています。

当時の様子を知ることのできる貴重な写真ですので紹介したいのですが、写真の無断使用が禁じられていますので、残念ですがここでは紹介できません。

またこの写真集には、広島大学の前身である広島文理科大学、広島高等師範学校に在学していて被爆した東南アジア出身の「南方特別留学生」が納まる写真や当時の原爆被災に関する資料も掲載されています。中国からの留学生については触れられていないのが残念ですが。

この原爆被災に関するページには、被爆後の広島文理科大学付近の写真も掲載されており、それを見ると、正門の一が現在よりも北側に位置していたことがはっきりとわかります。

この写真集は、広島大学文書館のホームページ(大学史関連刊行物 | 広島大学 (hiroshima-u.ac.jp)でPDF版を見ることができますので、興味がある方はぜひ検索してみてください。

いのちとうとし

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2023年6月26日 (月)

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の新しいパンフレット

今月初め、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(以下「国立原爆死没者追悼祈念館」)の村上雅之館長から次のようなメールが届きました。

「お約束しておりましたパンフレットの改訂作業がようやく完了しましたので、取り急ぎお知らせします。

主な変更点は、①地下2階のスロープに関する説明文として『スロープの壁面には、原爆投下に至る経緯や被害の概要が6枚のパネルに記載されています。』を加えた点 ②地下1階の企画展示室の写真を今年3月にリニューアルした展示室のものに更新した点 の2点です。」

今回のパンフレットの修正の①は、私が、国立原爆死没者追悼祈念館の地下1階から地下2階の『追悼空間』に至るスロープに掲げられた「6枚の説明文を出来るだけ多くの人に知ってほしい」と思い、要望していた修正の第2弾です。

1弾は、昨年1111日のブログ国立広島原爆死没者追悼平和祈念館のホームページ改修: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で紹介しました。

修正された新しいパンフレットは、21日から配布することになるということでしたので、早速貰いに行ってきました。

修正されたパンフレットの地下2階部分です。

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該当する箇所は、このページの中程にあるフロアー図の右側です。その部分を拡大します。

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「追悼空間スロープ」の説明文の下2行が追加されています。

古いパンフレットの同じ部分です。

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小さな文字の2行の追加ですので、パンフレットを手にしても、どれだけの人が気づいてくれるのかは不明です。しかし、これまで6枚の説明板については、全く記載されていなかったことを思えば、先のホームページの修正とともに、今回のパンフレットの修正によって、広島の被爆者の皆さんの思いがこもった説明板に関心を持っていただく機会が増えるのではないかと期待しています。

長い間「この説明板のことが余り大切に扱われていない」と感じ,気になっていましたので、今回ホームページにつづきパンフレットにも(全文ではありませんが)、6枚のパネルがあることが追加されたことは、少し変化ではありますが、前進させることができたと思っています。

なお、当面は日本語版のみの改訂となっていますが、今後英語版、中国語版、ハングル版も順次改訂されることになっています。

いのちとうとし

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2023年6月25日 (日)

変わりつつある回り

 1年に2回くらいの間隔で書かせてもらっていた雑誌のY編集長さんから、「今号をもって編集長を辞めることになりました」というハガキが送られてきました。この本には、上関原発のことや8月6日のことなど年に1~2回、1回4000字程度の字数で書いていました。

  原稿依頼があって締め切りまで2~3週間というのは、けっこうハードではありましたが、頑張って書けたのは何よりもY編集長さんが好きだったからです。同年齢の方で、上京した時には喧噪な居酒屋で大きな声で語りあったものです。

 ハガキを受け取って、すぐに電話しました。

 「体調が悪いのですか」と訊ねると、

 「体調は別に悪くはないけど来年には後期高齢者の仲間入りをするし、字を扱う作業は誤字が許せないから、ここらでこの仕事は引退ですよ」と元気そうな声で話されました。

 とても几帳面な方で、毎号遅れることなく発刊されていましたし、編集後記には、それぞれの執筆者への感想も丁寧に書いておられました。他人への気配りと優しさが好きでした。雑誌は編集長が交代して続くとのことですが、編集長さんが好きだったから書けたという気持ちは、今後は薄れるかも知れません。僕自身も文章を書いているという立場から考えると、やはり誤字や間違い記述の心配もあります。

 話しは大きく変わりますが、もの心ついた頃から在った隣りの大豪邸の取り壊しが行われています。広い土地に木造の2階建ての住居と、庭には池も在り、石造りの灯篭、大きな植木もたくさんありました。

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当時、普通の家には電話も無い時代ですが、この家には電話が有り急ぎの時には『呼び出し』で、電話の取次ぎをしていただいた記憶が鮮明に残っています。

 「木原さん~電話ですよ」と声をかけられ、その家に行く時は少し緊張もしたものです。その頃住んでおられた方も、その子どもさんも既にあの世の方ですし、今の持ち主さんも九州に住んでおられて、それでも1か月に一度ぐらいは帰ってきておられました。

 この大豪邸の解体には、1週間以上かかりやっと目途がついたようです。解体され、改めてその土地の広さにびっくりしました。その気になれば、普通の一軒家なら五軒以上は建つでしょうね。

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 子どもの頃、わが家から遠くに当時の国鉄線路を走る汽車の姿が見えたものです。母はその汽車を見て、「今、〇〇時だ」と時計替わりにしていた記憶もあります。現在では、10メートル先には家があります。

時代の流れは仕方ないことですし、それを否定する気持ちもありません。しかし、隣りから聞こえてくる解体する重機の音に、その家に住んでおられた方のことや、当時の風景が思い出されて、ちょっぴりと寂しい気持ちになっています。

木原省治

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2023年6月24日 (土)

沖縄慰霊の日

 昨日6月23日は、「沖縄慰霊の日」でした。先の大戦で、国内で唯一地上戦となった沖縄戦の組織的な戦闘が停止した日です。しかし、司令官たちの「国体と本土を守るため最後まで戦え」との指示を出しての無責任な「自決」で、人々は引き続き戦場をさまよい多くの犠牲者を出したと言われていることも忘れてはならない沖縄戦です。

沖縄では、昨日正午から4年ぶりの通常開催となる「追悼式」が行われました。

広島でも、毎年「沖縄慰霊の日」の6月23日には、思いを共有する集会などが開催されていましたが、ここ数年コロナの影響で、中止を余儀なくされてきました。

コロナの影響が小さくなった今年は、昨日午後6時から「広島と沖縄をむすぶドゥシグヮー・広島と沖縄をむすぶつどい」の呼びかけで、「『沖縄戦慰霊の日』ひろしまのつどい」が、原爆ドーム対岸の親水テラスで行われました。

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三線の伴奏での歌とトークによって、沖縄戦犠牲者を追悼するとともに、最近住民の反対の声を無視して進む基地強化に悩む沖縄の人々と連帯する思いも込めたつどいでした。

今日の本論は、このつどいの報告ではなく、午前中の出会いです。

買い物帰りに八丁堀のお寺の掲示板の文字が目に入りました。最初に目に飛び込んだのは「沖縄慰霊の日6/23」の文字です。「そうだ今日は沖縄慰霊の日。広島のお寺で、この日を忘れないのはすごい」と思いながら自転車でそのまま通り過ぎたのですが、ちょっと気になったので引き返し,もう一度よく見てみました。右側の紙には、こう書かれています。

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「日本には、どうしても記憶しておかなければならない日が、4つある。

 ・沖縄慰霊の日 6/23

 ・広島原爆の日 8/6

 ・長崎原爆の日 8/9

 ・終戦記念日  8/15」

ここまでなら、何となく納得という気になるのですが、この下に次の文言が書かれています。「上皇陛下(皇太子時代に語られたお言葉)」

これを読むと「ちょっと待てよ」といいたくなります。この4つの日は、いずれも第2次世界大戦の歴史の中で、日本の犠牲の日といって良い日だけです。お寺にすれば、再び戦争をしないと誓う平和の日として、この4つの日をあげたに違いありません。私も「上皇天皇」の文字がなければ、「そうだ、この4日は大切な日だ」と通り過ごしてしまったと思います。しかし、「上皇陛下」の文字があれば,一言言いたくなります。

「天皇家にとっては(もちろん国民にとってもですが)、もっと記憶しておかなければならない日が、あるはずだ」と。

そうです。それは侵略戦争に関わる歴史の日々です。

アメリカとの戦争開始と東南アジアへの侵略をはじめた12月8日だけではありません。少し遡れば、本格的な日中戦争の始まりとなった盧溝橋事件が起きた7月7日、それ以前の宣戦布告なしに日中軍衝突の満州事変のきっかけとなった柳条湖事件が起きた9月18日もそうです。

お寺のこの貼り紙を見たとき、どうしても違和感をもったのは、そのためですが、この掲示板にはもう一枚貼り紙がありました。「敵を決めてしまったら、やっぱり戦争をすることになるのんじゃないでしょうか。 俳優香川京子氏」

ちょっとすくわれる思いです。香川京子さんは、1953年に制作された映画「ひめゆりの塔」に出演しています。20代前半でこの映画に出演した香川さんは「その後の生き方に影響するほど大きな衝撃を受け、学んだ」と述懐していますが、その思いがこの言葉にも表れている気がします。

そんなことを思った今年の「沖縄の日」でした。

いのちとうとし

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2023年6月23日 (金)

2023.6月のブルーベリー農園その3

暑い日は30度近くまで気温が上がる季節だが、安芸区の自宅から東広島市豊栄町のブルーベリー農園に毎週末に通っている。農園での作業も午後最初の時間帯は暑くて1時間もすると休んで水を飲まないといけない。農園全体のブルーベリーの1割にも満たない早生のブルーベリーはヒヨドリに実を食べられるので防鳥ネットを張る。12日に続きもう1か所の区画に防鳥ネット張って6.7月のブルーベリーの収穫の準備をした。あとは草刈り、ブルーベリーの枝の剪定を続ける。ウグイスがあちこちで鳴きあうが鳴き方も上手になった。ホトトギスの声は聞こえない。

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617日(土)

里山の早生を育てている区画の防鳥ネットは12日に張ったのだが、ネットの破れを直したりする作業が残っている。

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杉の枯れ枝の小さい破片が絡まっているところも直さないと風で破れる。終わるとブルーベリーの木の剪定を続け少しだけ家族が食べる量の実を摘んだ。

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618日(日)

太い幹と言ってよい枝を切った後から先端や根元から新芽が出ている。元気よさそうだ。ここは5月に切ったのだが、早いものはこのように芽を出す。

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ブルーベリー畑の草刈りの合間の小さい畑の雑草とりと手入れ。

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その畑で収穫したソラマメ。もうおしまい。

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農園の畑の石垣沿いにあるヤブカンゾウの花芽。

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農園庭にある池で咲く花ショウブ。

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620日(月)

天気がいいので午後から一人で農園で作業。まずは畑の早生のブルーベリーの区画に防鳥ネットを張り、ネットが破れているところをつくろった。

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3段のブルーベリー畑の中、白いところがこの日張った防鳥ネット。区画は小さい。この後夕方まで里山の晩生のブルーベリーの剪定を続けた。この日もたくさん実をつけている太い枝を、モッタイナイを無視して切る。

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畑の晩生(ラビットアイ系)のブルーベリーはぶつぶつ声が聞こえるくらいたくさんの実がついている。(ティフブルーという品種)

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一番上の畑からの眺め。法面の丸いタイプのアジサイが咲き始めブルーベリーの木々は新しい枝が伸び葉をつけこんもりした景色になってきた。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2023年6月22日 (木)

6月の安保法制(戦争法)に反対する府中市民の会の19日行動

【場所と参加者】

上下Aコープ前 午後3時30分から9人、府中天満屋店前5時から10人、いずれも30分の行動です。

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【リレートークの内容】

今日は6月23日の沖縄戦々没者を追悼する「慰霊の日」に合わせてか沖縄の話をする人が多かったです。

A 宮古島での自衛隊ヘリ墜落や先日の自衛官3人が自衛官候補生に銃撃されて死傷者が出た事件でも翌日には訓練を再開している。賛成するものではないが事件の原因をきちんと調査をして、再発防止策を取って再開すべきではないでしょうか。自衛隊自身が異常になっています。

B 沖縄戦のことをもっと知らなくてはならない。特に広島県民は知らなくてはなりません。県民14万人、4人に1人が亡くなっています。いま戦争の危機を煽りながら沖縄の島々に自衛隊基地をつくっている。防衛産業の利益を確保しながら、沖縄県民の命を不安に陥れています。

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C 入管法は問題です。日本は難民認定が極めて低く、強制的に送り返す送還ができる法律をつくっています。これは本人にとって死刑判定に等しものです。この法律に反対するため東京で7000人規模の集会が行われていますがマスコミは一切取り上げていません。反対に報道に値しないニュースが流れています。マスコミは真実を伝える使命を忘れています。

D 私は「平和の礎」名前を読み上げるつどいに参加しました。これは沖縄「平和の礎」に刻まれた主に沖縄戦で死亡した24万人超のお名前を全員分読み上げるつどいで、参加者一人一回30分内に刻名者500人のお名前を読み上げるという方法で、朝から晩まで読み上げて20日あまりもかかります。今日も誰かが読んでいます。読み進めていくうちに、お名前一人ひとりの人生があったこと、戦死しなければその後に続く人生の物語があったことを強く意識していました。

戦争を忘れないことは人の生きた証を忘れないこと。一人ひとりの暮らしが壊されることを意識していくこと。暴力に屈する戦時下の自分という狂気と生きていかねばならぬのだと想像すること。やはり私は戦争もその準備もお断りです。

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最後に、「今日はいつもに増して手を振り返してくださるドライバーさんたちが多く、励まされました。戦争法が廃止されなければ来週もこの場でリレートークとスタンディングを行います。今日はありがとうございました」とお礼を言って終わりました。

小川敏男

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2023年6月21日 (水)

三原地区の6月の「19日行動」

6月の定例「19日行動」は、6月19日(月)、三原駅前に16人が参加して実施しました。今月の街頭行動では、5月に開催されたG7広島サミットや150日間にわたって行われた通常国会について、5人の弁士が感想を述べました。

市議の政平さんは、「G7首脳会議、アメリカはウクライナに武器を供与する。日本も自衛隊の車両を100台送る。本当の平和主義とは、戦争当事者に武器を送って戦争を煽ることではない。お互い戦争を止めよう、岸田総理はウクライナに行って戦争を止めさせる交渉をすればいいんです。そういう努力を全くしようとせず、G7の各国に対して良い顔をすることしかやっていない。人をたくさん殺す武器を供与すること、核兵器廃絶を抑止する核抑止論。インドのガンジーの教え、非暴力・無抵抗の平和主義の取り組みを進めていくことが今の日本にとって最も必要なことではないでしょうか。憲法を守り、反戦・平和の考え方を共に携えて前に進んでいきましょう」。

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市議の寺田さんは、「今国会で悪法が次から次へと強行採決されている。特に16日の参議院で自民公明の下で採決された防衛費財源確保法案、向こう5年間で43兆円の軍事費を作るという大変な大軍拡に向かう法律が可決された。秋にも行われるかもしれない解散総選挙において、大軍拡・戦争へ進む危険な道を許さず政治を変えて行くために訴えていきましょう」。

三原市民行動共同代表の冨中さんは、「被爆地広島で開催されたG7サミット、軍縮へと進むものが見えるのかと思っていたが話されたことはアメリカを中心とする同盟国の核兵器は必要である。しかし自分たちに対抗する国の核兵器は危険だ。認められない。こういったことで核兵器廃絶に向けた方向で世界の中で話しができるのか。理解が得られるのか。日本の国の総理大臣、広島県から選出された総理なのかと腹立たしく思った。岸田総理には一日も早く辞めてもらいたい。日本の国を戦争のない国へと導いたくれる総理、国会議員を出していくことが必要である」。

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M町の中西さんは、「通常国会は、今年度の国の予算や国民の生活を守るための最も重要な会議ですが、本当に国民のための国会になったんでしょうか。6月になっても物価の高騰は止みません。食料品などの生活物資やガソリン代、いま電気代の値上げも予想される。物価を下げてほしいという私たちの願い、消費税を下げることが経済の中で重要ではないのかと思うがそういう議論は行われていない。それどころか原発推進法やマイナンバー法案改正など国民のいのちと暮らしをないがしろにする政治を進められている」。

前市議の高木さんは、「岸田政権が行っている政治を見た時、市民のみなさん、岸田内閣を信用できますか。子どもや孫を戦争に行かせますか。行かせてください。と国会で言っているんですよ。防衛という言葉が前に出ていますが、安倍政権で強行採決した戦争法を基に安保3文書の閣議決定、それを今通常国会で具体化している。防衛費の倍増、防衛産業支援法など。もう戦争前夜です。子どもや孫・人の命、環境をゼロにする戦争。戦争断固反対!9条壊すな!このことを主権者である市民のみなさんが政治に対して変えて行く力を持っていくことを訴えます。」

藤本講治

【編集者】府中の小川さんの原稿も届いていますが、今回は三原、府中の行動を二日に分けて掲載しますので、府中の「19日行動」の報告は、明日掲載します。

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2023年6月20日 (火)

ベトナムの歴史(その25-2) 抗仏闘争を戦った日本兵-3

「友人を増やし、敵を減らす」

当時、ベトナム北部には中華民国軍(蒋介石軍)、南部にはイギリス軍が進駐し、日本軍の武装解除とフランス軍の再進駐を支援の役割を果たすと同時に、ホー・チ・ミンが建国したベトナム民主共和国潰しを画策していました。長い戦争で農業生産は衰退し、工業生産は停止、植民地支配が生んだギャンブルや麻薬といった社会悪が蔓延り、文盲率90%以上・・・・、と誕生したばかりのベトナム民主共和国は困難に直面していました。最大の問題は再び植民地支配を意図するフランスです。

9月23日(注1)、フランス軍がサイゴン(現ホーチミン市)でベトナム人を銃撃。これに対し南部人民の抗仏抵抗闘争が始まります。ベトミンは「友人を増やし、敵を減らす」との政策のもと、ベトナム国民と在留外国人に独立戦争参加を呼びかけます。そのスローガンは「愛国」と「独立」、「徹底抗戦」でした。

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ホーチミン市にある「9月23日公園」ジャパン ベトナム フェスティバルの風景(2018年)

この方針は、「単なる戦術的ではなかった」。前号でも紹介した井川一久氏は、『日越関係発展の方途を探る研究、ヴェトナム独立戦争参加日本人-その実態と日越両国にとっての歴史的意味-』の中で、「インドシナ共産党は、創設者ホー・チ・ミンの別名グエン・アイ・クオック(阮愛国)(注2)が象徴しているように、もともと極めて愛国的な政党として出発し、いかなる運動に際しても、先ずもって国民の愛国心に訴えてきた。(中略)共産党と名乗る以上、共産主義(マルクス・レーニン主義)の革命イデオロギーと無縁ではあり得なかったが、この党に限っては、それよりもナショナリズムの方が本来はるかに強かった。祖国解放・独立は、革命よりも重要な目標であった。」と述べています。

ベトナムを愛した「新ベトナム」日本人

前述の井川氏は、ベトナム独立戦争に参加して生き残った日本人約40名に、①ベトナミンがインドシナ共産党の傘下にあることを知っていたか。②参加や武器提供を求めたベトミン要員もしくは協力者は、自ら共産党員ないしシンパと名乗ったか。③前2項が「イエス」だった場合、ベトミンの最終目標が社会主義革命であり、独立戦争はそのための一過程に過ぎなかったと考えていたか。の3点をインタビューしています。

①については約6割が「知らなかった」、「そんなことはどうでも良かった」、一部情報将校が認識していた程度。②に付いてはほぼ全員が「ノー」で、相手の所属政党やイデオロギーを確かめた上でベトミン参加した人はゼロだったということです。そして、「ヴェトナム人一般の愛国の熱情に対する共感からヴェトミンに加わったのであり、ヴェトナムの独立に貢献することがすべてであった」と述べています。

グエン・ブ・キーはその著、『第一次インドシナ戦争期における『新ベトナム』日本人の誕生-残留日本人の活動(1945~1947年)を中心に』で、「日本が連合軍に降伏したとき、ベトナムにいた兵隊たちは、多大な心理的ショックを被った。多くの兵隊たちは、ベトナムに留まることを決定し、彼ら自身の生活と敗戦後の日本の将来への不安から隊伍を離れたのである」とし、「特に彼らは以下の理由で部隊から逃走し、ベトナムに残留した。第1は、ベトナム人民の独立闘争に対する同情と、ベトナム国と民衆への愛着である」と、井川氏と同様の見解を述べています。

もちろん、井川氏やキー氏も述べているように、「敗戦の日本の将来を悲観」、「戦犯として裁かれるのを恐れて」、「愛人がいたり、特定の女性に好意を寄せていた」、「残置諜報者として任務を全うしよう」などもあったでしょう。

 次号では、ベトナム独立戦争に参加しフランス軍との戦闘で戦死した福山市出身の石井卓雄元陸軍少佐について触れます。

(注1)9月23日「南部抗戦の日」

ベトナムでは南部抗戦の中で大規模な人民の抗戦が起こった9月23日を、「南部抗戦の日」に定め、ベトナム人の不屈の精神を象徴する日とされています。ホーチミン市中心部には「9月23日公園」があります。(VIETJO)

(注2)グエン・アイ・クオック(阮愛国)

ホー・チ・ミン(胡志明)  在学中に農民の抗税運動に関わり退学処分。フランス、アメリカ、イギリスなどを経、ロシア革命後フランス共産党入党。第一次世界大戦後のパリ講和会議に安南愛国者協会を代表し出席。8項目の請願書「安南人民の要求」を提出。この請願書を提出する際、本名の「グエン・タト・タイン(阮必成)」ではなく「グエン・アイ・クオック(阮愛國)」として署名。以降ホーは本名を名乗らずグエン・アイ・クオックとして政治活動を行う。「安南人民の要求」はパリ講和会議で採択されなかったが、グエン・アイ・クオックの名は穏健なナショナリスト(民族主義者)として世界に知られることとなった。(ウィキペディア)

(2023年6月20日、あかたつ)

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2023年6月19日 (月)

ベトナムの歴史(その25-1) 抗仏闘争を戦った日本兵-2

抗仏闘争が生んだ“ベトミン”

今号では、元日本兵が抗仏戦争に加わった1945年8月15日の日本敗戦から1946年にかけた時期の、ホー・チ・ミンに指導されたベトナム独立同盟(ベトミン軍)について見てゆきたいと思います。

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フランス時代のグエン・アイ・クロック(ホー・チ・ミン)

その前に、ベトナム人民の抗仏闘争を思い起こしながら194546年当時を思い描いていただくために、ざっくりとした年表を記します。

1802年 グェン・フック・アイン(阮福映)が、中部フエを都にベトナムで初めての統一国であり、ベトナム最後の王朝・阮(グエン)朝を建国

1847年 フランス艦隊がダナン港を砲撃、ベトナム侵略を開始

1858年 仏越戦争、フランス人宣教師殺害を口実にナポレオン2世がスペインと共同でベトナム出兵。

サイゴン(現ホーチミン市)占領

1862年 コーチシナ(ベトナム南部)東部3省とサイゴンをフランスに割譲

1867年 コーチシナ(ベトナム南部)西部占領、フランスによるコーチシナ全域の支配完了

1873年 フランス海軍がハノイを攻撃、占領

1874年 在郷の儒教知識人層が主導したフランス支配に対する蜂起(文紳の乱)

1883年 フランス、北部のトンキンと中部のアンナンを保護領とする

1885年 ハギム帝(咸宜帝)蜂起、攘夷勤王運動。1888年に鎮圧、ハギム帝逮捕・アルジェリアに配流

1887年 フランス領インドシナ連邦成立(ベトナム、ラオス、カンボジア)、阮朝をフエに存続させながら、ハノイにインドシナ総督府を置く

1894年 日清戦争(日本の勝利)

1904年 日露戦争(日本の勝利)

1905年 ファン・ボイ・チャウのトンズー(東遊)運動、抗仏闘争を担う若者を育成するため日本に送る(~1909年)

1930年 3月、ホー・チ・ミンが香港でベトナム共産党結成。10月、インドシナ共産党に改称

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元日本兵がベトミン軍に加わった時期は、主に点線内の時期です。

長くフランス支配と戦ってきたベトナム人民は愛国と民族独立への思いを募らせ、1941年5月19日にベトミン(ベトナム独立同盟)を結成します。昨年10月から「抗仏闘争シリーズ」を書き進めるうちに、ベトミンの生みの親は、愛国と民族独立への思いをたぎらせるベトナム人民そのものだと思うようになりました。それは、中国による1000年の支配、それ以降の900年間も絶えることのなかった侵略に抗する、実に長きにわたる戦いによって育まれたベトナム民衆の愛国と不屈の闘志を母に生まれたのだと思います。

同時に、以前にも述べましたが、勤王攘夷運動としての抗仏闘争やファン・ボイ・チャウの「トンズー運動」の失敗と限界から学び、しなやか(・・・・)したたか(・・・・)さを会得したのだと思います。

そのベトミンの性格について、谷川栄彦氏は『太平洋戦争中の東南アジア抗日運動』で次の様に書かれています。「その主導権を握ったのは、戦前から労働者、農民を指導して反帝国主義・反フランス闘争を続けてきたインドシナ共産党ですが、ベトミンは決して共産党だけの組織ではなく、ベトナム国民党、ベトナム革命同盟、ベトナム民主党など労働者、農民、民族ブルジョアジー、小ブルジョア層および彼らの利益を代表する諸政党、団体を網羅したところの反ファシズム一大統一戦線であった。」と。

(2023年6月19日、あかたつ)

【編集者】「ベトナムの歴史」は、毎月20日に掲載していましたが、今回の原稿は、少し長いものでしたので、あかたつさんの了解を得ましたので、一日早い今日と明日の2回に分けて掲載します。

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2023年6月18日 (日)

第五福竜丸事件を知っていますか?-広島での運動は

 

被爆78周年原水爆禁止世界大会広島実行委員会結成総会の後行われた市田真理さんの「第五福竜丸を知っていますか?」の講演について、兄弟ブログである「ヒロシマの心を世界に」で、2回「第五福竜丸を知っていますか?」 ――テーマは「Life」でした―― : ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)事実をもって語らしめる ――「第五福竜丸を知っていますか?」の報告2―― : ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com))に渡って、イライザさんが詳しく書かれていますので、ぜひ読んでください。

イライザさんのブログでは、「第五福竜丸事件」から「初期の杉並の署名運動が全国的規模の運動になり、1955年に第一回の原水爆禁止世界大会に至る年表」が掲載されていますので、今日は広島での運動の経緯を宇吹暁さんの「ヒロシマ戦後史」や「森滝日記」を参照に年表にしてみました。

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1954年 

4月21日 第6回婦人会議広島大会で「市民大会」の開催を提案

5月15日 「原爆・水爆実験禁止広島市民大会」の開催

*世話人会で「ビキニ水爆への怒りとともに、原爆の惨禍に遭った広島の体験を強く打ち出すべきだとの意見が相次ぎ「原爆・水爆禁止」というスローガンが生まれた。

5月20日 原爆・水爆実験禁止広島市民大会世話人会が「8月6日までに国連要請の20万名の署名を集める」ことを決定

6月4から6日 第一回街頭署名を市内6カ所で実施 150人が参加し、1万5200名が署名

7月2日 原水爆禁止県民運動連絡本部が発足(70余団体が加盟)

     署名運動の目標を「100万名」

8月6日 「原爆・水爆禁止広島平和大会」で署名が「89万8578名」

8月20日 署名が100万名を突破

8月27日 国連本部に署名を発送 署名数:103万3472名

      300枚を一冊に綴じて84冊、重さ125キロ

      当時の人口:約205万人

      当時、国連への送料は20万が必要。日通が無料で送付を引き受けた。

9月7日  県民運動連絡本部を発展的に解消し「原水爆禁止運動広島協議会」が発足(翌年9月22日に名称は「原水爆禁止広島県協議会」)

10月24日 原水爆禁止署名運動全国協議会第2回世話人総会で、広島協議会の森瀧市郎事務局長が「原爆10周年原水爆禁止世界大会の広島開催を提案」

1955年

1月16日 「原水爆禁止世界大会の広島開催」を正式に決定

この経過は、私たちに「署名運動が起こり、その連携をはかる組織が作られ、それが発展的に恒常的な運動体として組織」が作られ「運動があるから組織が作られる」と言うことを教えています。

また、この運動を通じて、1956年5月27日に「原水爆被害者団体協議会」(県被団協)が発足しました。

イライザさんの「ヒロシマの心を世界に」を読みながら、広島での運動をもう一度振り返ってみました。

その中で、一つ気になっていることがあります。広島で集められた署名は,国連に送られたのですが、他の地域で集まった署名(公称3000万、宇吹暁調べ2500万)は、どこに提出されたのだろうかということです。今のところ、提出先が書かれた資料を見つけることができていません。

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2023年6月17日 (土)

ガタロウ個展・絶望御美術

66日付の中国新聞で紹介され,行きたい行きたいと思っていた「ガタロウ個展・絶望御美術」に最終日の昨日行ってきました。

会場は、横川の古本屋「本と自由」の店内の右奥の一角です。少し路地を入った場所にありますが、以前に覗いたことのある古本屋ですので、場所はすぐわかりました。

お店の前に小さな看板が出ています。

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中に入り、作品が並ぶ一角に行きます。当日は、画家は不在でしたので、これから紹介する内容は主に店主から聞いた話です。

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正面の左右の壁面に「イタム人々」とタイトルの付いた25人の顔を描いた作品が並びます。ガタラウさんが、基町で清掃員として働いていたときに出会った人々です。中には近くの病院から抜け出してきた人もいるようです。

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どの顔も苦悩でゆがんでいるように見えます。今年の2月頃から作られた作品と言うことでした。

左隅上部に会場となっている横川の風景を描いた絵が2枚あります。

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右側の絵は、ガタロウさんが基町での仕事を終えて帰宅(長束)途中によく寄ったというお好み焼き屋さんが真ん中に描かれています。

左側の絵は、映画館・横川シネマが描かれています。この絵は、いつもは横川シネマに展示されており、当初はこの展覧会では展示する予定がなかったようですが、展示を手伝った女性が、横川シネマにお願いをして展示することになったそうです。この個展が終われば、横川シネマに帰るはずですので、気をつければそこで見ることができると思います。

中国新聞で、「広島での先進7カ国首脳会議(G7サミット)がモチーフ」と紹介された「Flag7」は、左側壁面の真ん中ほどに展示されていました。

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7本の旗が黒く塗りつぶされています。ガタロウさんのG7への思いが伝わる作品です。

私が気になったのは、この作品もですが、そのすぐ上にある「ヒロシマ 川になだれ込む被爆者」とタイトルの付いた作品でした。

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被爆時の様子を描いた作品です。原爆に直接関わると思われる作品は、この一点でしたので、余計に気になったかもしれません。

会場には、絵画作品とともに様々な表情をした小さなお人形が至る所におかれています。

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店主の説明では、ガタロウさんが清掃作業員として使っていた軍手が人形の素材だということです。作りも作ったり、約5年間で3千体です。平均すれば一日2体ぐらいを作ったことになります。その精力的な人形作りのエネルギーにびっくりします。

「イタム人々」も今年に入ってから描かれたものですから、すさまじいエネルギーを感じます。

数年前に、陸軍被服支廠を描いた作品がメインにしたガタロウさんの南区民文化センターでの個展以来,久しぶりにガタロウさんの作品を見ることができました。今回の個展は、全く違う感覚で見る展覧会でした。

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2023年6月16日 (金)

伐採された被爆シダレヤナギは芽吹いたか?

4月26日のブログなぜ被爆シダレヤナギは伐採されたのか?: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で紹介した京橋川左岸の被爆シダレヤナギがどうなっているか気になっていましたので、昨日現地を訪れました。

「ひょっとすると新しい芽が出ているのではないか」と期待して、現地を訪れたのですが、残念ながら新しい芽吹きを見つけることはできませんでした。

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何度も目をこらしてみたのですが、どこにもそれらしい様子は見当たりません。もともと空洞があまりにも大きすぎるのでしょうか。木の中心部は、すっかり腐っており、幹と思えるのは周辺部だけです。

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よく見ると,小さな芽が出ているのが目にとまりますが、葉の形が違いますので、シダレヤナギとは全く違う木です。

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同じように伐採された木で、芽吹いているものはないかと探すと、シダレヤナギのすぐ土手側の小さな樹木(名前はわかりませんが)には、小さくてわかりにくいのですが、芽吹きを確認できました。

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こちらはもともと元気な木だったようですので、芽吹いたものと思われます。ただこの木は、小さな木ですので、シダレヤナギと同じくらいの木で芽吹いているものはないかと周囲を探すと、20メートルぐらい離れた場所で、小さな芽が出ている木を見つけました。

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幹の右側上部です。近づいて改めて写真を撮ります。

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 切り口(左側の写真)に二つ、幹の下部(右側の写真)に一つ、計3個の芽を見つけることができました。まだやっと芽を出したばかりという状態ですのでよく見ないとわかりません。

しかし、立派に芽を出しています。この木も根元から切られていたのですが、幹そのものが元気ですので、芽吹いたと思われます。

シダレヤナギを見たとき、まだ芽が出るのには早すぎるかなと思ったのですが、この木の芽吹きを見ると、この時期でもシダレヤナギも元気であれば、芽が出ていてもおかしくないなと感じました。

被爆シダレヤナギも、何とか芽吹き,また元気な姿を見せて欲しいと願いながら、この場を離れましたが、これからも観察をつづけたいと思います。

いのちとうとし

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2023年6月15日 (木)

2023.6月のブルーベリー農園その2

例年この時期に早生のブルーベリーを栽培している区画に防鳥ネットを張っている。今年も12日に張った。張った後もネットがあちこち破れているのでつくろいながら整備するのは次の日曜日になる。ヒヨドリはまだ少なく、実る木も少ないので被害は少ないだろう。6月も梅雨の晴れ間を利用して週末に安芸区の自宅から東広島市豊栄町のブルーベリー農園に通っている。主な作業はブルーベリーの剪定と草刈り。

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610日(土)

1週間ぶりの農園なので、池の様子を見る。

①、石の上でトノサマガエルが日向ぼっこ。周囲に蛇はいない。

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②、池の中には昨年入れたミニスイレンの葉が水辺に浮いている。

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里山の早生のブルーベリーが2本実が青くなったいたので摘み取る。1キロほど収穫。初物なので家族で頂く。

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広島市内の障害者の事業所で働く2人の方が農場の見学に来られた。取れたてのブルーベリーの実でジュースをお出しした。ペクチンが多いのでスプーンを添える。

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611日(日)この日は一人で農作業。里山のブルーベリー園で切った枝がたくさん出るので燃やさずに防獣柵のそばに敷いて捨て場にした。

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同じ場所でブルーベリーの剪定を続ける。周囲にあるクリやエゴノキに交じってスズランのつらなりのような白い花がついている花木。名前知らず。

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ホームセンターに買い物に行くついでに、農場の近くの池で毎年咲くコウホネを見に行く。黄色い花が水面からのぞいていた。

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農園からの帰り道にある夕方の田んぼ。1ケ月前に植えた早苗はもう分げつが始まって背丈も高くなり、水面がちらほらしか見えなくなった。

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612日(月)

農園の花壇では花しょうぶが開花。同じ場所に咲くジャーマンアイリスと交代。

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午後から里山の早稲のブルーベリーの区画に防鳥ネットを張る。つき棒でネットを張っていくのだが歳のせいか例年になくおもい。この作業中騒音がするためかスズメバチが2回やってきた。2回目はうずくまった頭にとまった。短髪なので6本の足がもぞもぞ動くのがわかる。つき棒で追い払ったが、やはり帽子をかぶっていないと黒髪に反応するから危ない。

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里山の周囲で初めて見る花と久しぶりに見る花と。

①、早生のブルーベリー園で青い花色の植物が目に入る。タツナミソウらしいが・・。咲き方はホトケノザとよく似ている。

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②、別の区画の里山の茂みの中にササユリが2輪咲いていた。そばには昨年咲いた後の種の袋も残っていた。2000年にこの場所にブルーベリーを植えたころには数輪咲いていたがその後は見かけることはなかったので再生してくれた。以前みたときより背が高く1mくらいあり元気な株に育っているので来年も楽しみ。種からだと花が咲くのに7年くらいかかるそうだ。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2023年6月14日 (水)

記念講演「第五福竜丸を知っていますか?」

被爆78周年原水爆禁止世界大会広島県実行委員会結成総会の後に「第五福竜丸を知っていますか?」と題して、第五福竜丸展示館学芸員・市田真理さんの記念講演が行われました。

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「第五福竜丸」は、ビキニ水爆実験「ブラボー」に遭遇し被曝した静岡県焼津港所属のマグロ漁船です。

第五福竜丸が、廃船処分になって東京江東区・夢の島には遺棄されたのが、1967年。その翌年から「保存の呼びかけ」が始まり、1976年6月10日に「都立第五福竜丸展示館」として開館しました。コロナの影響で、昨年は来館者が6万人に落ち込んだのですが、例年11万人の人が訪れています。

「どうして保存運動にそんなに頑張れたのですか」の問いの答えは「板きれ一枚でも残したい.水爆実験の生き証人だから」。

1966年から募金運動が始まり、翌年に第1回の保存工事が行われ保存が決まった原爆ドームの保存運動に学びながら、「原爆ドームを守った私たちの力でこの船を守ろう」(朝日新聞への投書)と保存運動が始められたことから、市田さんの話は始まりました。

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そして、1954年3月1日にアメリカがビキニ環礁で実施した水爆実験「ブラボー」、そしてなぜ第五福竜丸は被曝したのか、放射能汚染魚の広がり、第五福竜丸が焼津に帰港してからの起こった被曝報道等が、詳しく紹介されました。

当時の中国新聞がどのように報道したかも話されました。改めて調べてみたいと思います。被曝し最初の犠牲者となった久保山愛吉さんに3千通の手紙が届いたこと、内半数が子どもからのものだったことの報告も印象的でした。

さらに市田さんの話は、全国各地で広がった「原水爆禁止」の署名運動,特に広島での署名が瞬くまに100万に達し,国連に送られたことに移ります。今に至る原水禁運動の出発点となった出来事ですので、しっかりと学んで欲しい内容です。

問題の収束を急いだアメリカ政府と日本政府。翌年1月には、アメリカ政府の200万ドル(7億2000万円)の見舞金で、政治決着。一人あたりの慰謝料は、平均200万。久保山愛吉さんへの慰謝料は500万。第五福竜丸の乗組員への補償はこれで終わり。

慰謝料が出たことに対し,広島の被爆女性から「私共の広島では今尚,九年前の原爆による原爆症によって幾人かは治療もろくに出来ず、何の補償すらなく不安におののき死んでいかなければならない方達が居ります。貴女以上の苦しみと淋しさ打ちのめされただれ一人顧みられない・・・・」との手紙が久保山さんの遺族に届いたことも紹介されました。

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広島の被爆者の苦悩がにじみ出たこの手紙が、一方では非難とも受け取れるものですので、この問題をどう考えるべきかと問われた気がします。

しかし、その後の原水禁運動、被爆者救済運動の中で1957年に成立した「原爆医療法」では、第五福竜丸の被曝者は、その対象から除外をされ、「被爆者援護法」が成立した今も、同じヒバクシャでありながら、その対象とならないままであることも忘れてはならないことです。

第五福竜丸の被曝から日本での原水禁運動はスタートし、これを契機に広島・長崎の被爆者救援の運動が進んだのですが、長く私たちが気づかずにいたのが、核実験場となったマーシャル諸島の住んでいた住民の被曝の事実です。私たち日本の原水禁運動がその問題の初めて向き合ったのは、1971年に開催された被爆26周年原水禁世界大会にミクロネシアの代表が参加したときからです。ようやく私たちは、世界の核被害者の問題と向き合うことになったのです。

貴重な資料もあり、原水禁運動の歴史を振り返り、問題を学び直すことの多かった市田さんの講演でした。

約50名あまりの参加者の内、これまでに第五福竜丸展示館を訪れたのは約10名でした。私もまだ一度も訪れたことがありませんので、今度東京に行ったときには、見学に行こうと思います。

いのちとうとし

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2023年6月13日 (火)

被爆78周年原水爆禁止世界大会第1回広島県実行委員会(結成総会)

広島県原水禁は、昨日午後6時から自治労会館で「被爆78周年原水爆禁止世界大会第1回広島県実行委員会(結成総会)」を開催しました。

被爆78周年原水爆禁止世界大会広島大会は、すでに全国実行委員会で「8月4日:開会総会 8月5日:分科会及び広場 8月6日:閉会総会」に日程で開催することが君会っていますので、その広島大会を成功させるための現地実行委員会の結成が、昨日の主要な課題でした。

総会は、高橋克浩代表委員の司会でスタートし、最初に秋葉忠利代表委員が開会あいさつ。秋葉さんは、G7サミットで「各国首脳が広島に来たこと、資料館を見たこと,被爆者に会ったこと」を評価しながらも、「本当に広島にとって、被爆者にとって良かったのか。広島ビジョンは、広島が代弁してきたことを否定し、貶めるものだった。核兵器の存在が平和をもたらすという考え方に立つものだった。」と厳しく批判しながら「しかし、抗議行動は何も起きていない。岸田に抗議する大きな世論を作らなければならない」と指摘しました。

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続いて一昨日結団式を終えた第26代高校生平和大使の3人:五閑さくらさん(県立広島高等学校2年)、永戸ももさん(福山暁の星女子中学高等学校2年)、宇土未來さん(県立加計高等学校芸北分校2年)の内、出席できた永戸ももさんが、原水禁などの支援に感謝しながら、「皆さんの『核兵器はいらない』と活動する姿が、私たちの大きな力になっている。3年前に『びりょくだけどむりょくじゃない』を聞いた。私たちのアクションは小さいかもしれないが、その力が大きなものとなっていくと感じている。」と決意を表明しました。

その後、原水禁世界大会実行委員会事務局長谷雅志さんが、「原水禁大会全体の考え方」を提起するとともに,現地実行委員会としての協力支援のお願い」を行いました。

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続いて、今日の主題である「被爆78周年原水爆禁止世界大会第1回広島県実行委員会」の結成を確認し、大瀬事務局長から広島県実行委員会が大会日程と広島実行委員会が果たすべき役割について、提起を行いました。

実行委員会結成にあたってでは、「この3年間、コロナ禍のため完全オンラインでの開催や規模の縮小を余儀なくされてきましたが、この夏の『被爆78周年原水爆禁止世界大会』は、コロナ禍以前の規模をめざして開催することになりました。(情勢部分は略)今年の大会は、こうした課題に向き合うとともに、被爆者の高齢化が進み、被爆の実相をどのように引継ぎ、そして運動をどのように若い世代に引き継いでいくのかという点でも大切な大会となります。『核も戦争もない平和な21世紀』のため、広島に集う全国の皆さんとともに、広島大会の成功に全力をあげましょう。」を確認し、その後役員体制や具体的取り組みを提起しました。

今年の「非核平和行進」は、従前の取り組みに戻し、「東部コース=7月27日(木)~8月3日(木)、○北部コース=7月30日(日)~8月2日(水)、○西部コース=8月1日(火)~8月3日(木)」に日程で実施することになりました。

広島大会の主な日程は、

「開会総会は、8月4日の17時~18時30分 県立体育館グリーンアリーナで開催し、分科会は,8月5日の9時30分~12時30分 市内6会場で開催し、閉会総会は、86日の930分~1015分」を確認し,会場係などの役割分担をお願いしました。

その他にも5日のフィールドワーク、午後の広場の開催も確認し、成功のために全力で取り組むことを確認しました。

なお、今年の国際会議は、広島、長崎の両方で開催されます。広島は、5日の午後に「核兵器廃絶にむけた道筋をえがく」をテーマに,長崎では,7日の開会行事の後「トリチウム汚染水の海洋放出に反対する」をテーマに開催することになりました。

1回実行委員会(結成総会)では、最後に従来からの経験を生かし、現地実行委員会として大会成功のために全力で取り組むことが確認しを終了しました。

なお、実行委員会前に県原水禁常任理事会を開催しましたが、世界大会実行委員会への提案事項を確認する会議でしたので、省略します。

結成総会終了後、「第五福竜丸を知っていますか?」と題して、第五福竜丸展示館学芸員市田真理さんの記念講演が行われました。その様子は、明日紹介します。

いのちとうとし

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2023年6月12日 (月)

第26代高校生平和大使結団式

全国16都道府県で選出された第26代高校生平和大使22名の結団式が、昨日午前10時から広島市のアステールプラザで行われました。なぜか今年は、全員が女性です。

昨年の第25代高校生平和大使を派遣した17道府県の内、今年は京都府からの参加が見送られました。また昨年31名だった平和大使も22名に減少しました。その大きな理由は、8月に実施される国連欧州本部への派遣費用が、大幅に高くなったことが原因のようです。

10時から始まった結団式は、第25代高校生平和大使の岡本依純さんの司会でスタートしました。

最初に高校生平和大使派遣実行委員会の小早川健共同代表があいさつ。

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小早川さんは、今年5月に建立されたガンジー像に触れながら、「ガンジーは、七つの提言を行っている。その一つに『人格なき学識』がある」ことを紹介し、「人は平和に生きる権利がある。これを踏みにじる行為は許されない」と,平和の大切さを強調しました。

その後、連合広島、自治労広島県本部、平和運動センター、原水禁国民会議の代表、高校生平和大使を支援する会の豊永恵三郎さんが来賓のあいさつ。私も原水禁国民会議を代表してあいさつしました。

この中で被爆者の豊永さんは、「被爆者はいつもでも生きていない。被爆者と仲良くなってください。被爆者の話を聞いてください。そした、一人の被爆者としっかり向き合い、被爆者体験を継承していって欲しい。そして、その被爆体験を自分のものとし,自分の運動の柱にしてください」と訴えました。

続いて、在間秀和派遣実行委員会共同代表から、一人ひとりに任命書が手渡されました。

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これで名実ともに第26代高校生平和大使の誕生です。

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その後一人ひとりが決意を表明。昨日学んだこと、なぜ高校生平和大使に応募したのか等のそれぞれの思いを力強く表明しました。

最後に「核兵器廃絶と平和な世界実現のため、力を合わせて全力で取り組みます」との全員での表明で決意表明は終わりました。

その後、海外で使って欲しいと今年初めて広島県教育用品(株)から寄贈された英語版「組写真『ヒロシマ・ナガサキ』』(20枚組)が、贈呈されました。

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派遣されたヨーロッパで活用されるものと思います。

最後のいつものように記念写真の撮影です。

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今年も無事高校生平和大使結団式が無事終了しました。4年ぶりのジュネーブ,国連欧州本部への派遣、行くことのできなかった23代、24代、25代の高校生平和大使の思いも届けて欲しいと思います。

いのちとうとし

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2023年6月11日 (日)

第26代高校生平和大使広島研修

昨日午後1時から、アステールプラザを主会場として、全国16道府県で選出された第26代高校生平和大使22名が参加した広島研修が行われました。そして今日は、午前10時から同じ会場で、結団式が行われます。

1日目の研修の最初は、毎回講師を務めていただいている元資料館館長の原田浩さんの記念講演です。私が参加した時には、原田さんの被爆証言は終わり、広島の運動の歴史から何を学ぶのかをテーマとした話の途中からの参加になりましたが、「被爆の実相を伝える」と題した講演は、いつもの明快な語りで学ばされることの多い内容でした。

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1時間半あまりの原田さんの記念講演の後は、場所を平和公園に移しての研修です。

昨日は、フラワーフェスティバルの初日と重なり、会場から平和大通りを越えて平和公園に行くのに、少し苦労をしましたが、全員が無事予定通り原爆死没者慰霊碑前に集合しました。

最初に献花です。今年は、花束ではなく多くの花が用意されていましたので、一人ひとりが1本ずつ献花をします。

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最近は慰霊碑にお参りをする人は、きちんと列を作り並んで順番を待ち献花やお参りをしますので、高校生平和大使の人も同じスタイルで献花をしました。

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その後5班に分かれて、碑めぐりです。5班の内2班は、被爆2世の岸本伸三さんと、西岡由起夫さん、他の3班は高校生平和大使OGがガイドを務めます。

私は、第26代高校生平和大使の五閑さくらさんと高校生平和大使OGが案内する班に同行しました。他の3人は、いずれも高校2年生の神奈川県の宮下桜さん、佐賀県の倉田律さん、熊本県の嶌村理彩三です。

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限られた時間ですので、訪れた場所は次の通りです。

動員学徒の碑、原爆ドーム、原爆供養塔、韓国人原爆犠牲者慰霊碑、慈仙寺跡の墓石、原爆の子の像、平和の灯、原爆死没者慰霊碑。案内する場所は、限られた時間の中で回るためそれぞれガイドが決めたようですが、もう少し工夫があればと感じました。

最後にそれぞれの感想を出し合い、碑めぐりは終了しました。私は、ここで帰りましたが、この後高校生平和大使の皆さんは、資料館の見学し、初日の研修日程は終了することになっていました。

反核運動の原点に触れることで、この一年の活動の決意がより強まればと思います。

今日の結団式には、広島県原水禁の代表としてあいさつする予定です。

いのちとうとし

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2023年6月10日 (土)

「仁義切り」の代償

「仁義切り」という言葉、バクチ打ちなどの間で、独特の形で初対面のあいさつを交わすことです。歌舞伎など場で、舞台上の役者が観客にあいさつする独特の口上が由来ともされています。企業などの組織では、事前のあいさつ回りをすることや、礼をつくし相手に敬意の気持ちを表現する場合に使われています。

 中国、中部、九州の各電力会社が、公正取引委員会からカルテル締結の独占禁止法違反で、排除命令と過去最高となる総額1010億円の課徴金を命じられた事件。6月7日、関電を加えた4社の株主が一斉に記者会見を行い、各電力会社に対し提訴請求書(監査役に対し、取締役の責任を訴えるように求める請求書)を送付することを発表しました。

4社の中でも中国電力に課せられた課徴金額は707億1586万円で、3社の中でずば抜けての最高額です。これに各県の自治体から指名停止を受けた損失金などを含め、総額約808億円の支払いを求めました。

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この事件、何よりも許せないのは、誰が、何時、どこで、どういう方法で事件を起こしたのかという真相が、いまだに明らかにされていないことです。唯一、リアルな言葉で表現されているのが、ブログの題名にもしましたが「仁義切り」というものです。

2016年4月、電力小売りの完全自由化が始まり、電力会社管内を超えての営業活動ができるようになりました。一方で新電力会社が、電力事業に参入することが可能になりました。特に新電力の参入が大きかった関電エリアでは、熾烈な競争の中に置かれることになりました。

自由化が始まった翌2017年11月頃、関電は「仁義切り」と称して中国電力にあいさつのためにやってきました。関電は、中国電力管内でお客を獲得するための営業活動を行うことを伝えました。それがこの度の事件の発端とされています。その場で2社は、今後も役員級の者による情報交換を行っていく約束を決めたのです。

関電は、岡山や広島市に営業拠点を置いて、中国電力の大きなお客の電気を取ろうとしたのです。自由化になったのですから「取ろう」としたことは、まったく問題になることではありません。

しかし関電と中国電力は、お互いのエリアを侵食しないことや、新たに誕生した新電力会社を互いのエリアに参入させないために、販売料金の約束を行い双方の利益を守るようにしたとされています。それはカルテルとされた談合です。しかし事件の真相が明らかにされていないために、「だろう」の範囲でしか言えないのです。

提訴請求というのは、会社に置かれている監査委員に対し、事件を犯した取締役に対し責任を追及し、会社としての中国電力が被った損害金約808億円を返還する訴訟を起こしてくださいという請求のことです。

中国電力は、処分を下した公正取引委員会に対し取り消し訴訟を起こす考えとは言っていますが、まだ実際に起こしたとは報告されていません。カルテル自体を認めているのに、取り消し訴訟を起こすのも理解しかねることですが。

この度の提訴請求、60日以内に会社としての中国電力(監査役)が、課徴金などの賠償を求める訴訟を行わない場合、私たち株主が「株主代表訴訟」を起こすことになります。皆さん今後の動きを是非ともご注目ください。

木原省治

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2023年6月 9日 (金)

広大の供木はなぜ残った?

先月の27日から3回にわたって「被爆復興のために贈られた広大の供木」(被爆復興のために贈られた広大の供木の今: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com))を紹介しました。その最後に「市役所を訪ね、この説明板設置に至る経緯を調べてみたいと思います。」と書きました。その後、公園を管理する広島市に「当時の資料が何かありませんかないか」と問い合わせていましたが、「これではないかと思う資料が見つかりました」との連絡が入り、昨日担当課を訪れました。

その資料の名前は「東千田公園基本設計報告書」(以下「報告書」)です。

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この報告書は、1997年(平成9年)に、広島大学跡地を主会場として開催された「第14回都市緑化ひろしまフェア」に向けて、広島大学跡地を「東千田公園」として整備するために作られた基本設計報告書です。

この報告書の中で,公園整備にあたっては「既存樹木の価値を再確認し、できる限り現状の位置での活用を前提とした」とし,特に「広大の供木」について「『世界の人びとからの好意の結集』である献木を保全・活用し、『緑・いのち』のテーマと連動させて計画し、特徴あるフェア会場とする」とし、会場の中心的役割を与えています。

そのため、報告書の末尾には、1995年(平成7年)に実施された「広島大学跡地既存樹木調査」の結果が詳細に記載されています。

その調査は、「フェニックス等の寄贈植物の移植について」の著書がある広島大学理学部教授の豊田源太郎さんへのヒアリング、現地立ち会い、資料の提供を受けて、全部で1063本を調査し、そのうち22種、162本が「供木」であることが確認したようです。

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報告書には、その一番の根拠資料となったのは,広島大学が1995年に作成した「広島大学本部跡地植栽樹木調査と図面一覧表」だったことが記されています。

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上図には、小さくて見え難いのですが、供木が、種類ごとに色分けして表示されています。

この広島大学の調査書が、なぜ広島市の調査と同じ年になっているのかは不明ですが、「東千田公園」の整備計画で「戦前に建てられた旧理学部1号館と既存樹木を残して、既存施設を撤去する」と、かつての広大の痕跡が大きく変化することになったので、広島大学としても現況を調査しようということになったと想像されます。

いずれにしても、この場所が「都市緑化フェア」の主会場として使われるようになったことが、「供木の記録」を残す大きなきっかけとなり、大切に保存されることになったことは間違いないと思われます。

ただ、供木は、広大本部跡地全体に植えられましたので、現在の旧理学部一号館前の広場以外に植えられていた供木は、残念ながら現在は存在しません。

それ他にも,例えば先日4本と紹介したオリーブの木は、寄贈を受けたのは11本で,ほぼ同じ場所に植えられたのですが、公園整備の中で一部が公園区画に入らなかったため、内7本しか残されず、その後枯れたりしてさらに4本に減ったということになります。

さらに今回わかったことですが、先月28日のブログで供木として紹介した「ソテツ」は、「広島大学本部跡地植栽樹木調査と図面一覧表」のリストには掲載されていませんでしたので、訂正する必要があります。

今回「報告書」を調べていたわかったことは、世界から贈られて供木が、ただ「残っている」というのではなく「供木」として大切に扱われ、現存しているということです。

ほっと安心する気持ちがわいてきました。

いのちとうとし

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2023年6月 8日 (木)

2023.6月のブルーベリー農園その1

ブルーベリー農園の上空でホトトギスにまじってトンビのぴーひょろろという鳴き声が聞こえてきた。鳴くのは縄張りを宣言している示威行動らしい。麦の植えてある畑は茶色が濃くなって、安芸の郷の天然酵母パンを想像させる色合いになってきた。麦刈りが近いのだろう。週末は安芸区の自宅から東広島市豊栄町で栽培しているブルーベリー農園に通っている。まだ選定作業が終わらない。6月下旬には早稲のブルーベリーが実るというのに。安芸の郷では安芸区矢野で栽培している早稲のブルーベリーの実はもう最盛期に入って100gパックなどの販売も始まっている。

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63日(土)

前日雨が降ったので里山の水路の見回りにいく。あちこちで小石や杉の枝がたまった堰を作っているので素手で取り除き流れを良くして置いた。ところどころ木漏れ日で現れる景色の変化がおもしろい。

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水路の点検を終わって里道を歩いているとキジの鳴き声の先にオスのキジが見えた。

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ブルーベリーの剪定を続ける。初夏になる実が見れる。

①サンショウ

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②ウメ

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64日(日)

ブルーベリー畑で切った枝は実がついて重くなっているので、野焼きする場所まで一輪車で運ぶことを繰り返す。

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3段あるブルーベリー畑の一番上で50本ばかり植えている区画の手入れを昨日に続き行う。実を間引き、枝を剪定して木がぐらぐらしないように細めの竹を支柱にしていく。やっと終了。

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農園の庭の初夏

①グイビが赤く実をつけた

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②フランネルソウの一番花

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③ホオズキの白い花と緑の小さい実

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サイレンが農園の周囲になって夕方5時を知らせると農作業終了。まだ日が照っていて周囲は明るい。車で帰る際に、農園の近くで麦を育てている畑を見に行く。

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ずいぶんこんがりした茶色になった。農園の周囲の初夏の緑が濃くなる様に浸っていると、この収穫前の麦の色が気持ちにリズムをつけてくれる。

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1m近く伸びた先にたくさん実をつけた麦の穂。刈り取りの時期が近いようだ。 

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2023年6月 7日 (水)

広島県原爆被害者団体協議会の2023年度総会

広島県原爆被害者団体協議会(以下「県被団協」)の2023年度総会が、6月5日午前10時から平和ビルで開催されました。

私も広島県原水禁の代表として来賓で参加し、あいさつを行いました。

定刻に始まった総会は、前田耕一郎事務局長の司会でスタート、最初の全員で黙祷を捧げます。続いて箕牧智之理事長の開会あいさつ。

「原爆投下から78年。自分の78年間という長い人生を思い出している。被爆からの人生は、紆余曲折があった。G7、資料館の見学、目張りがされ、中で何が起きているか、知ることはできなかった。被爆者との面談も英語のできるただひとりの被爆者と会っただけ。私たちが願っていた7団体と会うことはなかった。しかし、G7だけで物事が決まるものではない。これからもあらゆる機会を捉えて核兵器のない世界を訴えていきましょう」

続いて来賓のあいさつ。ここで私たちは退席をしました。その後大竹原爆被害者友の会賀屋幸治を議長に選出し、議事に入りました。提案者は、前田事務局長で、2022年度事業報告や2023年度事業計画が提案され承認されました。

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事業計画では、被爆者相談活動で5カ所以上の出張相談の実施や、県被団協慰霊式典を例年の8月6日から8月5日に変更するとともに参加者も縮小し、被爆80周年の節目の年には従来通り実施することなどが、提案されました。

事業計画や予算などが承認されたあと、下記の「G7広島サミットの開催を終えて」と題する「まとめ」が提案されました。大切な文書ですので、少し長くなりますが、ほぼ全文紹介します。


(前略)

要点は三つ。

第一は、被爆地広島での開催であることから核兵器廃絶に向けた何らかの前進を期待していたがそうはならなかったということ。

第二は、核保有国を含むG7首脳が、広島で核兵器使用がもたらす結果を見、核兵器が使われるべきではないとの認識を持つに至ったであろうこと。

第三は、核兵器のない世界を実現するため、私たちは命ある限り先頭に立ち、訴え続けねばならない、ということ。

以下に詳述する。

  • 被爆地での開催ということで核兵器のない世界に向けての前進を期待していた。
  • 結果について様々な評価があるが私たちとしては複雑な思いがある。

a 生きている間に核のない世界を実現させたいと願い、運動してきた。

b 今回の会議において核兵器の削減や先制不使用などについて何らかの前進を期待していた。

c しかしながら、結果は核抑止論が肯定されるなど私たちの願い、期待とはかけ離れたものとなった。

d また、ロシアと中国への非難で結束し、和平・軍縮とは逆の方向となって、より対立を深めることにさえなった。

  • とはいえ、次の点でプラスに考えたい。

a 核大国を含む世界の大国の首脳が被爆者から話を聞き、また、核兵器の使用がもたらす悲惨かつ甚大な破壊を目にしたこと。

b そのことを通じて核兵器使用の結果について具体的に認識したであろうこと。

c 使われるとどのようになるかを具体的にイメージし、「使えるものではない。使わせてはならない」との認識に至ったであろうこと。このことは平和記念資料館視察後にG7各国首脳が記したメッセージからうかがうことができる。

⑤ 上記のメッセージにも関わらず、広島ビジョンに反映されなかったのはまことに残念である。今後、核保有国を含む大国の首脳がNPTに記された核軍縮に向けた誠実な交渉を行い、核のない世界へと歩み出してくれるよう願う。また、何らかの形で核兵器禁止条約に参加してほしい。

⑥ 今後とも核兵器国の首脳が広島、長崎で核兵器使用がもたらす結果に向き合い認識を深めるよう希望する。それが核兵器のない世界の実現に繋がるものと考える。

⑦ 残念ながら、私たち被爆者の命がある間に核のない世界を実現させることは非常に困難であると考えざるを得ないのかもしれず、核兵器廃絶は次の世代に託さざるを得ないのかもしれない。

被爆者がいなくなれば核兵器の怖さを身をもって知る人がいなくなり、核兵器とその使用に対する危機意識が低下するのではないかと大いに懸念する。

⑧ 最後に、今後も大国の指導者が広島・長崎を見、向き合うことを通じて、核兵器は使ってはならないものであり使えないものであることを認識して、核兵器の不使用、廃絶へと進むことを期待し、切望する。そのためにも、広島・長崎、そして市民社会の果たす役割は非常に大きい。広島・長崎そして市民社会は核兵器廃絶の声を上げ続けていかなければならない。被爆者は命ある限りその先頭に立ち続ける。


会員の出席は、年々少なくなり、しかも二世の姿が目立ち、改めて被爆78周年という年月を実感する総会でした。

いのちとうとし

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2023年6月 6日 (火)

6月の「3の日行動」

戦争させない・9条壊すな!ヒロシマ総がかり行動実行委員会が主催し、毎月3日に実施している広島の6月の「3の日行動」は、3日の先週土曜日に様々な行事が実施しされたため、

日程を変更し6日の昨日午後5時半から広電本通電停前で実施しました。

現在開会中の第121国会の会期末は、6月21日に迫っています。原発の60年を超える運転を可能とする「GX脱炭素電源法」等の法案が与党の強硬な国会運営の中で、残念ながらすでに成立しました。しかし残された法案には、「防衛財源確保法案」や「入管難民法改正案」などの重要法案がありますので,徹底した審議が求められています。

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こうした国会情勢の中で行った今月の「3の日行動」のテーマは、「岸田大軍拡 大増税反対」で,6人の弁士がマイクを握り、次のようなテーマで訴えましました。

・年金で電気代が払えない 異常物価高はだれのせい?

・盆暮れの「氷代」「餅代」が数十万 自民党県議の非常識

・G7サミットは何だったのか 岸田首相は被爆地の「恥」

・平川教育長の官製談合・無駄遣いは許せない

・「はだしのゲン削除だけではない どうする広島の平和教育」

・増強進む呉基地 許すな戦争する国づくり

最後のまとめの演説は、石口俊一事務局長でした。

このテーマを見ていただければわかるように、「物価高」問題以外は広島に関わるテーマです。「保守大国」と呼ばれる広島の政治土壌を変えることが、日本の政治を変えることに繋がることを示しています。

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いま国会周辺では、会期末の国会解散も取り沙汰されていますので、その意味からも広島での運動の強化しなければならないと改めて実感した昨日の行動でした。

今月の行動では、弁士にはできるだけ女性にお願いしようよということで、3人が女性の弁士でした。これからもぜひ女性の訴えが多くなれば良いと思います。

今月の参加者は、40名でした。

いのちとうとし

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2023年6月 5日 (月)

ヒロシマとベトナム(その48) 「ベトナム象、広島を歩く」エピローグ2 ~象と日本~

かつて日本にも象が住んでいた

「ゾウさん ゾウさん おはなが ながいのね、そうよ かあさんも ながいのよ」、誰もが知っている歌です。まどみちお作詞、團伊玖磨(だんいくま)が作曲し、1952年にNHKラジオで流され、今では誰もが知っている童謡の「ぞうさん」です。その象は動物園でしか見ることができません。子どもたちの動物園好きは、大きくて長い鼻が自由に動くことやおだやかで優しげな象さんが大好きだからかも知れません。

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地図は約2万年前のもの。灰色部分が当時の陸地。(出展「日本語の意外な歴史」)

実はかつて、日本に象がいました。1948年、偶然、長野県信濃町・野尻湖付近でナウマン象の臼歯を発見されたことから、4万8千年~2万年前の氷河期にナウマン象が住んでいたことが明らかになりました。その長野県飯田市の竹佐中原遺跡から800点におよぶ石器が発見され、自然科学分析したところ、「3万年より古く、5万年前より新しい」ことが分かりました。その後ナウマン象の化石は1万7000年より新しい地層で発見されていないことから、その頃に絶滅したのではないかと考えられています。

なぜ、絶滅? 気候変動?・・・、誰もが持つ疑問ですが、どうもそうではないらくしく、人間が増え象を狩り尽くしたというのがもっぱらの説のようです。

いずれにしても、中期旧石器時代(30万年前~3万年前)から後期旧石器時代(5万年前~1万年前)の「日本人」は、現アジア象の近縁に当たるナウマン象と時を同じく住んでいたのです。

日本人の象好きは、太古の昔に始まったのかも知れません。

仏教とともに伝わった象の絵姿

その後、長い時を経て日本人が再び象を知ったのは仏教伝来(538年)とともに伝わってきた経典や仏画を通してです。6世紀後半に造営された「藤ノ木古墳」から金銅製鞍金具に鬼面、兎、象の透彫りが出土していることから神聖な存在だったと思います。

奈良文化財研究センターのホームページには、〔・・・・日本人が「象」という動物の存在を知ったのは、遥か昔の古代までさかのぼります。『日本書紀』には「象牙」が記されていますし、『和名類聚抄』(注1)には「似水牛、大耳長鼻、眼細牙長者也」と、具体的な姿が説明されています。おそらく経典や仏像などを通じて大陸から伝わったのでしょう。〕と紹介されています。

人々は絵でした見たことのない象の姿を想像しながら、神聖な動物として受けとめていたのでしょう。

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藤ノ木古墳から出土した金銅製鞍金具    鞍金具(象)の透彫(出典:文化庁)

面白い象を発見しました、鎌倉時代(1250年頃)に彫られた象の彫刻です。ロサンゼルス・カウンティ美術館に所蔵されているそうで、「一体どうやって日本人は象を学んだんだろう」と話題を集めていたとのことです。

皆さん、何に見えますか?

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やってきた!実物象

象が日本に渡来した最も古い記録では、初代の渡来象は室町時代の応永15年(1408)6月22日、オランダ領スマトラ島パレンバンの華僑の頭目・施進卿と考えられる亜烈進卿という人物から足利義時に送られたものです。

第2代は戦国時代末期、天正2年(1574)に明国船が「象と虎」を博多に持ち込んだと伝えられています。

第3代はその翌年の天正3年(1575)、明国船が豊後国臼杵の浦に着き、大友義鎮(注2)に「虎4頭、象1頭、孔雀、オウム、ジャコウネコ」を贈ったと伝えられています。

第4代は豊臣政権下の慶長2年(1597)、スペイン領マニラ総督から豊臣秀吉に贈られた象。

第5代が江戸幕府開闢一年前の慶長7年(1602)に、交趾国(ベトナム)から徳川家康に贈られた象。

そして、第6代が今シリーズの主人公である 「享保の象」(1728年6月13日)です。

ところで、象の渡来が「享保の象」を除き、多くが16世紀から17世紀初頭にかけて集中していることに気付かれましたでしょうか。

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大航海時代の要図(出典:世界史の窓)。筆者が矢印を加えました

前号で、「次号(6月5日)では、象好き!日本人の歴史を振り返りながら、ベトナム象が来た頃の日本とベトナムの興味深い「外交秘話」を紹介します。」と約束しましたが、少し長くなりましたので次号に回します。

当時は「大航海時代」であり、オランダ、スペイン、イギリスなどが新大陸やアジアに侵出していました。そうした時代に乗り、商魂たくましく活躍(暗躍)する商人も多く、その一つとして「象外交」が行われていたのではないかと思います。

約2世紀後、江戸末期のペリー艦隊(1853年)やロシア艦船の来航(ペリー艦隊来航一ヶ月後)は、日本を大きく変える契機になりましたが、「ベトナム象」渡来時代には想像もしなかったことでしょう。

次号(7月5日)では、約束の「享保の象」時代の「外交秘話」について紹介します。

(注1)和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)

平安時代中期に作られた辞書。承平年間(931年~938年)、勤子内親王の求めに応じて源順(みなもとのしたごう)が編纂。天文・気象・精霊・水・土石に関して綴った「天地部」から、草木を綴った「草木部」まで24部・128部門まで書かれた「十巻本」。天文・気象を綴った「天部」から草木について綴った「草木部」までの「二十巻本」がある。平安時代以前の語彙・語音を知る資料として、また社会・風俗・制度などを知る史料として日本文学・日本語学・日本史の世界で重要視されている書物。(出典:ウィキペディア)

(注2)大友義鎮

戦国から安土桃山時代に活躍した九州の大名。キリシタン大名として知られ、境を接する中国(山口)の大内氏と覇を争った。最盛期には九州6国を領したが島津氏に破れ、豊臣政権下では一大名となる。法号が宗麟で大友宗麟としての方が知られ、小説にも描かれている。筆者のお薦めは遠藤周作の「王の挽歌」。

(2023年6月5日、あかたつ)

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2023年6月 4日 (日)

陶芸家青木良太さんとの会食

昨日から、並木通りのギャラリーたむらで、青木良太展が始まりました。

今回は、琥珀を釉薬に使った「琥珀焼」がメインテーマです。青木さんは、年間1万を超える新しい釉薬を自ら作成し作品に生かしています。今回、聖徳太子が建立した三重県津市の四天王寺の依頼を受け、聖徳太子が医薬への活用を研究したといわれる琥珀を釉薬として使った作品が展示されています。

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青木良太さんの個展は、毎年この時期に開催されますが、初日には作家自身が来廊します。そして夜、ギャラリーのオーナーと会食をしますが、いつも私もなぜか同席します。

昨晩も横川のピザ屋「ピッツァリーヴァ」でおいしい食事を楽しみました。

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いろいろと面白い話がありましたが、ここでは出てきたメニューだけ紹介します。

最初は、枝豆です。

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ピッツァリーヴァのオーナーが、青木良太さんのフアンですので、出てきた器が青木さんの作品です。

そして前菜。

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次にアヒージョです。

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何度もピッツァリーヴァには来ていますが、初めてです。青木さんの来店を歓迎してのオーナーの心づくしです。

後はピザ4種類。

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最後の一枚は、チーズ4種と生ハムが載っています。

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締めのデザートは、オレンジとレモンのシャーベットです。

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いつものことですが、楽しく美味しい食事でした。

いのちとうとし

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2023年6月 3日 (土)

「一里玉」

昨朝11時過ぎ,インターホーンが鳴るので玄関のドアを開けると、郵便配達員がレターパックを手に立っています。受け取って依頼主を見ると府中の小川敏男さんです。「あめ玉を送ってくれたな」とすぐピーンときました。

実は先日届いた小川さんからの「ブログの間違いがあります」とのメールの最後に「今日は松江市で行われる自治労退職者会の中四国ブロック会議へ行きます。今日は出雲そばを食」べて、帰りに雲南市吉田町の一里玉を買って帰る予定です。」と書かれていたので、その返信に「吉田の一里玉って何ですか。買ったら写真を送ってください。」と書いて送りました。このメールを読んで、私にも「一里玉を食べさせよう」と送っていただいたようです。「オロチのめん玉」も同封されていました。

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このレターパックには、「一里玉」を買いに行ったときの様子を記載した文書(小川さんのフェースブックの原稿)が同封されていましたので、小川さんに断り、以下に掲載させていただきます。


奥出雲殺人事件 浅見光彦が行く! 2023年5月31日(水)

 奥出雲殺人事件の手掛かりの一つが「一里玉」である。それを追って府中の浅見光彦と言われている旅のルポライター小川敏男が追った。

 手掛かりは亀井亜紀子元衆議院議員のフェイスブックだった。

 そこには「一里玉」の写真と島根県吉田町で買ったとある。店の名前は亀栄堂となっている。

 早速、今日(5月31日)行ってみた。

 松江自動車道(やまなみ)の雲南吉田ICで降りる。ひょっとして道の駅「たたらば壱番地」で売っているのではと思い聞いてみると、「一里玉は売っていません。一里玉を売っている亀栄堂(きえいどう)の行き方は事務所で聞いてくれ」と言う。忙しいのかそっ気のない女性だった。

 事務所へ行くと、半袖の黒いスポーツシャツを着たいかにも人のよさそうな人が、地図で行き方を説明してくれて、「亀栄堂さんはここから10分ぐらいだ」と言う。カーナビなので電話番号を聞くと電話帳から0854-74-0011と調べてくれた。カーナビに電話番号を入れて向かう。なお、マップには吉原亀栄堂となっている。

 川筋を走り、カーナビが左ですと言うので曲がってみると、風景が変わった。「たたらの里」と看板がある。

 少し坂を走ってみると「鉄の歴史博物館」の向かいにその店はあった。それにしても情緒ある通りだ。

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「鉄の歴史博物館」の横の駐車場に愛車のソアラ・・・ではなくホンダNボックスを止めた。

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 亀栄堂に入り聞いてみると、一里玉は飴玉であった。名前の由来は「1口なめると一里は歩ける」と言うキャッチフレーズだ。

 どこからきたのかとおかみさんが聞くので、「東京の府中市から来ました」と言うと、「どこか都会的な人が入ってこられたのでそうじゃないかと思いました。そりゃ遠くから来られましたね」とお茶を出してくれた。手がかりの品として1袋でいいのに(1袋378円)10袋も買ってしまった。

「映画『砂の器』の亀嵩駅までどのくらいですか」と聞くと30分位だと言われた。犯人が加藤剛、刑事が丹波哲郎、殺されたのが緒形拳の映画を観ました」というと、「私もそれを観ました。あれが一番いい」と言われる。

 その後、再び道の駅「たたらば壱番地」に戻り、昼食に出雲の割子そば(3枚720円)を食べて帰路についた。


小川さんの文中の写真は、私が勝手に編集したものです。

「一里玉」をなめ,出雲を思い出しながらこの原稿を書いています。なかなかの味です。

いのちとうとし

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2023年6月 2日 (金)

ライブ・イン「浄土の真宗」―念仏の平和コンサートin広島別院

友人に誘われて,昨日午後1時半から本願寺広島別院本堂で開催された「ライブ・イン『浄土の真宗』―念仏の平和コンサートin広島別院」に行ってきました。

広島別院では、偶数月の1日に「広島別院豊耳会(ほうにかい)仏教講座」が開催されていますが、今月は特別に「コンサート」が行われることになったようで,私も誘っていただきました。

出演者は、「近藤龍麿&天白真央 with Hobo’s」です。このメンバーは、名前が出ている二人の「シンガー・ソングライター」を中心に、<平和への願いと如来の大きな慈悲の心>を歌い続ける真宗大谷派僧侶によって構成されています。

今回は、「近藤龍麿&天白真央 with Hobo’s」にとっても待望の被爆地広島でのピースコンサートだったようです。

コンサートではありますが、仏教講座の一環として開催されましたので、参加者全員による「讃仏偈」の唱和からスタートしました。私は、教本もありませんので、ただ最初と最後の念仏を唱えるだけでした。

「讃仏偈」(さんぶつげ)の唱和が終わると、いよいよコンサートの始まりです。

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最初は、近藤龍麿作詞、近藤龍麿・天白真央作曲の「南無阿弥陀仏」の演奏です。

8人のメンバーに加え、地元の女性4人のコーラスが入ります。コーラスの4人は、西本願寺派、東本願寺派のそれぞれ2名づつで構成されていました。

この歌だけ歌詞を印刷した資料が配付されましたので、その最初を紹介します。

ナムアミダ ナムアミダ

ナムアミダブツ ナムアミダブツ

我らは迷いの人 弥陀の船に乗り

これで最後の 人生(いのち)を生きる

雲はわき雨が ふりそそぐ

大地につながる いのちの音

(以下略)

この歌が終わると「近藤龍麿&天白真央 with Hobo’s」によるコンサートです。

71歳の近藤龍麿さんを最高に全員が60代の僧侶ですが、10数曲の歌が休みなしで続きました。

その内3曲だけ、核に関わる歌が披露されました。

タイトルは「一本の鉛筆」、原発銀座と言われる福井をテーマにした「若狭の海」そして原発事故後の福島県飯舘村で作られた「ふるさと」です。

「一本の鉛筆」は、1974年の第1回広島平和音楽祭で、美空ひばりが歌った歌です。この歌を独唱した天白真央は、「広島で歌うことに深く気持ちが入っています」と話した上での歌唱でした。

歌われた歌は、全て仏教との関わりや人の生き様に関わるもので「念仏と平和コンサート」のタイトルにふさわしいものだったような気がします。

本願寺広島別院本堂という特別の場所で聞くこれらの歌は、いつもと違う思いで聞くコンサートでした。

いのちとうとし

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2023年6月 1日 (木)

第26代高校生平和大使、平和運動センターを訪問

5月14日に開催された選考委員会で第26代高校生平和大使に選ばれた3人が、30日に広島県平和運動センター、県原水禁の事務局を訪れました。開催され決定した。

今年の応募者は、71人でした。例年通り論文と面接などを経て、五閑さくらさん(県立広島高等学校2年)、永戸ももさん(福山暁の星女子高等学校2年)、宇土未来さん(県立加計高等学校芸北分校2年)の3名が選出されました。今年も3人とも女性が選出されました。

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右から宇土さん、永戸さん、五閑さん

任期は、1年です。すでに全国で選考が進んでおり、6月11日に広島市で開催される任命式で全国で選出された高校生平和大使とともに正式に「第26代高校生平和大使」に任命されることになっています。10日、11日の二日間は、平和公園のフィールドワーク等の研修も実施されます。

高校生平和大使の活動が始まった1998年以来、最も重要な活動として,自分たちが集めた署名を国連に届けるため、ジュネーブの国連欧州本部を訪ねてきましたが、2020年からの3年間は、新型コロナウイルスの感染拡大によって派遣が見送られてきましたが、今年は4年ぶりに派遣する予定となっています。

平和運動センターを訪れた同じ日に3人は、広島市役所で記者会見を行い,それぞれの決意を表明しました。

高校生平和大使経験者が、高校卒業後も多くの場面で活躍していますので、今年選ばれた3人にもぜひ多くの場面で活躍して欲しいと思います。

いのちとうとし

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