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2023年5月20日 (土)

ベトナムの歴史(その24) 抗仏闘争を戦った日本兵-1

新ベトナム人」

ベトナムの人々は、1847年のフランス艦隊によるダナン攻撃に始まったフランス支配に抗する約一世紀にわたり戦い、第二次世界大戦時には侵攻してきた日本軍との戦い、大戦後は再び植民地支配を企図するフランスとの独立戦争(第一次インドシナ戦争)を戦います。長きにわたるフランスとの戦いは1954年のディエンビエンフーにおける勝利で終えますが、その後も世界最大・最強の軍隊を持つアメリカとのベトナム戦争が1975年4月30日まで続きます。

ところで、「新ベトナム人(ベトナムモイ)」という言葉があります。抗仏戦争最後の9年間をベトナム人民とともに戦った外国人を指す言葉で、その大部分は第二次世界大戦後ベトナムに残留した日本人でした。このことは意外と知られていません。筆者が「新ベトナム人」という言葉を知ったのも、つい最近、2017年に天皇皇后両陛下がベトナムを訪問された時、残留元日本兵の遺児と会見されたとの報道を通してです。

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その後、2019105日号の「ヒロシマとベトナム(その5)」に、「抗仏戦争(第一次インドシナ戦争)と日本兵」という一節を書き、続いて115日号の「「ヒロシマとベトナム(その6)」で、その戦いに加わり戦死した福山市出身の石井卓雄(元陸軍少佐)について紹介しました。覚えておられる方もいると思いますが、今も石井卓雄のベトナムでの軌跡を追う調べは続けています。

抗仏戦争を戦った日本人について調べているうちに、この時期のことを知ることは、第二次世界大戦に突き進んで行った日本の歩みや南方政策だけでなく、戦後の欧米列強の世界戦略、さらにベトナム人を理解するとともに、今日のベトナム社会主義人民共和国につながる国づくり草創期の状況が少し理解できるようになりました。とりわけ、ベトナム共産党を理解するうえで、とても重要だと思うようになりました。

前置きが長くなりましたが、今号から数回にわたり、「抗仏戦争を戦った日本兵」を書き進めたいと思います。

なぜ、ベトナムに残り抗仏戦争を戦った

日本の敗戦後、インドシナ(主にベトナム)に残留した元日本兵の人数は、約1,000名という推計から800名まであり、正確には把握されていませんが、800名というのが通説のようです。

では、なぜ彼らはベトナムに残り、独立戦争に参加」したのでしょうか。

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2019年12月4日の「ヒロシマとベトナム(その7)」でも紹介しました『ベトナム独立戦争参加日本人の事跡に基づく日越のあり方に関する研究』(2005 10 月、東京財団研究報告書)には、①米軍占領下の日本の将来を悲観し、帰国しても奴隷的境遇に陥るのではないか、ベトナムで暮らす方がましではないかとの疑問を抱いた。②捕虜として米英軍や中華民国軍に虐待されるのを恐れた。③連合諸国に戦犯として処罰されるのが怖かった。これは士官、下士官と憲兵に顕著な意識であった。④日本に酷似した文化(例えば大乗仏教と神道)を持つベトナムの風土と人間に共感を抱き、この国のために為すところなく帰国する気にはなれなかった。⑤現地に愛人がいた。または特定のベトナム女性に対する憧れがあった。⑥個人として徹底抗戦の意志を貫こうとした(少数ながら陸軍中野学校出身者の場合は残置諜者として任務を全うしようとした)。

これは元朝日新聞ハノイ支局長の井川一久氏が、元残留日本兵やベトナム関係者からの取材、残された当時の記録などをもとに分析されたものです。筆者には、このそれぞれがベトナムに残るという動機付けにはなるだろうけれど、生きて帰ることを待ち望んでいる親や兄弟姉妹への思いを断ち切ってまで残った人たちの気持ちを推し量ることはできませんでした。

 

ベトナム残留元日本兵一人ひとりに戦争の姿

ベトナムで抗仏戦争を戦った方々の綴った本を幾冊か読んだ中の一人、加茂徳治氏(終戦時陸軍中尉)は『クアンガイ陸軍士官学校―ベトナムの戦士を育みともに戦った9年間』で、「なぜ離隊したのであろうか。ベトナム人民の革命に共鳴したからであろうか。私は、革命を理解し思想的、政治的に共鳴したわけではなかった。約100年にたるフランスの支配下、ベトナム人民がいかに搾取され、抑圧された生活を強いられていたかも知らなかった。戦争で荒廃した日本。戦いに勝ち誇った今までの敵が我物顔に振る舞っているであろうわが町、わが故郷、わが国を見るに堪えられない気持ちの方が強かった。」(37㌻)と書かれています。

下は読んだ本のうちの薦め本です。

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加茂さんは著書の中で、ベトナム女性と幼子を抱えてベトミン軍に協力している元日本兵のことや様々な形で抗仏戦争に参加している元日本兵について触れています。しかし、その殆どが元の階級も本名も、離隊と抗日戦争参加の理由も語り合うことはなかったとも書かれています。

600名(800名とも)いわれている残留元日本兵一人ひとりに、強い望郷の念を持ちながらも、離隊・残留を選択した葛藤の中に一人ひとりのドラマがあり、もう一つの戦争の姿があったのです。

先に紹介した井川一久氏の『報告書』が書かれた翌年、続編として『日越関係の発展の方途を探る』が出され、次の様な一文があります。

「(紹介した7つのベトナム残留理由)・・・・とかいうような理由だけで、彼らが夢にまで見たであろう故郷を捨てて、異民族の独立戦争に命懸けで参加したとは到底考えられない。彼らに独立戦争参加を決意させるには、それなりの条件が必要であった。」と。

次号では、元日本兵が抗仏戦争に加わった1945年8月15日の日本敗戦から1946年にかけた時期の、ホー・チ・ミンに指導されたベトナム独立同盟(ベトミン軍)について見てゆきたいと思います。そこから「その条件」が見え、ベトミンと今日のベトナム共産党の理解、そしてベトナム人民の理解につながる道があるような気がします。

(2023年5月20日、あかたつ)

【編集者】あかたつさんは、昨晩午後5時半から30分間、G7サミット拡大会合に参加するベトナムのチン首相と会談し、歓迎のあいさつをされました。

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